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 訳が分からない。

 ひとり取り残された彼女はそう思った。

 真珠イブキは。


「うううっ……」


 震える唇からもれた呻きは、心からあふれ出た恐怖だった。

 狭すぎる閉鎖空間内で魔人が操る銀縄が縦横無尽に振り回される。

 これでは、避けようがない――とくに、守護すべき民間人を抱えていては。


「三の竜鱗っ! 《重石結界》!」


 シキミを庇うイブキが掲げた剣の先に、重金属の盾が展開する。

 盾の表面が鞭を受け止めた瞬間、防御壁は塵のように霧散していった。

 軌道の変わった鞭が迫り、イブキは咄嗟にシキミを抱え、床を転がって回避。その背中が壁についた。コンクリートの肌触りがする。逃げ場はない。


「ななな、なんだなんだっ! あの魔術! 先生の魔術も消えちゃってるし!」


 靴の裏が固くて長細いモノに触れる。掌サイズの金属の筒だ。


「これ……ヒナガ先生が魔術の触媒に使ってたマジックアイテムか……!」


 鞭が直撃したため、中央の部分がひしゃげている。

 中には魔力の込められた水が封入されていた。おそらく《護符》の一種だ。

 マスター・ヒナガの魔術は戦場で使うには代償が大きすぎる。だからこの護符に魔術の組成だけを込めて遠隔から幻術を発揮したのだった。

 幻術で惑わしている間に、イブキがシキミを連れて建物を脱出する手はずだった。その頃にはクヨウが対魔術師戦闘用の特殊部隊を率いて反撃の態勢を整えているだろう。

 ルビアの相手など最初からするつもりはなかったのだ。


「考えろ考えろ考えろ! でないと死ぬ!」


 あの鞭に触れると、原理はわからないが魔術が強制的に解除されてしまう。


 絶対絶命、の四字が頭に浮かぶ。

 鬼のように強いマスター・カガチを前にしたときの恐怖と似てるが、学院での訓練は、カガチを倒さずとも良い成績はとれる。座学というものもある。

 でも、今ここで行われていることは違う。

 逃げることができない理由が、ここには一つだけあった。


「逃げなさい」と声が聞こえた。負傷したシキミが訴える声だった。「学院の子だね、少しでも助かる見込みがあるなら私を置いて逃げなさい!」


 まだ未熟な少女を逃がそうとする、守ろうとする当たり前の大人。

 その必死の言葉が、後退りしそうな足を前へと進め、正体不明の怖さに震えるイブキの心に勇気を灯した。


「だ――だめ、それはダメだ。自分は竜鱗騎士になるんだから!」


 銀縄が暗闇を引き裂き、暴れ回る。


「一の竜鱗、その名は《偽剣》!」


 用無しになった護符の容器を媒介に竜鱗魔術を発動させ、刺突剣レイピアを出現させる。

 少女が移植する竜鱗はかつて雄黄市を灰燼に帰した《銀麗竜》のもので、あらゆる金属を支配下に置く力を持つ。微量な金属の質量を増やし、剣の形に変えることなど造作もない。


「負けない、でもまだ死にたくなぁい!」


 半身に構えた可憐なつま先がさらに一歩先を踏む。

 それは勇気の一歩ではなく、背後が塞がれているから、そして前に踏み込まねば剣の勢いが削がれて死ぬから、という絶望からもたらされる一歩だった。

 彼女の右手から矢のように放たれた刺突が、針の穴を通すかのような正確さで横殴りに迫る鞭に命中し、わずかに軌道を変える。

 その瞬間、魔術によって構成された剣が、魔人の謎の力によって消されてしまう。


「一の竜鱗、《偽剣》! 《偽剣》! 《偽剣》!」


 言葉通り瞬きの間に魔術を発動させ次の剣を生成する。

 閃く光のように精緻かつ速い剣と魔術が繰り出され、奇跡のような三連撃が鞭を地面に叩き落とした。

 イブキは移植された枚数の少なさから、ほかの竜鱗騎士にくらべると魔力が平凡以下だ。だがそれを補う凄まじい集中力と技の冴えによって、ある意味天才を越えていた――と、この場にいない椿なら評価したかもしれない。


