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 こんなにすぐ変装がバレるなんて、流石に不運すぎではないか?



 杖が離れた時点で、幻術は解けている。

 けれど、これは戦いじゃない。金杖の力をそれ以上使う必要はなかった。

 《僕》の姿をした何者かは、僕を《糸》でグルグル巻きにすると、ミクリを置いてきぼりにしたままエレベータに乗り込んだ。

 謎の人物の鼻歌を聞いている間に、エレベータは急上昇。

 最上階のフロアに辿りついた。


 そこは絢爛豪華な、住宅と言われても、頭には二重の疑問符が浮かぶ物件だった。


 赤絨毯が敷き詰められた、銀色のような、菫色のような不思議な色をした階段をのぼり、広すぎて遠近感が狂いそうなリビングに連れて行かれた。

 もしも開いていたら、広大な景色が望めただろう窓は、社交カーテンでふさがれていて薄暗い。

 両手を拘束されたままの僕を床に転がして、気味の悪いもう一人の《僕》は凝ったデザインの椅子に腰かけた。

 部屋の奥から細身の美人が歩いてきて、彼の前に、やはりほっそりとしたグラスを置いた。グラスの中はパチパチと泡が弾ける、薄い金色の飲み物だ。

 アルコールのにおいがする。


「勝手に忍び込もうとしていたことは、お詫びします」


 ひとまず謝罪の言葉を口にすると、相対した《僕》が唇を歪める。

 向かいった僕の容姿は、少しだけ情報が古い。

 校内戦のときにもらったマントをつけていない。

 すなわち、翡翠女王国にやってきたばかりで、リブラにお仕着せの服を着せかけられ、どうすればいいかもわからず混乱しきっていた頃の僕だ。ニヒルな表情は似合わない。今もそうだろうけど。


「ふ……殊勝な心掛けだ。灰簾理事から聞いていたが、きみはすこし、学院の教官連中とは毛色がちがっているね。実に小賢しい魔法を使う。私は好きだよ」


 そいつは手首に巻いた、銀色のブレスレットを外した。

 何らかの魔術が解かれ、本当の姿が現れる。

 その正体についてはある程度の検討がついていた。何しろ、そこは部外者立ち入り禁止の区域なのだから、問題は、どちらかということだけだ。


「マスター・ヒナガ。会えて光栄だ」


 黒髪は、白銀の華やかな髪に。

 瞳は花びらのような薄桃に染まり、年齢不相応な美貌が現れる。

 華やかで、しかも人目を引く、舞台役者のような男だった。


 星条コチョウ、本物だ。


 コチョウはツカツカと靴を鳴らして近寄り、杖の頭で僕の顎を持ち上げた。

 甘い香りがする。濃い魔力の香りだ。

 思ったよりも実物は顔が小さくて、頭身が高い。


 まさか、在宅していたとは思わなかった。

 多忙な人物で一か所に留まることはないと聞いていたのに、運が悪すぎて泣きたくなってきた。

 この状況だと不法侵入で警察を呼ばれても、文句は言えない。

 逃げたくても、杖を置いてきてしまったし。

 ただ、コチョウはいつまでも市警を呼ぼうとはせず、マジマジと僕の顔を観察しているだけだった。沈黙が辛い。


「……あのう、魔術を解いてくれませんかね」

「それは、私の質問に答えてからだな。君、藍銅の出身だってね。本当かい?」

「本当です。むこうに両親がいます」


 少なくとも学院のマスター・ヒナガは藍銅出身、と信じている者には、それが真実だ。

 コチョウは妙な質問を続けた。


「血は繋がってるのかい?」

「……え?」


 質問の意図がわからず、つい聞き返してしまう。

 コチョウが、何故僕と僕の親の血縁関係を訊ねるのだ?

