第97話 思い出せない理由
自室に戻った徒人は布団を敷いて寝ようとしていた。こっちの世界に来てから夜が早くなった。夜更かしする理由もないし、昼間の戦闘で疲れているのが主な原因だろうが。何もなければそもそも起きてる理由はない。ここは自分たちが生きていた文明社会ではないのだから。
「ご主人様、今入ってよろしいでしょうか?」
「別に着替えてないから入ってきても大丈夫だ」
その言葉に答えてドアを開けてアニエスが部屋に入ってきてドアを閉めて防音結界を張る。重要な話をするつもりなのは話さなくても分かった。
「どんな話だ?」
徒人は起きている為に土色の壁に持たれる。こうして居ないと寝てしまいそうだからだ。アニエスはドアの隣に腰を下ろして体育座りをしている。
「ご主人様も分かってると思いますが魅了を防げるようになると言う事はサキュバスと、フレイア様と戦えるようになる事を意味します。どうしますか?」
徒人はその一言を聞いて眠気が吹っ飛んでいく。
「トワは許してくれるのか?」
それが一番の気掛かりだ。復讐を果たすのは構わないが殺すのは抵抗がある。復讐も大事だがトワに嫌われたら元子もない。
「自分に1つ考えがあります」
「考え? どんな?」
徒人はろくな考えじゃない事を祈った。
「聞いた限り、サキュバス様は、フレイア様はもう少しマシな方だった筈です。ここ数年間は部屋から出てこないおかしな状態になってしまいました。真実の鏡と言う人を、この場合は対象を正気に戻す道具がありますがそれを使えば本気でやったのか或いは正気を逸しているのか判断が付くかと」
「正気じゃなかったらどうするんだよ」
「殺して蘇生させます」
アニエスは問いに真顔で答えた。徒人は自分が呆れているのを自覚した。
「じゃあ、正気だったら?」
「その時は殺してそのままです。我が軍の方針に公然と反対して懐柔対象であるご主人様を殺しかけるのは反逆行為と言えるので。大問題は我が軍でまことしやかに囁かれて居る事が真実だった場合です」
アニエスは淡々と語る。だが額を一筋の汗が流れ落ちた。
「その囁かれている事は何なんだよ?」
「取り敢えず、真実の鏡を使って判別しないと事情を言えません」
徒人は呆れたので壁から離れて布団の中に潜り込もうとする。
「話す気がないなら出て行ってくれ」
そして仰向けになって天井を見つめる。
「それはまだ言えません。でもこの推測が当たってた場合は恐ろしい事態になるかもしれません。だからご主人様は自分たちの思惑とは別の所に居て欲しいと思っています。虫のいい話ですが南の魔王軍で政治的意図がなくて復讐と言うお題目があるご主人様には関わって欲しくないのです」
アニエスは普段見せない暗い顔で話を続ける。
「肝心な部分を言わないのか? ミステリーで途中で真犯人に殺される人じゃないんだから言わないのはやめろよな」
「よく分かりませんが言える範囲でご主人様には言っておきます。嫌な事をいいますがサキュバスとの時の事を覚えてますか?」
「そんな事は忘れる訳が……サキュバスの顔が思い出せない。具体的に何をされたかも。トラウマのせいかもしれない」
思い出そうとしてサキュバスの顔が出てこない。徒人はその事実に驚愕とする。理由は付けることは出来るが記憶にないのだ。思い出せないのではなくてそこだけ穴の空いたようにすっぽりと抜け落ちていた。
それが底知れない恐怖を感じる。その部分だけがどうしても思い出せない。
「確かに心的外傷や魅了の影響もあるでしょう。でももしそうじゃないとしたら話が変わってきますよね?」
「どういう事だよ。ハッキリと説明してくれ」
徒人は起き上がってアニエスに詰め寄る。そして肩を掴んで揺さぶってみた。だが反応は薄い。
「確証がまだないんですよ。でも自分の考えているとおりなら根本から話が変わってしまう」
アニエスがミステリーに出てくる探偵みたいな事を口にしている。こっちはモヤモヤする。
「俺に関してか?」
「違います。この想像が当たってたらご主人様だけの話ではなくなります。……この大陸の命運すら揺るがす事になるかもしれせん。取り敢えず、殺すよりもまずは真実の鏡でフレイア様がどういう状態かハッキリさせませんと話はそれからです」
徒人自身が考えてた話とは方向がドンドンずれていっている。仕方ないので肩を掴んでいた両手を離す。
「最初の発言と違うぞ」
最初の転職の時の会話を思い出しつつ徒人は問う。
「はい。それは謝ります。それで話の続きですが自分はあんまり会った事がないので今日一日掛けてフレイア様の事を調べてみたんですがやっぱりここ数年の様子が変なんですよ。行動がらしくなかったり、最近は、先程の話と重複しますが引きこもっていて食事すら摂らず人前に姿を殆ど見せた事がないとか色々と不審な点があります」
「例えばサキュバスとは思えない行動を取ったりか」
徒人は自分で言ってて心が冷えていくのを感じる。思い出したくない。心が拒否している。だがアニエスの言ってるとおりだとするとそれすらも事実かどうか怪しくなった。
「そうですね。取り敢えず、ご主人様は精霊の雫のついでに真実の鏡を作ってきて下さい。作り方は祝詞様の代わりに来る助っ人が知ってるので彼女に聞いて下さい」
「強いのか?」
「折り紙付きの実力者ですから大丈夫ですよ。それに祝詞様もすぐに復帰するでしょうしちょっとの間の辛抱ですよ」
アニエスは今までの真剣な表情とは違い、追求されたくないのか半笑いで誤魔化していた。




