第87話 飲み過ぎには注意
慌てて徒人が部屋を出て階段を降りる。階段と廊下の繋目で一瞬止まってから玄関の方を見た。
祝詞と彼方の前に玄関で下半身を土間に残して上半身だけ式台の板に置いて倒れている終と和樹。それに玄関に立っているが疲れきった様子のアニエスが居た。頭の後ろで髪を纏めて普段のメイド服ではなく冒険者みたいなパンツルックで目の下にはクマが出来ているように見えた。
「何があったんだ?」
なんとなく分からなくもないがハッキリさせる為に徒人は聞いてみた。
「ご主人様、お察しの通り、剣峰氏に酒場に連れて行かれただけですよ。ただ朝まで帰れなかっただけです」
アニエスは和樹の脇の下に両腕を通して彼を抱えて廊下を台所の方へと歩いて行った。小声で徒人に良かったですねとだけ告げて。
「うぅぅ、酒臭ぁ。当方、煙草と酒の臭いだけは大嫌いなんだよな」
彼方は左手で鼻を摘んで顔を逸らす。
確かに終から臭うアルコール臭は酷い。しかも意味不明な独り言を言っている。単語からすると元の世界での話なのだろうか。
「私は慣れてるけどさすがに酔い潰れてるのはね……この人、どうしよう。運べないんだけど」
祝詞が徒人を見る。言いたい事は大体察せる。
「俺1人ではやだぞ。手伝ってくれ」
徒人と同じくらいの背丈の終を運ぶのは骨が折れる。2人をアニエスが1人で運んできたのならどうやったのか聞かせて欲しいくらいだ。
「仕方ないな。私が手伝うから台所で水でも飲ませよう。彼方は風呂場から桶を持ってきてくれるかな」
分かったと言って彼方は風呂場の方へと廊下を走って行った。廊下で吐かれたら溜まったものじゃないと思っているのだろうか。気持ちは分かるけど。
「そっちを持って」
徒人は終を右側から持ち上げる。人間は重い。
祝詞も無言で左側から終を抱える。そして2人で終を台所へと進んでいく。
台所に辿り着くと椅子に座らされた和樹にアニエスが湯呑みで水を飲ませていた。その様子が姉弟みたいと言うか、夫婦みたいと言うか、なんか見てると悲しくなってくる。対処と対応が普通だからか。
「一旦、式台に寝かせよう」
祝詞の指示に土間である台所と隣の部屋の境目にある式台に終を寝かせる。
「重たい。酔っぱらいはこれだから嫌い」
祝詞は冷ややかな言葉を終に投げかける。言われた当人は「もう飲めないよ」などと寝言を言っている。レオニクスの時みたいに終がスパイならこんな風に無防備になるだろうか。勿論、酒の席に出た事のない徒人には判断となる基準がない。
最近で見た事があるのはトワが本気で酔い潰れていたくらいだ。なので比較対象が少なすぎて全く参考にならない。
「これ、演技じゃないよな?」
徒人は祝詞に耳打ちする。
「どうだろう? 私も女性の酔い潰れたところは見た事がないから分からないよ。祭事の後で酔っ払ってるおっさんどもは割りと見てるんだけど」
頭の回転が速い祝詞は徒人の真意を理解したみたいだったが彼女にも判断がつかないようだった。
「水持ってきたよ」
彼方が桶に水を入れて走ってきた。桶から水しぶきが飛んでいる。たまに彼方はよく分からないボケをかますなと徒人は笑い声を漏らす。
「桶だけでいいよ。水は必要ない」
祝詞は割りとキツイツッコミを入れている。2人に何があったのかは知らないがお互いに遠慮がなくなった気がした。
「え? そう」
彼方はバツが悪そうに水の入った桶を抱えている。
「折角持ってきてくれたのですからこっちで使います。顔を洗ってもらったら少しは変わるでしょう」
アニエスはどこからかタオルを取り出してから彼方から水の入った桶を引き取って和樹の前に差し出す。
「師匠。取り敢えず、顔を洗いましょう。吐きそうだったら洗い場に吐いて下さい。もう少ししたら二日酔いの薬を持ってきますので」
アニエスは和樹を促して顔を洗わせていた。
「あ、徒人ちゃん、水くれないかな。つーか、1人で飲みに行くなんて酷いぞ」
徒人は起きた終と視線があった。そして自分が露骨に嫌な表情をしていたのが分かった。
「予定があったから出かけただけです」
嘘は言ってない。だが隣に居た祝詞の視線が微妙に鋭い気がする。彼方は入れ替わりに式台に座る。
「つれないな。女だろう? 女なんだろう?」
起き上がった終が徒人に向かってくる。無意識に構えてしまう。決して間違っていないのが辛い。
「ほら、吐くの……うっ!」
終が手で口を抑えて慌てて洗い場へ走って行く。徒人は目で終の動きを追ったが彼女が吐き始めた瞬間に目を逸らす。
「うぇ。気持ち悪。さすがに飲み過ぎたかも。うっ!」
終は一度吐いたせいで耐えられなくなったのか、そのままずっと吐いている。彼女はスパイじゃない気がする。
結局、アニエスが持ってきた二日酔いの薬を飲むまで終は洗い場から離れる事が出来なかった。




