第94話 とんだローマの休日
蛍光塗料なのか光るコケなのか淡い光の中、広い空洞に出た。河らしき土手の跡にボロボロになった建物の痕跡や舗装道路の残骸が辛うじて見て取れる。明らかに徒人たちが考える異世界とは別の景色。どっちかと言うと現代に近い感じがした。周囲には西洋風の庭園や教会らしき名残も見えた。
それは何者かに保存されていたかのようにも思える。
「ここは何?」
祝詞が声を絞り出して驚きを表現する。
「近代と言うか、リーダーや神蛇さんたちにとって現代と呼んでた世界?」
彼方は周囲を見渡す。祝詞を見ると手が震えていた。
「多分、俺の居た頃とも変わらないと思うよ。10年ではね」
和樹はショックを受けながらも冷静さを保っていたように見えた。
「隊長さん、教会跡の方に移動するけどいいよね?」
終が確認するが祝詞は頷くのがやっとそんな印象を受ける。それを承認と受け取って終は教会の方へと移動し始めた。
「行こう」
徒人は祝詞を促す。それに応じて彼女はようやく歩き出す。十塚も察したのか、徒人の反対側で策敵しながら祝詞を補助する。
数分もしないうちに教会跡らしき壁と材質は分からないがアクリルケースを思わせる透明なケースに入った巨大な人の顔があった。その顔には徒人も見覚えがあった。
「真実の口」
終が呻くように呟く。ローマの観光地にある有名なやつか。勿論、画像でしか見た事ないけど。
「ここはイタリア半島なのか。当方、初めて来たよ」
彼方は保存目的と思われるケースを覗きながら暢気な事を言っていた。正直、本当に観光客にしか見えない。
「お二人は冷静ですね」
徒人はカマをかける為に終と十塚に振ってみた。
「だんだん慣れていく。良くも悪くも。ここがいつだろうと」
十塚は周囲の警戒と祝詞の面倒を同時に見ながら答える。
「ありえない! どうしてこんな事になってるの! じょ、冗談でしょう! 幻影か何かよ! どうして貴方たちは取り乱さないの? 状況分かってるの!」
混乱し始めた祝詞が騒ぎ立てる。正直、徒人も北極星と北斗七星の話を彼方から聞いて居なかったらパニックになっていたと思う。
「祝詞、取り敢えず深呼吸してくれ。何が居るか分からないんだから」
徒人は宥めようとするが効果はない。彼方は真実の口の隣に立ったままで様子を見て和樹はなるべく考えないようにしてるのか押し黙っている。
「こんなのは……」
祝詞が更に続けようとした途端、終が平手打ちをした。
「落ち着けとは言わんよ。でも敵陣のど真ん中である可能性は忘れては居ないよね?」
祝詞は平手打ちを受けた事で冷静にはなったのか黙って噛み付きそうな視線で終を睨んでいる。
徒人は終と十塚と祝詞の反応を探って居る。
「数年生き残ったベテランには割りと流れてる話だからね。ここが異世界じゃなくて地球だって話は──」
十塚が徒人の視線に気付いて話し出す。
「知ってるのなら説明してくれないかな。私には理解が出来ない」
徒人は彼方と視線が合う。他のメンバーはそれぞれ黙り込んでいる。特に和樹は確証がないのか頭を掻いてため息を吐く。
「始まりはみんな同じ。違和感らしい。ある者は死んだ筈の者が生きてたり、建造物だったり、色々」
十塚が周りを見渡しながら言葉を紡ぐ。徒人は違和感を覚えなかった自分を恥ずかしく思いつつ鼻の頭を掻く。と言うか、トワの事で頭がいっぱいだったので和洋折衷もゴチャ混ぜ状態も気にしてなかった。
「それでね。確かめてると疑惑が核心に変わっていく。一番分かり易いのは夜空だよ。具体的に言うと北極星と星座。例え異世界でも別の星でも星座の配置がほぼ変わらないなんてあり得ない」
淡々と語る十塚に段々真っ青になっていく祝詞。徒人を含め他のメンバーは口を閉じていた。
「みんなは知ってたの?」
祝詞は全員の顔を見た。知ってたのなら教えてくれてもいいじゃないかと言わんばかりに怒っている。
「彼方に星の話をするののついでに教えてもらった。それまでは変だなとしか思わなかった」
「俺はアニエスに聞き倒して最近教えてもらった。でも触りだけで詳しい事は聞いてない」
徒人に続いて和樹が答えた。彼方の推測通りだった。
「彼方、貴女はどうやって知ったの?」
祝詞の視線が彼方で止まる。
「初日に星を見て怪しいと思った。前のと言うべきか、いや、当方の居た時代だと星をゆっくり見る暇がなかったから喜んで星を見てたら気が付いた。酷くがっかりしたような得したような複雑な気分だったけどね」
祝詞は納得したのか、視線を終と十塚に移す。
「うちは答えたくない。未だにいまいち信じてないんよ。ほら話だったらいいと思ってる」
「小生はこの世界と言うか、この時代に来て4年目になるからさっきも言ったとおり慣れた。そして疑ったキッカケなんか忘れた。生きる為にはそんな事は一々覚えてられない」
つまり、2人は言いたくないと言ってるように聞こえた。
「どうやらここを見てしまったようだな」
その男か女かすら分からないボイスチェンジャーで変換したような声に徒人たちは慌てて周囲を見た。真実の口の奥から聞こえてくる。慌てて奥へ崩れ落ちた教会跡の隣を抜けて噴水跡に出た。そこに全身をマントに覆い隠し、死神を連想させる白い仮面を被って鎌を持った人物が立っていた。
「死神?」
彼方が素早く長船兼光を抜き放つ。和樹は詠唱に入っている。
「お前が死神勇者か?」
十塚が短剣を構えながら問う。
しかし、徒人の心には疑問が生じる。神前早希に岳屋弥勒。勇者と呼ばれた者たちはいずれも独特の雰囲気を纏っていた。顔も姿も隠しているのでハッキリと断言する事は出来ないがこの人物は違う気がする。
「丁度、憂さ晴らしがしたかったのよ!」
祝詞が薙刀を持っていた。かなり冷静さを欠いている。
想像以上に拙い。交戦するよりも逃げた方が得かもしれない。徒人がそんな事を考えていたら死神の目が赤く光った。
「みんな、奴を見るな!」
終が叫ぶと同時にみんなを庇うように最前列に出てノートゥングを盾代わりに構える。
「邪眼!」
ボイスチェンジャーで変換された声が響く。クソ。咄嗟に目を逸らしたがそれでも体が動かない。麻痺か? 魅了か? でもこの感覚には覚えがある。サキュバスに睨みつけられた時の感覚。それを思い出すと怒りが湧いてくる。
徒人は目だけを動かしてパーティメンバーの様子を探ろうとするが全員動けないようだ。
「さらばだ」
死神が噴水の石を蹴ると同時に徒人たちの足元が光りだす。
「テレポーターか」
十塚の声には焦りが滲んでいた。石の中とか言うネタか。洒落にならないぞ。
徒人が叫ぼうと思った瞬間、現代ローマと思しき街並みと噴水と死神の姿は原型を留めないほど歪んで消えた。いや徒人たちがこの場から消えたのだ。




