第153話 死神勇者との決着
終は思い返していた。
この世界に来た時の事を。約4年前、当時22歳でこの異世界に召喚されてその背の高さと体格の良さからやりたくもない前衛を押しつけられて四苦八苦していた。だがそれはOL時代のただ自宅と会社を往復するつまらない日々に比べたら目新しくて毎日が充実している。パーティの仲間たちが居たからこそここまでこれたのだ。
終が胸の前で何かを握りしめるような仕草をする。全身鎧の下には落ちないように鎖でぶら下げた婚約指輪を。今回の件が始まる前にパーティメンバーの1人が告白した時にくれた物だ。
仲間たちは死亡フラグと騒いでいたがそんな事はない。今、目の前で北の魔王が倒れたのだ。これで4人全ての魔王を倒したのだから。これで帰ったら幸せな生活が待っている。もう戦わなくていい。彼の姿を追って辺りを見渡す。
だが何かがおかしいような気がして仲間たちの姿を探す。彼らはちゃんとそこに居て大願を成し遂げた事をそれぞれ喜んでいるが魔骨宮殿の棺の間であった筈の周囲は何故か黒曜石を思わせる壁に囲まれたどこかの城の内部と思われる謁見の間に切り替わっていた。まるでテレビのチャンネルを切り替えたかのように。
終は目を擦って瞬きする。よく見たらパーティメンバーが違う。彼が居ない。それどころか彼女のパーティメンバーは誰も居ない。見知らぬ少年と女性が立っている。慌てて他の人影を確かめるが見覚えはあるが終のパーティメンバーではない。他には魔術師風の少年が1人。他にはメイド姿の女性に巫女装束の少女、袴姿にブーツの少女、盗賊風の女性。いずれも終のパーティには居なかった。
心の底まで凍てつく絶望が襲い掛かってくる。
「貴方たちは誰? 彼とうちの仲間はどこへ行ったんや」
その一言を口にした時に霧が晴れるかの如く思い出した。全ての魔王を滅ぶ訳はない。終のパーティは壊滅し、目覚めた能力のお陰で西の魔王を撤退させるのがやっとだったのに。そう彼女が忌み嫌う死神の力。治癒阻害と命を殺し尽くす能力。それが目覚めているのに仲間たちが生きている筈はない。
目の前に居た少年の顔を見る。彼がここに居る筈はない。徒人が南の魔王トワ・ノールオセアンを殺すのを黙認する筈がないのだから。
それに気が付いた瞬間に世界が瓦解し、焦点が合って目の前で起きた事に納得がいった。徒人の魔剣が自分の右胸を貫いている。喉の奥から湧き上がってくる灼熱の感覚。呼吸しようとするが当たり前の事が困難な状況。漏れる空気。命が自分の血と共に流れ出ていく感覚。
自分は夢を、儚い夢を見ていたのだ。せめて、魚座の勇者である惑海双葉の提案に乗らなければまだ引き返す事も可能だったろうし、別の道もあったのかもしれない。だがそうしなかったのは終自身の判断だった。
あの決断をした時に剣峰終の命運は尽きていたのだ。我が事ながら愚かな選択だったとは感じる。
しかし、今更、彼らに詫びようとは思わない。魚座以外の勇者たちを恨もうとは考えない。それに終を破滅に追いやったのも黄道十二宮の勇者ならば、仲間を失って絶望に打ちのめされ、途方に暮れていた終に救いの手を差し伸べ、拾ってくれたのもまた黄道十二宮の勇者なのだから。
目の前に立つ徒人を見て今燃え尽きようとする残り僅かな自分の命で残せる事とはなんだろうかと終は考えた。答えは出ている。
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星が落ちた。勇者と言う星が落ちた。不沈要塞、落とせぬ星と呼ばれた勇者。死神勇者である剣峰終の敗北の瞬間だった。右胸の鎧が砕けていた箇所に魔剣が突き刺さった。それが運命であったように。そうなる事が避けられない定めだったかのように──
