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「振り返らないでくれ。もう引き金に指がかかってる」
ちらりと見えたシキミは黒い銃身を手にしている。
それは僕が知識と知っている《拳銃》とほぼ変わらない姿をしていた。
魔術師を相手どるのに銃はあんまり効きそうにないが、魔術のコーティングがされた特別製なら話は別だ。
それは、クヨウ捜査官たちが所持している、対魔術用の武器のはずだ。そういう予感がある。
「――そんなものをどこで手に入れたの?」
「苦労したよ。家や土地をはじめとする私財の何もかもを投げ売り、ついでに事件が影響を及ぼさないよう、事務所を引き払った。長年ともに働いて来た仲間たちを解雇するときは、さすがに堪えたな……。それでもほとんどは、情報の代金に消えた。この銃そのものにかかった金は大したことないさ」
「だから、あんなボロい事務所にいたんだね。ずいぶん、というかかなり急激な引っ越しだったってわけだ」
「まさか、たった数日でそこまでするとは誰も思わないだろう?」
その通りだ。彼がこのタイミングで銃口に指をかけるなんて、思わなかった。
シキミが何を狙ってこうしているのかはまだわからないが、なんだか嫌な歯車が回りはじめた気がする。
この人は、一時の激情やただの思い付きでこんなことをする人ではない。
「玻璃家の主とはもともと社交界でのつながりがあったが、まさかこんなに早くタイミングがめぐってくるとは思わなかった……」
ええい、またあいつか。
元凶が判明し、頭が少し痛くなる。
玻璃家の主、またの名を玻璃・ブラン・リブラは筋金入りのお人好しなのだ。こうして悪意をもって近づいてくる輩を選別する作業には向いてない。
ともかく、シキミが僕を殺そうとする計画を練りはじめたその途端、リブラは飛んで火に入るなんとやら、凄まじい勢いで罠に飛び込んだことになる。
不幸すぎる巡りあわせだから、リブラをうらんでも仕方ないかもしれないけど……。
「どうしてこんなことをするのかを聞いてもいいかな、せめて」
「鞄を開けろ」
シキミの声は乾いていて、感情が読み取れなかった。
言われたとおり後部座席を探ると、男もののクラッチバッグがある。
黒い革の……開いてみると、まずは写真が出てきた。
シキミの妻子の写真だ。そして分厚い本と――エンブレム。
エンブレムはルビアが首にかけていたものとおなじだ。
「まさか……とは思うけど、あなたも教団の信者だったりする……?」
「妻子だけだ。彼女には……聖マージョリーだけが希望だった。詳細は省くが、彼女には会いたい人がいたんだ。どうしてもな。だがマージョリーが近いうちに死ぬと知らされ、ほどなくあとを追ったんだ。娘を連れて、な」
弁護士としての職業柄か、シキミは感情を隠そうとしていた。
でも、銃口が震えてるような気がしてならない。
彼の言葉の端々から、どうしてこんなことに、という深い疑問と後悔が滲んでいた。
何故こんなことに……手帳にはさまってた、あの写真に書かれた言葉だ。
「復讐のため、なんだね……」
「そうだ。だが、犯人が誰かを知っても魔術を知らない一般人には、魔術学院の教官はとても殺せはしないと理解していた」
だから。
彼の疑問の答えが行き着くところはあまりにも悲しい。
「だから、私は《ルビアを救わないことに》決めた」
語られなくても、彼がどうしたのかが手に取るように理解できた。
シキミはルビアを利用したんだ。
ルビアがとっくの昔に狂っていて、人として許されないことに手を染めていると知っていて、そして不思議で奇妙で凶暴な能力を持っていることを知っていたから。
あまりにもちょうどいい能力を持つルビアを、自分のかわりに僕を殺すための道具として使うことにしたんだ。
銃はあくまでもルビアが失敗したとき、万が一のためのサブウェポンだ。
「やろうと思えば、彼女を救う方法はいくらでもあった。市警に通報すればいい、強制的に保護することもできる。だが私はそうしなかった」
「そうか、だからいつまでもクヨウが来なかったんだ」
シキミは僕らを助けるふりをして、市警に細かに偽の情報を送っていたんだ。
クヨウもまた、社会的に信用のおけるシキミの通報を信じた。
「一応、僕はやってないって言っておく」
否定してもシキミが銃を下げる気配はない。
きっと彼は引き金をひく。僕が何を言っても。言わなくても。
犯人でも、犯人でなくてもだ。ルビアを利用すると決めたときに、覚悟は定まっていたはずだ。
「――――撃ってもいい。でも、たとえ頭を吹っ飛ばしたとしても、一度だけでは死なないよ」
抵抗しなければ、死ぬ。
そんな状況なのに、気がついたら、投げやりな台詞を口にしていた。
「どういう意味だ?」
流石に戸惑った声が聞こえてくる。まあ、そうだろう。
「買った情報にあったかどうか知らないけど、死んだとしても再生するんだ。何度でも……そういう魔術なんだ。だから、蘇る度に撃ってくれ。いつかその、僕の頭が狂って、再生できなくなるまで……それか、殺し方を変えたほうがいい。全身を一瞬で溶かすとか、そんなようなヤツなら、殺せると思う」
肉体の再生術。
それはオルドルが使う魔術の中で、もっとも強力なものだろう。
『ツバキ……何を考えてル?』
僕は抵抗する気をなくしていた。
家族を失い、将来を悲観している父親を憎むことなんてできないし、戦ってどうなるというんだろう。
「私は本気で君を殺そうとしているのだよ、なのに何故…………?」
戸惑うシキミの声が聞こえてくる。
「あなたに殺されても、もう僕は死人みたいなものだ。それに、最初の僕はどこにもいない。ここにいるのは、何十人目かの、日長椿の記憶なんだ」
口にすると、自分の命はなんて軽いのだろうと感じた。
天藍がはねたルビアの首よりも軽い。
彼女が殺めた人たちの魂の重さに比べたら、意味など見いだせないくらいに軽い。
オルドルが『ちがう』と掠れる声で口にした。『ボクの蘇生術は完璧だ』と。
虚しい言葉だ。オルドルは人の感情がわからないんだろう。
この僕が、完璧であるはずがない。
あまりにも弱くて、ルビアを助けられなかったこの僕が……。
しばらく時間がたったが、銃声は聞こえない。
恐る恐る背後を振り返ると、そこには憔悴したシキミが呆然と立ち尽くしていた。
彼は歯を食いしばりながら、ゆっくりと銃口を降ろした。
「――――私は殺人者になる覚悟をしてきた。だが、化け物にはならない」
それはあまりにも痛ましい宣言だった。
心の中は違うはずだ。家族の仇をとりたいはずだ。
でもそのために何百回も、見た目は普通の少年の姿をした僕に銃弾を撃ち込まなければならない。
頭をふきとばし、心臓を貫き、何度も何度も致命傷を与え続けなければいけないのだ。
それは仇のためとはいえもはや、人の所業とは言えない。鬼畜だ。
究極の決断を前にして、シキミは極めて理性的で、そして大人として正しい判断を下したのだ。
目の前にいるのは、ルビアを見殺しにした人だ。
ルビアの殺人を、見て見ぬふりをした人でもある。
でも彼が最後に下した決断は、あまりにも痛くて悲しくて、正しい。
彼と同じ決断ができていれば、ルビアは人殺しにならなかっただろう。
そして僕は。
僕も。