 答えあぐねていたが、その質問自体はさほど重要ではないらしい。コチョウは矢継ぎ早に次の質問に切り替えた。


「さっきの演技、なかなか堂に入っていたね」

「そりゃどうも……」

「それは君の才能かな。その瞳は、どこで手に入れた?」

「これは、魔術によるもので……」

「先天的なものでは、無いのか?」


 コチョウの桃色の瞳が、すっと細まる。

 色は朗らかな春色なのに、鋭利な刃を思わせる厳しさだ。


「そうです。でも、どうしてそんなことを聞くんですか?」

「知り合いによく似ていたからだ。後天的なものならば、興味はない」


 知り合いに。

 そんなことを突然言い出す奴は、彼で二人目だ。


「知り合いって……?」

「古い人間関係だ。私と同じ騎士だった」


 彼は僕の肩と手首についた糸を外してくれた。

 手足が自由になる。

 よく見ると、それらと変身に使っていたブレスレットは、コチョウの髪でできているようだった。


「時間を無駄にしたな」とコチョウは実につまらなさそうに言った。それは横柄で、傲慢な態度と言えたが、なんだかそれらの無礼も許してしまいそうになる美貌だ。

 彼が百合白さんの父親なんだ、という感慨は、思ったよりも薄い。

 それどころか、実は嘘なんだと言われてもおかしいとは思わなかっただろう。

 同じ髪や瞳をしているのに、ふたりはあまりにも似ていない。共通項がない。


「あの……僕は今日、星条アマレ君に会いに来たのですが」

「ああ、アマレがどうかしたかね」

「しばらく学校に登校していないようです」

「それだけのことで、魔法を使って、不法侵入を試みたと? 大胆だね」

「それだけって……」


 息子のことが心配ではないのだろうか。

 コチョウはくだらないと言わんばかりに表情を歪めてみせる。


「アマレはここにはいない。あいつが学院に通うかどうかは、基本的には自分の意志だ。学問が必要ないならば、無理に行くことはない」

「それはそうですけど、一応、親でしょう」

「さて、それはどうかな……」

「どういう意味です」

「御覧の通りだよ。私は世界中を飛び回って、息子が何をしているかも知らない。親としての義務を果たしているとは言い難い。無論、向こうは私を親とは思っていないかもしれないね」

「アマレ君に会わせてください」

「言っただろう。あいつはココにはいないってさ……」

「それは、どういう意味です」

「物分かりが悪すぎる教師だね。出て行かせたということだ」


 コチョウは気だるげに首を傾げる。


「もちろん手ぶらではない。奴には、私が持っている不動産と事業の一部を生前分与してある。それ以上の相続権の一切を放棄させたがね、それでも十分過ぎるほどだ。一生食うには困らないだろう」

