第155話 それは吉報か訃報か
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アニエスの近くで氷と炎の激突が繰り広げられていた。和樹は必死で応戦しているが魔力の差よりも装備の差で押されている。その姿も氷で炎を防いでいるがローブは焼け、至る所に火傷を負っている。勇者の装備と言うやつかと内心毒気づく。
ヘル・ブリザードやシャイニング・フレア、ヘル・アイシクル・フリーズにヘブンズ・フレイムなど上位魔法が飛び交っているが和樹は長くは持たない。
アニエスは加勢に行きたいのだが目の前に陣取る水瓶座の陰陽師とその式神がそれを阻んでいる。
十塚は式神から祝詞を守るので手いっぱいなので論外過ぎるし、祝詞は薙刀を持って応戦しているが前衛として戦わせるなど論外だ。
それに水瓶座の勇者だけあってこれまでの交戦で奴の術符に因る召喚速度は並ではない。倒しても倒しても式神が現れる上に元々アニエスは命を奪うアサシンなどの職業を渡り歩いていた特性上、生物以外の相手をするのが苦手でこの式神たちは生命とは別のカテゴリーに入っていた。
「悪いけど自分はオジサンは、年上は嫌いなんだ」
「これはこれは……拙僧にも鴨野と言う名前があるのですよ。ですがまだオジサン呼ばわりして頂けるのは幸いです」
初老の男は相変わらず水瓶座の仮面を被ったまま、笑う。
「子供呼ばわりしてあげた方がいいのですか? ならばそういう趣味はないので地獄の鬼にでも言って下さい」
「いいえ。遠慮しておきましょう。何せ、鬼なら間に合っていますので」
鴨野が指を鳴らすとそ同時にその両サイドに屈強な赤鬼と青鬼が現れた。だが金属の塊のように思える。東の魔王軍の連中みたいだ。どうやらこっちの手の内を知っているようだとアニエスは確信する。
「貴方に自分の個人情報を教えたつもりはないのですが……随分と念入りに調べたようですね」
「ツテを使って調べていただきました。アニエスと言う名は仮の姿。本来は南の魔王軍幹部五星角の1人。本名はニース・セドゥム・ドゥハ。異名は死刑執行者・ニース」
鴨野は淡々と語る。赤鬼と青鬼は動く気配はない。アニエスの隙を伺っているのだろう。
「……はて? 誰かと勘違いしているようですね。自分の名はアニエス・フローレンス。少なくともニースと言う名前ではありません」
アニエスは眉を顰めながら両手に持ったくないを持ち上げる。
「これはこれは失礼を。拙僧とした事がとんだ粗相を」
鴨野が馬鹿丁寧に頭を下げた。勿論、奴は信じては居ないだろう。そして明らかに誘っている。それに和樹の方も炎の魔術師の勇者を抑えておくのもそろそろ限界だろう。ならば自分の手で勇者殺し即ち南の魔王軍の隠語では[星落とし]を実行するしかない。
だが鴨野から聞こえた機械音声がそれを留めた。
『こちら双葉。鴨野のおっさん、聞こえる? マジ最悪の事態発生。神蛇徒人に返り討ちにあって剣峰が敗死した。もう一度、繰り返して言うよ。神蛇徒人に返り討ちにあって剣峰が敗死した。だからそこで戦う必然がなくなった』
双葉と名乗った声は痛みを堪えるような感じだった。
「そんな馬鹿な。信じられん」
鴨野が初めて動揺を見せた。アニエスはその隙に首を刎ね落そうと隙を窺うがそれを阻むかの如く反射的に2匹の鬼が前へ出る。
「こっちの最大戦力を失って同盟成立かよ」
和樹を撃退した牡羊座の魔術師が鴨野の元へと戻ってくる。不快な事を言っているが恐らく西の魔王軍の事か。
それと入れ替わりにアニエスは2人の勇者と2匹の鬼を牽制しつつ和樹の元へと移動する。
「師匠、大丈夫ですか?」
ところどころローブが破け、水ぶくれや火傷を負っているが和樹はしっかりと受け答えをしている。アニエスは彼に肩を貸す。
「平気だ。武具の差で雑魚扱いされるのは不愉快だな。段々、勇者って存在に苛ついてきたよ」
「それは奇遇ですね。自分もです。でもご主人様が一矢報いてくれたようで」
アニエスは即座に答えた為か和樹が苦い顔をする。
「仕方ないが徒人が倒したのか。それとも徒人と彼方の2人で倒したのか。いずれにせよ……」
