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「ひい、ひいいい。やめて、やめてお願いっ、こ、殺すのだけは! 命だけはっ!」


 ルビアの様子がおかしい。一方的に攻撃を仕掛けてきたのは彼女のほうなのに、みっともなく無様に泣き喚いている。


「い、いや。命まで取るつもりはないんですってば! 杖を捨ててくれれば何もしないつもりなんですけど……」

「いや、痛いのはいやああああ!」

「ええい、仕方ない!」


 無理やり武器を奪おうとすると、少女は目尻に涙をためて、これまでとは違うようすでこちらを見上げてくる。


「あ、あなたも、私を殴るの……?」

「――――ああもう、先生っ、どうすれば!?」


 イブキはとうとう緊張に耐えきれなくなり、こちらを振り返る。


 やっぱり、彼女は甘い。


 その隙を逃さず、ルビアの瞳に邪悪な光が灯った。

 怯える少女はなりを潜め、そこには目の前のイブキを心底哀れみ、軽蔑する残酷な両の眼だけがある。

 やっぱり、罠だ。

 だけど、罠だとわかっていたとしても、イブキにはあれ以上どうすることもできなかっただろう。


 くるり、と鍵の杖がその手の中で回転し、頭上を示した。

 天井に巨大すぎるコンクリによって形成された立方体が出現していくのを、僕らは呆然と見上げた。大きさは、ちょうどこのフロアを覆うくらいだ。


「――イブキ、僕とシキミを連れて通路に退避っ!!」


 最初はそれが何なのか理解できなかった。

 それでも指示を飛ばせたのは認めたくないけど銀華竜とキヤラのおかげ。過去にくぐった死線が、これも同じ戦場だと教えてくれるんだ!


 攻撃手段である刺突剣を捨てて死にもの狂いで疾走してきたイブキが、僕とシキミを連れて巨大シャッターをぶち破って、廊下に脱出。


 それと同じタイミングで巨大な立方体が落下した。

 その質量で机やいすを紙屑のように潰してしまう。

 密室型の鈍器、殺意の塊だ。


「くぅ、いったぁ……! なんで私がこんな目に~!」


 顔面から突っ込んだイブキは涙目で鼻血を拭ってる。

 面の皮の厚さには定評があるさすがの僕も、責任を感じる。

 望まなくても学院の教師になったのは僕だし、イブキやシキミさんを守る立場にあるのも僕なのに、いつも守りきれない。


 とにかく事態を甘く考えすぎてたんだ。


 犯人がヘデラではないと知った瞬間、油断があった。ルビアがこんな狡賢いやり方で仕掛けてくるなんて思ってもいなかった。


 ――いや、今まではそれを考えなくてもよかっただけだ。


 人気の無い狭い廊下。左右には本物のシャッターがおりてる。

 日中は肉や魚を売る店々だったのだろうが、明日の営業は絶望的だろうな。


 なにしろ、暗い通路のその先には、邪悪な笑みを浮かべ、対の鍵の杖を両手に持つ魔女が立っているのだ。


 最早、彼女はかわいそうな女の子なんかじゃない。悪知恵を働かせ、僕らを追いつめて幽閉し、追いつめるスケラトスそのもの……だ。

 魔物が潜むホラーハウス、その主役なのだ。


「さ、さあ。先生、ど、どうか、わ、わたし……いえ、教団のために、尊き贄となってください……!」

「それで済むなら、いくらでも連れてってくださぁいっ!」とイブキが僕を彼女に差し出そうとする。


 ツッコミたいが、不甲斐ないのは僕なので反論すらできない。


「二人とも、すぐにここから逃げたほうがよくないかね!?」


 シキミの指摘通りだ。

 天井からチラチラと埃が舞う。

 天井が蠢き、天井じゃない何かに変わる。


 そして、奥から順に重たい箱が次々に落ちてくる!


 ルビアはそれほどまでに僕を殺したいんだ。それも手段は問わないほどに。



*



 使徒ヘデラが鞭を振るうようになったのは、ルビアが十歳になった頃のことだった。


 以前から躾の厳しい父親だったが、母親が死んで止める者がいなくなり、体罰にますます拍車がかかった。

 全身が腫れ上がるほど鞭で打たれ、学校にも通わせてもらえなくなった。

 友達と話すことはおろか、手紙のやりとりをすることも禁止。教団の中でさえそうだ。おいしいものを食べてはいけないので残飯を少しだけ口にした。暖かい風呂ではなく冷たい水を浴びなければいけなかったし、可愛らしい服をまとうことなんてもってのほかだ。何か少しでもいけないことをすれば、閉じ込められる。


