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26 リリアン・ヤン・ルトロヴァイユという女


 手首がうまり、体全体が扉に沈み込んでいく。

 なんだろう……大福に身体が埋まってく感じ、という形容が一番近い。

 反射的に息をとめたが、苦しさに口を開いても、呼吸できないということはないみたいだった。


『いま、キミの精神だけを抜き出した。幽体離脱、《魔術師の地図》の応用版だ』


 そこにあるのは、収蔵庫とはまたちがったにおいだ。

 なんだろう。

 冷え冷えとしていて、重くてどろっとしてる。無味無臭の油みたいな空気だ。

 瞼を開いても、何も見えない。

 漆黒そのものがある。


『ここにあるのは《不可視の暗黒》という概念だ。魔術的なものだね。この奥にあるものを意図的に見えなくしてるんだ』


 目をこらしても、それは闇の奥に沈んでいてここがどこなのか、部屋なのか、金庫の中みたいなものなのか、それすらわからない。


「奥には何がある?」

『《絵画》だ……もう、ここは出よう。人間の体に、長居はあまり良くない』


 珍しく真面目そうな口調だ。

 オルドルは僕を連れて部屋から出た。

 肉体の感覚が戻ってきて、はじめて幽体離脱の意味を理解する。

 体はずっと扉のそばにあったのだ。


「ご明察でございます、オルドル様」


 リリアンが拍手で迎えてくれる。

 どういうわけか、彼女には僕とオルドルの会話が聞こえていたみたいだ。


「これが、マージョリーの死の《真相》なの?」

「はい。説明いたしましょう。そこにあるのはこちらの絵の本物です」


 手にしたランタンの下部についた金具をくるりと回す。

 ランタンから発せられる光が赤紫に変わり、風景が一転。

 目の前に《絵画》が現れる。


 高さがおよそ三メートル、横幅が五メートルほど。

 くすんだ金の額縁に納められた巨大なキャンバス全体に一匹の黒猫が描写されている。そして夜色の猫の中には、蠢く筆致で、宇宙……星や月のようなものが描きこまれている。

 視認できたのはそこまでだ。

 目にした瞬間、胃の内容物がせりあがってくるのを感じ、視線を逸らさざるを得なかったのだ。


「何その絵、めちゃくちゃ気持ち悪い……」

「こちらのタイトルは《箱入り猫の夜の夢》でございます。完成までに四人の天才的な画家が死に、四人目の血で最後の一刷毛が塗られたといういわくつきでして。端的に言って、呪いの絵画です」

「偽物でこれなら、本物を見たらどうなるんだ……?」

「即死します」


 当然とばかりに言う。

 だが、事実として得体の知れない吐き気はまだまだおさまらない。


「もしかして、マージョリーはこの絵を見た……ってことか?」

「はい。本来は《千里眼》ですら通り抜けられぬほどの魔術を重ねて、収蔵庫の奥にしまいこまれているので誰も見られないモノであるのですが……」

「こんなもの、焼き払ったほうがよかったんじゃないかな」

「ええ、引き取ったのが商会でなければ」


 リリアンは曖昧に続く言葉を濁す。

 おそらく、この絵画は蒐集品であると同時に、ウィクトル商会があつかう商品なのだ。金になるものを、無下に焼き払ったりはしない。


「しかし絵画である以上、劣化は生じます。部屋から出さぬ呪われた絵とはいえ、およそ十年ごとに、修復が必要となり、ほんの数秒は部屋の封印と魔術を解かねばなりません。まさに今年がその年でした」


 その絶好のタイミングを見計らって、マージョリーは千里眼によってその絵を《見た》のだ。

 しかも、死ぬ運命が避けられないものだと知りながら。

 一瞬でそんなタイミングを見つけ出した魔女の力は凄いけれど、いったい、なぜそんなことをしてしまったんだろうっていう疑問は尽きない。


「マージョリーを助ける方法はないの……?」

「ありません。運命は避けられないのです」

「それならどうして、僕にこのことを教えてくれたのかな」


 マージョリーの死が運命だというなら、その死の原因を知ることは、クヨウの逮捕を避ける程度の意味しかもたない。

 しかもそれは、リリアンには無関係なことだと思うのだが。

 そう訊ねると、彼女は首を横に振って否定した。


「私は彼女が、マージョリーが何をしようとしているのか知っているのです。そして、あなたは死の真相を知らなければならない。でもそれをマージョリーが教えることはできない、ならば、第三者であるこのリリアンが教えるべきだと思いました」


 それ以上は語れない、とリリアンは言う。


「この件はひどく繊細で、何かを一つでも間違うと運命が狂ってしまう。ですから、話は終わりです」

「えっと、じゃあ、最後にひとつだけ」

「なんでしょう」

「絵の修復を行った人はどうなったの?」


 リリアンの表情が柔らかくなる。

 出会ったとき、声を上げて笑ってたときみたいに。

 ここに来てからの彼女は、どこか機械的だった。


「ちゃんと生きています。ここにいるじゃありませんか」

「リリアン…………きみが?」


 少女はもう問いに返事をせず、琥珀色の髪を揺らしてくすくすと声を立てて笑うだけだった。

 手紙をちゃんと読んでくださいね、そう言って。

 車を出てから、オルドルが、大切なことの『あの女は生きていない』と言った。

 汗や血、肉が放つ生々しい体臭、命のにおいがしない、と。


『彼女はあの収蔵庫と、収集品を管理するために生み出された存在だと思う。クヨウの人形と同じだヨ』

「そういえば、妙な感じがしてたな、あの倉庫」

『知らないってのは気楽なもんだ。あの扉を開いて、中のモノを解き放ったら、この国はあっという間に魔法の王国に逆戻りダぞ』


 天市までどうやって帰ろう、と考えながら、胸ポケットからすっかり忘れてた手紙を取り出す。

 リリアンの署名の手紙には、こう書かれていた。


『ヒナガ・ツバキ殿


 お約束どおり、ご購入いただいた《黒一角獣の角》の代金を頂きたく存じます。

 代金は以下の通り。


            リリアン・ヤン・ルトロヴァイユ』



 まったく記憶にない購入記録。

 記された金額の桁数は、日本円で億を超えていた。




  第一話『箱入り猫が夜みる夢は』――了


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