第173話 一度やってみたかったんです
徒人たちは新しい家に、いや仮住まいに戻った。居間のソファーで寛いでいるが今まで日本家屋に住んでたのにいきなり洋館に住まわされると対応できない。仕方ないので鎧を外して靴を脱ぐくらいしか抵抗できないのが歯痒い。
目を瞑っていると足音がして目の前で止まった。歩き方の感じからしてアニエスだろう。足音で誰か分かるようになるのは笑えない。しかも彼女はワザと音を出して来てくれたのだから余計に──
「ご主人様、死にそうなくらい暗い顔をしてますね」
声を掛けられて瞼を開けるとアニエスがソファーの脇に立っていた。
「幽霊を取り逃した挙句、それが知り合いならな。いい顔は出来ないさ。それに家はこんな状態だし泣けるよ」
唯一の救いは夕食がノクス邸で食べた物に較べて味が引けを取らなかった事くらいか。
「住み慣れないんですね。気持ちは分かります。凹んでいる所に悪いのですがあの方が呼んでますので部屋で準備しておきました。前と同じ方法で黒鷺城へ行けるので顔を出してきて下さい。一応、武器は持ち込めますが兵士が居るのと結界で対策されてるので驚かないで下さいね」
「眠たいんだが」
「寝るのならあの方の寝室でやってください。行ってもらわないと私が睨まれますので」
アニエスが粗雑にサッサと行動してくれと言わんがばかり促す。怒られたくないのとトバッチリを食いたくないのは分かるが酷い。彼女は降り掛かった新しい難題と難敵に若干イライラしているようにも見える。
仕方ないので徒人は上半身を起こしてソファーの脇に置いていた魔剣を掴んで鞘ごとベルトに差す。
「……どうしてアニエスを介して連絡してきたんだ?」
「何を言ってるんですか? ご主人様は寝ぼけているんですか? 自分が連絡係も兼ねてるんですから伝言を伝えるのは当然の事ですから。……早く行ってきて下さい。朝までに帰って来れない場合はこっちで話しておきますから」
トワは徒人に直接連絡できる件を話してないのかアニエスは呆れている。言いたくないから話してないのだろうか。取り敢えず、トワが言いたくないのであればアニエスに話す理由がないのでこの場では黙っておく事にした。理由は話した場合、トワに怒られそうな気がするから。
徒人は立ち上がって靴を履いて自分の部屋へと向かった。
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自分の部屋で転移陣を使って黒鷺城に転移するとアニエスの言った通り警備兵たちが居て結界が張ってあった。警護を担当していたリビングメイルの1体に呼び止められたが殆ど顔パスみたいな状態はなんだと思わなくもない。前は申し訳程度に警護が居て篝火があった程度からだが前よりは改善してるのだろうか。
城壁の上には弓を持ったリビングメイルが居たので狙撃も含めて対応してるから警備としては万全なのだろうが狙われてる状態だと分かるとぞっとしないな。あと攻城戦ぽいなとか思ったりもする。そう言えば大規模破壊魔法への対策は何も言ってなかったな。対策をしてるのか聞いてみてもいいがそれよりも徒人は指輪の件を聞かなければならない。
そんな事を考えながら黒鷺城内に入ってホールを抜けてトワの所へ向かおうとするとホールの中央で老執事に呼び止められた。
「徒人様。トワ様は寝室ではなく1階の空き部屋でお待ちしております。私めが案内致しますのでこちらへ」
特に断る必要もないので徒人は気にも留めないで前を歩く老執事の後に続く。
「これは差し出がましい老人の独り言ですがこの間の件には我々一同は徒人様に大変感謝しております。それは言葉で言い尽くせないほどでただただ頭を下げるだけです」
彼の言葉に徒人は頭を捻る。だが思い当たる節がない。
考えているうちに老執事はホールを出て廊下に移動していたので徒人も慌てて後を追う。
「何かしましたけ? 死神勇者の件でしょうか?」
「それもありますがトワ様の事についてです。徒人様と喧嘩してた時は酷い状態でしたから」
老執事の言葉を聞いて複雑な気分になる。和解のキッカケは命懸けで行動したトワの努力であって自身はそれに答えただけに過ぎないのでそんなに感謝されるとバツが悪い。惑海のスキルを破ったのは健気だったトワのお陰なのだから。
