裏話 例え神が許そうとトワ(わたし)が許さない
Sideです
時は死神勇者が襲撃する前まで遡る。具体的に言うとトワが徒人に罵声を浴びせられた直後だ。
フィロメナはトワを追って黒鷺城まで戻り、彼女の寝室まで来ていた。想像した通り、トワは白い天蓋付きのベッドの中で枕に顔を埋めて泣いている。手前共の上司ながら頭が痛くなるのを抑えられない。
「徒人に嫌われた。徒人に嫌われた。どうしよう。どうしよう」
何度目なのか数えるのも馬鹿らしくなった一言がまた繰り返された。我が子たちの愚痴なら一生懸命に励まそうとすら思うフィロメナだがこの大っきい子供であるトワに対してはそんな気が起きない。
シルヴェストルが娘みたいなものだと言っていた一言がフィロメナには理解できないと本気で思ってる。
「魔王様、アニエスから渡された婿殿の手紙を読めばいいかと」
「嫌だ。嫌だ。アニエスが簡単に許すなとか言ってたから徒人が許してくれてなかったらわたしは首を吊らないといけなってしまう」
天蓋の向こうでトワが悶えていた。フィロメナはベッドの脇にある棚に近寄る。アニエスが徒人から渡された封筒があった。それは赤い蝋で封蝋されている。
「なら先に手前がチェックして内容を確かめればよろしいかと」
フィロメナが手を伸ばそうとした瞬間に否定の言葉が返ってくる。
「駄目駄目駄目駄目駄目。そんな事して中身が徒人からわたしへの愛に満ち溢れた内容だったらそれこそ徒人に合わせる顔がなくなってしまう。徒人に恥はかかせられない。本当にそれだと終わってしまう」
トワが枕に埋めていた顔を上げて慌てて棚が置いてあった方へと這ってやってきた。普段のおっとりとした感じからは想像できない速度である。
「なら覚悟完了して早く読んで頂けないでしょうか。手前はかえって夫と子供たちの夕飯の準備をしないといけないのですが」
今日は義妹が作ってくれたので後は出すのを手伝うだけであるが敢えてそう言っておく。腹を空かせてまでこの下らないやり取りに付き合わされるのは御免だし、何より夫と子供を待たせる訳にはいかない。
「どうしよう。本当に悩む」
主は天蓋から手を差し出してきた。フィロメナは棚の上にあった封筒を無言で主に渡す。
悩んでいるのはこっちの方だ。このまま帰ってしまおうかと思わなくもない。だがそれをして何かあれば責任問題なるのは必定。忠誠心で行動している訳ではなく給料でこの仕事をしているので引責辞職させられるような形で辞める訳にはいかない。フィロメナは多くの子供たちを養わなければならないのだから。
「読んでみて都合の悪い事が書いてあったら忘れてしまえばどうですか?」
「そんな訳にはいかない。都合が悪くても徒人の言葉なのだからわたしが覚えていないでどうするのですか」
フィロメナの言葉にトワが鼻で息をするかのように興奮していた。
ならさっさと読めよとイライラしてくる。他人の恋路ほど野暮ったい物はない。フィロメナ自身も奥手で慎重派だったので人の事は言えないのだが──そこで一計を案じる。この手なら魔王様は手紙を読むだろう。
「トワ様、ところで宛名のインクは普通のインクですか?」
「どうしてそんな事を……」
途中でフィロメナの意図に気が付いたのか、トワが黙り込む。
「そうです。アニエスが間違って消えるインクを使ってしまったのではないかと思い至ったのです。折角、婿殿が書かれたお手紙が消えてしまわれては最悪かと」
フィロメナは出来るだけ表情を表に出さないようにして進言する。
その言葉に天蓋ごしでもトワの動きが止まったのが分かった。彼女は迷っていたがすぐに決断して棚の一番上の引き出しを開けて木製のペーパーナイフを取り出す。そして封蝋されていた封筒を右手に持つペーパーナイフで破いて手紙を取り出す。
そしてトワが徒人の手紙を穴が空くほど熱心な視線で読んでいた。フィロメナは黙ってそれを見つめている。
