第71話 トワ様、それは包丁です
徒人は気が進まないまま、黒鷺城のトワの寝室前へ来ていた。
『別に全部を話す必要なんてないでしょう』
アニエスの言葉を思い出す。
『あの人に勇者とか言われて捨てられるのが怖い』
『だらしないご主人様ですね。魔王トワ共々、情けない人たちですよ。正直、聞いてるこっちの方が辛いです。抱きついて怖いって言えば大抵の事は許してくれますから』
そんな返答をされた以上、どうしようもない。こっちはぶつかるだけだ。でも気が重い。
「徒人? 居るなら入ってきて下さい」
木の悲鳴のようなドアの開く音と共にその隙間からトワが覗いていた。いつもの虚ろで鴇色の瞳だけが廊下に立っている徒人を見ていた。凄く、凄くホラーです。
「トワ様、ちょっと怖いんですけど」
取り敢えず、アニエスの話から反対派がどこで聞いているのか分からないのでいつも以上に丁寧な言葉で対応する。
それが逆に気に障ったのか、トワはドアを開け放ち、徒人を寝室へ押し込んだ。周りに誰かがこの光景を見ていたのならまるでワニに飲み込まれた鳥のようだと思っただろう。
相変わらず、物が多い寝室なのだが今回は燭台で火を灯している蝋燭は少なく部屋は薄暗い。
「徒人、様付けは禁止です。余所余所しいのは嫌です」
両肩を掴まれて逃げられない徒人の瞳を鴇色の瞳が覗き込んでくる。
「あ、アニエスから反対派の事は聞きました。だからさん呼びは聞かれない方が良いかなとか思って」
「何を言ってるんですか! 徒人が先代の仇を取ったのですからこの黒鷺城で徒人の存在を否定してる者なんて居ませんよ。居たら、わたしが許しません」
徒人の体が前後に揺さぶられながらトワの爪が肩に爪が食い込んでいく。多少強くなったお陰でそんなに痛くはないが今までの状態だったらどうなっていたのかと思うと背筋が寒くなる。
「でもトワさんは先代の事を嫌っていませんでしたか?」
更に爪が徒人の肩に食い込み、トワが腕を曲げて顔を近付けてきた。
「あいつの話は聞きたくないししたくありませんが徒人とわたしの役には立ったのですから結果として良しと致しましょう」
トワは徒人の肩から両手を離した。徒人は内心ホッとする。一先ずの危機は去ったのだ。
しかし、トワは離した両手を徒人の背中に回して胸に顔を埋めてくる。
「徒人、出来ればさん呼びもしないで普通に名前で呼んで欲しいのですが」
徒人の心臓の辺りでこちらを見上げてくるトワの目には怒りが宿っていた。背中に回された両手は締め上げるように強く抱き締めてくる。
「わ、分かりましたから。トワさん……トワ、離して! 痛いから!」
回復魔法で治しているとは言え、岳屋やアニエスの連戦による傷を受けた痛みの記憶を引きずってしまう。
「痛いから離して欲しいんですか?」
「はい」
トワはあっさり力を緩めて徒人の胸に自分の顔を埋めて満足そうにしている。
「ついでに聞きますが……俺、ちゃんと心臓動いてますか?」
徒人は不安に思っている事の1つを聞いてみた。ユニークスキル[死と再生の転輪]のお陰で即時蘇生出来るが自分が人間かどうか、いや生きてる存在なのか自信がなかった。
「徒人が習得した即時蘇生のユニークスキルの話ですか。ちゃんと動いてますから心配しないで」
トワは目を細めて嬉しそうに答える。しかし、徒人にはイマイチ確証が持てない。
「そうですかね。自分がちょっと信じられないです」
徒人の返答にトワが両手を離して一歩後ろに下がった。
「じゃあ、試してみましょうか」
どこから取り出したのか、トワのその手には包丁が握られている。刃には蝋燭の炎が映り込んでオレンジ色を纏う。トワの瞳は濡れていた。
「ちょっと待って! さすがにそれは──」
「大丈夫です。ちょっと痛いだけです。先っちょだけですから」
言った瞬間、トワが動く。剣もないが徒人は防ごうと身構えた。
