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「……星条コチョウと尖晶クガイは、異世界の扉を開けたのです。《角》にこめられた負の力を使って」



 何故、彼女がそう切り出したのか、にわかには理解できなかった。


「……扉って、異世界の扉のこと?」

「そうです」

「扉は女王の魔法でしか開かないはずだよね」

「例外があることを発見したのもコチョウなのです。彼は、若いときは優秀極まりない魔術師で、探求心と野心のある研究家でもありました。ふたりは《角》を使って異世界の扉を開けて、ほんの一時、異世界を垣間見たのです」

「それで?」

「それだけです。ふたりは扉を閉めて、戻ってきました。当時の角の力では、一時間ももたなかったでしょうが……そのときに《角》は異世界に持ち去られたのではないか、そうも考えられるのですよ」


 コチョウが異世界を覗き見た、それだけでも驚きだが、単純に驚いてばかりもいられない。


 もしかすると彼女は僕が藍銅出身じゃないってことを知っているのか、どうか。


 それが問題だ。


「なぜ、僕にそんな話を持ち掛けたの?」


 その質問を絞りだしたとき、まるで今にも割れそうな、薄いガラスに素手で触ったかのような手触りがした。


「雄黄市からの難民たちのあいだで、まことしやかに流れる噂話があります。あなたが、異世界人だという話です」

「そういう噂があるのは知ってる。でも、三大魔女ともあろう女性がそんな噂なんかを信じるなんて……」

「三大魔女という肩書を少しも大事だとは思っていないのに、苦しくなったからといってこちらのプライドをくすぐって誤魔化そう、なんていう魂胆は、少しさもしいと思うな」


 リリアンは銀色の瞳をどこか艶めかしく輝かせる。

 それはその通りで、僕は方向性を軌道修正する。彼女は、小手先の詭弁でどうにかなる相手ではないのだ。


「とはいえ三大魔女という呼称に興味がないのは私も同じです。誇りというものも、今一つ理解できないですね。そういうこだわりは、人間特有ですね」


 彼女は少しだけ地面を蹴って、ブランコを揺らした。


「君が人間じゃないっていうのは、本当なの?」

「ええ……その通りです。クヨウ魔術捜査官が使ってらっしゃる人形のようなもの。それよりずいぶん精巧で、古く、魔術禁止令が出される前につくられました」

「クヨウのことも知ってるんだ」

「うちの顧客ですから」


 なるほど、世間は狭い。


「君には、その……」

「魂はあるのか、ですか。さあ……自動人形に縫い付けられたいくつもの魔術を、魂と呼ぶのはさすがにおこがましいでしょう。人と同じように思考することができるだけ」


 そう話しているリリアンは、確かに機械のような物言いだ。

 白い肌は白すぎるように見えるし、瞳の色は冷たすぎる。

 でも微笑んでいるときの彼女は、人間となんら変わりないように見えた。


「失礼なことを聞いてごめん」

「話を続けましょうか。私が何か、などということはどうでもいい、問題はあなたが異世界人だということ」

「それが本当だったとしても、僕がそのたった一時間の間に失われた角を持ってるっていうのは、さすがに杜撰すぎる推理じゃないかな」


 僕はそれを肯定するわけにはいかない。

 たとえ角がその短い時間で異世界に渡ったとしても、僕はそれを見たことは無い。それが事実だ。


「時間の話ではありません……これは、あなたが何者なのか、という話です」

「僕が? どういう意味?」


 リリアンは頷いた。


「あなたへの請求は取りやめません。貴方が現在の所有者ではない、という証拠が出てこない限り。話は終わりです」

「えっ、そんな、ひどい」

「ひどい? ひどい、ですか――そういう感情はいまひとつ、理解できないですね」


 そう言って、不思議そうに首を傾げた。




*



 あなたは何者なの?


