第186話 ユリウスの提案
徒人たちが階段を登り終えて壁にあるスイッチを押して立法府の一室に出た。誰かの私室らしくこのラティウム帝國の宮殿ですら見た事のない豪華な装飾が施された大きな部屋だった。
恐らく、前皇帝が使用していた部屋なのだろう。問題はそこではない。この部屋に先に居た人物だった。
このラティウム帝國でもっとも最高権力者に近い男、ユリウス。そして彼に連れられて不機嫌そうな顔をしているアスタルテと対象的に無表情なアストル。
3人は待ち構えていたのか、ユリウスは前皇帝が使っていたと思しき豪華な椅子に座りその左右にアスタルテとアストルが佇んでいる。
「やあ、ご機嫌。稀人たち。幾ら表から入れないからと言ってこれは非礼ではないか?」
その言葉に徒人は魔剣の柄に右手を掛ける。
「待て待て。僕は君と、君たちと戦う気はないよ」
ユリウスは両手を上げて無抵抗の意思を示す。だが床には魔法陣が描かれており、これが空気を遮断したりする事が出来るのならば、アスタルテの得意とする炎魔法ならこちらを全滅させる事は可能だろう。
魔法を防げそうな祝詞は聴聞会の拘束され、和樹は別行動。アニエスに彼方は居らず前衛で素早く動けるのはこの場では徒人しか居ない。もっともユリウスを人質に取るだけなら魔盗である十塚の方が適任かもしれない。
「僕もねぇ、元老院議長の蛮行には抗議しようと思ってやってきたのだよ」
「それを信じろと?」
徒人はいつでもユリウスを人質に取れるように腰を落として機会を伺う。
「信じて頂くしかないね。僕には現時点で君と戦うメリットはない。むしろ、権力闘争としては元老院議長に潰れてもらった方がありがたいからね」
落ち着いた様子でユリウスは話を続けようとした所に盾石が前に出て割り込んだ。
「申し訳ありませんが私どもは急いでおります。ご用件があるのならば前置きを抜きでお願い致します」
片膝を絨毯の上に着いて盾石が臣下のように頭を下げる。こういう時のハッタリだけはありがたいか。
「これは失敬。政治家になるといちいち回りくどくて話が長くなるのはいけない癖だ。……また要らない事を喋っているな。ではハッキリ言おう。僕ならこの状況をひっくり返せる」
ユリウスは時間が迫っている事を承知でそこで話を区切った。正直、徒人は苛ついてぶん殴りたくなる。そんな事をしたら祝詞を救出する前に自分がとっ捕まるので我慢するが。
「どうやって?」
「元老院議長を告発して全権を剥奪する。そして聴聞会を延期し、白咲祝詞の反逆容疑自体を取り下げさせる」
噛み付いた徒人にユリウスが冷静に言った。だが具体的な事は何一つ言ってないので中身はない。この話自体が嘘かもしれないし、確証が得られそうには思えない。もっともそれは徒人たちの作戦も同じだが最悪の場合は立法府で暴れて祝詞を救出して南の魔王であるトワの所に逃げ込む選択肢の方がマシだと思った。
「その見返りは?」
わざわざ盾石が聞いた。恐らく彼も分かっているのだろうが聞かなきゃ話が進まないからだ。
「要求は極めてシンプルだ。ノクスから離れて僕につけ。この事態を僕なら打開できる」
「だそうだ。神蛇君、どうする?」
盾石が背中を向けたまま問う。答えなんか決まっている。
「お受け出来ません。俺はリーダーじゃないし、決定権もない。話を持ちかけるのでしたら分散する前に話を持ってくるべきでしたね」
忙しい時の真っ最中に交渉してくるなと思う。もっとも向こうとしては最大限に好機だと考えてこの瞬間に話を持ち出す為にここで待ち構えていたのだろうが。これで六連と阿戸星のコネにユリウスは居ないと言う事が分かった。
なら奴らが手を組んでたのは元老院なのか。
「ふむ。実に残念な結果になったか。アスタルテ、行かせてやれ。君が途中まで送ってやれば衛兵たちも疑うまい」
