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 信じ難い光景というのは、何も奇妙奇天烈な物や景色だけを言うのではない。

 ごく当たり前の空間に佇んでいる少女ひとりが、精神に強烈なダメージを食らわせてくることだってある。


「青海文書を使って殺人をしていたのは使徒ヘデラじゃなかったのか?」

「お父様は、そ、そんなことな、なさらないわ」


 外で起きていた事件と、拘束されたシキミさんを見て、なおも《何かの間違いかも》なんて呑気なことを言える精神状態になれる奴なんていないだろう。

 奇妙な自殺事件が起きたとき、そこにはヘデラがいた。ということは、ヘデラの娘で信者でもあるシスター・ルビアも同行していた可能性が高い。


 僕は杖を握り込み、怒りを保つ。

 集中を崩さないように、心を一定に保とうと努力する。


 シキミに目立つ負傷はないけれど、腕にケガをしているみたいだ。

 不自然な傷口だから、たぶん、僕らに居所を示すためにわざとそうしたんだろう。

 クヨウたちの追跡魔術には髪や血など探す人物の体の一部が必要だ。

 実際に入口に零れた血の雫をイブキの竜鱗魔術が見つけ出したからこそ、ふたりの居場所がわかったのだ。


 彼女は確実に待ち構えていたんだ。罠を張って。

 でも、と心の中から声がする。

 オルドルの声じゃない。聞き分けがなくて、微かな希望に縋りたい僕自身の声だ。


「事件を起こしたのは君なの……?」


 イブキが咎めるような目つきでこっちを見てくる。

 彼女は竜鱗騎士だ。そう見えなくても、戦場に僕のような甘えは持ちこまない。

 そう、ここは戦場で、地獄みたいなところだ。今は違っても、必ずそうなる。その予感がする。きっと外れたりしない。


「そ、そうよ」と彼女は、ルビアは呆気なく自分の罪を認めてしまった。


「君は僕を助けてくれたよね……。少なくとも、僕が知ってる君は優しい女の子だったはずだ」


 出会ったときに彼女は僕が誰なのかを知りながら、ヘデラから隠してくれた。

 守ってくれたんだ。


 僕は宗教を否定しない。世界中のあらゆる場所で、あらゆる人が何かを信じている。何一つ信じるものはないと思っていた自分でさえ、竜や大魔女の前に立ち、恐怖を感じるときに心の中で「神様」と叫んでいた。