 そんな地獄の日々を耐えられたのは、ルビアを教団の教えが支えていたからだった。


「わ、私は天国に行ける」と彼女は呟く。


 天国とはあかるく輝き、暴力もなく、無限の富が与えられる場所のことだ。

 教団の教えを守りさえすれば、必ずそこに行けるのだ。


 行きたい……。

 この暴力の嵐から逃れて、

 誰も自分を傷つけない穏やかな場所に、行きたい。


「そうよ、私は天国に行ける!」


 でも、六年、ヘデラが与える苦痛に耐えても、天国の門はいまだルビアに対して開かれなかった。


「きっと、も、もっと贄を積まないから……だ」


 だから彼女も鞭を振るうのだ。

 ヘデラにそうされたように。常人に理解できなくとも、それは彼女にとっては真実だった。

 それが彼女の信仰だった。


「お、愚かで可哀想な人たちを、天の国に連れていくの。そうでしょ、スケラトス……わたしのスケラトス……! か、勝てるかしら、師なるオルドルに」


 不安はある。でもマスター・ヒナガは特別な贄だ。

 彼をヘデラに捧げれば、きっと。

 ルビアは嬉しそうに微笑んで、逃げ惑う三人の獲物を追いかける。


「あたしは戻らない! もう二度と殴られるのはいや、もう耐えられない!! だから殺して、マスター・ヒナガを殺して!! 天国へと行くのよ。《昔々》――――!」



 ここは偉大な魔法の国。


 その名は永劫の鍵。


 その名は幽閉する者の名。


 その名は兄弟殺しにして、骸の魔術師。


 裏切りの物語の力によって、通路全体を覆うほどの質量が落下する。

 逃げ場はどこにもなく、悲鳴も肉も骨すらも飲み込んでしまう。

 魔術を解いたとき、そこには潰れた遺骸がみっつ、落ちていた。


「あぁあ……………な、なんてお、おぞましいの」


 彼女は飛び散る肉片や血糊の間を歩きながら、ただの肉塊と化した三人を睥睨する。

 黒い髪の毛が生えたひき肉が、マスター・ヒナガだろう。


「こ、これで、使徒ヘデラは御喜びになる。私を認めてくださる。私は、わ、私は愚か者ではなくなる……ああ、あ、ありがとうございます、これもすべて、いと高き御方の導きのおかげ……」


 感極まり、両手を合わせて祈りを捧げようとしたそのときだった。

 微かな異音に、ルビアは異常を感じて立ち上がり、注意深くあたりを見回す。


「な、なに……?」


 ただでさえ暗い廊下が、さらに暗い気がする。

 狭い空間が、より窮屈に感じる。

 何より、ひどく寒い。


「ごめんね、ルビア。卑怯さでいくと、僕のほうが君より強いんだ」


 そう、マスター・ヒナガの声が聞こえた。

 床の上に零れ落ちた紅い目玉が、まるで生者のように彼女をうつしている。


「ひっ!」


 のけぞった彼女の背が、冷たいものに触れた。

 それは凍りついた肉の塊だった。

 棚にいくつも並んでる。

 左右に続いていた廊下の景色が消え、片側は外から錠のかかった扉と化していた。

 その風景を凝視し、視線を戻すと、そこにはマスター・ヒナガが立っていた。

 教官服を着こみ、怪我ひとつない姿で。


「君は僕らをこの場所に誘いこんだけど、戦うのに夢中で地図や方向に注意を向けてはいなかったみたいだね。最初に分断されたとき、あの廊下に仕込みをしといたんだけど……気づかれなくてよかったよ」


 マスター・ヒナガは銀色の筒を取り出す。


「これ、知り合いから渡された秘密兵器、もとい護符だ――よく知らないんだけど魔力がいらないから代償を支払わなくていいし、離れた場所から魔法が使える。予め仕込んでいた魔法しか使えないのが弱点といえば弱点だけど」


 要するにルビアは幻を追いかけさせられて、そして、いつの間にか冷凍庫の中へと誘いこまれていたらしい。


「こ…………こんなもの!!」


 ルビアはもうひとつの鍵で、魔人を顕現させる。

 その鞭が壁を強く叩く。

 業務用の冷凍庫など、壁に仕込まれているのはせいぜいが断熱材くらいのものだ。

 魔人の鞭の勢いなら、容易く吹き飛ぶはず。

 だが、そうはならなかった。


「イブキの魔術と合わせて外側を補強してある。だから君はここから脱出できない。僕ってこういうの、わりと得意みたいなんだ」


 何故こうなったのか、ルビアには理解できなかった。

 さっきまで、彼女は捕食する側だった。獲物を追っていたのは彼女だった。

 マスター・ヒナガはただの獲物で、みっともなく逃げ回っていただけ、そうみえた。それが、ただの一瞬でこうなったのだ。


「だ……出して……こ、ここから出してよ……!」

「市警が来るまでは、ダメだよ」


 魔人の鞭がルビアの意志に応じて動き、幻影を打ち砕く。

 冷凍された肉の中に隠されていた護符が弾け、中身を撒き散らす。

 その前にオルドルの魔法は解け、幻影はとうに消えてしまっていた。


*

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