第2話 魔王様はポンコツ
徒人は一度昏睡させられたあと、風呂に入れられて制服を着せられた後、黒鷺城の客間に通された。そこには畳が10畳ほど敷かれ、そこにトワとシルヴェストルはその畳の上に座っている。
トワは先程までの黒い祭服ではなく白いワンピースに着替えている。いや多分、上に着ていた黒い祭服を脱いだだけだろう。
また変な砂時計がトワの隣に設置してあった。
「こちらにお座り下さい」
トワは自分の前の席を指差す。徒人は言われたとおりに彼女の前に座った。
「わたしの名はトワ・ノールオセアンと申します。こっちの竜人はシルヴェストル。まずこちらの、わたしの不手際をお詫びいたします。ちょっとお腹がすいたなって思って謁見の間から離れてしまったせいで貴方を、徒人さんをEDにしてしまったようで」
トワの隣に座っていたシルヴェストルが余計な事を言わなくてもいいのにと言わんがばかりに表情を曇らせる。
「ED!? 若いのにEDなんて……」
徒人は目の前が真っ暗になる。好きな女の子とまだ何もしてないのに自分の分身は旅立ってしまった。
「その件に付きましてはこのトワ・ノールオセアンが体を張って治療に当たらせて戴きますのでどうかお許しを。原因は我が妹フレイアに刺されたことによるトラウマかと……精神的な傷が癒えれば元に戻ると思われます」
トワは額を手で抑えながら説明する。
「え? 身体を張って?」
その言葉を聞いて徒人は妄想で頭がいっぱいになる。Hな事とかHな事とかHな事で。
「わたしが責任をもって引きこもりサキュバスである妹をきっちり制裁を課して思い知らせますので」
握りこぶしを作って怒りに肩を震わせるトワ。瞳が怒りに染まり、殺気で彼女の周りに黒いオーラが漂う。不思議と怖いとは思わなかった。
「体を張るなら俺と付き合って下さい。一目惚れしました!」
徒人の口から出た言葉は意外な言葉だった。自分でも何を言ってるのかとも思うが内容的には問題ない。その気持ちに嘘はないのだから。
その言葉に毒気を抜かれたトワはぎこちなくシルヴェストルを見る。まるで油の切れたロボットだ。
「……告白されましたよ、魔王様。想定外の事態に一々フリーズしないで下さい」
隣であぐらをかいて居たシルヴェストルは呆れたように言う。
その言葉にトワは赤面して取り乱す。
「付き合ってくれとは、こ、恋人になることですよね。わたしもいい年なんで結婚を前提にして貰わないと……」
戻ってきたトワが問う。今の彼女に魔王らしさはない。ただの美人にしか見えないのだ。このギャップは凄い。
「何でもします。何でもしますから。俺と恋人同士になって下さい」
徒人はトワの右手を取って両手で握りしめる。その白い肌は大理石のように白く高級な絹のようにスベスベで柔らかい。
「何でも? 今、何でもって言ったよね?」
トワの瞳が輝く。それは文字通り輝くような笑みで少女のような微笑みだった。
「刺すのは勘弁して下さい。それだけは……」
徒人が反射的に右手で腹を押さえる。しかし左手はトワの手が握っている為に不可能だった。。あんな体験は二度と御免だ。
「そんな事は頼みません。徒人、貴方の召喚に割って入ったのはこのゾディアック大陸に伝承として残る黄道十二宮の勇者の抹殺です」
深呼吸してからトワは真剣な表情で言った。徒人の顔に彼女の息が掛かるほど顔が近い。品のいい香水の柔らかで甘い香りが鼻をくすぐる。
「え? 割って入った?」
「はい。わたしたちは貴方を召喚していません。人間による異世界からの召喚の欠陥を利用して時間限定ですが貴方をここに招き寄せました」
トワの鴇色の瞳は救世主を見るような目で徒人の瞳を覗き込む。
「じゃあ誰が呼んだんでしょうか?」
「本当の召喚主は人間でラティウム帝國でしょう」
シルヴェストルと隣りに座っていた竜人にトワが声を掛けた。彼は何処からともなく地図を出してそれを畳の上に広げる。
トワはその白い指で帝國は大体この辺りです。と地図の南西中央を指差す。
「ちなみに今居る黒鷺城はこの辺りです」
