第29話 エマージェンシーコール
魔骨宮殿の一件から数日。祝詞の傷を完治させ、土門が正騎士になり、和樹が錬金術師になって微妙に変化は生じていた。全体のランキングではトップテン入りを果たしたが徒人には実感はない。ある実感は転職して必殺技による全体攻撃を得意とする魔剣士になった事くらいだった。だがそんな事よりも徒人にとって問題なのは未だにトワが機嫌を直してくれない事だ。
「布団を引いて眠ったらどうですか?」
徒人が2階奥の自室の畳で大の字に寝っ転がっていると開けていたドアからアニエスが顔を覗かせる。
「眠いんだ。適当でいいだろう」
「風邪をひきますよ。それに病気は魔法では治せないんですから……」
アニエスは部屋の中に入ってきてドアを閉める。そして右手で何やら印を切ってみせる。多分、防音結界とか言うのでも張ってるのだろう。
「それは前に聞いた」
徒人は眠気を押し殺しながら反応する。
「あの方の回復魔法でも治せません。もしかして、ご主人様は看病してもらって仲直りするつもりですか?」
「それで機嫌を直してもらえるなら楽なんだが──」
「それは望み薄ですね。自分も怒られましたし……でも案外ガードが緩いんで許してもらえる可能性はあります。だから機嫌が直るように上手く立ちまわって頂かないと」
アニエスはいつもと違ってろくでもない事しか言わない。でも正論だが。
「なあ、トワさん、ちょっと病んでるよな?」
徒人はふと思った事を聞いてみる。
「……子供の頃に疎開先で蝶よ花よと愛でられて育って、こっちに戻ってきたらブス扱いで酷い目に遭ってしまったようですから。そりゃ多少は歪むんじゃないでしょうか。それで仕事一筋ですからね。あんな風になるのも無理ないかと」
「なるほど。そいつらの悪口言ったら機嫌直るかな」
「ちょっと無理じゃないですか。第一その辺りの話なんて聞いた程度の事しか知りませんからすぐにボロが出るだけかと」
アニエスにはっきりと否定されてしまった。
「でもなんで俺はウケが良かったんだろう? 特に美形でも何でもないんだが……頭身も低いよな」
徒人の問いにアニエスが考え込むように虚空に視線を漂わせる。
「あの人、あれでも、いえだからこそ、ロマンチストなのでしょう。異世界からやって来た人物が自分に一目惚れして告白する。運命の人だと盲信もするかと……自分のボスじゃなければ趣味嗜好に注文なんかつけませんが」
視線を戻したアニエスはその瞳に冷たい光を湛えていた。聞いてる方の背筋が寒くなる。
「割と酷薄な意見だな。言われてる方はキツイぞ」
「ご主人様に対する言葉ではなかったのですが申し訳ありません。別に夢見る少女がいけない訳じゃないですし、御二人の事に口を挟むつもりはなかったのですが……どうしても白馬の王子様とかそういう系統の話は胡散臭く感じてしまうもので」
アニエスが深々と頭を下げる。リアリストっぽい彼女ならそうも言うのだろうか。
「俺も人の事は言えないしな」
早めにトワさんの機嫌を直さないといけないのは確かだがそれより気が重いのは勇者を殺す事についてだ。加速度的に強くなればそれに関して避けられなくなる。自分は手を汚せるのか。実行した場合には仲間への裏切りに等しい上に軽蔑される事にならないのか。ならばまだ弱い現状を喜ぶべきなのかと徒人は思い悩む。
それに勇者を手に掛ければトワは機嫌を直すのだろうか。だがそうなって欲しくはないと心の片隅で考える。
「どうやらお客のようですね」
アニエスは右手で印を切って防音結界を解除する。それと同時に階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。同時に彼女がドアを開けた。
「兵舎からレオニクスが来て執政官から緊急要請だと。急いで準備を」
ドアが解放されてすぐに駆け上がってきた彼方が廊下から顔だけを覗かせる。
「夜も老けてるのに何の要請なんだよ」
「西の魔王軍が北の境界線に攻めてきたらしくてその救護だそうな。何でも警護兵や先行した神前早希のパーティだけでは手に負えないとの事らしい」
その言葉に徒人はアニエスを見るが何の表情も浮かべていない。早希の所ならこの機に乗じてと言う可能性もなくはないのか──知らずに右手が震える。
徒人がすぐ行くと答えると彼方は1階へと降りて行った。
「西の魔王軍ですか。獣系を集めた力押しの脳筋軍団ですね。今まで大人しかったのに動き出しましたか。しかし、あいつらに連携なんて知恵はなかった筈ですが」
アニエスが納得の行かない様子で呟く。
「とにかく着替えるから出て行ってくれ」
「ご主人様、分かりました。時間が掛かるようなら呼んで下さいと言っても鎧を着るだけでしょうが」
徒人の言葉を受けてアニエスは部屋から出て階段の方へと降りて行く。
「今、判明している勇者か」
徒人は壁に立てかけてたあったロングソードを取り、腰のベルトに差し込んだ。
いっそう──物騒な事を考えるが徒人はそれを口にするような真似はしなかった。




