弐九
(誰かが、泣いてる……? いや、水の音か……)
『――真、斡真……』
(誰だ、俺を呼ぶのは……今、イイトコなんだ、やっと眠れたんだ……
ホント、眠くて、眠くて……)
『斡真、そんな所で寝てどうするんだ?』
(そんなトコって どんなトコだよ……大体テメェ、誰だコラァ……)
『長生きして、優しい人になるんだろ?』
(優しい、人――)
『ココで終わるのか?』
(長生きさえしてりゃ、俺みたいな出来損ないでも、優しい人ってのになれるって……そんな事、思ったっけな……
でも俺はもう、少しの力だって出せねぇんだよ……ゲームオーバー……)
『お前を待っている人がいるのに?』
(いねぇよ、そんなヤツ……)
『思い出してごらん』
(あぁ、やっぱり、誰かが泣いてる……ソレから、親父は何て言ってたっけ……)
『自分で決めた事なんだ、兄チャンが見てなくたって、もう大丈夫だろ?』
「――兄貴……?」
「斡真!!」
「――!?」
刮目。
斡真は両手でバシャバシャと水を掻き、頭を上げると激しくと咳き込む。
どうやら水は飲んでいない様だ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……
ャ、ヤベぇ、死ぬ、死ぬトコだったッ……って、な、何だ!? 由嗣!?」
いつの間に引き返して来たのか、目測の位置に由嗣がいる。
だが、再会を喜んでいる暇は無い。
膝の高さだった筈の水位は顔の半分が隠れる程に増し、荒波の如く水飛沫が舞っている。まるで大海原だ。
「斡真! ロープが引き戻されてる! 時間が無い!」
「見つかったのか!?」
「ごめん、駄目だった、もう引き返すしか無い!
小金井サン、薫子チャン、絶対にロープを放さないように泳いで! 斡真も早く!」
結局、湯津津間櫛は見つからず仕舞い。
斡真の到着を待った由嗣達だが、ロープが強引に引き戻された事でタイムリミットを察知したと言う訳だ。
手ぶらで戻っては国生との契約は不履行になるが、貫通扉を閉められでもすれば、ソレこそ阿鼻叫喚。口惜しいながら、斡真は踵を返す。
(何でこんな時に呑気に夢なんか見てたよ、俺ぇ! アホか俺ぇ!
つか、どんな夢かも覚えてねぇけども!)
斡真は右肩を見やる。
(でも、誰かに揺り起こされたような……由嗣、だったんかな?)
夢の副産物か、右肩に残る懐かしい掌の感覚。
だが、今は引き返す事に専念しよう。
斡真は呼吸を取り戻し、ロープを片手に握って水を掻く。
然し、水位は上昇し続ける。
「うあッ、」
大波に体を揺すられ、全員揃って水中に飲み込まれる。
水を掻けど掻けど浮上できない。
(いつの間に底無しだよ!? 誰か、足を掴んでやがるッ、)
足元を見やれば、泥煙に塗れて見える骨ばった手・手・手。
(ヤツらが目覚めやがった!!)
水底から生える無数の手が、一同の足を掴んで底へ底へと引き摺り込もうとしている。
この儘では一網打尽にされてしまう。
斡真はロープを手放し、異形の手を蹴り飛ばしながら、薫子と小金井の足元へと泳ぐ。