和樹は唇から血が出るほど歯に力を込めて耐えている。
「撤退するぞ」
「だがこのままでは」
「引くぞ」
尚も戦闘を継続しようとする牡羊座の魔道士に鴨野が冷たく言い放つ。そして鴨野の周囲を術符が鳥葬の如く殺到いや放たれて視界を覆い尽くす。それが術符の鳥が去った後には鴨野も牡羊座の魔道士も2匹の鬼も忽然と消えていた。
「追うか?」
「師匠、それは無理です。こっちには前衛2人が抜けてますから。第一、どこへ消えたか分かりません」
アニエスの指摘に和樹が押し黙った。
「何とか追い返したけどダメージが大きそうね」
祝詞が薙刀を杖代わりにしながら歩いてくる。
「家も結構ダメージあるな。寝る所どうしょう」
十塚が炎や戦闘の影響で半壊した自宅を見つめながら言った。
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獅子王城の謁見の間では玉座の左右に立つ左腕を吊ったファウストとメフィストが映像で報告してきた鳥型の偵察兵の報告を聞いていた。勿論、魔力に因るものだ。
「分かった。下がれ。また動きがあれば報告を」
鳥の偵察兵は一礼して報告を打ち切った。
「とんだ番狂わせだな」
メフィストはため息を吐く。勿論、双方共倒れを狙っていたがモヤモヤとした胸のつかえを覚えていた。これは最悪の展開ではないのかと言う疑念が絶えない。確かに剣峰終が死ぬ事によって彼女たちの主である西の魔王軍の総大将にして西の魔王マクシムス・スローンの傷はこれで治る。どうしても素直に喜べない。
「奴の事は、剣峰終との再戦は叶わぬが仕方がない。だがこれは嬉しい誤算だ。神蛇徒人。我をまだ愉しませてくれるのだな」
ファウストは愉しそうに笑いを堪えている。彼の傷も終に負わされたものだが対策と彼女が死んだ事によって既に治癒阻害の効果は消え失せていた。
「僕はお前みたいに前向きな奴が羨ましいよ」
「下らぬ策を弄しても所詮最後に物を言うのは武よ。所詮、それが証明されただけの話。正面から叩き潰せばよいのだ」
ファウストは本当に満足気に呟く。自分の信念を示す機会に恵まれたのが嬉しいらしい。
「ならばその傷を治して完治させるのだな。お前には働いてもらわないと困るのだから」
「貴様に言われなくとも分かっている。だがまさか本当に下馬評を覆すとはな」
ファウストが完全に動かない左手の代わりに右手でクルミを弄ぶ。
「しかし、どうしてひっくり返せたのだろうな」
メフィストとファウストとしか居ない謁見の間で意味もなく呟く。
「知れた事よ。神蛇徒人が諦めなかったからに決まっておろう。一瞬の判断が生死を分ける勝負の分かれ目は気迫と意志。剣峰とやらはそこに弱さを抱えていたのだ。実力差のある勝負ならともかく実力が均衡している相手ではそれは大きな弱点となる」
「だが神蛇徒人と剣峰終には実力差があった筈だが」
メフィストは首を傾げる。理解できないとしか言いようがない。
「先程の報告の中に南の魔王殿と共に戦ったと言っていたではないか? そこにこそ勝機があったのだ。個々では確実に神蛇徒人と南の魔王トワ・ノールオセアンは剣峰終に勝てなかっただろう。だが2人で協力して戦った事により勝機が生まれたのだ」
「まさかお前が愛の力とでも言うのか?」
「それを何と言うかはお前の勝手だ。だが結果として2人で協力して戦う事で勝機が生まれ、結果として勝てない筈の相手を打倒する事が出来た。それはお前がどう思おうと覆しようのないただの事実に過ぎない」
メフィストはファウストの言葉を聞いていると今回の結果が最悪の事態へと進んだように思えてしまう。
「なるほど。策の外の出来事だったと言う事か」
「ほんの僅かな運命の狂いで誤差など幾らでも生じる。だがそれは戦いにおける必然というモノだ。策など結局は肝心な所で破綻する」
「分かったよ。だがこれ以上はお前のご高説を聞きたいとは思わない。結局、お前の言いたい事は己の肉体と拳で何とかすると言う話なのだろう」
メフィストの言葉にファウストが笑っていた。




