第16話
すべては狼が言い出したことだったのだと、夏の姫は冬の姫へと語った。
塔で冬の姫と別れたあと、狼は夏の姫に「冬の姫は季節を廻らせる役を許されるのか」と問うたのだという。
役目を果たそうとしないものが、その座に着くことは許されない。それは人であれ、狼であれ変わらない。
一度逃げ出してしまった冬の姫を、人間は許すのかと。
季節の担い手を代替わりして以降、厳しくなり続ける冬について、看過できぬ事態になる前に手を打たねばならないと、王は悩まれていた。
それは、春の姫も知るところである。四姉妹の上の二人は、たびたび王と内談をしていたのだった。
このまま冬の姫に、冬を任せるか否か。幼い姫の肩には、まだ荷が勝った役目だったのかもしれない、と。
また、役割への重圧以外にも、冬が厳しくなるのは冬の姫の心によるところが大きいと、他の姫たちには分かっていた。
季節の歌は、姫の心を映す鏡のようなもの。母を亡くした冬の姫の心が立ち直らぬ限り、明るい冬は訪れないのだ。
王も、姫たちも、そのときを待った。しかし、その期待に反して、冬は寒さを増す。そうしているうちに他の季節とも比較され続けた。臣民たちの不満はつのり、冬は次第に疎まれるようになるのであった。
そこへ冬の姫が塔から抜け出し、行方知れずとなったという報せである。もはやこれ以上、冬の姫を庇い立てできることはできないと判断されても、やむを得ないことだった。
少しでも冬の姫の罪を軽くするべく、歌の制御がなくなった冬を少しでも抑えるために春の姫は塔へ。夏の姫は一刻でも早く冬の姫を見つけ出すために捜索隊を結成するに至った。
逃げ出した先で狼と出会ったことが、冬の姫の心に変化をもたらす契機となったのは皮肉とも言える。その点は結果的に喜ばしいと夏の姫は思うのだが、それで帳消しになるほど罪は軽くないのだった。
冬の姫は許されるのか。
狼に問われた夏の姫は、可能性は半々。いや、おそらく何らかの罰は与えられるのは必至だと思っていた。
命までは取られまいが、今後も冬を任せられるかと言えば、難しい。夏の姫はもちろん、王に口添えをするつもりではある。春の姫も気持ちは同じだろう。だが、王がそれをお許しになるかは分からない。
人の事情を知るはずもない狼ではあったが、夏の姫の苦渋の表情を見て、おおまかなところは察したに違いなかった。
そして、彼は言ったのである。
――気が変わった。冬の姫を助けた褒美を受け取ろう。
冬の姫が役割を捨てて逃げたことを罪に問われるのならば、己がその罪をかぶる。
それが、狼の望む褒美なのであった。
*
冬の姫は自室のベッドの枕を濡らし、その夜を迎えた。
狼の望みを、王は叶えると承諾した。狼がその命をもって冬の姫の罪をかぶるのであれば、次の冬をまた彼女に任せる。そう約束したのである。
狼の言い分はこうである。厳しい冬の中、飢えに困った狼は冬の姫の命を奪うことで、二度と冬が来ないようにしようと企んだ。そして、塔の外へと散歩に出ていた姫を拐かしたのだが、姫が死ねば永遠に冬は終わらないことを知らなかった。それゆえ、企ては失敗に終わり、無用に冬が長引くことになったのだと。
その話は一定の信憑性があるように聞こえた。実際、昨今狼たちが住まう山の麓の村々や、城下へと向かう商人たちの荷馬車が狼たちに襲われるという報告も増えていた。そこで群れの筆頭である彼が処断されれば、狼たちへの牽制としても臣民に言い訳がたつ。
冬の姫はほとんど我を失い、そんな話は嘘だと主張したが受け入れられなかった。狼は再び檻ごと荷車に乗せられて、無情にも連れられていったのだった。
翌朝、狼の罪を通達するお触れが出されてしまえば、その罪は決定的なものとなってしまう。そのときが来るまで、もう時間は幾ばくもないのであった。
冬の姫はただ一人、引き裂かれそうな胸を掻きむしらんばかりにしていた。
狼を救いたい。しかし、今の冬の姫は自室に閉じ込められており、狼がどこにいるのかも分からない状態なのだった。部屋の前には見張りも立たされていて、抜け出そうにも抜け出せない。
(どうすればいいの……)
お触れが出される前に、己の罪をすべて告白すればとも思う。だが、こうなってしまった以上、冬の姫が臣民へ発言することは許されないだろう。王も、夏の姫も、狼に罪がないと分かりながら、彼の望みを認めたのだ。
そうして、冬の姫が無力感と絶望感に押しつぶされそうになっているときであった。
「ちょっと! そこのあなた! 手伝って!」
不意に部屋の外で叫ぶような声がして、驚いた姫はベッドから起き上がり、耳をすませた。
(お姉様……?)
