第56話 トワ様の確認は○絞め
その後で更にトワに呼び出された徒人は寝巻き姿で彼女の寝室に居た。正直な話、眠くて瞼が重い。来て早々トワのベッドに潜り込んでその柔らかな心地と彼女が使っているであろう香水の香りに埋もれている。
アニエスの件は祝詞が懐柔してると言ってその場を誤魔化した。
しかし、徒人と祝詞以外のパーティメンバーはアニエスが南の魔王軍に所属している事は知らないのだからいつものように会話を聞いていた彼女に焦りを感じるのは当然の事だった。
「徒人、聞いていますか? ここに来ていきなりベッドに潜り込まれると悲しくなりますって違います。徒人を勇者だと言って勘違いした男の件を話して下さい」
徒人の顔の隣には丈の長いネグリジェを着たトワの脚が目と鼻の先にあった。風呂上がりなのか良い香りがする。
「指輪を通して聞いてたじゃないですか。第一、アニエスから聞いているんじゃないですか?」
眠気と苛立ちもあって徒人はトワのネグリジェのスカート部分に頭を突っ込みたい衝動に駆られる。
「報告は聞いてますよ。でももう一度、魔王の眼でアナライズした方が確実じゃないですか?」
「もう一度、確認するんですか? 何度見ても変わりませんよ」
徒人自身の意識は眠るのを必死に堪えているが本能は睡魔に降伏勧告を出す手前だった。ちょっと鬱陶しいのでシートに顔を埋める。主の残り香が移ったのかとても良い匂いがした。だがこの感触に慣れたものを感じて違和感を覚える。何故、ベッドマットレスではなく敷き布団なのだろうか? この世界に来てからちょくちょくと感じる違和感。幾ら稀人の中に日本人が居たからと言って変な気がした。
「そんなに見せたくないのは浮気ですか?」
顔を挙げなくてもトワが物理的に徒人の体に穴を開けそうな視線で見つめているのは分かった。
「じゃあ、浮気なんかしてないって証明してやる!」
徒人はトワのネグリジェの裾を掴んで持ち上げた。世に言うスカートめくりだ。でそのまま眼前にある膝と一対の脚が創りだした谷間に顔を突っ込もうとする。
「ちょ、ちょっと徒人! 駄目です! 駄目です! そんなので騙されませんから!」
慌ててトワが徒人の頭を白い両手で抑えてそれを阻止しようと阻む。体勢が悪いせいか簡単に抑えこまれて天幕の向こうへ投げれてベッドの外へと追いだされてしまった。床には絨毯が敷いてあるから怪我などはないがこうも圧倒的な力の差を見せられると男として立つ瀬がない。
多少は強くなったつもりなのだがこうも歯がたたないと悲しい。
「た、徒人? 徒人が悪いんですからね。変態行為で誤魔化そうとしたんですから」
天幕の向こうから聞こえる声に苦笑しながら徒人は白い布を下から潜ってベッドの上へと戻った。
ベッドの主であるトワは戻ってきた徒人を虚ろ目で凝視している。
「別にそれについては弁明しませんよ。あと前に使われてから数日しか経ってないんですから魔王の眼を使っても意味ないですから」
戻っても状況は好転していない。徒人は魔王の眼を使われないようにベッドの上で正座して説得してみる。実際に徒人自身が勇者でも殺されないと確信しているがそれでもトワに勇者と思われるのは居心地が悪い。いやはっきり言って徒人はこの関係が壊れるのが怖いのだ。勇者なんて下らない物にはなりたくない。万が一そうだった場合どうなるのか──
「不安なんです。お願いです。許可して下さい」
「許可しないで勝手に使えばいいんじゃないですか」
徒人が物思いに気を取られた間にテレビから出てくる幽霊のように這いよってきたトワの両手が頬を掴んでいた。
「それは駄目です。相手が抵抗していたら全部見えません。徒人の頬肉をそぎ落としたりするような手荒な真似はしたくありません。婚約者の顔に傷は付けたくありませんから」
トワは自分の鼻と徒人の鼻がくっつく距離で息を吹きかけながら喋る。今の状態の彼女なら不安に駆られてやりかねない。
「じゃあ、抵抗しませんから終わったらこっちの話を聞いて下さい」
先程の結果から頬を掴んでいるトワの両手を振りほどくのは無理だろうと考えての判断だ。徒人は出来るだけ抵抗しないようにするが以前のようにはいかない。
「では使いますね。魔王の眼!」
徒人を試すようにわざわざ前置きの言葉を言ってからトワは鴇色の瞳で徒人の青みが掛かった黒瞳を覗き込んだ。それは心の奥底すらも覗き込むように。そしてスキルの発動と共に徒人の意識を飲み込もうとする。
スキルを使われている間、徒人は考えた。トワの目的はスキルを使う事ではなく自分を試す事にあったのではないかと。その場合は彼女の望む回答を返せたのだろうか。
「……徒人。ごめんなさい。変わりなしでした」
トワの鴇色の瞳が元に戻った。
「別に構わないですが今度はこっちの質問に答えて下さい」
「はい。疑ってごめんなさい」
徒人の声にトワは頬から両手を離す。要らない誤解を受けずに済んだ事への安堵の感情の方が大きい。
「それよりもアニエスが内輪の話を帝國に漏らしたりしないかが不安なんですが」
「そんな事をするつもりならこっちに徒人を帰したりしないでしょうに。あいつは命令に反発してばっかりですが任務はこなしますから」
すぐに答えが返ってきた事に徒人は不安を覚えるがそれを口にしても仕方ないので黙っておく。トワの方がアニエスとの付き合いは長いのだから。
徒人は仰向けになってベッドの天井を見つめる。
「こうしているとなんか元の世界に居た頃とあんまり変わらないんだけど」
「徒人、何を言ってるんですか? ここは現実です」
トワが誤解してツッコミを入れてくる。
「そういう意味じゃなくて元の世界で学校行って自宅に帰るみたいだなと……ただこっちは帰ったらトワさんが居ますけど」
「えーと学び舎から戻って家に帰るであってますか? そんなの魔族も変わりませんよ。朝、家から出て仕事して夜に家に帰るだけです」
どこか焦点のずれた会話が続く。
そういう事ではないのだが徒人はそれを訂正しようとは思わなかった。
「もし俺が勇者だったらトワさんはどうします?」
睡魔に抗って居られる内に徒人は聞いてみた。同時に鳩尾の辺りと両方の二の腕に重さを感じる。
瞼を開けてみるとトワが両膝で二の腕を押さえつけ、前傾姿勢で徒人の上に座っていた。
「もしそうだった場合、徒人はわたしに殺して欲しいですか? それともわたしを殺したいですか?」
いつもの怒っている時や病んでいる時のように虚ろ目ではなく普段の鴇色の瞳が徒人を見ていた。そしてスノーホワイトの長髪が徒人の顎をくすぐる。
徒人はこの異世界に来てから一番命の危険を感じている。その警告が正しい事を示すようにトワの白い十本の指が徒人の首に食い込んできた。外そうと試みるが二の腕が抑えられているので手が自分の首に届かない。
高位回復職で蘇生魔法が使える彼女ならこのまま徒人を絞め殺す可能性はある。
「分からない。でもトワさんを殺すよりはトワさんに殺されたい」
「じゃあ、わたしたちは似た者夫婦ですね」
トワは微笑んでから徒人の上から立ち上がって横に避けた。危機は免れたが本当に正しい受け答えだったのか徒人には分からなかった。




