第15話
夏の姫が帰還した翌朝、そのときは唐突にやってきた。
「イヴェルノ。陛下がお呼びです」
控えめなノックとともに冬の姫の自室を訪ねたのは、夏の姫だった。王宮に戻った彼女は姫らしく若草色のドレスに身を包み、煌びやかな出で立ちとなっている。
もっとも、本人は気詰まりだと口をへの字に曲げており、今すぐにでもドレスを脱ぎ去りたいと思っている様子がひしひしと伝わってくる。
だが、今はそんな愚痴も言っている場合ではないようだった。
「お父さまが?」
柳眉をひそめる姉から不穏なものを感じ取り、冬の姫は訊ねる。陛下とはこの国の王。つまり姫たち姉妹の父に他ならない。
冬の姫は塔から城に戻った際、一度だけ王と顔を合わせていた。娘の無事を喜んでくれはしたのだろうが、以降、顔を合わすことなく姫を自室に半ば謹慎させるような形で押し込めていたのである。そして、そんな冬の姫のもとに秋の姫は毎日のように訪れて話し相手になってくれていたのだった。
「わたくしに、何のご用向きなのでしょうか?」
王直々の呼び出しに、冬の姫の顔に緊張が走る。父のことが嫌いなわけではなかったが、母が帰らぬ人となってからの父は、姫にとっては向き合うのに勇気を伴わなければならない存在なのであった。
「お会いすれば分かります。準備なさい」
冬の姫の質問に明確な答えを返さず、夏の姫は事務的に告げた。きっと、夏の姫がドレスをまとっているのも王へと謁見するためなのだろう。侍女たちに手伝われてドレスに着替えた冬の姫は、夏の姫に付き従い、謁見の大広間へとつれられていった。
広間の前に立つ見張り番の兵士が姫たちの到着を告げ、中から応じる別の兵士の声がしたところで広間の扉は開かれた。
広間は過度に装飾をこらさず、荘厳な造りとなっている。そして、大理石の床に敷かれた深紅の絨毯が続く先の玉座におわす壮年の王が、しずしずと御前まで進み出る二人の娘を厳めしい顔で見下ろしているのだった。
「陛下、冬の姫をおつれいたしました」
恭しく礼をした夏の姫は、冬の姫の後ろへと一歩下がる。促されるようにして冬の姫は前に進み出て、ドレスの裾をつまんで淑やかな礼をした。
「二人とも、顔を上げるがいい」
許しを得て、冬の姫は顔を上げて王の次の言葉を待った。夏の姫は彼女の背を支えるように、少し寄り添って後ろに立ってくれている。
王の黄金の髪と空色の瞳は、夏の姫に受け継がれた色だ。もう若くはないが精悍な顔立ちは衰えることを知らず、瞳には深い理知的な光を宿している。
「其方らを呼んだのは、他でもない」
静まり返った広間に抑揚をつけた声が響く。次に王はおもむろに玉座から立ち上がると、姫たちの方へと歩み寄られた。
「イヴェルノ」
「はい……」
間近で力強い王の瞳に見据えられて、冬の姫は拳を固く握りしめる。それからややあって、姫は王の口からその宣告を受けた。
「其方課せられた、冬の担い手の任を解く」
冬の姫は、己の耳を疑った。
「どういうことなのですか……お父さま」
まるで死刑宣告でも受けたみたいに血の気を失せさせて、姫は訴える。だが、王の表情は不動であり、それが厳然たる事実であると姫に突きつけているのだった。
「夏の姫。説明せよ」
己の言うべきことは言ったと、王は夏の姫へ命じた。夏の姫は父の瞳をぐっと見返したがどうにもならず、「聞きなさい」と冬の姫に前置きしたうえで、極めて淡々とした口調で語り始めた。
「四季の女王……お母様が亡くなられてから、私たちは四季の担い手になったわ。四季を司る魔法は非常に大きな力を必要とする。それを私たちは、四人で分けることでどうにかこれまで通り四季を廻らせることにした……。けれど、幼いあなたにはまだ早かった。今回のことで、そう陛下は判断されたの」
