第70話 宮仕えは板挟み
徒人たちがアスタルテに事情を話して自宅へ戻ってきたのは夜空が暗くなっていた。全員で遅い夕食を食べた後、徒人は自室でアニエスと二人きりでに裏事情を説明してもらう筈だったのだが何故か祝詞まで居る。
それぞれの目の前にあるお茶の入った湯呑みは祝詞がお盆で急須と共に持ってきたものだ。
「どうして祝詞まで居るんだよ?」
「ほら、リーダーとして事の仔細を知っておかないとね」
いつもの巫女装束で祝詞はあぐらをかいてその膝の上に大きな白い布を被せて、どこで貰ったのか布袋から取り出した炭酸せんべいをバリバリと食べている。ちなみに祝詞が岳屋の件とアニエスに襲われた件を知ったのはさっきだ。
アニエスから根掘り葉掘り聞き出しらしい。
「どこから提供されたんだよ」
「色んなツテを介して……1つ食べる?」
祝詞は布袋から炭酸せんべいを1枚差し出す。こんな物でもここでは高級品かもしれないので徒人はありがたく頂戴しておく。
「甘い。現代から遠く離れるとこんな一般的な菓子でもありがたいんだな」
徒人は一欠片も落とさないように口の下に左手を添えてから炭酸せんべいを噛じって一口食べる。
「おほほほ。顔が利く私に感謝して欲しいわね」
わざとらしく祝詞が高笑いしてみせる。
いつものメイド服に白いエプロン姿のアニエスが微妙そうな顔をしてるので話を進める事にした。
「で、どうして俺を襲ったんだ? 単純に強化してくれたのはあるんだろうけど」
「1つは南の魔王軍にもご主人様の事が嫌いな連中が居ます。そいつらを納得させる為です。今だから言ってしまいますけど、今回のトロイの木馬作戦は開始前の作戦会議の決定で稀人が帝國に寝返る最悪の場合は自分がご主人様を手に掛ける手筈でした。そんな事はないと思ってましたが」
アニエスも祝詞から炭酸せんべいを1枚だけもらって手で割ってから口の中に入れていた。
「サラリと酷い事を言ってるわね。私が同じ立場でもそうするけど」
「そもそもトワ様に一目惚れするような趣味悪そうな方が人間に馴染めるとは思ってなかったので」
何気にこいつらめちゃめちゃ酷い。
「お前らな……」
「それ前に言ってたけど、その黒鷺城で拒否した場合でも殺す気でいたんじゃない?」
祝詞が妙に確信を突いた質問をする。
「それはそれで予定されていた事ですがね」
アニエスはあっさりと肯定する。
「ハッキリと言われると物凄く嫌な気分になれるな」
徒人の顔が青くなっていく。トワさんに一目惚れして引き受けなきゃ死んでた可能性があるのか。
「トワ様はそれでも説得できると思ってたようですが。帝國の稀人を召喚する技術はある程度は人格や性格などを選別できるんですからこっちも寝返ってくれそうな人材を選んで割り込みを謀っている筈ですが……自分は門外漢なので詳しい事は分かりません」
「それは話せないって事か」
「そうですね。自分の事ではありませんからペラペラ話せません」
少なくともアニエスは祝詞に対してそれを話す気はないらしい。時空魔道士カイロスの事なのかもしれないと徒人は思った。少しは信用されてるのだからマシか。
祝詞は大して気にした風もなく炭酸せんべいの入った布袋を両手で大事そうに抱えている。
「取り敢えず、トワさんは説得できそうな人物を選んだんだよな?」
「とは思いますが……あの人、妄想癖が激しいのでちゃんと計算してたかも怪しいですけどね。それと独占欲も強いのでくれぐれもご用心下さい」
不安になって問い質した徒人だがアニエスの問いで別の意味で不安になった。トワの匂い対策はしないといけないのに彼女が素直に応じなかったらどうしよう。
「あの人、運命の人に出会ったとか言い出しそうなタイプ?」
「まさにその通りです。自分はそういう方だと思っています」
祝詞がアニエスの返答にそうだよね、そうだろうねみたいな頷き方をしている。この2人はトワさんの悪口を言ってる時は妙に仲が良い気がした。
ただアニエスが抱いているトワさんへの軽蔑的な態度は他に意図があるように見える。
「話が脱線してるから戻すけど今度は反対派が俺を暗殺しに来るとかないよな?」
「今のご主人様ならそう簡単には殺せません。これで反対派も大人しくするしかないですから」
アニエスが淡々と語る。その顔は若干疲れているように見えた。
「貴方も忠臣ね」
「別にそういう訳では……ただ面倒なのが嫌いなだけです。ご主人様を放置しておけば反対派に文句言われるし、反対派の好きにさせたら今度はトワ様に睨まれますから」
「宮仕え的な事情か」
異世界まで来てと言うかこっちにはこっちの事情があるのだから下っ端が笑えない扱いになるのは避けられないのだろうが──
「あとご主人様へ忠告ですが即時蘇生しても攻撃され続けたらその場からは転移するしかないので過信しないで気をつけるべきかと」
「便利なのか不便なのかわからない能力ね」
そのやり取りを聞いてる間に徒人は右手に持っていた炭酸せんべいを食べきってしまう。
「魂を燃やす炎とかないよな。即あの世送りだったら怖い」
「魔術には詳しくはないですが居ないとは言えません。確か、得体の知れない特技で相手を殺し尽くす者がラティウム帝國に居た筈です」
「えぐいユニークスキルを持ってるのが多いのね。私のユニークスキルとか悲しくなってくる」
祝詞はそう言ってるが徒人は自分の方が気分が悪いと思っていた。幸か不幸か手に入れたチートスキルをすぐに打ち破るかもしれない相手が居ると言うのは愉快な事ではない。
「つーか、祝詞はこの話に首を突っ込んでていいのか? 幾ら前提の話がきな臭くなってきたからと言って全部の事柄に関わる必要はないと思うが」
「十字架教団いやクルセイダーズか。一応はあいつらを潰したけどコネも支援もないこの世界で稀人たちだけで帝國と戦うとは思えないんだよ。帝國の貴族か魔王軍とかが後ろ盾じゃなきゃ組織として成立しない筈なんだけど」
「話しておくべきですね。あいつらの後ろに居るのは西の魔王軍かと」
祝詞の推理にアニエスがため息混じりに説明する。
「え? じゃあ、魔族と言うか魔王軍は映写機とか持ってるの?」
「映写機とか言うのがどれの事を指しているのかは分かりませんが古代文明に関してはそれぞれの魔王軍が保存してたりします」
アニエスの返答に徒人が眉毛を歪める。人間側は科学技術で魔族に勝てないのではないのだろうか?
「向こうの方が待遇いいと思う?」
祝詞はとんでもない事を言い出した。条件が良かったら寝返るのかよ。
「ないと思います。ラティウム帝國を潰す為に稀人や元勇者を利用してるのが居るだけです。恐らく首謀者は闇賢者のメフィスト。別名、知将のメフィスト。人心を弄ぶ陰険な奴です。とても約束など守るような奴とは思えないので」
徒人はメフィストと名乗っていた立体映像の人物を思い出す。
「金髪碧眼の男みたいな感じで喋ってる女?」
「自分も本来の姿を見た事はありませんので答えかねます」
「なんか待遇悪そうだな。今のところ、このまんまで行くか」
祝詞の独り言に徒人もアニエスも呆れている。
「それとご主人様をあの方が呼んでいましたのであとで顔出しておいて下さい」
アニエスの一言に徒人は複雑な心境を隠せなかった。好きな人に会うのに気が重い。