「三の竜鱗、《竜躰変化》!」


 イブキの右腕に竜のような鱗と爪が生える。

 反対の腕でシキミを抱え、爪をコンクリ壁に突き立てた。魔術によって体の一部を竜化させ、人をはるかに超える怪力によって壁を破壊する。

 何もない、ただ暗闇に満たされた洞穴の中でルビアが杖を持ち上げる。


「に、逃げちゃダメ、ダメなのよ。《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」


 再び、視界が暗闇に閉ざされる。

 そして地面を叩きつける鞭の音が響く。


「ウソでしょ、こんなのキリがないじゃないですかヤダ~~~!」


 悲鳴を上げた途端、背後からかすかに明かりが漏れる。


「イブキ、シキミさん!」


 コンクリに突き刺さった銀の茨が、強引に脱出口を切り開いていく。

 瓦礫を越えて現れたのは金杖を携えたマスター・ヒナガだった。



*



 魔法を無効化するなんて、まるでありがちなウェブ小説の主人公だ。

 こっちがいくら強くても、そんなのは無効化能力の前には無意味でしかない。


「あの魔術はやばすぎる。とっとと逃げるぞ!」


 イブキを先に行かせて一も二もなく疾走する。

 だが逃げる合間も狭苦しい非常階段の前後を、地面から突如、脈絡なくせりあがってきた壁が阻んでくる。

 飛来する鞭に向けて盾を生成し、一瞬だけ攻撃を防ぐ。

 その間にイブキが怪力で活路を開き、脱兎のごとく逃げ出すのの繰り返し。

 命からがら一階に降り、市場内にあるフードコートに出た。

 客のいない空間に整然と机が並び、椅子が積み上げられている。

 非常灯が瞬いており、そこに無理やりこじ開けられたシャッターが見えた。ルビアが侵入したときにできた出入り口だ。


「はやく!」


 あと少しで脱出、というタイミングで、大きすぎるシャッターが轟音を立てて、壁一面を塞ぎながら落ちて来た。

 さらに三方をシャッターが塞ぎ、脱出不可能な密室の完成だ。


「だ、誰も逃げられない。ここ、ここはスケラトスの牢獄、なのだから……」


 魔人を従えたルビアがフロアに登場し、絶対の死が約束される。

 僕は杖を向けながら冷や汗を垂らしていた。

 無理に魔法を使っても消耗するだけだ。


「魔術は消される、魔人の正体も不明、どうしろっていうんだ……!」

『ウーン……魔術を消されてるのとは少し違うような気がしてきたヨ。魔術を無効化するには作法が必要だ。まずは相手の魔術をシらなくてはならナイ。だから最初に無効化されてから、ボクは魔法の質を少しずつ変化させてるのに無効化は続いてる……』


 さすがね、とルビアが囁いた。


「さ、さすがは師なるオルドル、な、なんでもお見通しなの、ね……」


 言い終るか終わらないかのうちに、魔人が攻撃を開始する。


「先生、ここは自分が! 一の竜鱗、その名は《偽剣》!」


 イブキの剣が、オルドルの盾が、攻撃を辛うじて防ぐ。

 駆け巡る縄の間をイブキが掻い潜っていく。

 鞭の攻撃は強力だ。謎の効果に加えて威力も強い。


「イブキ!」

「大丈夫、見切りました!」


 その言葉通りだった。シキミを僕に預けた彼女は、遅い来る攻撃を完全に読み切り、軽い身のこなしで避けて、剣で弾いてく。

 力に頼らず体の動き精密な剣は天藍とは違う。

 真っすぐルビアに向かうイブキの進行方向を魔人が塞ぐ。

 至近距離まで踏み込めば、鞭の攻撃は来ない。


「はっ!」


 渾身の刺突が魔人の体を貫くが、それは人形の体を貫くが、血の一滴も流さない。


「もう一回! 《偽剣》!!」


 もう一振りの剣をその体に突き刺し、地面を蹴る。


「うおおおおおおおお!!」


 獣声を上げながら強引に、そして無理矢理に、その巨体を押し出していく。

 巨体は地面を引きずられて、ルビアが出現させたシャッターに押し付けられ、文字通り縫い留められた。

 力仕事を終えた彼女は肩を激しく上下させながらも竜鱗の力で刺突剣をつくり上げ、素早くルビアの喉元に突きつけた。

 切っ先が肌に食い込み、血が流れて行く。


「警告します。魔術を解除しなさい!」

「ひっ! や、やめて。やめてくださいぃ」


 そのとき、殺人者であるルビアが持っているはずの残虐さはなりを潜めていた。

 そこにはただ刃に脅える少女がいた。

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