7
こんなにすぐ変装がバレるなんて、流石に不運すぎではないか?
杖が離れた時点で、幻術は解けている。
けれど、これは戦いじゃない。金杖の力をそれ以上使う必要はなかった。
《僕》の姿をした何者かは、僕を《糸》でグルグル巻きにすると、ミクリを置いてきぼりにしたままエレベータに乗り込んだ。
謎の人物の鼻歌を聞いている間に、エレベータは急上昇。
最上階のフロアに辿りついた。
そこは絢爛豪華な、住宅と言われても、頭には二重の疑問符が浮かぶ物件だった。
赤絨毯が敷き詰められた、銀色のような、菫色のような不思議な色をした階段をのぼり、広すぎて遠近感が狂いそうなリビングに連れて行かれた。
もしも開いていたら、広大な景色が望めただろう窓は、社交カーテンでふさがれていて薄暗い。
両手を拘束されたままの僕を床に転がして、気味の悪いもう一人の《僕》は凝ったデザインの椅子に腰かけた。
部屋の奥から細身の美人が歩いてきて、彼の前に、やはりほっそりとしたグラスを置いた。グラスの中はパチパチと泡が弾ける、薄い金色の飲み物だ。
アルコールのにおいがする。
「勝手に忍び込もうとしていたことは、お詫びします」
ひとまず謝罪の言葉を口にすると、相対した《僕》が唇を歪める。
向かいった僕の容姿は、少しだけ情報が古い。
校内戦のときにもらったマントをつけていない。
すなわち、翡翠女王国にやってきたばかりで、リブラにお仕着せの服を着せかけられ、どうすればいいかもわからず混乱しきっていた頃の僕だ。ニヒルな表情は似合わない。今もそうだろうけど。
「ふ……殊勝な心掛けだ。灰簾理事から聞いていたが、きみはすこし、学院の教官連中とは毛色がちがっているね。実に小賢しい魔法を使う。私は好きだよ」
そいつは手首に巻いた、銀色のブレスレットを外した。
何らかの魔術が解かれ、本当の姿が現れる。
その正体についてはある程度の検討がついていた。何しろ、そこは部外者立ち入り禁止の区域なのだから、問題は、どちらかということだけだ。
「マスター・ヒナガ。会えて光栄だ」
黒髪は、白銀の華やかな髪に。
瞳は花びらのような薄桃に染まり、年齢不相応な美貌が現れる。
華やかで、しかも人目を引く、舞台役者のような男だった。
星条コチョウ、本物だ。
コチョウはツカツカと靴を鳴らして近寄り、杖の頭で僕の顎を持ち上げた。
甘い香りがする。濃い魔力の香りだ。
思ったよりも実物は顔が小さくて、頭身が高い。
まさか、在宅していたとは思わなかった。
多忙な人物で一か所に留まることはないと聞いていたのに、運が悪すぎて泣きたくなってきた。
この状況だと不法侵入で警察を呼ばれても、文句は言えない。
逃げたくても、杖を置いてきてしまったし。
ただ、コチョウはいつまでも市警を呼ぼうとはせず、マジマジと僕の顔を観察しているだけだった。沈黙が辛い。
「……あのう、魔術を解いてくれませんかね」
「それは、私の質問に答えてからだな。君、藍銅の出身だってね。本当かい?」
「本当です。むこうに両親がいます」
少なくとも学院のマスター・ヒナガは藍銅出身、と信じている者には、それが真実だ。
コチョウは妙な質問を続けた。
「血は繋がってるのかい?」
「……え?」
質問の意図がわからず、つい聞き返してしまう。
コチョウが、何故僕と僕の親の血縁関係を訊ねるのだ?
