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第86話 久しぶりのパンとジャム

 結局、アニエスの帰ってくるなの伝言もあって徒人は黒鷺城で一晩過ごす羽目になってしまった。別にトワと過ごすのが嫌ではないのだが夜中にトイレに行くのにも着いて来られたら堪ったものではないし、自分の分身が元気だったら余計な事を考えなくて済むのだが──

 黒鷺城のテラスで、この間、トワが吐いたテラスで朝食となった。初夏を迎える朝にしては涼しくて気持ち良い風が吹く。その風で庭園の草木が揺れている。

 メイドたちがテーブルの上にオレンジジュースらしき液体の入ったポットとコップ、焼きたての山型食パンを乗せた皿とガラスの器に入ったジャムを置いていく。フランスパンみたいなパンが出てくるかと思っていたのだがこういう所を見ると魔族の方が文明が進んでいる気がする。

 ガラス製らしきコップにオレンジジュースらしきオレンジの液体を注いでメイドたちは後ろに下がった。


「どうしましたか? わたしがヘベレケになって吐いた件なら忘れて下さい」


 隣りに座るトワがモジモジしながらナイフで焼きたてのパンを切る。


「忘れてますから。こういう場合、普通は対面に座りますよね? どうして隣なんですか?」


「何を言ってるんですか。徒人のお世話が出来ないじゃないですか」


 トワはちょっと怒りながら徒人用と思われる皿にパンを置く。


「それはそうですが全部やらなくても大丈夫ですから」


「パンの厚さは大丈夫ですか? あとそのアプリコットジャムはわたしが一から作ったものです。甘過ぎたらごめんなさい」


 徒人は言われて切られたパンの厚さを見る。市販の食パンで言うなら6枚切りくらいの厚さだ。本当は薄い8枚切りの方が好きなのだが文句を言っても仕方ない。それに折角切ってくれたトワに文句を言うような事じゃない。


「アプリコットジャムの味はまだ分かりませんけど、この厚さで別に問題ないですから」


 徒人は手近にあった銀製のスプーンを使ってアプリコットジャムを山型パンの一面に満遍なく塗っていく。バタースプレッダーが見当たらないので仕方がない。


「ではご馳走になります」


 一言だけ言って山型パンをかじった。杏の甘い香りと過剰過ぎない甘みが徒人の口の中に広がる。この世界に来て初めて美味しいと思ったパンだった。


「当然です。人が食べられるように変なのとか髪の毛とか入ってませんから」


 黙々と食べる徒人に笑顔を向けながらトワが言った。普通の意味だろうが凄く食べ難い。仕方ないのでコップに入ったオレンジジュースらしきに手を付けてみる。味は多少変わっているがオレンジジュースいやミカンで出来たジュースみたいだった。少々薄いが普通に飲めるレベルだった。


「そのジュースはミカンと言う果物で作ったんですが普通に食べるには甘みが足りなくてジュースにする為に冷凍すり潰したら今度は薄くて失敗してしまって、お口に合わなかったですか?」


「これもジャムもジュースも大丈夫です。指摘の通り、ジュースが薄いような気もしますが問題ないと思います」


 徒人の言葉に正面に居たメイドが身じろぎした。それに違和感を覚える。


「それなら良かった」


 トワの言葉にそのメイドが再び体を揺らすが徒人は気に留めずに話を切り出す。昨日の夜から気になっている事だ。


「ところでアニエスの連絡は何だったんですか? かなり気になるんですが」


「ハッキリ言って分かりません。あれから連絡がないので。ですがそう簡単に殺されたりするような奴ではないので大丈夫でしょう」


 トワの態度は他の部下たちに比べて雑な扱いだった気がした。山型パンの片面に素早くアプリコットジャムを塗りつけて食べ始める。

 徒人も山型パンの残りを食べながら考えた。確かにアニエスはハッキリ物を言う傾向があるのでそれでトワに嫌われる可能性はある。アニエス自身が言うのが忠誠だと思っている節があるから余計にトワの反発を招いているように思えた。


「取り敢えず、早めに戻ります。部屋が燃えてたとか笑えませんから」


「そうですか。転移陣の安全確認だけしたら戻るのがいいかもしれません」


 見れば転移陣の方で使用人たちが集まって何かを行っていた。徒人はそれを見ながら山型パンの残りを食べてしまう。2枚目の山型パンを取り、スプーンでアプリコットジャムを乱雑に塗っていく。


「あれが安全確認ですか?」


「はい。監視用に人が通れない覗き穴が別にあります。それを使って向こうの様子を確かめています」


 だが徒人にはトワの態度が妙にあっさりなのが気になりながらも2枚目のパンをかじって、みかんジュースで流し込んでいく状態を繰り返す。こんなに慌ただしく朝食を食べるのは元の世界で遅刻しそうになった時以来だ。

 コップにみかんジュースがなくなるとメイドの1人がやってきて徒人のコップに追加のみかんジュースを継ぎ足す。


「なるほど。1つ聞きますが今朝はどうしてそんなにあっさりなんですか? もう少し居てくれとか言われると思っていたんですが」


 徒人は2枚目の山型パンを食べ終えて聞いた。

 トワは自分のコップに入っていたみかんジュースを飲み干す。


「それは徒人と朝食を食べられたので今回はそれで我慢すべきかなと思っただけです」


 トワの顔全体と横に倒れている耳の先まで真っ赤になっていた。そして小さな声で「これ以上の我が儘は次の機会に言えば」などと口走っている。

 徒人はそれを見て口直しにみかんジュースを飲み干した。


「じゃあ、そろそろ行きます。ご馳走様です」


 徒人は椅子から立ち上がる。


「それだけで足りるんですか?」


「朝はあんまり食べませんので。強いて言うなら昼に多めに食べるから朝はこんな感じかな」


 トワはメモでも取り出しそうな勢いで真剣な様子で聞いていた。


「覚えておきます。いってらっしゃい。気をつけて」


「行ってきます」


 徒人はトワに手を振って中庭にある転移陣へと歩いて行く。トワもそれに答えるように手を振り返す。

 転移陣に入ってすぐに自室に着いた瞬間、祝詞と彼方の悲鳴が聞こえた。

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