第190話 炎の燃え尽きる時
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アニエスが戦ってる少し先で和樹と火群による一騎討ちが続いていた。その余波で床も壁も天井も焦げたり凍り付いたりして酷い有様だった。特に高級な絨毯は今も燃えて煙と火の粉を散らしている。
和樹は持ち堪えているが以前来ていた時と同じく着ていた服が所々黒く焦げ火傷や熱傷を負っている。氷魔法で応戦しているがやはり炎との相性は悪い。
目の前の岳屋弥勒をサッサと片付けて救援に向かいたい所だが火群もそれを理解しているのか時々邪魔が入る。それも必殺の一撃を加えようとした瞬間に。それが本当に忌々しい。
腐敗臭を撒き散らす元イケメン屍を睨みつけながら隙を伺うが文字通り腐っても勇者なのか双剣と言うか1対の小剣による攻撃は侮りがたい。
「全くとんだ連携ね。でもお前の臭いも嗅ぎ飽きた。早く冥府へ墜ちると良いわ。熱烈歓迎してくれるわよ」
だがその言葉に唸り声を上げるだけで岳屋は他の反応を示さない。微妙な邪気の薄れを感じるので今がチャンスなのは間違いない。恐らくは誰かがカルナをヴァルトラウトの呪縛から解放したのだろう。ならばこの場の決着も早く着けるべきだ。
「師匠、申し訳ありませんが今から30秒だけ爆炎馬鹿を足止めしてくれませんか。こいつを片付けます」
アニエスはワザと火群を煽るように言った。上手く行けば和樹が奴を仕留めてくれるだろう。
「押されてるこいつに何が出来るんだ? 笑わせないでくれ。氷は炎に勝てない運命なのさ」
案の定、余裕綽々で笑い声を漏らしている。対する和樹はずっと黙ったまま何の返事も返さない。仕掛けの最中なのだから喋る訳がない。それに自分の意図を理解してくれたのならきっと成すべき事を成してくれる。
その寝言の間にアニエスは岳屋に向かって走った。ヴァルトラウトのお人形への対処方法は分かっている。後は邪魔が入らない間に済ませてしまうだけだ。
最早、言葉すら発する事が出来なくなった動く骸が双剣を手にアニエスに襲いかかってくる。両手のくないで迎え撃つのは簡単だがその場合は動きが止まって火群による炎魔法が飛んで来るだろう。
くないを投げて牽制するが岳屋に軽々と弾かれた。くないの柄に入っていた液体を床と奴に撒き散らしながら──
それでもアニエスはくないをベルトから取り出し、本命を投げるタイミングまで投げ続ける。
隙が出来た瞬間に本命の白いくないを投げる。それは全て弾き落とそうとしてしまった為に双剣が間に合わず、首元に深々と突き刺さった。人間の思考を持っているのなら引っ掛らない筈のパターン。
「貰うよ」
アニエスはワザと叫んだ。そして1対の小剣の烈風を掻い潜って岳屋の懐へと潜り込む。掌底を叩き込んで白いくないをめり込ませる。痛覚など既にない筈のアンデッドが声にならない悲鳴を上げた。
背中が熱い。計算通りに火群がチョッカイ出してきた。アニエスは腐りきった岳屋の体を駆け上がって背後に回る。床に両手をついて岳屋の体を熱源に向かって蹴り飛ばす。
「なっ!? 馬鹿な」
火群の驚愕の声と共に生ける屍だった岳屋の体は巨大な火球へと飛び込んだ。アサシンの職にあるものがその都度声を上げて攻撃するか。間抜けめ。
炎に絡め取られた岳屋の体は腐敗していたがくないの柄に入っていた油に引火して一気に燃え上がる。火群がちゃんと観察していれば清められた油で岳屋が触れると小さな煙が出ていた事に気付いた筈だろう。
駄目押しにカバンから護符を5枚取り出して岳屋に投げる。
「浄化!」
投げられた5つの護符が岳屋を取り囲んで破邪の五芒星を作り出す。その檻に閉じ込められた岳屋は炎に焼かれながら苦悶の叫びを上げるような姿勢で跪いて天井を仰いだまま動きを停止し、そのまま燃えていく。これで二度と復活しないだろう。一応はこの手で先代様の仇を取れたと言うべきなのか。
感慨に浸りたくなるがその感情を押しやってアニエスは気を引き締める。
「魔力だけの能無し間抜け野郎」
アニエスは吐き捨てるように言い放って火群を見た。和樹と共に炎の向こう側に居てこれを消さないと助けに迎えない。手持ちのカバンの中にはそんなアイテムは持ってきていない。仮にあったとしても消している間に相手が炎を広めていくだろう。
「その間抜けに仲間を殺されるのを見ているがいい」
和樹と攻防を繰り広げながら火群が煽ってくる。カチンと来るが今は飛び込む手段もないし、あったとしても飛び込めない。推測通りならば行ったらかえって邪魔になる可能性が高い。