「そんな……なぜ、なのですか。だって、わたくしは……!」
「落ち着いて、イヴ。担い手がお母様から引き継がれたばかりの頃は、まだ四季が安定しなくても言い訳がたっていたの。これは大切な役割で、誰かが代われるものではないから、私たちもあなたを見守っているつもりだった」
「だが、其方は逃げた。それがすべてだ」
ぐさりと、胸の真ん中を突き刺されたみたいに冬の姫は固まった。
「いたずらに冬が長引いたことで、少なからず国にも被害が出ている。そのこと、臣民になんと申し開く」
冬の姫に冬を任せていては、冬が安定するどころか悪くなる一方である。事態は、そう思われても仕方のないところにまできているのだった。
「でも……それでは冬はどうなるのですか?」
「其方以外の姫たちに任せることになる。女王は一人で四季を担っていたのだ。負担はかかろうが、其方よりはうまくこなすだろう」
もはや冬の姫は青い顔のまま絶句して、その場に立ち尽くすばかりである。背中を支えてくれている夏の姫の存在も、どこか空虚に感じられた。
「……やはり、お父さまは、わたくしのことをお恨みなのですね」
足下から暗い闇の中へと落ち込んでいきそうな中、冬の姫の胸にふつふつと感情が込み上げてくる。それは彼女も意識せぬうちに言葉となって口から溢れており、止めようがなかった。
「何の話をしている。其方を恨むなどと」
「とぼけないでくださいませ! お母さまがお亡くなりになったときのことですわ! あのとき、わたくしがちゃんと冬を扱うことができなかったから! だから……!」
「イヴ!」
心から滲ませた血を吐き出すかのように言い募ろうとする冬の姫を、夏の姫が背後から強く抱きすくめる。冬の姫の耳元に頬を寄せ、それ以上はならないと彼女の感情を堰き止めるように言うのだった。
「およしなさい……。陛下があなたのことをお恨みになるはずがないわ。私たちだってそう。誰もあなたを責めてない。お別れはもう、それぞれすませていたのだから」
「では……では、なぜ? どうして今なのですか!?」
夏の姫の腕を振り解き、しゃにむに冬の姫は叫んでいた。
やっと、前向きになれそうな気がしていたのだ。春の姫だって、冬をやめることはならないと言ってくれたではないか。
「わたくしは、お母さまとともに過ごした冬が好きなのです!」
母を亡くしたこの季節をどう思っていたのかを、やっと思い出せたのに。
「お母さまとの思い出の縁を、どうか……わたくしから奪わないでくださいませ! お願いいたします……お願いです……」
瞳から熱い雫を流しながら、冬の姫は王へとすがりつく。よほど彼女の訴えが意外だったのか、王は眉間に深いしわを刻み、不動であった表情を崩していた。
「……まさか、其方からそのような言葉を聞くことになろうとはな」
深い吐息とともに呟かれた言葉には、僅かではあるが逡巡があったように聞こえる。しかし、次の瞬間にはもう王はその迷いを捨て去り、冬の姫の肩を押し返していた。
「だが、ならんことだ。其方が役目を放棄して塔から逃げたという事実は覆せぬ。その罪は、其方が贖わなくてはならぬことだ」
ぎゅっと白くなるほどに唇を噛みしめて、冬の姫はもうどうしようもなく、うなだれる他なかった。
罪は罪として、贖わなければならない。その責任は、間違いなく自分にある。
「……陛下、恐れながら申し上げます」
と。失意の底に沈む冬の姫であったが、そこへ静かに夏の姫の進言があった。冬の姫から手を離した王は、訝りながらも目で促す。夏の姫は王に礼を返して、口を開いた。
「冬の姫が季節の担い手を解かれる理由ですが、それは姫がその責を放棄し、塔を逃げたことで間違いありませんか?」
「……うむ。無論、これまでの冬の実績も考慮した上の結果だが、それが踏み切るに至った原因であることに相違はない」