 人間にはどんなときでも自分を守ってくれる存在が必要なんだ。


 優しくて強く、いつでも背中を支えていてくれる何かが。

 だから、それを信じるルビアもまた、人の弱さを知り、他者に優しくあろうとする少女だった……はずだ。


「ひ、人に親切にすることは、よいことです。暴力は、よくないことです。教団のお、教えにもそうあります」

「だったら何故、青海文書の力を使って人を殺したりしたんだ?」

「それもまた、教団の教えの通りだから、です」

「は…………?」


 なんだか雲行きが怪しい。


「強い喜びや、快楽は、人を堕落させる、ものです。なのに、町を行く人たちは過剰な幸福をう、受け取りすぎていま、います。そう思いませんか?」

「何を……言ってるんだ……?」

「悪い子には《おしおき》が必要、なの。与えられる苦痛を我慢することによって、罪を贖うことができるの……」


 彼女の視線が不意にシキミに向く。

 そこには彼の姿はない。

 幻術によって姿を隠したイブキが拘束を切り、小脇に抱えて逃げ出す寸前だった。

 それと同時に僕も悟る。ここまでだ。


「先生……な、なぜなので、ですか」とルビアは悲しそうに言った。「私はあな、あなたを助けたのに、どうして私をあ、欺くの?」

「君に恨みはないよ。できれば罪を認めて市警に出頭してほしい」

「そ、それは、できない。私は、あ、あなたを殺します。そ、そうしたら、きっと……きっと、お父様が喜んでくれるから!」


 助けたのに、傷つける。

 矛盾の塊となった彼女の両手にある鍵の杖から魔力が放たれる。

 青海文書が騒ぎ出すのを感じる。

 笑い声や嬌声や甲高い悲鳴が魔力の波動に乗ってこちらにも届く。


 昔々、ここは偉大な魔法の国。

 愚かなあの子は抜け出せない

 鍵を閉めたのは自分なのに

 鍵を閉めたのは自分なのに


「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」


 僕もオルドルの魔術を使う。

 銀の森の主の力によって、スケラトスの魔力が打ち払われる。

 漂う霧が一瞬で晴れ、銀の茨が僕らを取り巻いた。

 そして網のように張り巡らされた棘の籠が、ルビアを包囲する。


「イブキ、すぐに退避しろっ」

「こ、こからは誰も出れません。そ、そそ、《それは幽閉する者の名、永劫の鍵よ》!」


 呪文を口にした瞬間、不気味な音響とともに月光を取り入れていた天窓が次々に閉ざされていく。

 外から観測したときには、天窓を塞ぐようなシャッターやらは見当たらなかった。

 青海の魔術によってありもしない機構が出現したのだ。

 あっという間に周囲は暗闇に包まれ、閉塞感が空気の手触りを鈍重にする。ただ窓を閉めただけにしては、暗すぎるし閉塞感が凄まじい。


「周囲にコンクリート製の壁と天井が出現しましたよ! どーなってんですかこれ!」


 イブキが震える声で叫んでる。

 でかした。竜の感覚器官が僕には見えないモノも掴んでるのだ。

 どうやら、僕らを囲いこむ形で《密室》が出現しているらしい。


「一番近い壁までの距離は!」

「東西南北二十メートル!」

『う~む。魔術師としてはボクより数段下の雑魚だけド、使い方が巧い。技アリだネっ』


 これが永劫の鍵――《幽閉のスケラトス》の魔法か。

 強制的に密室を作りだす魔法、という単純明快な力だ。

 ここに来るまでに原作を読んで来たから、予測はしてたので落ち着いてはいる。

 厄介ってことに代わりはないけど。


「イブキ、西側出口に向かって壁を破れないかな!?」

「やってみます!」


 イブキが動きはじめた瞬間、ルビアのいた方向から輝く銀色が飛来する。

 それは一直線に、僕めがけて走ってくる。

 その先端が体に掠り、電撃で打たれたかのような衝撃が走った。


「あがっ…………!!」


 電撃、というのは痛みの比喩じゃなくて、全身が痺れたように動けなくなる。

 何これ。予想外だ。

 だって、《幻で作られた自分が痛みを感じるはずが無い》からだ。

 閉鎖空間の中に、異様な姿が顕現していた。

 白っぽく発光する銀の魔人。そうとしか形容し難い。

 人のように見える。のっぺりとした仮面をつけた人間だ。どこかしら、ヘデラに似てる。

 魔人は片手に巨大な鞭を持ち、それで攻撃してきたみたいだ。


『魔術を通じてコチラの魔術を介して術者に干渉してきてル……!』

「干渉……!?」

『一度、マスター・サカキにボクらが使った魔術を消されたコトがあっただロ!』


 マスター・サカキはオガルと同じく同僚で、僕みたいな似非教官とは違い名実ともに魔術の大天才だ。

 ルビアにおなじことができるとは思えないけど……それに、あの魔人は何なんだ? 青海文書なのか、それとも他の魔術なのか。

 青海の魔術師は、オルドルみたいな例外を別としてひとりにつきひとつの魔術しか使えない。


 密室を作りだすのがスケラトスだから、他にも《共感》してる魔術師がいるということか?


 魔人が鞭を振るう。

 二撃目が幻を吹っ飛ばし、オルドルの魔法が文字通り霧散してしまう。


「ウソだろ……」


 非常階段の暗がりで、《僕》はひとりぼっちで呟く。

 そう、ルビアと相対していた自分は最初から幻で、僕は遠く離れた場所にいたのだ。

 それだけでなく、今はオルドルの気配すらも遠い。

 あの鞭を食らった瞬間、青海文書との繋がりが切られてしまったのだ。

 密室化に巻き込まれないために、戦闘能力の低い僕だけ距離を取っていたのが仇となった。


 危険で正体不明な戦闘領域にイブキとシキミを残したままだった。


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