「さっきから魔法も撃たずに黙っているが何か末期に言い残す事はないのか? それとも魔法のバリエーションと共にネタが尽きて言葉も出ないのか?」
和樹はただ笑ってみせた。その態度に勝ち誇っていた火群が微かに苛立ちを表す。
「ならば死ね! ファイアーボール!」
本来低級魔法である筈のファイアーボールを炎の塊としか形容が出来ないレベルに巨大化させた火球を投げつける。それは一直線に和樹へと迫る。
「この大気を覆う魔の力よ。そなたが研ぎ磨き上げた御業を我に貸し与え給え。そして己の因果をあるべき所へと還せ! 《リフレクター!》」
和樹の声に応じて二人の間に魔法を跳ね返す光の壁が現れる。それに火球は直撃し、正確にそのままの状態で火群へと跳ね返った。
「下らない。これがお前の僅かに残された勝算だったのか?」
嘲りながら自分に跳ね返ってきた火球を埃を払うように右手でかき消してみせる。その様子は埃を払うように簡単に行われた。
だが和樹は冷ややかな視線で火群を見ているだけだった。そこには敗者の悲哀も勝利者の勝ち誇った表情もない。
「師匠様」
アニエスは悲壮感を演出する為にワザと叫んだ。別に和樹が勝てる根拠などない。ただの女の勘に過ぎない。いや願望かもしれないが。
「これで最後だ! この地を遍く満たす光よ。安寧なる光の精霊よ。天上の業火として降り注ぎ、我が敵を不浄を清めと共に焼き払え! 《ヘブンズ・フレイム!》」
だが力を発する言葉を告げたにも関わらず、魔法は発動しなかった。
「な、なんだ? どうして魔法が発動しない? 魔法封じでも食らったのか」
急に立っていられなくなって床に膝をついて動揺する火群に和樹は軽蔑の視線を向ける。
火群の魔法の力が消えていくのを象徴するかのように炎が鎮火していく。最初から存在していなかったかのように──
「分からないのか? 上級魔法に頼るからそうなる」
和樹が自分の服に付いた埃を払いながら吐き捨てる。
「なんだ。視界が歪む。息が苦しい。貴様、何をした。正々堂々、た、戦え」
炎の魔術師と呼ばれた勇者がロッドを支えになんとか立ち上がろうとする
「戦争は始める前の準備で全てが決まる。お前にとっては勝負は最後の5分で決まるとか言う方が好きなんだろうが。……魔法を使う時に誰しも自分の魔法で自身が傷付かないように密閉空間で防御する。それを逆手に取らせてもらっただけさ」
「なんだと。ごふぅ。ケホケホ」
今度は最後まで言葉を発する事すら出来ずに吐血していや泡が混じっているので喀血して火群は床に崩れ落ちた。
火が完全に鎮火した広間に立っている和樹と床を這う火群は勝者と敗者を表している。
「最初に大気中に毒を撒いて置いたんだよ。水溶性のな。お前は魔法を唱える事に夢中でこの場の空気には無頓着だった。それに炎を使うせいでお前の周りの酸素は結果的に俺よりも早く薄くなった。そして上級魔法を連発してたくさん深呼吸して自滅したのさ。あと更に付け加えるならお前は室内で戦うべきではなかった」
息をするのが精一杯になった火群は何も反論出来ずに意識を失った。
「全てを覆う闇の精霊よ。我が望むのは魂を砕く闇の檻。目の前に立ちふさがる我的に未来永劫の闇を持ってその魂を彼岸へと葬り去れ! 《ソウルブレイク!》」
収束する闇の手が火群に殺到し檻を形成し、球体状になって奴の体を包み、そして消えた。その体はバラバラに砕け散る。赤い血すら流せずに。
「命を殺し尽くす魔法、魂を砕く魔法って意外に地味なんですね」
「一応、禁呪中の禁呪なんだがな」
「対ご主人様用だったりして」
アニエスの何気ない一言に和樹は眉毛を顰める。
「そうだったらどうする?」
「対立する原因はなんですか? それに因ります」
和樹が冗談にも本気にも取れる表情をしていた。
「お前を取られそうだからと言ったらどうするつもりだ」
アニエスは和樹の言葉に笑ってみせた。
「あの人に嫉妬する必要なんてないですよ。今回、勇者を倒したのは大金星ですし、それに師匠は自分の事をよく知っていますから誇っていいですよ。それでも足りないのなら取っておきを教えましょう」
和樹が続きを聞きたそうにしている。
「自分は、誰にも話さなかったんですが魔道士になりたかったんですよ。でも道を絶たれてしまいました。……その話は帰ったら詳しく聞かせます」
肝心な所で衛兵たちがやってきた。邪魔が入るって不愉快な事なんだなと思う。
「じゃあ、楽しみにしよう。ところであれ戦わなくていいんだよな?」
「そう願います」
和樹の問いにアニエスが肩を竦めた。