大陸の南側、火山らしき絵の書かれた地点を更に南へ、別の大陸と繋がっている先端を指差した。
「えーとトワさんは魔王で皆さんは魔王軍なんですよね? どう見ても負けそうに見えないですけど、そっちのシルヴェストルさんも凄く強そうなのですが……」
どう見てもトワは魔族らしくはないが弱そうに見えないし、シルヴェストルと呼ばれる竜人の武人は素人でも強さが分かる。なので徒人は聞いてみた。
「恥ずかしながら、わたしは策を弄するタイプで真っ向勝負は避けたいのです。本来、わたしたちゾディアック大陸の魔王軍の総大将で四天魔王の長であった北の魔王がこの世界から突如として居なくなってしまって我々魔王軍は押され始めてしまいました」
「どうしてそんなような状況に……」
「聞く所によると飽きた。飽きたからだそうです。戦いに……で異世界に行くとか抜かして北の魔王は自分の体を置いてどっかへ行ってしまいました。それでわたしが代わりにトップに立ったのですが脳筋の西の魔王はわたしの事を四天魔王最弱の言う事など聞けないとか言って勝手にやりだすし、東の魔王は意思疎通が出来ないし我が軍は窮地に陥っております」
項垂れるように肩を落とすトワに慰めようと思って徒人は声を掛ける。
「トワさん、可愛いんですから元気だして下さい」
「わ、わたしが可愛い……そんな事を言われたのは生まれて初めてです!」
聞いた。聞いた。と言いながらトワはシルヴェストルに視線を向ける。視線を向けられた竜人は呆れている。
「美人とかお堅い女とかいつも魔王神様の話ばっかりしてる宗教女とかしか言われた事ないのに……感激です!」
「閣下が元気になるのは良い事ですが時間がありませんので本題に入って下さい」
見かねたシルヴェストルが口を挟む。
それに頬を膨らませて不満そうにしながらもトワは咳払いをして本題を切り出した。
「どうか、どうか、これから召喚されるであろう黄道十二宮の勇者を抹殺してきて下さい。あ、いきなり抹殺とかハードルの高いことは望みません。取り敢えず、我々のスパイとして人間の召喚に応じて人間の世界に潜り込んで頂けないでしょうか? お願い致します」
トワは泣きそうな瞳で徒人の右手を両手で包んで懇願する。
「抹殺はともかくスパイくらいならなんとかしますから代わりに一つ失礼な事を教えていただけないでしょうか」
「スリーサイズですか? 胸のサイズですか?」
トワが覚悟を決めた表情で構える。
「人間で言うとお幾つになるんでしょうか……」
徒人の問いが予想外だったのか、トワの目が泳いでいる。
「魔族の年齢では667歳で、人間の年齢に換算すると25歳か26歳くらいかと」
シルヴェストルが『え』に濁点が付いてそうな声をあげる。先程までイケメンボイスで話してたのでそこだけ素の声で徒人は目を白黒させる。
「サバ読まないで下さい」
「3歳だけです。ちょっとだけです。この3歳が地味に効いてくるんですから」
トワは涙目で訴える。シルヴェストルは冷たい眼差しで呆れ返っていた。この人はポンコツなのではないだろうか。
「訂正します。ごめんなさい。28歳か29歳くらいかと。お恥ずかしながら行き遅れのアラサーとか言うのです」
「あまり自分を卑下しないで下さい。彼の心象が悪くなります」
今にも泣き出しそうなトワをシルヴェストルが宥めている。その様子が迷子になった子供とその子を宥めてる警官みたいに見えた。
「すいません。ネガティブで暗くて人見知りで」
徒人には部屋の隅っこでイジケているトワの姿を想像してしまった。無理やりポジティブな人よりは好感が持てる。徒人も基本的にそっちネガティブ側の人間だから。
「部下がうるさいから嫌々お見合いとかさせられてその席でわたしの好きな話をするとみんなドン引きするんです。お見合い相手と最後まで話しすら出来なくて」
号泣と言うべきか滂沱の涙と言うべきなのか、本当に滝のように涙を流してトワは訴えている。その様子は魔王ではなくてポンコツお姉さんそのものである。
