第30話 悪夢の体現者
徒人たちが現場であるラティウム帝國の北西にある小さな村に近い森に着いたのは日が変わる手前だった。満月の夜の闇は近くの村から燃え上がる火の粉で打ち破られ、周囲からはモンスターと思しき存在の声が響く。近くには西の魔王との境界線を守る国境守備隊の兵士たちが手傷を負い、治療を受けていた。全員生きてはいるが爪や牙で負ったと思しき酷い傷だった。
祝詞は駆け寄ってきた熊越のパーティに居た少女戦士と話している。徒人は何かに違和感を覚えて周囲を見渡すがそれが何かは分からない。
「急に奴らが襲ってきたんだ。変な音がした後に! いつもよりも凶暴で刃が立たなかった」
遠くで兵士たちが手当を受けながら混乱しているのか誰も聞いてないのに喚く。
「早希が、あたしたちを逃す為に村に残って……頼む。あいつ、助けてやってくれ」
祝詞に向かって少女戦士が訴えている。だが彼女は冷ややかさすら感じさせる瞳で訴えを聞いている。
「ちょっと待てて」
言うなり、祝詞は怪我人たちから離れて立っている徒人たち6人の所へと戻ってきた。
「話を聞いてると罠臭いわね。まるで狙い謀ったみたい」
「それでどうするのさ。立場上、帰りますじゃ話にならないだろうし」
和樹が方針を問う。
徒人は出来る限り、顔を動かさずに目だけを動かして周りの兵士たちの位置を確認している。
「取り敢えず、偵察を出すしかないわね。徒人君にレオニクス、頼んでいい?」
祝詞が言った瞬間にレオニクスは村の方角へと走り出し森へと消えて行った。
「人の話を聞かないわね。徒人、ちょっとこっちへ」
いつの間にか呼び捨てになっていた事を気にしつつ、徒人は他の4人から離れて祝詞と2人きりになる。
「分かってるかもしれないけど最悪の場合は神前早希を見捨てて。他のパーティの為に私のパーティが犠牲になるのは避けたいから」
祝詞は思った以上に理性的な理屈を返してきた。
「良いのか?」
徒人は祝詞の表情を伺う。しかし、考えを読み取る事は出来なかった。
「清浄なる光の下僕たる白咲祝詞が命じる。彼の者に傷を癒す力を与え給え!《リジェネレーション!》」
祝詞は傷を受けたら自動的に回復する魔法を掛けた。
「ありがとう」
「深夜に呼び出されて出来る限りの事はしたでしょう。もう戦いの大半は終わってる。神前早希を救えなくても仕方がない。とにかく無茶はしないで」
「分かった。行ってくる」
念を押す祝詞の表情は硬い。結局、彼女もランキング制に飲まれてるのは間違いないんだろうと徒人は思う。[潜入]と[罠感知]のスキルを使用して森の中へと入って行った。
出来るだけ音を立てないように村の方向へと向かって走る。その途中で女の人影が見えたような気がした。その人物はホルンのような楽器を持っていたが徒人には気が付かずに村とは違う方向へと消える。
見覚えがあるようにも見えたが今はそれどころではないので枝や葉っぱを避けつつ先を急ぐ。
森を抜ける手前、視界を覆い尽くす葉っぱと幹の影から村の様子が見えた。防壁には巨大な穴が空き、木で出来た家屋は焼け落ち、村の中には獣系のモンスターが溢れかえっている。そしてその端には剣を地面に突き立て膝を付いている人影が見えた。
早希だった。彼女は全身に攻撃を受け、あらゆる場所から血を流して赤に染まっていない部分がなかったように見える。助けるとか馬鹿げてるが見捨てるのを見られるのは得策ではないように思えた。
徒人は心の中で舌打ちしつつ、ロングソードを抜き放ち、中腰で壊れた防壁へと忍び寄る。一呼吸した後、剣を肩に担ぐように構え、必殺技を使う準備に入った。
「ブラッド・クレセント!」
徒人は必殺技発動のタイミングで穴の空いた箇所から姿を現し、ロングソードから生み出された三日月型の光刃が集まっていたモンスターたちに向かっては直進する。
奴らが気付いたタイミングで光刃が爆発し、三日月状の範囲を熱と炎で焼く。その場に居た獣系モンスターを全滅させたのを確認して急いで早希に駆け寄る。罠感知のスキルは反応してない。
「起きろ! 急いで逃げるぞ!」
我ながら何をやっているんだと思いつつ、徒人は声を掛ける。
「助けに来てくれたの。ごめん」
早希は蚊の鳴くような細い声で礼を言った。徒人は黙って彼女に肩を貸すが鎧を装備してるせいで立ち上がらせるのも辛い。こうなったら肩に担いで行くしかない。
「おやおや、帝國の新しい勇者が来たのかと思えば……なかなか面白い匂いがする小僧だな」
全身から血を抜かれたかのような錯覚に陥る冷たく飄々とした男の声。徒人はロングソードの剣先を向け、声の主を睨みつける。
そこには直立する狐が腕組みして仁王立ちしていた。シルヴェストルと同格クラス──マトモに戦って勝ち目のあるレベルではない。恐らくパーティ全員どころか、守備隊を含めて戦ってもやすやすと殺されるだろう。しかし、正体はバラせない。絶体絶命とはこの事だ。
「お前は誰だ。五星角と似たようなものか」
徒人は左手で早希を支えながら少しずつ後ろへ後退する。多分、背中を向けた瞬間に殺されるレベルの相手だろうが無駄な抵抗だろうがやっておく。
「ふむ。西の魔王軍の我を南の五星角如きと同一視されてもらっては困るよ。我が名は、そうだな……ファウストとでも名乗っておこうか。お前の名は?」
「神蛇徒人」
徒人は逃げなければならないと感じているのに全身から冷たい汗が止まらない。必殺技を使った影響か体が鈍い。時間を掛ければ増援が来るだろう。ヘルワイバーンの方がマシだった。
「匂いも面白ければ名前も面白い。あの宗教女がその腕に抱きとめたいと言う程度の資質はあるのか」
どこまで知っているのか、ファウストは笑い声を堪えている。挑発しているのだろうが今はそれに煽られている場合ではない。
「それでどうするんだ? ここで殺すのか?」
「殺す? 面白い冗談を言う少年だな、神蛇徒人。小娘は連れて帰るがいい。どうせ、その娘は死ぬ。それにこんなに昂揚する満月の夜に理性を抑えきれない雑魚とこのファウストを同一視されては困るよ」
怒った様子もなくファウストは飄々とした口調で告げる。
「あんたたちが仕掛けたんじゃないのか?」
「いちいちこんな村を襲うかい? 戦略的には無価値だ。貴様たち、下等な人間には聞こえないだろうがこの雑兵たちは音に惑わされたのだよ」
この大陸全体の地形を把握していない徒人には答えようがない。出来る事と言えば少しずつ少しずつ後ろへ下がるしかない。
「貴様は……その刻印に免じて見逃してやろう。せいぜい後ろからの攻撃に気をつけることだ。色んな意味でな。さあ、行くがいい。我が軍と対峙する恐怖でも伝えにな」
徒人はファウストに視線を固定したままロングソードを地面に突き立て早希を肩に担ぎ直す。そしてロングソードを回収して森の中まで逃げ込んだ。




