11 かりそめヒーロー
青海文書の力を得た日から、夢は後悔の発露というだけでなく、魔法の世界の入口にもなった。
そういう夢をみるときはなんとなく予感があって夢の世界で目覚めると、不思議にそれが普通の夢とは違うってことが理解できる。
……まあ、ロケーションが毎回一緒というのも大きいけど。
そこは毎度お馴染みオルドルの銀の森だ。
湖のほとりに敷き物を広げ、銀の枝にランプを吊り下げ、何でか知らないが眼鏡をかけたオルドルが積み上げられた書物から一冊抜いては広げている。
いつもと違うのは、銀の森が夜に包まれているということだ。
空には満点の星、そして翠のオーロラが漂っている。
「《黒一角獣の角》ってなんなんだ? もしかして、本当に僕がそれを持ってたりするの?」
『ようやく現実を直視するキになったか……』
オルドルはあきれ顔だった。
思い返すだけで、昨晩は大変だった。
とにかく、もう、大変だった。
起きていることは重大な犯罪事件なんだけど、どこか馬鹿馬鹿しいというか……。
いくら僕が不運とはいえ、これが普通じゃない、つまり異常な事態だってことくらいは理解できる。
『ホンモノを見たワケじゃないからボクにだってそれがウルトラハイパー珍しい呪具だってコトくらいしかわかんないサ』
「本気で言ってるの?」
『ホンキもホンキ。ボクをいったい誰だと思ってるのサ。師なるオルドルだゾ? 魔術師だらけのこのクニで、師なるものとヨばれてるのはこのボクだけなんだ。偉大さにひれフすがいい』
「……」
オルドルの澄ました横顔に、なんとなく、違和感を感じる。
『ドウしたの?』
「……前も青海文書の世界っぽいところでオルドルの姿を見たような気がするけど、こんなふうに面と向かって話をする感じじゃなかったような気がして……」
勘違いかもしれないが、出会った頃のオルドルはもっと近寄りがたいっていうか、ワケわからないっていうか……。
人間にははかりがたいもののような気がしていた。
でも時間がたつにつれ、そういう気配がなりを潜めて、金鹿にやられていたときは、なんだかまるで《対等》のような……人間の少年みたいに見えたんだ。
『気のせいサ。今はこの場を支配してるのは、残念ながらマージョリーだから、そのせいもあるかもしれないネ。いずれ元に戻ル』
本当にそうだろうか。
そう考えてみると、森も少しだけ雰囲気が違う。動物たちの気配はなく、静かだ。
目の前にいるオルドルは半人半獣の魔術師よりも、だいぶ人間に近い。
『それより、今は目の前で起きてるコトに集中したら~~~~?』
指摘され、昨晩の悪夢がよみがえる。
それは夜眠りについた後にみる夢ではなく、現実の《悪夢》というやつだ。
いくらなんでも、あの事件の起き方は、怪しい。怪しすぎる。
『キミは以前、リブラに呪具を埋め込まれたりしてたけど。ただ……そういうモノをキミが所持しているのなら、ボクが気がつかないハズがない』
「つまり、持ってないってこと?」
オルドルは妙な顔になった。唇をすぼめて突き出している。
『…………鹿にはわかんないぷ~~~~』
「ぇ……何……気持ち悪……。なんでいきなり鹿主張しはじめたの?」
『気のセイ気のセイ!』
「嘘つけ、お前、ぜったいなんか知ってるだろ」
問い詰めようとしたそのとき。
自称鹿の瞳がす……と細くなる。
そして泉のほうを睨みつけている。
『…………クるよ』
「まさか……金鹿!?」
思わず身構える。
湖の表面に、底のほうから上がってきた黒い影がみえる。
波が立ち、水しぶきをあげながら、人影が勢いよく飛び出した。
「――――――――ぷはぁっ!」
酸素をとりこもうとして目いっぱい開いた小さな唇から、愛らしい呼吸音が響いた。
濡れたオーロラの髪が、痩せた背中が、星あかりに照らし出される。
「マージョリー……」
思わず呼んでしまった口を、自らふさぐはめになった。
でも、遅かった。
呼びかけられた少女は、振り返ってしまったのだ。
少女は僕をみて、飼い主をみつけた犬みたいに明るく表情を輝かせる。
「ツバキ! あいたかった!」
水面を蹴って、マージョリーが駆けて来る。
僕は堪らず大声を上げた。
「マージョリー! 服を着ろ! いや着てくださいお願いしますッ!!」
隠すものが長い髪しかない。
『大丈夫だ。ツバキくん。彼女、さすがに天然モノの魔女だけあって、かなり長く生きてるよ。キミの五倍くらい。キミはロリコンかもしれないが、これは合法ダ』
「そういう!! 問題じゃないっ!! 互いに同意の確認が取れない無知シチュには倫理上の問題があると思います!!!」
「夫婦ははだかで愛をたしかめあうんでしょ?」
「まさかの確信犯的犯行!」
いくら痩せぎすで女性らしい膨らみが無いとはいえ。
そして意外なことに年上という衝撃の事実を聞かされた直後とはいえ。
広々とした肌色面積を追い求めてしまう本能にはあらがえない。
顔面を覆っている五本指がはがれたら、きっと見てしまう。
凝視してしまうにちがいない。
耐えろ、耐えてくれ僕の指筋肉。
あれ?
でも、べつに、すべてわかったうえで見せてきているんだから見てもいいのでは?
心の紳士がそう囁く。
今日はとても疲れることがあったし……。
ご褒美ってことで。
いや~~~~! ダメダメ! こらっなんで許可なく離れてるんだ僕の指! こらっ。そんなに見たいのか!? 見たいの??? 僕も見たい! もう、しょうがない子だなあ~~~~!!
僕は無駄にキリッとしながら、目を見開いた。
いわゆるガン見であった。
倫理に反する欲情には徹底的にあらがう、とした決意は三秒ともたなかったのだ。
でも、そこにいたのは。
『……………ツバキくん、流石にボクもどんびきだヨ』
「これがわかさゆえのあやまち……」
生暖かい微笑みを浮かべるオルドルと、いつの間にか水着を着用しているマージョリー・マガツの姿だった。




