第170話 昼食会
元老院で議長の秘書らしい男性に報告した後、報酬を受け取った。金額としては問題ないのだがその場に居た元老院の使い三馬鹿の慇懃無礼な態度に苛つきながら家に帰ろうとした時には昼になっていた。大通りを歩く中、空の中心で太陽がランランと輝いているのが徹夜明けには恨めしい。
あれから盾石は黙って付いてきているだけで何も喋らない。元老院からの依頼の報酬を受け取っていたそうだが真意は掴めない。
「家帰っても何もないしなんか買って帰るべきなのかな」
彼方がぼやいている。他のメンバーが疲れた表情を見せる中で彼女だけはいつもと変わらない表情で昼飯の心配をしている。あれだけ暴れ回ってまだ元気な様子でタフなのが少し羨ましい。
「刀谷は元気だな」
十塚が疲れを隠せない表情で呆れている。その顔は迷彩用のフェイスペイントが落ちていてそれが余計に疲労感を増していた。常に索敵と不意打ちへの警戒をしていないといけないのは精神的な負担が大きいのかもしれない。
「このくらいで疲れてたらやってられなかったから」
「そんなに2026年は酷い時代だったのか」
和樹の問いに彼方は微妙な、哀愁とは違う振り返りたくないと言う想いと触れないでくれと言うメッセージが綯い交ぜになっているように見える。
「君たちにお客様みたいだな」
盾石が呟いた。鎧を着た女性たちが人垣を割りながら現れる。そしてその中心に居たのは見慣れた人物だった。
「こんな所で遭遇するとは奇遇ですね。お昼がまだならこのノクスとご一緒しませんか?」
魔導師のローブを羽織った少女が笑う。
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ノクスの屋敷に連れてこられた徒人たちは食堂へと通された。食堂自体もそうなのだが元皇帝の妹である人間が住んでいる邸宅の食堂にしては質素だった。
「上座以外なら適当に座ってもらって構わなくてよ。監視役のアニエス殿も同席してくれ頂けるかしら」
メイド服姿のアニエスが躊躇いを見せたがすぐにそれを打ち消す。招いてくれた女主人がそう言っているのだ。それを無下に断る事が出来ないし、断っては角が立つ。アニエスがそれを知らない訳ではない。
ノクスのメイドたちも主人の意向を無視する訳にいかないのか黙っているが多少不愉快そうにしているようにも見えた。アニエスがメイドではないのは理解しているだろうがそれでも同じような服装をしている彼女が賓客として呼ばれるのは面白くはないだろう。
「ご主人様や師匠から座っていって下さい。自分は余りで構いませんので」
その言葉に真っ先に上座に対面する位置に座ったのは部外者である盾石なのだが女性陣が徒人と和樹を見る。隣に座りたくないからカバーしてくれと言う意味に取れる。徒人と和樹は顔を見合わせた。
「お先にどうぞ」
徒人は手で和樹に促す。どうせ、和樹はアニエスと並んで座るのだから先に座ってくれた方が──そこでアニエスが最後に座るしかないのを思い出して言い直す。
「やっぱり先に座る」
徒人は盾石の右斜め隣に座った。左側に置いていたら見ずに済むだろう。右隣に祝詞と十塚が座る。それを見て和樹が盾石の左斜めに着席する。それを見て彼方は1つ席を空けて左に座る。それを見て最後にアニエスが和樹の隣に座った。
それを見て執事やメイドたちが銀食器に入った料理や銀のナイフとフォークを持ってきた。現代に、いや、徒人たちの生きていた時代のレストランと比べても品数と豪華さでは遜色のないレベルかもしれない。あくまでランチとして比較するならだが。料理の鮮度で言うなら劣っているかもしれないが徒人に見て分かる物ではない。
「どうぞ。遠慮なく召し上がって下さい。ちなみに元老院に文句を言わせない為の昼食会で客人を呼ばないと豪華な食事が出せないのは言いっこなしでお願いします」
ノクスが冗談を言ってみせた。
取り敢えず、徒人は両手を合わせる。頂きますはこっちの文化にそぐわない場合があるので毎回言わなかった。他のみんなも無言で手を合わせていたので浮いてなくて良かった。
目の前にあったナイフとフォークを手に取り、赤いタレの掛かった何の肉か分からないがそれを切る。
「肉のワインの煮込みか。羊かな。それも子供の」
十塚が右手にフォーク、左手でナイフを持って切る。
