第85話 恋愛には命賭けます 後編
トワの目に宿った光は本気だった。流石に死なないとはいえ、余り嬉しい話ではない。
「一番手っ取り早い方法で行きましょう。でも始める前に質問が。その魔法を食らって確実に死ぬんですか? あとその人形はなんですか?」
拒否しても良い予感はしなかった。ならトワの思う通りにやらせてしまった方が早いのではないかと思う。
「死神と言う一番ポピュラーなので行きます。最大限抵抗してもらえば死んだりしません。そこに置いた人形はわたしが趣味の裁縫で作った特製の徒人人形です。徒人に似てますよね?」
徒人がよく見ると寝間着は当然として顔のほくろの位置まで再現されていた。
トワは奇妙な細工を施された石を渡し、徒人の首に何かを掛ける。手にとって見ると人形のお守りのように見えた。
「特製徒人人形はなんか逆に呪われそうなんですが……」
「それは身代わり人形とか代わりの魂です。最悪の場合でも即死を防ぎます」
トワは徒人の一言を無視して説明を続ける。その瞳は怒っているように感じた。
「ちょっと待って下さい。即死魔法は跳ね返されたら死ぬんじゃ……それだとトワが死ぬ可能性が」
そこで徒人は和樹が言っていた言葉を思い出した。即死魔法は跳ね返されたら術者が死ぬ事を。
「その対策にフィロメナを連れて来ました。わたしだって徒人にだけ命賭けさせる訳にはいきませんから」
トワが親指を立てる。徒人はフィロメナを見たが言われた当人は眉毛をへの字に歪めている。
「跳ね返ってトワが死んだら俺が辛いですよ」
「第一、いつも命を賭けてる徒人に対してわたしが命賭けないのはフェアじゃないです。死んだりしませんよ。今日はこれの為に準備したんですから対策は万全です。徒人は遠慮なく跳ね返して下さい。じゃないとわたしが困ります」
トワが首元を弄って徒人が付けさせられたお守りを見せた。その数は3つ。彼女の左手には石が握られている。
「重装備なんですね」
トワの姿を見て十字架にパワーストーン、お守りに数珠を節操なしに付ける人を連想してしまう。
「はい。じゃないと徒人が遠慮なしに跳ね返せないじゃないですか」
「そうですね。抵抗するには気持ちを強く持てばいいんですか?」
「はい。気持ち悪いのを出しますからそのつもりで心構えをしておいて下さい。最悪の場合はわたしも後を追いますから」
トワの声に不安を抱く。つーか、後追いしてどうするんですか。
「魔王様、後を追うよりも蘇生して下さい。それで解決しますので」
見かねたフィロメナがツッコミを入れる。
「気持ちの問題です。気持ちの。徒人、いきますよ。闇の奥深くより来たりし者よ。眠りを司りし神よ。我らを阻みし者に安寧と拒みがたき安息を。故に貴方の名を呼ぶ。《死神!》」
トワが詠唱を続けていく度に彼女の周りに闇が集まり、得体の知れない影のような存在が纏わりついていく。そしてそれは怨霊となって魔法の発動と共に徒人に襲い掛かった。
徒人はその怨霊たちに纏わりつかれながら体中から這い上がってくる得体の知れない感覚に襲われる。吐き気、金縛り、死。終から鏡を取り上げた時の感覚と似ていた。
「気持ち悪い! 近寄るな!」
徒人はありったけの力と気合を込めて叫んだ。
徒人を襲っていた負の思念体はトワに跳ね返ってそのまま彼女を包む。身体の殆どを黒い霧に包まれてその姿が見えなくなった。
「トワ!」
徒人は椅子から立ち上がって駆け寄ろうとしたがトワ自身が黒い霧の中から右手を見えるように突き出して拒否する。
「徒人様、魔王様に触れてはいけません。貴方様まで巻き込まれます」
フィロメナが動かずに叫んだ。徒人は唇を噛んで様子を見守る。何かが弾ける音が3回続いた後、黒い霧が霧散してトワの姿が見えるようになった。
「大丈夫か?」
徒人は慎重にトワに近付く。呼びかけても返事がない。何かを呟いているように唇が動いている。
「《ターンアンデッド!》」
顔を上げたトワはいきなり徒人に向かって触れて浄化魔法を使う。徒人は光りに包まれて目が眩む。数秒経って視力を取り戻して問う。