答えあぐねていたが、その質問自体はさほど重要ではないらしい。コチョウは矢継ぎ早に次の質問に切り替えた。
「さっきの演技、なかなか堂に入っていたね」
「そりゃどうも……」
「それは君の才能かな。その瞳は、どこで手に入れた?」
「これは、魔術によるもので……」
「先天的なものでは、無いのか?」
コチョウの桃色の瞳が、すっと細まる。
色は朗らかな春色なのに、鋭利な刃を思わせる厳しさだ。
「そうです。でも、どうしてそんなことを聞くんですか?」
「知り合いによく似ていたからだ。後天的なものならば、興味はない」
知り合いに。
そんなことを突然言い出す奴は、彼で二人目だ。
「知り合いって……?」
「古い人間関係だ。私と同じ騎士だった」
彼は僕の肩と手首についた糸を外してくれた。
手足が自由になる。
よく見ると、それらと変身に使っていたブレスレットは、コチョウの髪でできているようだった。
「時間を無駄にしたな」とコチョウは実につまらなさそうに言った。それは横柄で、傲慢な態度と言えたが、なんだかそれらの無礼も許してしまいそうになる美貌だ。
彼が百合白さんの父親なんだ、という感慨は、思ったよりも薄い。
それどころか、実は嘘なんだと言われてもおかしいとは思わなかっただろう。
同じ髪や瞳をしているのに、ふたりはあまりにも似ていない。共通項がない。
「あの……僕は今日、星条アマレ君に会いに来たのですが」
「ああ、アマレがどうかしたかね」
「しばらく学校に登校していないようです」
「それだけのことで、魔法を使って、不法侵入を試みたと? 大胆だね」
「それだけって……」
息子のことが心配ではないのだろうか。
コチョウはくだらないと言わんばかりに表情を歪めてみせる。
「アマレはここにはいない。あいつが学院に通うかどうかは、基本的には自分の意志だ。学問が必要ないならば、無理に行くことはない」
「それはそうですけど、一応、親でしょう」
「さて、それはどうかな……」
「どういう意味です」
「御覧の通りだよ。私は世界中を飛び回って、息子が何をしているかも知らない。親としての義務を果たしているとは言い難い。無論、向こうは私を親とは思っていないかもしれないね」
「アマレ君に会わせてください」
「言っただろう。あいつはココにはいないってさ……」
「それは、どういう意味です」
「物分かりが悪すぎる教師だね。出て行かせたということだ」
コチョウは気だるげに首を傾げる。
「もちろん手ぶらではない。奴には、私が持っている不動産と事業の一部を生前分与してある。それ以上の相続権の一切を放棄させたがね、それでも十分過ぎるほどだ。一生食うには困らないだろう」
「出て行かせたって……まさか、追い出したってことか……?」
「その通りだ」
あっけらかんとした物言いに、返す言葉もない。
こいつはいったい何を言ってるんだ。
「せめてもの情けだ、一代に限り星条の家名を名乗ることは許した」
「そんな、なんでだよ。実の息子なんだろ?」
「おやおや。そんなに驚くとは。父親は、実の息子を捨てないものかね? そうではない。ありふれた話だよ、マスター・ヒナガ」
ありふれた話だよ。
その一言が、僕の心に、そして、過去の記憶に火をつける。
僕の父親も、かつて僕を捨てた。
突然いなくなって、どれだけ待っても二度と戻ってこなかった。
ありふれた話だ。
僕は拳を強く握りしめた。
杖はここにはない。僕は魔術を使えない。ただの真人間だ。
「なんだね、私を殴ってみるかい?」と、コチョウが嘲笑う。
「…………もう帰ります。貴方が通報しないなら」
その一言は、意外なものだったらしい。
僕はそれほど正義ぶった善人に見えるのかな。
コチョウがどんな理由でそうしたにしろ、彼がしたことは、きっとアマレを傷つけただろう。
僕にはよくわかる。誰よりもよくわかるに違いない。
でも、殴ろうが、魔術を使おうが、コチョウが変わることはない。
父親は戻ってこない。
どんなふうにしたって、心の底から願ったほしいものは絶対に、手に入らないんだ。
*
「でもやっぱり腹立つ! なんだアレ! あれでも父親かよ!? 血はちゃんと赤い奴が通ってんだろうなァ!?」
『そーだそーだ! 途中経過がぜんぜんわかんないケド!』
