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4 噂話で会いましょう

「はわ、はわわわわわぁ~~~~……なんてすてきなの…………!」


 マージョリーは目の前に広がっている光景を前に、感嘆とも驚嘆とも取れない奇妙な声を上げた。

 手を伸ばし、青々とした一葉に触れる。

 表面はツルツルと滑り、裏側はざらりとした感触がする。

 手を離すと青い匂いが指先に残った。

 それまで星々が輝くだけの広大な宇宙だった世界は、今や別物へと変貌している。

 茂る草むら、香り立つ大地、枝葉を広げる大樹、燦燦と照らす日差し、肌をそっと撫でていく風。


 そこは広大かつ豊かな森だ。


 そして、この森は魔術によってもたらされたものだ。

 ツバキが危機に瀕した瞬間、オルドルがマージョリーの魔力を使ってこの空間を出現させたのである。


「魔術をつかえば、こんなにも美しいものをうみだすことができるのね……」


 それは驚きに満ちた素晴らしい発見であり、それと同時にシスター・ルビアの死が瞼の裏にちらついて心がちくりと痛んだ。

 オルドルは大樹の根本で胡坐をかいて森のイメージを紡いでいる。

 単純なイメージに見えるが、そうではない。

 ここには自然という形をとった、厳然たる秩序が形をなしている。

 それが恐ろしく複雑な作業であることを、マージョリーは肌で感じていた。


「ねえ、鹿さん。ねえ……ね~えったら!」


 マージョリーは黙ったまま身動きしないオルドルの額から伸びた角に手をのばした。

 美しい枝のようにしなやかな角の表面は、上等の布のように指先を柔らかく押し返してくる。

 黒々とした前髪を払い落すと、その付け根には痛々しい裂傷があった。

 傷をつけたのは小さな硝子に似た黄金色のかけらだ。

 禍々しい光が、まだ何らかの魔術をはたらかせている。

 魔術を扱えないマージョリーの力だけでは、その破片をどうすることもできない。


「ねえ、おねがいよ。ツバキがいまどこでなにをしているのかおしえてよ。彼と話がしたいの」


 物語の世界は、基本的には閉じている。

 ツバキがページを開かないかぎり、例外はない。唯一ありえる抜け道は、共感を通して通じ合う読み手と登場人物のつながりだけだ。

 マージョリーが、金色の破片に指先を伸ばす。

 そのとき、紅い瞳が音もなく開かれて、彼女を見つめていることに気がついた。

 ぞっとするような、冷え冷えとした視線だった。


「……なにをするつもりなのサ」

「ねぼすけさんをおこそうとしてただけよ。あなたがいないと、わたし、ツバキがどこでなにをしているのかわからないんだもん」

「あ~疲れた疲れた、ゴハンも食べたくない、何もしないで寝ときタイ!」


 オルドルは胡坐を崩して、草の上にばたりと倒れた。


「マージョリーが助けてあげたことについて、かんしゃってものがないのかな?」

「ナイね。だいたいね、キミ、それだけの力があるのに、そんなカンタンなこともできないノ……」

「あたりまえよ。魔術を学んだことがないもの」

「なンだって?」


 オルドルは本当に驚いたらしく、地面に転がったまま、ぎょろりと目を見開いた。


「イヤ、そんなコトあるはずナイ。ソレだけの力があるなら政治も金銀財宝も思うがままだゾ? どんな王侯貴族でも、キミを手に入れるために財宝を積むのを惜しまないってのに、無欲でいられるはずがナい」

「けっこうゾクブツなのね、あなた……」

「それじゃいったい、イマまで何をしてたんだ?」

「ええと、しんじゃさんのおはなしをきいたり……」

「おはなし! バカバカし~~~~」


 そう言う顔色は先ほどよりもよほど青く、唇はわななき、ひっくり返ったまま広げた両腕が震えている。

 マージョリーは呆れてしまう。

 自然の中に座して魔法を使っていた姿は、いかにも森の賢者という風体だったが、口を開けばこうだ。


「それがわたしのお仕事なのよ」


 彼女は幼い頃から教団に囲われて、料理の上げ下げですら使用人がする生活をしてきた。魔術のことは知っていたが、その知識に触れることを教団は嫌った。魔術だけではなく、語学や算術など一般的な教養を身に着けることも、しなくてよかった。

 これまで誰も、マージョリーに何かを求めることはなかったのだ。


「それに、じょおうこくは魔術をきんじているのよ」

「なァにが女王国だ。キミが願いさえすれば、森羅万象がひれ伏すさ」


 マージョリーはしばらく呆然としていたが、三秒後には満面の笑みになっていた。

 オーロラの髪がふわりとたなびき、美しい宇宙色の瞳が、光の粒を放つ。


「それってもしかして……わたし、魔法使いになれるってこと?」


 対照的にオルドルは口を半開きにしたまま固まっていた。

 それから、柳のような眉をぎゅっと寄せて、眉間に深い皺を刻んだ。


「夢を見るのはヤメるんだ、マージョリー・マガツ。お前はもう間もなく死ぬんだかラ」


 オルドルの声は冷え冷えとした冷たいものだった。

 マージョリーがはなっていた星の輝きは、徐々に小さくなった。

 風にそよぐ木春菊のようだった笑顔もうっすらと消えて行く。


「そう……。そう、だね。あたしは……もう……」


 オルドルは不意に指を伸ばした。小さな宇宙を秘めた瞳から、一滴の雫がこぼれ落ちた。雫は人差し指の上に落ち、不快な生暖かさで零れ落ちて行く。

 涙を温めた感情は、それは悲しみではなく、口惜しさの温度だ。

 オルドルは不本意ながら、同じ口惜しさを抱えて死を選んだ者を、ただひとりだけ知っていた。

 そいつは死ぬ間際まで、変わりたいと願っていた。

 愚かで惨めでどうしようもない、痩せっぽちの少年だった。


「それじゃ、ヤメるかい、死ぬの」

「それは、だめ! ぜったいにだめ!」


 萎びていた表情から憂鬱が消え、固すぎる決意に満たされる。

 死を拒む人間たちは山のようにいても、彼女のように決意を持って死に臨む者はそう多くはあるまい。

 それがどんな理由かはさておき。


「…………マジョ子」

「え?」

 

 オルドルの口から、謎の言語が飛び出す。


「前々から長ったらしくて気に入らない名前ダと思ってたんだ。キミなんかマジョ子で十分ダ」

「なにそのブサイクななまえ……」

「落ち込んでるヒマはないぞマジョ子。一人前の魔法使いにナルには、やらなくちゃいけないコトが山のよーにあるんだから」


 一瞬の間を置いて、マージョリーの表情に喜びが満ちる。


「では、最初の授業だ。幸いなるかな、ここは物語の世界――想像力の世界だ。現実の規律をなんら差し挟むことのない。ここに存在するモノは全てが魔法だ。血の雫一滴……それから、勇気のひとかけらさえも、ネ」


 師なるものはどこからともなく杖を取り出し、地面を軽く叩き、撫ぜるようにした。

 どこからともなくこんこんと水が湧き出し、満ちて泉となる。

 鏡のように森の賢者と千里眼の娘をうつし出していたそれは、やがて反転して魔法の物語のどこにも存在しない場所を映し出した。


 そこは人が望みうるかぎりすべてが存在する魔法の土地で、

 いくども神話の数々に描かれた楽園そのものであり、

 そのことにまったく気がつく由もない人々が愚かに踊り狂う、

 地獄そのもののような場所だった。


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