「トワ? 正気だよな?」
徒人は近寄らないで話しかけてみる。RPGとかにおける混乱状態と言うか錯乱しているのだろうかと思いつつトワを観察する。彼女は徒人をジッと見つめている。そして首から下げていたお守りは全部砕けていた。
「正気ですよ。徒人が受けた攻撃の感覚を確かめるのとは別にもう1つ証明しておきたい事がありました。この間も言いましたが徒人! 貴方はちゃんと生きてます。ゾンビとか死霊の類じゃなくて。生命として。それを証明したかったんです。悩んでたでしょう? でも間違って効いたらどうしようかとちょっとビビってました」
「サラッと恐ろしい事を言わないで下さい。でもそれだけ喋れたら大丈夫ですよね?」
「はい。夫婦なら痛みも分かち合うものですし」
そこでようやく気を許したのか、トワは笑顔になった。だが石を握っていた左手は弾けた時に破片が突き刺さったのか血が出てていた。
徒人はトワの手に刺さっていた破片を引き抜いてから回復魔法の詠唱に入る。
「清浄なる光の下僕たる神蛇徒人が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
トワの左手の傷から流れ出ていた血が止まり、見る見るうちに傷口が塞がって完治していく。
「自分で治すから誰かに治してもらう感覚は不思議なものですね」
妙に満足気なトワが楽しそうに言う。
「トワ、今度から何かする時は言ってくれ」
「言ったら構えられるじゃないですか。それより攻撃を受けた感覚は似てましたか?」
トワの返答に徒人は1つの可能性に行き当たった。
「これに近いものでした。……ん? それは最初からターンアンデッドを使う方が本命だったんですか?」
徒人は右手でトワの頬をつねりながら聞く。
「痛ひでしゅよ、徒人。確かに謝りまひゅけど、大事なこひょじゃないでしゅか」
考え方の方向性はおかしいが取り敢えず自分の為に行動してくれたのは確かなのだから責めるのはどうかと思って徒人はトワの頬を抓っていた手を離した。
「分かりました。疲れたので帰って寝ます」
気を抜いたら一気に疲れが押し寄せてきた。自室に帰りたい。その思いで食堂の出口へ向かって歩き始めた途端、鉛のように体が重くなる。
「帰る場所はここ黒鷺城のわたしの寝室じゃないんですか?」
徒人が振り返るとトワが腰にしがみついている。
「毎夜毎夜居なかったら怪しまれますから」
「あっちに居た方が危ないじゃないですか」
痴話喧嘩と言うか、トワとの押し問答が始まってしまう。
「ん? 特製徒人人形君が破けてますね」
ふと目をやった長テーブルの上に置かれていた徒人人形の頭が破れていた。多分、爆発で飛散した欠片を食らったのだろう。
「え? ぎゃああぁっああああ! 徒人が! 徒人の人形が!」
トワが叫んだ。徒人の腰から彼女の両手が離れた。
「また作るしか無いですね」
今の内に逃げようとしたら徒人はトワに背後からがっちりと胴体を抱きしめられてしまう。強くなった筈なのだがやはり本気で抵抗しないと外れないようだ。純粋にレベル差か。本気を出したらふり解けるかもしれないがトワに怪我をさせるかもしれない。
「最近、これがないと寝れないんです。良いですよね? 徒人!」
妙に目の据わったトワが懇願する。しまった。作戦失敗だった。残らなきゃいけない理由を与えてしまったような気がしてきた。
徒人は腕の隙間を使ってなんとか体を反転させて側近2人を見る。勿論、助けを乞う為だ。だがカイロスやフィロメナは視線を逸らしている。
「もしかしてここまで計算ずくですか?」
徒人の喉から出てきた声はまるでロボットみたいだった。
「そんな訳ないじゃないですか。あ、あとアニエスから連絡があって、ご主人様、今夜は危険なので帰ってくるな。朝は食べて帰ってきてくれと連絡がありました」
トワは天使のような笑顔を浮かべている。でも徒人にはそれが一番魔王として相応しい笑みに見えた。
徒人はアニエスに何があったのだろうと思わずには居られなかった。