憤慨してエレベータから降りて来た僕を、杖を抱えたミクリが不安そうに出迎えた。
そのままマンションを出て、コチョウ本人から聞いた事情を話した。
ミクリはそっと眉をひそめた。
「そうですか。それでは、コチョウ氏は、もしかしたらアマレ君ではなく、百合白さんを星条家の後継者と考えているのかもしれないですね」
「え……と、あ、そうか。百合白さんが、王位継承権を失ったからってことか」
ミクリはこくこくと頷いた。
コチョウには二人の子どもがいる。アマレと百合白。
百合白さんは女王になるはずだったが、政治の失敗で王宮から出されてしまった。
女王になれなかった子の後見になるのは父親の仕事だ。
百合白さんが海市にもどってきたとき、コチョウはアマレより百合白に財産を譲りたくなった……理由はなんでかわからないけど、否定する材料もない。
「あくまで、推論でしかありませんが」
「いや、そういうのに詳しそうな人がいるから、ちょっと意見を聞いてみるよ」
最初は写真の礼として義務的にミクリにつきあっていた僕だが、こうなってくるとアマレへの同情も手伝って、本腰入れよう、という気になってきた。
「アマレがいまどこにいるか知らないけどさ、あんな父親のことで卑屈になってるんだとしたら、もったいないよ。父親が親の義務丸投げ傲慢クソ金持ち野郎でも、アマレ君にはアマレ君の人生があるんだから」
「ヒナガ先生…………!」
僕の決意に感動してくれたのだろう、ミクリが名前を呼びながら腕に縋りつく。
そんな、大胆な。悪い気はしないけど……とかのろけている場合ではなかった。
「あっち、あっち!! 女の人が襲われてます!!」
「えっ! 何!? ……ほんと、何なの!?」
ミクリは必死で明後日の方向を示している。
そこで、僕も事態を察知した。
確かに、喧騒が聞こえる。女性の悲鳴も。
場所は海べりの公園だ。一度、物凄く痛めつけられた女性とデートに来たことがある。
いつもはのどかな公園に、異質な人間が紛れ込んでいた。
訳の分からない怒鳴り声を上げて、刃物を振り回す中年男だ。
足下には、女性が身を庇うように伏せていた。よく見たら、幼い子どもを抱えてる。
もちろん、まだ日が高いから人通りも結構あって、正義感に駆られた人たちが男を押さえこもうとしている。
ただ刃をブンブン振り回すから中々近寄れないみたいだ。
怪我人が出るまで秒読みってところだ。
「ミクリ、通報!」
僕は駆けだした。
ああ、もうなんでこう、次から次に面倒事が起きるんだ。忙しすぎる。
『ほっとけばよくナイ~~~?』
「ちょっと魔術を使うだけだ。今なら回復するんだし、やらない理由がない以上やらないと寝ざめが悪くなる。幸い、魔術を使う材料はさっき仕入れたばっかりだ。あ、くれぐれも殺すなよ」
僕は金杖を抜き、むかつく他人の父親のことを思い出す。
オルドルの魔術の材料は《怒り》だ。
『素材が欲しいカラ、ギリギリまで走って』
僕はもめてる人たちの隣を通りすぎ、海との境の柵まで走った。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
杖を掲げる。呪文を合図にして、鉄柵がグニャリと歪む。
それは銀色に変化しながら、茨の網になって伸びあがり、暴れている男の武器を持つ手に絡みつき、吊り上げた。
「なんだっ!? 何が起きたっ、ちくしょう、殺してやる!! エミリー! 俺から逃げられると思うなよっ!!」
吊り上げられても、男は汚い唾を飛ばして暴れている。
それどころか、反対の手を懐に突っ込んで、銃のようなものを取り出そうとした……が、変形した茨がその手を拘束し捩じりあげ、武器を取り上げる。
「させるわけないだろ!!」
ついでに思いっきり茨を収縮させ、男を宙に放り投げる。
男は叫び声の放物線を描いて、海に落ちて行った。
爽快だ。
「ハッハッハ!! 読めてたわ!! 伊達にマスター・カガチの相手して生還してないからな!! ――いでっ!」
久々に、というかかつてこれまで無かったほどの、快勝である。
しかも純粋な人助けである。
爪から食われたが、それも、ジワジワ治っていくので問題ない。
「ありがとうございます!」
振り向くと、襲われていた女性――母親らしき人物が、娘とともにこちらを熱っぽい瞳で見つめていた。




