第78話 死神勇者の影
終と十塚の実力を見せてもらったので徒人たちは水の回廊から出てきた。空を仰ぐと日は西へと傾いていた。石造りの建物の影も長く伸び始めている。
濡れネズミ状態の祝詞は和樹の魔法と言うか、アスタルテから借り受けたウインドロッドから生み出した風で乾かしたのだがやはり完全に乾く訳もなくベトベトに肌に張り付いた巫女装束と袴がエロい。これで街中を歩くのは酷い気もしなくもないが意外な事に市民たちは気にしていなかった。稀人たちがずぶ濡れなのはよくある事なのだろうか。
「水の回廊が今ひとつ人気がない理由が分かった。こんなザマになるとは」
祝詞が思いつきで行くんじゃなかったと悪態を吐いている。
「ドライヤーも何もないからね」
彼方がニヤニヤしながらツッコミを入れていた。ブーツの件でやり返しているらしい。徒人も右手で自分の頭部に触れてみる。直接濡れた訳でもないが湿っている。
祝詞は面白くないと言わんがばかりの表情を浮かべていた。
「ウインドロッドは魔術の才能ない人間でも使えるのね」
空気を変える為か、終は祝詞が和樹からウインドロッドを又借りして自分を乾かしていた事について語り出す。
「基本的にあれは魔素がないと、魔法の才能が少しでもないと使えませんよ」
「ふむ。逆に言えば、隊長さんは風の魔法を使う才能があるって事か」
和樹は無警戒なのか無警戒のふりなのか終とは普通に話している。もっとも変に和樹には探りを入れさせるよりも普通にしてもらった方がボロを出すかもしれない。あくまで可能性の話だが。
「そう言えば、本職にはなれないけど多少は使えるって教えてもらったな。一回陰陽師になっておくか」
「それだとちょっと楽になるね。攻撃手段が増えるから」
「なんか今日は突っかかってくるわね」
祝詞が彼方を睨みつける。
「気のせいだよ。ねえ、神蛇さん」
彼方がニヤニヤしながら徒人に振ってくる。
「……聞いてなかった。なんて?」
悪いが巻き込まれたくないので聞いてなかったふりをする。祝詞は少し口元を緩めていた。代わりに彼方は瞳を細めて面白くなさそうな表情だ。
「剣峰さんは強いんですね。盗賊系しか経験した事ないから小生はビビってしまいました」
「そんなに褒められると困るわ。うちなんか大した事ないよ。勇者とか言う人達に比べたらね」
喧嘩が始まりそうだと思ったのか、十塚が終を持ち上げるような言葉を紡ぐ。
「でも上級職ってそう簡単にはなれないでしょ」
「なるだけなら簡単やね。なるだけなら。基本をしっかりして中級職へいかないと上級職になってもどうにもならんよ。ゲームじゃないんやし。それに神蛇君と刀谷さんなら今すぐに上級職になっても遜色はないと思うよ。後衛の2人はうちは後衛じゃないから詳しい事は言えないけど上級職にいける下地はあるんじゃないかな」
祝詞のツッコミに終はこっちのパーティメンバーに関して的確に見ていた。実力を把握する為に行った水の回廊だが逆にこっちが彼女の査定を受けていたような気分にさせられる。さすがに今まで生き残ってきた歴戦の勇士と言うべきなのか。
前方の方が何だか騒がしい。市民たちが野次馬となって教会みたいな建物の前に集まっている。建物の上の方を見ると人が、豪奢な服を着た中年男性が貼り付けにされていた。
「バルカ様が殺されるとはな」
「双子の勇者の呪いじゃないのか?」
「馬鹿馬鹿しい。奴は倒されたんだから別の奴だろう。ほら、別の勇者じゃないか」
野次馬たちが皆それぞれ適当な事を言っている。
「別の勇者って何?」
祝詞が声を低くして聞いてみる。まるで少年みたいな声だった。全員が黙ってそれを見ていた。聞き出せるのならそれに越した事はない。
「なんだ。坊主、知らないのか。死神勇者とか言われてる奴……」
野次馬の最後列に居た市民の1人である気の良さそうな浅黒いオッサンが説明しながら徒人たちの方に向き直ってそこで硬直した。余計な事を言ってしまったと顔には書いてある。
「おじさん、教えてくれない?」
バレたのにも関わらず、祝詞は少年声で続ける。
「最近、戻ってきたらしい勇者さ。暗殺者みたいにお偉いさんを殺して回ってるから付いたあだ名が死神勇者だとさ。衛兵たちには俺が言った事は言わないでくれよ」
浅黒いオッサンは舌打ちして目の前に居た祝詞と徒人たちに辛うじて聞こえる声で言って正面へ向き直った。
「死神勇者ねぇ」
十塚が胡散臭そうに呟く。
「死神勇者とか言うのに心当たりがあるんですか?」
「全然。小生が聞いただけで幾つもバージョンがあるからね。夜中に死んだ勇者の声が井戸から聞こえるとかそういう都市伝説の類がさ。多分、稀人の事を恐れてる連中が作ったうわさ話じゃないかな」
和樹の問いに十塚は頭を振って憶測らしき意見を述べる。
徒人が終の様子を見る。彼女は胸の前で何かを握るように右手を閉じていた。
「稀人を恨んでる人が居るんですか?」
「逆じゃないかな。稀人に恨まれてる人が居るって話やね。あそこのバルカ様も2年前の時、貴方たちには双子の勇者の件と言った方が分かり易いんかな。彼と元老院の一部が関わってたらしいから。うちが知ってるのはこの程度の事かな」
終は正面を向いたまま、まだ右手で何かを握るような仕草をしていた。嘘を言ってるようには思えない。
反対側から何かが人混みを掻き分けて衛兵たちの前に立った。
「成主悟推参! 僕の灰色の脳みそによるとこれは死神勇者の仕業だ」
悟はつまらんポーズを取って格好をつけていたが衛兵たちは誰だこいつみたいな反応しか返してない。服装はこの前のマタギみたいな格好ではなく弓兵みたいな服装に変わっていたが貧相な感じは否めない。
しかも言ってる内容は虚偽か本当かよく分からん死神勇者の名を出している。また問題になりそうな発言と言える。
「ゾンビ色の腐った脳みその間違いでしょう」
祝詞は冷たく嘲って現場に背を向けた。もうこの場に用はないと言わんがばかりに転移陣の方へと歩き出す。
悟は何か言おうとしてまたいつものように衛兵たちに取り押さえられた。祝詞は背を向けたのは正解だったのかもしれない。
徒人も祝詞に続いて後を追う。
後ろからは衛兵たちに殴られて悲鳴を上げる悟の声と野次馬のやじだけが聞こえてきた。