「では、その罪さえ消すことができれば、冬の姫にもう一度、挽回の機会をお与えになられることは可能でしょうか?」
「挽回の機会とはなんだ?」
「具体的には、次の冬もまた、彼女に任せるということになります。陛下もお聞きになられた通り、冬の姫の心は成長しました。きっと、次は素晴らしい冬を運んでくれるものかと」
「お姉様……」
まっすぐに背筋を伸ばし、己の意見を滔々と弁じ立てる夏の姫を、冬の姫は振り返る。王を前にして一歩も退かぬその姿勢は、実に見事なものだった。
「エステル、何を企んでいる」
王の細められた目は、いつしか小生意気な我が子を見る親の目に変わっていた。
「確かにその罪を消すことができれば、挽回の機会を与えることは吝かではない。しかし、空論を振りかざしたところで無意味なことだ」
「いいえ……。そんなことは、ありません」
夏の姫は冬の姫のそばへと歩み、彼女の肩を抱き寄せるようにした。その力は痛いくらいに強い。もしかするとそれは、これから起こることから彼女を支え、守ろうとする覚悟の表れだったのかもしれない。
「――入れなさい!」
予め手はずは整えられていたのだろう。夏の姫が短く声を上げると、広間の扉が厳かに開かれ、大きな荷車が数人の兵士に引かれて広前へと入ってきた。
荷車の上には、これもまた大きな白い布に覆われた何かが鎮座しているようだった。ふうふうと息を切らせている兵士たちの様子からして、それはとてつもなく重いものだと思われた。
「ご苦労様。そこで下ろしなさい」
姫たちの近くまで荷車を引いた兵たちは、それからたっぷり時間をかけて荷車の上にあるものを協力して床へと下ろした。中には妙に腰の引けている者もおり、奇妙な思いで冬の姫はその様子を見守った。
そして、作業を終えた兵らを下がらせた夏の姫は、冬の姫の肩を抱いたままその荷の前へと進むと、掛けられた布をつかんで王へと向き直った。
「陛下。このものの話を、お聞きください」
さっと布が取り払われて、そこに隠されていたものが明かされる。冬の姫は「あっ」と目と口を大きく開けて、そこから先は言葉にならなかった。
漆黒の鋼鉄の檻。その中に静かに伏せる、白い狼。
「ルー……さま」
巨大な狼の威容に流石の王も驚いたようだったが、腰を引かせることなかった。むしろ王は狼の姿を確かめるように檻のすぐ近くまで歩み寄り、納得したように深く頷いていた。
「其方が、冬の姫とともにいたという白き狼か」
布を取り払われたことで、金色の瞳を眩しそうに細めていた狼は王の声に耳を立てる。すくっと顔を上げた狼は、物問いたげに王を見返した。
「私はこの国の王。そこにいる冬の姫の父だ」
「オレの言葉が分かるのか」
続けて言う王に、狼が返答する。その声を聞いて、冬の姫は間違いなくこの狼が彼であり、幻などではないと確信していた。
「言葉が通じるのであれば話が早い。王よ、お前は勘違いをしている。冬の姫に、罪はない」
「……ほう。申してみよ」
狼が何を言い出すのかと、王は興味深そうに目を眇める。
「冬の姫に罪がないというのなら、その在処は何処か?」
「簡単なこと。オマエの目の前にいる」
そして、王の問いに狼は一切の躊躇なく返すのだった。
「オレが冬の姫を拐かしたのだ。冬が終わらなかったのは、そのせいなのだよ」
その返答を聞いた冬の姫は頭が真っ白になり、全身の血を凍り付かせた。
嘘だと。何を言っているのだと震える足を動かそうとするのだが、夏の姫につかまれた肩が痛い。
そうしている間にも、檻に囚われた狼は、ありもしない己の罪を王へ向けて告白するのだった。
「その娘は悪くない。誰かが罪を贖わなければならないのであれば、オレの命を使うがいい」