第1話
灰色の空には少女の哀しい歌声が響いており、ときおり狼の遠吠えがこだましていた。
とある国の外れにある、深い森の奥の、さらまた奥の山深く。どんな老木よりも高い白い塔が、まっすぐに空へと伸びている。
あたりは、しんしんと降り続ける雪が地面を埋もれさせて、銀色の世界がどこまでも広がっていた。
「――――」
銀世界に響く歌声は、塔のてっぺんにある小さな窓から外界を見下ろす少女のもの。
華麗なドレスに身を包み、氷のような透き通った瞳と流麗な長い白髪を持つ、冬の姫君である。
開け放たれた窓から吹き荒ぶ風に髪をおどらせ、美しい顔を曇らせながら姫は歌っていた。
それは、この国に冬をもたらすための魔法の歌だった。
両手を組み合わせて、祈りを捧げるように、朝を迎えるたびに姫は季節に捧げる歌をうたうのである。
春が来るまでの間、一言一句教えられた通りに、歌い続けなくてはならないのだった。
「……こんなことに、何の意味があるのかしら」
そして、今日の歌を終えた姫が、窓を閉ざして溜息をついた。聞こえていた狼の声も、知らぬ間にやんでいたようである。
「姫さま、何をおっしゃるのですか」
部屋の中では姫と年の近い侍女の少女が、こぽこぽと湯気をたてる温かい紅茶をいれていた。姫をなぐさめるように、侍女は微笑みかける。
しかし、姫の顔が晴れることはなかった。
「今日も、狼が鳴いていたわ」
「そうですか。きっと、姫さまの歌声につられて歌っているのでしょう」
「いいえ。あなたも知っているはずよ。わたくしが、国のみんなから嫌われていることを。狼だって、わたくしの下手な歌を聞きたくなくて、文句を言っているに違いないわ」
「そんなことはありませんわ。姫さまは、お美しく、お優しいかたです。だれが嫌いになると言うのです」
さあ、お座りになってお茶を楽しみましょう。侍女は言う。
侍女にすすめられて、姫は難しい顔のまま窓を離れて椅子に座った。目の前のテーブルには、よい香りのする紅茶と、焼き立てのクッキーが盛りつけられたお皿が置いてある。
ぱちぱちと、暖炉では薪のはじける音がしていた。外の世界は身を切るような寒さに支配されているが、姫のために用意された部屋には、窓さえ閉めてしまえば隙間風ひとつ入らない。
「このような季節、誰も望んでなどいない。そうでしょう?」
「そんなことは、ありませんよ」
侍女は言ったが、彼女の顔は嘘をつけなかった。姫は「そらみなさい」と、すねてそっぽを向いてしまう。
「お姉さまたちはいいわ。春も、夏も、秋も、みんな待ち望んでいる。でも、冬はちがうもの」
この国の季節は、かつて一人の女王の手によって管理されていた。
女王は人里離れたこの塔で、春夏秋冬の四つの季節を廻らせていたのである。
しかし、女王は病によって帰らぬ人となり、その役目は女王の子どもである、四人の姫たちに託された。
長女の春の姫君。
次女の夏の姫君。
三女の秋の姫君。
そして、末っ子の冬の姫君。
それぞれの姫が、順番にこの塔で過ごすことで、国には四つの季節が廻る。
四人の姫たちは幼い頃より自分の季節が廻るたびに、この塔で母である女王とともに過ごしてきた。そこで季節を司る歌の魔法を教わっていたのである。
それは温かく、幸せな思い出であるはずだった。
冬の姫が過ごす、今の季節は冬。
女王が亡くなって早三年。何度もこの季節を繰り返すごとに、姫の気持ちはふさいでいった。
姫は知っている。冬が、誰からも愛されていないことを。
春は、美しい花たちが咲きほこる、誕生の季節。
夏は、お日様に照らされて、命が目一杯に輝く季節。
秋は、たくさんの食べ物が実る、豊かな季節。
それぞれの季節には、それぞれのよさがある。
けれど、姫には冬のよいところが一つも思い浮かばないのだ。
冬は、多くの命が寒さに耐えて眠りにつく。だれも外に出ようとはしない、さびしいばかりの季節だ。
秋が終わり、城からこの塔にむかう道中で、馬車の中で姫は人々の声を聞くのである。
また、きびしい冬がくるのか。
今から春が待ち遠しい。
今年の冬は、早く終わらないかなあ。
そして、冬が終わり、塔から城へと帰る道中でも、同じように人々はささやくのだ。
ああ、やっと冬が終わったね。
これでようやく暖かくなる。
もう、冬なんて来なければいいのに。
いつも、いつも、そんな言葉ばかりを姫は聞かされていた。
四つの季節を廻らせることは、古いしきたりにより国の王さまが決めたこと。
しかし、何の得にもならない冬を廻らせることに、姫は疑問を抱かずにはいられなかったのだった。
「冬がなくなって、困る人なんていないわ。お母さまだって、そんなことお分かりだったはずよ」
「姫さま、そんなことをおっしゃってはなりませんわ」
女王が亡くなったのも、寒い冬の日のことだった。
この塔の、姫が今いる部屋のベッドで、病に倒れながらも歌い続けていた。女王は最期まで姫に冬の歌を教えたのである。
誰からも必要とされていない冬をもたらす役目なんて、受け継ぎたくはなかった。
「ふん、そこまで言うのなら、いっそ一度冬をなくしてしまえばいいのよ。そうすれば、本当に必要かどうか分かるはずよ」
「まあ、とんでもない。お役目を捨てることなど、あってはならないことですわ」
侍女は、目をまるくして首を横に振る。季節の管理は、王家の女性にのみ与えられた使命だ。それを放棄することなど、あてはならない。
しかし、姫はそうは思っていなかった。
「歌と塔。そして、この冠さえなければ……」
姫は頭にかぶった冷たい氷の冠を手に取り、テーブルの上に置いた。
季節を廻らせる必要なのは、季節の歌の歌い手と、空へと響かせる高い塔。そして、魔法の歌の力を強めるための季節の冠。三つそろって、はじめて四季を廻らせる魔法が使えるのである。
だから、歌い手である自分がいなくなれば、冬は二度とこなくなるだろうと、いつも姫は考えていたのだった。
姫が冬を担うようになってから、姫の感情をそのまま読み取ったかのように、冬は厳しさを増すばかりだった。歌は同じはずなのに、女王の冬とは全く違う。吹雪ばかりが続く、だれもが身を縮こまらせるばかりの日々。
この冠を置いて、塔を抜け出して、森の狼にでも食べられてしまいたい。そうすれば、冬もなくなって、国のみんなも喜ぶに違いないのだ。
もう誰からも望まれず、嫌われるのはたくさんだった。