トワはいつの間にか涙を流していた。手紙の上にそれが零れ落ちた。
「好きで大好きで愛おしくて愛おしくて狂ってしまいそうなほど求めてしまうわたしの徒人。優しくて脆くてそのくせ、意地っ張りで頑固なのに……痛かったよね? 苦しかったよね? 胸が張り裂けそうだったよね? 心にもない事を言わされて。言わなきゃいけなくて。徒人の心中を思うと本当に、本当に許せない。わたしに言った言葉が繊細な徒人の心にどれほど深い傷を与えたか、その痛みを与えてしまった事か。想像するだけで怒りが、怒りが抑えきれなくなる。わたしはまだ我慢できる。でも徒人を! 愛しい人を傷付けられてわたしはここまで腸が煮えくり返った事はない。絶対に許せない。絶対にだ。神が許そうが創造主が許そうがわたしは絶対に報復する。徒人を傷付けた報いを地獄の底で思い知らせてやる」
愛する男への愛の言葉を語りつつ、自分を傷付ける原因になった者に対して憎悪と怒りの言葉を吐き出す恋する乙女と怒り狂う夜叉の如き女が天蓋の向こうに居た。フィロメナも女だからこそその気持ちは分かるのだがその姿に若干の恐怖を抱く。
フィロメナは魔王になれる者の条件に激しい憎悪と言う項目があった事を思い出す。自分とて我が子が傷付けられれば怒り狂うだろう。だが天蓋の向こうにいる主の怒りの熱量はそれをも遥かに凌いでいた。
憎悪だけで人が殺せるのならばまさにこれこそがそれに相応しい。この寝室全体が激しい憎悪の空気に満たされているのが分かった。フィロメナが幾ら悪魔と言えどもさすがにこの空間の居心地の悪さは耐え難いものがあった。
「魚座の勇者は私の手で殺す」
南の魔王と呼ばれる女は憎悪と殺意の中心でスノーホワイトの腰まで届く髪を振り乱し、撫子色の唇から死の言葉を紡いでいた。
フィロメナは異様と言える空気の中で押し黙る。言葉をかけるキッカケが分からないからだ。下手に声を掛ければ自分が殺されるかもしれない。
「フィロメナ」
普段とは違い、低い声で喋り、鴇色の瞳は怒りの炎を灯していた。その炎は相手を殺すまで決して消える事がないのはすぐに解った。
「は、はい」
唐突に呼ばれた為にフィロメナは慌てて膝を床について頭を下げる。本来、悪魔であるフィロメナが魔族であるトワに対してここまでの態度は取らない。それにも関わらず臣下の礼を取ったのは純粋に今のトワが怖いからだ。
その証拠に全身の毛が逆立つほど震えが止まらない。黒鷺城の地下にある冷凍庫の中心でもここまでの震えた記憶はなかった。
「全軍に通達。魚座の勇者を探せ。どんな小さい情報でも構わない。だが必ずわたしに報告せよ。奴の捕獲及び殺害は最優先で行うように。そして殺害してしまった場合も死体は黒鷺城まで持ってくるように厳命する」
「ぎ、御意」
フィロメナは踵を返してドアを開けて寝室の外に居た執事にそっくりそのままトワの言葉を伝えて命令を復唱させた。それが終わると同時に執事は廊下を慌てて走って行く。
「わたしが奴の命を殺し尽くしてやる。絶対に」
物騒な言葉がフィロメナの背中を震わせた。ルシファーいや本来はイヴィル・ハイプリエステスであるトワにはさしたる攻撃手段はない。知っている限りでは修道僧であったらしいがそこからどうやって殺し尽くすのかを考えると凄惨極まりない光景が脳裏を過ぎった。願わくばその場に自分が居ない事を祈る。
トワが天蓋から出てきた。その表情は幾分和らいでいる。
「魔王様、1つだけよろしいでしょうか?」
覚悟を決めてフィロメナが口を開く。
「構わない。申してみよ」
「婿殿の手紙には何と書いてあったのですか?」
女の悪い癖だと思いつつ、フィロメナが手紙の中身に関して聞く。
「1つだけ教えてあげる。そんなに長い文章じゃなかった」
トワは先程までの殺意を消し去って純粋無垢な笑みを浮かべた。
この話で第4章はラストです
次から第5章になります




