第28話 初めてなのに──
徒人の視界に荒れ果ててた荒野に作られた石造りの噴水が見えた。既に仲間たちは到着している。
最後に徒人は小脇に抱えていた和樹を落とす。彼が何か抗議しているが気に留めないで祝詞の治療を始めているアニエスに近付く。
「助かりそうなのか」
その瞬間、急に祝詞が苦しみだした。彼女は呼吸が苦しくなったのか喉を抑えている。
「窒息か? アナフィラキシーショックか?」
「麻痺毒ですよ。これを彼女に口移しで飲ませて」
アニエスがすり鉢に粉を幾つか混ぜて竹の水筒から水を入れて徒人に差し出す。すり鉢の中身はスライムなんじゃないかと思わせるほどえげつなく気持ち悪い緑色を湛えている。パーティメンバーを見ると露骨に嫌そうな顔をしている彼方とお前がやれと言わんがばかりのレオニクスと目が眩んでまだ見えてない和樹、重装備で走ってきて息も絶え絶えな土門。誰もやろうとしない。
アニエスは暴れる祝詞を抑えつけている。
ここで見捨てる訳にもいかないので徒人はすり鉢の液体を一口含もうとするが舌が触れた瞬間に全身に鳥肌が立つ。思わず吐き出してしまった。
「うげぇ、凄く不味い」
「ご主人様、良薬口に苦しですよ。早く!」
飲むのは俺じゃない。祝詞なんだと言い聞かせて徒人はすり鉢の液体を口に含んで苦しがる祝詞の唇に唇を重ねて無理やり飲ませる。何とも色気のないファーストキスの味だなと吐き気を堪えた。飲ませた瞬間に自分も飲んでしまったからだ。
薬が効いたのか、祝詞の顔色が見る見るうちに良くなっていき呼吸も段々と正常な回数へと戻っていく。
「間に合った」
アニエスが祝詞から離れる。だが今度は徒人の視界がグルグルと回り出す。
「アニエス。なんか世界が回ってるんだけど」
「はい。それは毒が回ったからです」
その言葉を聞きながら徒人は石畳の上に倒れ落ちた。聞いてないんだが──だから誰も飲ませようとしなかったのか。そう言えば、このパーティは知識がありそうで衛生兵の経験があるアニエスを除けば異常系治せる人が祝詞しか居なかった。
「ご主人様、飲めるうちに作りますので少々お待ちを」
徒人は動く目だけ動かして睨みつける。だがアニエスは普通に無視した。彼方がマントを纏めて枕代わりに首の下に差し込んでくれた。
「礼は要らない。代わりに麻痺ってくれたし、第一、当方女同士でキスするなんて事態は避けたかったから」
彼方は心底イヤな顔をする。祝詞が嫌なのではなく女同士でキスするのが本当に嫌だったようだ。
「清浄なる光の下僕たる白咲祝詞が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を!《ヒール!》」
ようやく魔法を唱えられるように祝詞が自力で回復魔法を唱えて左鎖骨の傷を治療した。開いた着物の隙間から黒のブラジャーが見える。一応着けるくらいにはあったのかと徒人はつまらない事を思う。
「ファーストキスだったのに」
フラフラと立ち上がった長い髪で顔が隠れている祝詞は柳の下の幽霊のように見える。そしてその唇から出た言葉は呪詛だった。
「た、立ち上がらない方がいいですよ」
アニエスが慌てて止めるが祝詞は聞こえてない。危険を察知したのか、彼方はゆっくりと徒人から離れて行く。明らかに何かが起こる前触れだ。
「なるほど、麻痺で回復魔法が唱えられない事もあるのか」
和樹は視力が回復し始めたのか頻繁に瞬きをして状況を確かめる。我関せずと言うオーラを漂わせて離れた。
「魔法で……」
徒人は何とか声を絞り出したが祝詞は聞いていない。
「緊急時のマウス・トゥ・マウスはノーカンで良いんじゃないかな」
土門がフォローを入れてくれたが肝心な相手には聞こえていない。
「で、出来ましたよ」
すり鉢を持ってきたアニエスも引いている。
祝詞は不気味な低い笑い声を漏らしながらアニエスからすり鉢を強引に奪い取った。
そして素早く徒人の前に屈んですり鉢の緑の液体を口に含み、先程の意趣返しのように彼女は己の唇を徒人の唇に重ね合わせて液体を流し込んだ。不意討ちの上に飲まないという選択肢はなかった。
徒人は口の中と喉が形容しがたい最悪の味に満たされるのを感じながら思った。キスの味に拘る連中の気持ちが分かった気がする。
容姿が悪くない生徒会長相手のキスなのにこうも嬉しくないのはシチュエーションのせいだろう。
「これでノーカン。私からしたからノーカン」
前髪をかき上げて息も絶え絶えに尻餅を着く祝詞。
「魔法で治せよ。お前らガキか」
レオニクスが噴水の縁に座り込みながら呆れ返っていた。
『た、徒人! う、浮気じゃないですか! 本気キスは絶対駄目です』
最悪のタイミングでトワが連絡してきた事に関して徒人は頭が痛くなってくる。
『別に本気じゃないです。これはもらい事故と言うか何と言うか──』
『事故キスでも救命処置とか言うのでも駄目です』
正論は感情論の前に打ち消された。こういう時には何を言っても無駄だろうと思って徒人は出来るだけ考えを読み取られないように無心にしようとする。
『アニエスは何をやってるんですか!』
徒人が視線をアニエスの方へと移すとこのやり取りが聞こえているのか目が泳いでいた。顔には自分は知らないとか書いてあった。
『わたし、泣きそう。本当に泣きそう』
泣きたいのは──などと心に浮かんできたが何とか抑えこんだ。
「どうしてこうなった」
徒人には起き上がる気力がなくなっていた。
【神蛇徒人は盗賊剣士の職業熟練度は15になりました。[気配察知3]は4にレベルアップしました。[罠感知2]は3にレベルアップしました】