それは秋の姫の声だった。彼女に応じる見張りの兵士の戸惑った声も聞こえる。
「厨房にネズミが出たのよ! 捕まえるのを手伝いなさい!」
話し声だけでも、何やらすごい剣幕であることが伝わってくる。兵士が「いや、しかし」とか「持ち場があるので」とか、しどろもどろな返答をしているようだったが、秋の姫の勢いを削ぐことはできていないようだった。
「冬の姫なら、わたしが見ておいてあげるわよ。ほらほら、さっさと行きなさい。持ち場を離れたことは、黙っておいてあげるから。それとも、食べ物にバイ菌がついてお父様やお姉様たちがお腹をこわすことになったら、あなたが責任とってくれるわけ?」
むちゃくちゃな脅しではあったが、秋の姫のわがままに兵士も折れたのか、「すぐに戻りますからね」と駆け足で離れていったようである。
いったい何が起こっているのかと冬の姫が唖然としていると、扉が開かれて、眦をつり上げた秋の姫が顔を覗かせたのだった。
「イヴ、いつまで閉じこもっているつもりなの」
「やっぱり、お姉様……! どういうことなのですか?」
「どうもこうもないわ。全部、彼から聞いたのよ」
ベッドの上から動こうとしない冬の姫に苛立ったように、秋の姫はするりと部屋の中へ身体を滑り込ませてきた。彼女は何か大きな布の袋を抱えており、それを足下に下ろしてからベッドまで足早に近づくと、強引に冬の姫の腕をとる。
「姫さまっ」
すると、秋の姫の栗色の髪の中から、茶色い毛玉が一匹飛び出してきた。それは二人の姫の腕をつたい、冬の姫の肩へと素早く上ったのである。
「ネズミさん! どうして……!?」
「話せば長いっすけど、夏の姫さまが帰るとき、こっそり荷物に紛れてついてきたんっすよ。ダンナが早まったことを考えてるみたいじゃないっすか。さあ、姫さま、ダンナをとめに行きやしょう!」
「とめるって……でも……どうやって……」
あまりの出来事に冬の姫が困惑していると、「しっかりなさいな!」と秋の姫は両手で挟むようにして、パンと冬の姫の両頬を張った。
「あなた、あの狼のことが好きなのでしょう!?」
冬の姫の目が見開かれて、どくりと心臓が脈打つ。
「大好きなお母様を失ったあなたの哀しさが冬を厳しくしたというのなら、あの狼を失えば次はどうなるの? お父様もお姉様も、どうしてそんな簡単なことが分からないのよ!」
秋の姫は、誰も何も分かっていないと憤っていた。それは見方によれば、気に入らない状況にただ喚いているだけの虚しい主張のようにも聞こえる。だが、秋の姫のまっすぐな言葉は、冬の姫の心を激しく揺さぶっていた。
「ほら。これを持って」
そう言って、秋の姫は冬の姫の手を開かせて、そっと何かを握らせた。冬の姫が視線を落として見ると、それは飾り気のない黒い鉄の鍵だった。
「姫さま。それはダンナを閉じ込めている檻の鍵っす」
「ルーさまの?」
「会いに行きやしょう。ちゃんと、話をするんっす」
ネズミが冬の姫の肩で飛び跳ねて、つぶらな瞳で真摯に彼女を見つめる。
狼は結局、何も自分に語ってはくれなかった。聞けば答えてくれるかも分からない。
けれど、彼の気持ちがどうであれ、このままでよいわけがない。それだけは、絶対なのである。
「…………ええ。行きましょう」
「そうこなくっちゃっすね」
冬の姫はぎゅっと鍵を握りしめて、決意して大きく頷く。冬の姫の表情の変化に、ネズミは瞳を輝かせた。
「顔に元気が戻ったわね」
秋の姫は冬の姫の頭を軽く撫でると、にこりと鮮やかに笑った。
「それじゃ、ネズミさん。イヴの道案内は頼んだわよ」
「うっす、お任せあれっす!」
「お姉様は、来られないのですか?」
「二人だと目立つでしょ。わたしは部屋に残って見張りの目を引きつけておくわ。あなたはこれに着替えなさい」
ドアの近くに置いていた布の袋のもとに引き返して、秋の姫はそこから一着の服を広げた。
それは、城の侍女が着用する制服である。冬の姫が塔から抜け出したときに拝借したものと同じ衣装であった。
(……あのときと、同じだわ)
着替えた冬の姫は、顔を隠すように頭巾をかぶった己の姿を鏡に映す。偶然にも狼と出会ったときと同じ格好であることに、思わず笑みがこぼれそうになった。
けれど、今の自分は、あのときとは心が違う。
「お姉様、ご助力ありがとうございました。行って参ります」
「ええ、早く行きなさい」
冬の姫の服に着替えた秋の姫も、短く応じてベッドに潜り込む。これで声を出したり近づかれたりしない限り、彼女が秋の姫だとばれることはないはずだった。
「ネズミさん。また、よろしくお願いしますね」
「合点承知っすよ」
冬の姫はネズミに微笑みかけて、彼を頭巾の中に隠すように頭に乗せる。小気味よく応じる小さな友人の声が、今はとても頼もしかった。
(ルーさま。待っていてください。いま、あなたのもとへ参ります)
鏡の中の己の顔を挑むように見据えて小さく頷く。そこからはもう余計なことを考えずに、冬の姫は部屋を飛び出すのだった。