だが彼女の蜃気楼のように揺らめく動きを捉えられない。スキルのせいだろうか? そんな事を考える暇もなく徒人の胸に包丁が深々と突き刺さった。
どこが先っちょだけなんだろうか? 思い切り突き刺してるとしか思えない。しかも物凄く痛いんですが──
トワは口を大きく開けながら徒人の唇を奪う。同時に徒人の体が灼熱のような熱さを帯びた血が喉を通って口へと殺到する。
本来、床へと吐き出される筈だった血は唇を通してトワの口内へと流れ込む。彼女はその瞳を濡らして砂漠で水に飢えた旅人のように喉を鳴らして徒人の血液を無我夢中で飲み干していく。さすがに飲み切れなかったのか、その口端からこぼれ落ちてネグリジェの開いた部分から胸元の膨らみへと落ちていく。
徒人はいきなり刺された怒りよりもトワのその姿に妙なエロスを覚えてそれだけを考えていた。
徒人の体はトワによって床へ倒れるのを阻止されて近くの椅子に座らされる。出血のせいで瞼を開けていられない。
包丁を血と共に引き抜いたトワは口の中の血液を全て飲み干した後、ウットリとしながら包丁の刃に付着した血を極上の蜂蜜を舐めるかのように撫子色の唇と真紅色の舌で啜る。
徒人は自分が刺されたのにも関わらず、トワの様子に舌が刃で切れないのかと疑問を抱く。
一通り包丁を舐め拭いたトワは徒人が息絶えたのを確認してから詠唱を始める。
「ここに倒れ、迷えし魂よ、天が与えし定めですらも理の外に置く。安寧なる闇の下僕たるトワ・ノールオセアンが命じる。彼の者に現世に帰還する力を与え給え! 《リザレクション!》」
寝室全体が明るくなったかと思うと流れた血すらも回復したのか、徒人は意識を取り戻した。寝間着にも血は付いていなかった。
「刺す必要と血を飲む必要あったんですか?」
怒りを込めてトワに問う。
「徒人の体液なんですよ。わたしが飲まないでどうするんですか。床に撒き散らすなんて勿体ない。それに死んでいる者にはリザレクションは通用しませんし使えません。魔王の眼!」
トワの言葉には説得力があった。後半には──
「リザレクションで効果があるって事は人間だと、生きていると言う証明か。トワ、舌が切れてる」
近寄ってきたトワを抱き寄せて徒人は強引にキスしてその口の中に舌を入れ込んだ。お返しのつもりだったのが彼女は嫌がるどころか進んで舌を舐め返してくる。それでも奮い勃たない我が分身が悲しい。
味が自分の血の味とトワさんが切った舌から出た血の味なのがいけないのだろうか。
「アナライズでも確かめました。人間ですよ。それに徒人は勇者じゃありません」
一度、トワから唇を離してその一言を告げると再び徒人の唇に吸い付いてきた。
「お仕置きですから」
これ以上続けると話が脱線していくので徒人は唇を離して適当に言い訳する。
「ならもっとお仕置きして下さい。喜んで受け入れます」
「それじゃあ、お仕置きにならないじゃないですか」
「ケチ!」
徒人の反論にトワが面白くなさそうに頬を膨らませる。丁度いい事を思いついたので言い出す。
「トワが使ってる香水の匂いが移ってるんですがこれ何とか出来ませんか?」
「駄目ですよ。徒人、わたしの匂いに包まれているべきです。そうじゃなきゃ駄目なんです!」
速攻で却下されてしまった。しかもこれ以上この話題を続けたらこっちがまた包丁でお仕置きされかねない。本人に言っても無駄なので残り香の件はアニエスと相談するしかないようだ。
「じゃあ、もしもですよ。俺が仮に勇者だったらどうしますか?」
「大丈夫ですよ。勇者であったとしてもわたしは徒人を絶対に手放したりはしませんから」
嬉しい筈の言葉なのに徒人はトワの言葉に引っかかりを覚えてしまう。
【神蛇徒人は[突属性耐性1]を習得しました。同時に[突属性耐性1]は2にレベルアップしました】