「よく分かりましたね。西の大陸から入ってきた文化が大好きでよく食べているのですよ。もっとも貴方たちには馴染みがないのかもしれませんが」
ノクスが嬉しそうにしている中、十塚以外はあんまり聞いていなくてありつけた食事に感謝して肉やサラダを頬張っていた。徒人も切った肉を口に運ぶ。よく煮込んであるのか臭みがなく蕩けるように肉が崩れた。
「美味い。こっちに来てから食べたもので一番美味いかも」
「これでもこのノクスが今まで生きてきた生涯の中ではあんまり美味しくない方なのですがね。……冗談ですよ。多分、味は変わりませんよ。ただどうしても思い出補正がありますのでそう感じてしまうのです」
一瞬、徒人が凍り付いたのを見てノクスがそうフォローする。その一言に徒人にも思い当たる節はあった。元の世界の料理に剣を振り回したりしなくてもいい安全と浄水装置に掛けなくても飲めた飲水。懐かしい物だ。出来るなら安全以外は持ってきたいが叶いそうもない。
「確かにね」
祝詞は子羊のワイン煮の一部をフォークに刺したまま呟く。
「全盛期への哀愁ですか。誰もが人生で己が一番輝いている時間なんて分かりませんよね。知ってしまったらそれ以上は生きてはゆけないし、知っていたとしたのならその時間の一瞬一瞬を大事に、この肉のように貴重な物として味わう事が出来るのに」
アニエスは珍しくノスタルジックな事を言ってから子羊の肉をフォークで口に運んだ。
その言葉に彼方だけが手を止めて沈黙を守っている。聞き入っているのか聞き入っていないのか判断が出来ないが。
「やはり、育ちはいいのですね。隠してもこのノクスにも分かります。さぞ、名のある家の出なのか、或いはそういう風に叩き込まれたのか……」
ノクスの探るような視線にアニエスはため息を吐く。
「ただ、見た目以上に長生きしているので余計な知識を得ただけですよ。それより折角ですから乾杯しませんか? それぞれの戻れぬ想い出の彼方に」
アニエスが赤いワインの入ったワイングラスを右手で持ち上げる。
「このノクスは戻れないと決まった訳でないのですがね。まあ、いいでしょう。元の場所に戻れても想い出の地に戻れても時間までは戻せないのですから。ではグラスをお取り下さい」
その言葉に徒人はワイングラスを取る。盾石を含んだ全員がワイングラスを右手に持つ。いや十塚だけが左利きなのか左手でワイングラスを持った。
「当方は帰っても何も残っていないのだけどね」
彼方が小さな声で呟くがみんなは聞こえていても敢えて触れない。言った後に口元を抑えていた事から彼方自身も触れては欲しくないのだろう。
「それぞれの想い出に。帰れぬ想い出の時に」
ノクスの言葉を音頭に徒人たちはワイングラスを掲げて中身の赤ワインを飲んだ。相変わらずあんまり美味くない。水の代わりとは言え辛い。何が美味いのか理解に苦しむが女子陣は慣れてきたのか普通にしていた。
ワインを飲み干したノクスが思い出したように語りだす。
「皆さんを招いた理由にはもう1つあって新しい住居が決まるまでの仮宿が決まりました。このノクスが大好きな洋風と言うか洋風建築の作りの住宅ですが構いませんか?」
「今はちゃんと住めるだけで助かるので贅沢は言いませんよ。それでどこにあるのですか?」
祝詞がフォローを入れる。半分焼けた家に住むのはちょっと辛い。
「基本的に稀人たちは一箇所に集まっているのですが……その一角で稀人たちの墓地に近い区画です。ハッキリ言うと稀人墓所の隣になります。このノクスの力が及ばずに歯痒い思いをさせてしまいます」
ノクスが若干申し訳なさそうにする。
「墓の近くに住むのは栄える証拠だったかな。運気が良くなる筈。ゾンビとかアンデッドとか出なければの話だけど」
「それは大丈夫です。稀人たちは基本的に火葬なので」
本気で言ってるとは思えない彼方のジョークにノクスが反応した。
「それで改築にどのくらい掛かりますか?」
徒人は聞いてみた。家の中で靴を脱げないのはかったるい。と言うか徒人には靴を一日中履いてられる自信がない。
「恐らく1ヶ月以内に出来ると思われます。丁度、そっちの大工と呼ばれる方が来てますので。今のところ伝えたい事はこれだけなので改めて料理の味をお楽しみ下さい」
ノクスの言葉に甘えて徒人たちは食事を再開する。そしてユリウス執政官に関しても情報を交換した。