襲い掛かってくるか魔法陣を使うつもりかと思われたがユリウスはあっさりした態度で命令を下した。
「恐れながらそれは……」
「アフターサービスだ。要らない時間を取らせてしまったのは事実だからな」
盾石の断ろうとする態度にユリウスが口を挟む。
「受けておけばいいじゃないか。例え下心が混じっていたとしても今は拒否している時間も惜しい」
フォローにならないフォローを十塚が行う。どっちかと言うとフォローではなく嫌味か。
「相変わらず、君は辛辣だね。里見。君と同行した時に作ってくれた料理が懐かしいよ」
十塚とユリウスに何かがあったのだろうが2人からは読み取れないし、今はそれどころじゃない。
「執政官殿、引き止めるのもそのくらいになされた方が……」
黙って状況を眺めていたアストルが見かねて口を挟む。
「そうだった。引き止めてすまないね」
ユリウスがそう謝るが全然すまなそうに見えないのがまた徒人を苛つかせるが隣に立っていた十塚が肩に触れて宥める。こんな奴の為に怒るなと言わんばかりに。
命令を受けてアスタルテがドアの方へと向かう。廊下に兵士とか居ないだろうな。
「お早く。聴聞会が始まる前にケリを着けるのが一番でしょうから」
アストルが急かす。確かに聴聞会が始まる前に議長の信用を失墜させてしまった方が楽だ。もっともユリウスにしてみれば聴聞会が始まってから議長に潰れてもらった方がよりダメージが大きくなるのだろうがこっちはそれまで待ってやる訳にはいかない。
「では失礼致します。執政官殿」
盾石は立ち上がって深々と頭を下げる。この2人のやりとりを見てると狐と狐の化かし合いののように思えた。
「ほら行くぞ。急げ」
ドアを開けて廊下に出たアスタルテが手招きしている。疑わしいが進むしかない。
「行こう。ここで暴れても得にはならない。時間の浪費が無駄だ。それに衛兵たちに見つかっても面倒だし、彼らに迷惑を掛けると本当に敵に回られかねない」
十塚の指摘に徒人は魔剣の柄から手を離して歩きだした。
早歩きで十塚が徒人を抜いてドアから廊下へと出る。そして左右を確認してから手招きをした。どうやら懸念しているような事態にはないらしいがモタモタしてられない。阿戸星が待ち構えていたのだから他の連中が待ち構えている可能性は極めて高い。
そこで徒人は焦げたような臭いに気がついた。慌てて廊下に出る。どこかで火事のような臭いと煙がしている。
「もう始まってたか」
「と言うよりは私たちよりも立法府を襲撃したい連中が居たな。失念していたよ。黄道十二宮の勇者にカルナたち死者。彼らならこの機に乗じて襲撃を画策していたとしてもおかしくない。事を起こそうとしそうな私たちと言う隠れ蓑も丁度ある事だしな」
最後に部屋を出た盾石が皮肉めいた笑みを浮かべる。
「ならば急げ。こちらとしてもこの混乱の隙にお前たちを聴聞会の会場に贈り届けた方が楽だしな」
アスタルテが冷たい態度を取る。こんな状況で徒人たちと行動している姿を見られるのは困るだろう。もっとも彼女は面倒くさがり屋な所はあったが。
「何事だ!」
「敵襲です。しかも二勢力同時に襲撃されました。黄道十二宮の勇者の火群と蘇ったとされる死者たちが詰めかけています。幸いな事に火群は稀人の魔術師と交戦を開始。彼に足止めされております。他に岳屋弥勒と思しきアンデッドがメイドと交戦しています。今のうちに聴聞会を中断して元老院の方々に逃げて頂いた方が……」
「馬鹿者! そんな事を受け入れられると思ってるのか。早く鎮圧しろ! この立法府を守るエリートの威信にかけてだ!」
廊下の向こうからそんなやり取りが聞こえてきた。和樹とアニエスの方に邪魔が入った以上、こっちが祝詞の元に辿り着くしかない。
「案内する。急げ!」
アスタルテが廊下を走る。十塚が後に続く。徒人もそれを追った。