「死神勇者と魚座の勇者の件の事を言われると力不足を痛感しますのであんまりその話は……」
「申し訳ありません。独り言が聞こえておりましたか。ただ失礼ながら訂正と独り言を続けさせて頂けるのなら」
徒人の沈黙を老執事は肯定と受け取って廊下を歩きながら続きを話し始めた。
「私めが言っているのは戦闘の事ではなく、トワ様に関しての事です。徒人様と喧嘩した後のトワ様は本当に酷い有様でした。物を投げたり癇癪を起こしたりするくらいなら良かったのですがそれを通り越して……仕事こそちゃんとしてらっしゃいました。ですがそれ以外の時間は寝室で頭から布団を被ってひたすら泣きじゃくるわ。寝室から出て来ないで食事も殆ど手に付けていない状態でしたから。余り責めないで下さい。全ては貴方が離れていかないかが心配で心配で怖がっているだけなのです」
「なんか言いたげな顔をしてましたか」
「はい」
すぐに返答が返ってきた事に徒人は唇に力を入れる。
「分かりました。善処します」
「ですが出来れば期限を損ねない程度に首を刺しておいてもらえると助かります。……これは本当に余計な一言でした。申し訳ありません。トワ様は何かサプライズしたいとか言ってましたので下手しても強くは責めないで頂けると幸いです」
老執事は廊下の一角で足を止めた。目の前にはドアがあった。
「トワ様、徒人様をお連れ致しました」
「ご苦労様です。彼を入れて暫く二人っきりにして下さい」
その言葉に老執事がドアを開けて徒人に入るように促す。部屋の中では中央右にある椅子の近くに立ってトワが何かを準備しているみたいだった。凄く不安な予感がしてきたが今更逃げ出す訳にもいかないので顔に出さないように室内に入って無表情を装う。
「トワ、何の用? 話したい事なら明日にって無理か」
老執事がドアを閉めた。何故か外から鍵を掛けられてしまう。ちょっとビックリして体が小刻みに震えてしまった。何をするのか部屋を見渡してみるとハサミとタオルとカミソリみたいな物が置いてある。
何故かそれらを見てトワがちょっと引くような笑みを浮かべていた。
「徒人、グッドタイミングです。丁度準備が出来たところでした」
「話が見えないんだけど、どういう意味なの?」
「わたしは前からやってみたかったんですよ。好きな人の髪を切るとか髪を切るとか」
凄い勢いでやってきたトワに後ろに回られて肩を掴まれた。どうやってるのか分からないがこの後ろに回り込んだりするのは格闘系のスキルなんだろうか。
考えてる間にトワが徒人を押して強引に背もたれの低い椅子に座らされた。正面に大きな鏡がある所を見るとトワが見ていたのは散髪道具一式だったと気付く。
徒人は自分の前髪を触った。確かにこっちの世界に来て3ヶ月くらい経ってるので散髪する必要はある。
考えてる隙にトワに魔剣を取り上げられる。そして魔剣は床に置いてあった籠に置かれた。
「散髪できる特技があったんだ。トワには悪いけど不器用なイメージがあったからちょっと意外かな」
不安を紛らわせるように言葉を発する。なんか嫌な予感しかしない。心霊スポットとかに行った時に感じるのはこういう嫌な虫の予感なのだろうかと徒人は真剣に考えた。
「嫌だな。徒人。わたしがそれなりに不格好にならないように出来るのは料理と裁縫だけで散髪なんか自分でやったらぱっつん前髪ですよ」
トワが笑いながら返した。なんですと。じゃあ、何故ゆえに人の髪を切ろうとするのか。理解できない。
その理由を考えるが混乱する徒人の思考回路は答えを導けない。その時に上から蒸したタオルが頭に巻かれる。耳元近くでハサミを動かすシャキシャキと言う音がする。
「えーとやり方は分かってますよね?」
心なしか自分で喋っていても声が硬い。
「大丈夫大丈夫。分かってる分かってる。先っちょだけだから。ちょっと毛先を切るだけだし」
正面の大きな鏡に映ったトワは虚ろ目で語る。これが操られてるとか言うオチなら逃げればいいのだろうがこのトワはどう見ても正気の範疇だ。本人の意志でやってるようにしか思えない。丸坊主は覚悟すべきなのか。
「じゃあ、始めますよ。動かないで下さいね。耳とか切ったら大変ですから」
鏡に映ったトワは虚ろ目でハサミをシャキシャキと動かしていた。髪の毛のピンチ。丸坊主も覚悟しないといけないのか。