 形は違うけれど、過去に僕にそう訊ねた人がいた。

 不思議だ。

 日本にいた頃は、誰も僕が何者なのかなんて、訊ねなかった。

 それが女王国に来てからは、このザマだ。

 僕自身、僕が何者なのか知りたくてたまらない。本当にヒナガツバキなのか、薔薇の騎士ってなんなのか、それから、誰が味方で、敵なのか。

 

『…………マ、あれはもとから人間じゃないからナ』


 オルドルはそういったが、彼女を人間ではないから、なんて理由で切り捨てる気にはなれない。


「リリアンはなにを知っているんだろう。僕が異世界人だってことまで知ってたよ」

『その事実を知ってたヒトは結構これまでにもいたじゃない。どうやってそれを知ったかのほうが大問題サ。たぶん、あの倉庫の中の大量のベンリなドウグを使ったんだろうケドね』

「彼女が言っていること、本当だったと思うか?」

『ウソはつかないだろうサ。……でも彼女はしょせん、魔術で生み出された人工生命体ダ。誰かからの命令に従っているダケだよ。命令者がいないとしても、空の肉体に刻みこまれた魔術の通りにしか動かない』


 本当に訴訟とか、大事になるのならそれなりの準備が必要だ。

 誰かに相談するべきだろう。

 っていうか、何で僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。


 オフィスを出たところで、カフスが明滅していることに気がついた。

 事情を知らせたアリスさんが、星条家の所有する不動産で、コチョウからアマレへと譲られたものを調べてくれたのだった。

 いくつか候補はあるものの、近場から《家庭訪問》を決行することとした。時刻は夜に近いが、まだまだ非常識というほどではない。せいぜい、少し気がきかないなと思われるだけだ。

 幸い、図書館からも歩いて帰れない距離じゃない。

 そこは、公園の隣にある古いホテルだった。

 古い、というと、少し語弊がある。伝統ある、という言い方が適しているかもしれない。

 意気揚々と、正面入り口の扉を押した。

 正確には、押そうとした瞬間に、勢いよく額から平らな壁のようなものに突っ込んだ。


「むぐッッッ! いてて、何に突っ込んだんだ……って、うええ…………?」


 僕は異様な光景を前に、立ち竦む。

 そこには古びたホテルの外観があったはずだが。


 今、目の前にあるのは、黒い……黒い、謎の立方体だった。


「何これ……」


 僕は呆然としてそれを見つめた。

 どう見ても、真っ黒でとてつもなく巨大な積み木、にしか見えないソレを。

 おそるおそる手を伸ばすと、プラスチックとも木とも、布とも判別がつかない軽い触り心地があって、でも向こうには行けない。

 指の腹が触れたところに、メッセージが浮かび上がる。


『この魔術製品《工事用目隠しカーテン》は法律に準じて製造された合法的な製品デス……工事によって発生する振動や騒音を吸い取り、外に漏らしませン!』

「翻訳どうも……」


 続いて、ウィクトル商会のマークが現れる。

 そして、元のホテルの外観に戻った。

 どうやら、これは工事現場を覆う、便利な目隠しのようなものらしい。

 振動や音もさせないなんて、便利すぎるのでぜひ日本にも輸出してもらいたい。

 これだけ大っぴらに使われているということは、説明書きにある通り、法律による規制の範囲内でつくられたものであって、違法な商品ではないのだろう。

 医療魔術とか、普通に使われているわけだしな。


「ええと、どこかに出入りするための継ぎ目があるはずだけど……見渡す限り、無さそうだなあ」


 直に触れながらぐるりと一周してみたが、それらしきものはない。

 そこで、オルドルが呆れたような声をだした。


『…………あのサ、工事中なら、ココにアマレがいる可能性は低いんじゃなィ?』

「まあ、確かに」


 疲れてるみたいだな、僕。

 次の物件に行くか、それとも図書館に戻るか……。


 そう思っていた矢先。

 

「誰かっ……! お願い、助けてください!」


 必死な呼びかけに応えると、裸足の少女がこちらに駆けてくるところだった。

 少女は薄汚れたワンピースを身にまとっただけで、裸足で靴もはいていない。足の裏は小石を踏んだせいでうっすら血が滲んでいる。

 その後ろからやってきた男ふたりが少女を羽交い絞めにして、後ろから口を塞ぐ。

 そして僕のほうを見て明らかに「やばい!」って顔をしたのだった。

 

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