「それは閣下が嫌だからと言って無茶振りするから。お見合いが嫌だから全ての相手にストレステストしてフィロメナにやり返さないでもらえますか」
徒人にはその辺りはよく分からないが問題が相当ある魔王様なのは分かった。本当に美人なのに。
「失礼な。彼にはストレステストしてないじゃないですか」
トワに見つめられると悪い気はしない。取り敢えず、特別扱いしてもらえるのは嬉しい。
「確かに彼にはそのような事はしておりませんな。閣下、話が逸れたのを謝罪致します。しかし砂時計が落ちるまでに全て話し終えないと彼が困りますので」
シルヴェルストルの言葉に徒人は砂時計を見た。砂時計は半分以上砂が落ちて残りの砂は少ない。
「とにかく、わたしを哀れだと少しでも思って頂けるならご協力をお願いします」
シルヴェストルから渡されたハンカチで涙を拭いながら念を押すようにお願いする。勢いで告白してしまった手前もあるが自分と共通点の多いネガティブポンコツなトワに共感を覚えなくもない。
「分かりました。取り敢えず、行ってきたらいいんですよね?」
魔族とは言え、絶世の美女の頼みということで徒人は素直に聞いてしまった。
「定時連絡の時に黒鷺城に戻れる転移陣を作っておきますのでEDの治療とか報告はその時に」
「EDは強調しないで下さい。お願いですから」
徒人はトワの手に縋るように頭を下げる。EとDの単語を続けて言われると心が軋む。
「ごめんなさい。ごめんなさい。わたしたらつい……向こうにわたしの部下が入り込んでいますので詳しくはその子に聞いて下さい。向こうでメイドやってますから。多分、ひと目で分かると思います。凄く特徴的な子なんで」
トワは魔王らしくなく簡単に頭を下げた。その様子をシルヴェストルは肩を竦める。
「本当は色々説明する時間が欲しかったのだが仕方がない。詳しい話は人間の方で説明してくれるだろう」
シルヴェストルはトワにルビーのような宝石が填められた指輪を渡す。
「失礼しますね」
指輪を受け取ったトワはそういうと徒人の制服とカッターシャツのボタンを普通に開けて胸が見える状態にする。
「ちょっと痛いですけど我慢してくださいね」
徒人が拒否する間もなくトワはその指輪を胸に、心臓の手を突っ込んで埋め込んだ。
叫ぼうと思った徒人だが殆ど痛みはなかった。逆にそれが恐怖を感じない訳でもない。
「俺は何をされたんでしょうか?」
徒人は怒りたくなるのを堪えて出来るだけ丁寧な口調で聞いてみた。自分の為を思ってやってるのだろうけど説明不足な辺りが彼女の欠点なのかもと思ってしまった。
「それはわたしの血で作った宝石を填めた指輪です。取り敢えず、緊急時にはわたしと連絡を取れるように念話用と転移用の指輪を埋め込んで心臓の大動脈と一体化させました。これでわたし以外は外せない筈です。ヤバくなったら念話で言って下さい。助けますので」
「えーと裏切ったら毒とか出るんでしょうか?」
一番の懸念を口にする。
「そんな機能ありません。第一、そういうのはちょっとミスったら毒とか流れるじゃないですか。と言うか、お腹に刺して埋め込んだ方が良かったですか?」
頬を膨らまえせてトワが怒る。その様子は可愛いけど刺すのキーワードだけは心が震え上がる。
「ごめんなさい。本当に謝りますからそれだけは勘弁して下さい」
徒人は土下座したくなる心境だった。
「取り敢えず、死なない事と正体がばれない事を優先して下さい。生きてたら貴方と話できますし治療も出来ますからね。絶対ですよ。約束してくださいね」
トワは徒人の服の乱れを直して小指を差し出す。徒人はその小指に小指を絡ませた。指切りだ。
「約束です」
トワが魔王とは思えない輝くような笑顔を見せた。
「あと、わたしの隠蔽スキルを授けます。でも人間が習得していても怪しまれないレベルの物なので過信はしないで下さい」
トワが念じると同時に声が聞こえてきた。
【神蛇徒人は[闇の帳]を習得しました。[魔王の蛇]の称号を獲得しました。[魔王の蛇]の称号の効果で[魔族との交渉術1]を習得しました】
「ではまた後ほど」
徒人の意識は闇に溶けていた。