「出て行かせたって……まさか、追い出したってことか……?」

「その通りだ」


 あっけらかんとした物言いに、返す言葉もない。

 こいつはいったい何を言ってるんだ。


「せめてもの情けだ、一代に限り星条の家名を名乗ることは許した」

「そんな、なんでだよ。実の息子なんだろ?」

「おやおや。そんなに驚くとは。父親は、実の息子を捨てないものかね? そうではない。ありふれた話だよ、マスター・ヒナガ」


 ありふれた話だよ。

 その一言が、僕の心に、そして、過去の記憶に火をつける。

 僕の父親も、かつて僕を捨てた。

 突然いなくなって、どれだけ待っても二度と戻ってこなかった。

 ありふれた話だ。

 僕は拳を強く握りしめた。

 杖はここにはない。僕は魔術を使えない。ただの真人間だ。


「なんだね、私を殴ってみるかい?」と、コチョウが嘲笑う。

「…………もう帰ります。貴方が通報しないなら」


 その一言は、意外なものだったらしい。

 僕はそれほど正義ぶった善人に見えるのかな。

 コチョウがどんな理由でそうしたにしろ、彼がしたことは、きっとアマレを傷つけただろう。

 僕にはよくわかる。誰よりもよくわかるに違いない。

 でも、殴ろうが、魔術を使おうが、コチョウが変わることはない。

 父親は戻ってこない。

 どんなふうにしたって、心の底から願ったほしいものは絶対に、手に入らないんだ。



*


「でもやっぱり腹立つ! なんだアレ! あれでも父親かよ!? 血はちゃんと赤い奴が通ってんだろうなァ!?」

『そーだそーだ! 途中経過がぜんぜんわかんないケド!』


 憤慨してエレベータから降りて来た僕を、杖を抱えたミクリが不安そうに出迎えた。

 そのままマンションを出て、コチョウ本人から聞いた事情を話した。

 ミクリはそっと眉をひそめた。


「そうですか。それでは、コチョウ氏は、もしかしたらアマレ君ではなく、百合白さんを星条家の後継者と考えているのかもしれないですね」

「え……と、あ、そうか。百合白さんが、王位継承権を失ったからってことか」


 ミクリはこくこくと頷いた。

 コチョウには二人の子どもがいる。アマレと百合白。

 百合白さんは女王になるはずだったが、政治の失敗で王宮から出されてしまった。

 女王になれなかった子の後見になるのは父親の仕事だ。

 百合白さんが海市にもどってきたとき、コチョウはアマレより百合白に財産を譲りたくなった……理由はなんでかわからないけど、否定する材料もない。


「あくまで、推論でしかありませんが」

「いや、そういうのに詳しそうな人がいるから、ちょっと意見を聞いてみるよ」


 最初は写真の礼として義務的にミクリにつきあっていた僕だが、こうなってくるとアマレへの同情も手伝って、本腰入れよう、という気になってきた。


「アマレがいまどこにいるか知らないけどさ、あんな父親のことで卑屈になってるんだとしたら、もったいないよ。父親が親の義務丸投げ傲慢クソ金持ち野郎でも、アマレ君にはアマレ君の人生があるんだから」

「ヒナガ先生…………!」


 僕の決意に感動してくれたのだろう、ミクリが名前を呼びながら腕に縋りつく。

 そんな、大胆な。悪い気はしないけど……とかのろけている場合ではなかった。


「あっち、あっち!! 女の人が襲われてます!!」

「えっ! 何!? ……ほんと、何なの!?」


 ミクリは必死で明後日の方向を示している。

 そこで、僕も事態を察知した。

 確かに、喧騒が聞こえる。女性の悲鳴も。

 場所は海べりの公園だ。一度、物凄く痛めつけられた女性とデートに来たことがある。

 いつもはのどかな公園に、異質な人間が紛れ込んでいた。

 訳の分からない怒鳴り声を上げて、刃物を振り回す中年男だ。

 足下には、女性が身を庇うように伏せていた。よく見たら、幼い子どもを抱えてる。

 もちろん、まだ日が高いから人通りも結構あって、正義感に駆られた人たちが男を押さえこもうとしている。

 ただ刃をブンブン振り回すから中々近寄れないみたいだ。

 怪我人が出るまで秒読みってところだ。


「ミクリ、通報!」


 僕は駆けだした。

 ああ、もうなんでこう、次から次に面倒事が起きるんだ。忙しすぎる。


『ほっとけばよくナイ~~~?』

「ちょっと魔術を使うだけだ。今なら回復するんだし、やらない理由がない以上やらないと寝ざめが悪くなる。幸い、魔術を使う材料はさっき仕入れたばっかりだ。あ、くれぐれも殺すなよ」


 僕は金杖を抜き、むかつく他人の父親のことを思い出す。

 オルドルの魔術の材料は《怒り》だ。


『素材が欲しいカラ、ギリギリまで走って』


 僕はもめてる人たちの隣を通りすぎ、海との境の柵まで走った。


「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」


 杖を掲げる。呪文を合図にして、鉄柵がグニャリと歪む。

 それは銀色に変化しながら、茨の網になって伸びあがり、暴れている男の武器を持つ手に絡みつき、吊り上げた。


「なんだっ!? 何が起きたっ、ちくしょう、殺してやる!! エミリー! 俺から逃げられると思うなよっ!!」


 吊り上げられても、男は汚い唾を飛ばして暴れている。

 それどころか、反対の手を懐に突っ込んで、銃のようなものを取り出そうとした……が、変形した茨がその手を拘束し捩じりあげ、武器を取り上げる。


「させるわけないだろ!!」


 ついでに思いっきり茨を収縮させ、男を宙に放り投げる。

 男は叫び声の放物線を描いて、海に落ちて行った。

 爽快だ。

 

「ハッハッハ!! 読めてたわ!! 伊達にマスター・カガチの相手して生還してないからな!! ――いでっ!」


 久々に、というかかつてこれまで無かったほどの、快勝である。

 しかも純粋な人助けである。

 爪から食われたが、それも、ジワジワ治っていくので問題ない。


「ありがとうございます!」


 振り向くと、襲われていた女性――母親らしき人物が、娘とともにこちらを熱っぽい瞳で見つめていた。

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