徒人は魔剣を捻って傷を広げる。突き刺された箇所から血が溢れ出た。終に治せるような傷ではない。右肺を貫いた致命傷である。見る見るうちに床と絨毯へと零れ落ちてそれらを赤く染め上げていく。
終がノートゥングを床に落とした。乾いた金属音が謁見の間に響く。
『残り1秒。戦闘の終了を確認。灯火消えんとして光を増すを強制解除します』
聖隷さんが告げると同時に徒人は全身を襲う痛みに倒れ込みそうになるが必死に耐えた。
「ジークフリートの菩提樹のように、いや、君は、徒人は、蠍座だったな。ならサソリに殺されたオーリーオーンの方が相応しいか」
ゴボと咳込み吐血しながら終が笑った。先程までの表情とは打って変わって穏やかな、死を悟った者の笑みだった。彼女の体が力を失い、床に崩れ落ちる。
「なんで! なんでなんだ! どうしてこうなるんだよ?」
徒人は自分の傷を回復するのも忘れて終を抱え起こし叫んでいた。どうしてそういう行動を取ったかは分からない。ただ終の表情を見てそう言わずには居られなかった。
「その涙は、別の人の為に。……最後に、小生からの、忠告だよ。徒人が勇者なら……絶対に、絶対に死んでは、いけない。君さえ、君さえ生きていればこ、この星は滅びな……」
その問いには答えずに終は言いたい事を告げる。
「あんたは何を言ってるんだよ」
血が目の脇を流れていく。まるで涙のように。
「泣く、な。小生は、貴様の、仲間じゃない。しょ、せいは黄道十二宮の勇者、第10席、死神、勇者……つるぎみね、つい」
吐き出す血の中に泡を含めながら終は最後の力を振り絞って呟いた。そしてその瞳孔から光が消える。それと同時に徒人の傷から出血が止まる。
「清浄なる光の下僕たる神蛇徒人が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
徒人が回復魔法を唱えると先程の治癒阻害が嘘のように傷口が塞がり体力が回復していく。
『クソぉ。オバサン、負けやがった! 必勝で負ける筈がない戦いだったのにマジ使えねぇ!』
魚座の勇者である惑海双葉の声が聞こえたがすぐに切れた。
徒人はその冷徹な態度に憤りを覚える。だがそれどころでもないのも分かっていたので終の遺体を床に寝そべらせてトワの元へと走る。
「トワ! トワ! しっかりしろ」
うつ伏せになっていたトワを抱え起こす。
「た、徒人。無事、だったんだね。よかった」
辿々しい言葉を力を振り絞ってトワが弱々しく笑う。
「喋らなくてもいいから。今治す。清浄なる光の下僕たる神蛇徒人が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
徒人が回復魔法を掛けるが傷の治りが悪い。治癒阻害が残っているのではない。単に徒人の魔力ではトワの傷が深すぎて間に合わないのだ。
「わたしは、大丈夫だか、らそんな顔しな、いで」
真っ白を通り越してトワの顔色は青くなりつつある。このまま死ねば死神勇者の特殊能力で命を奪い尽くされて死ぬかもしれない。それだけは何としてでも阻止しなければ。
「トワ! 意識をしっかり持って! クソ!」
トワを抱えて謁見の間を出ようと思って入り口付近を見て赤色の繭の結界の事を思い出した。終が倒れたのにも関わらずまだ結界は発動している。決闘用の結界だからこの内部で生きている人間が1人にならないと解除できないのかもしれない。或いは時間で解除されるのかもしれないが1秒を争っているのに解除されるのを待っている訳にはいかない。
「折角、仲直り出来たのに。こんなのありかよ」
徒人はふと閃いてトワを床に寝かせる。
結界を破壊するしかない。その閃きに賭けて徒人は終の遺体から魔剣を抜こうとするが死闘に因るダメージと握力の低下や体ごとぶち当たったせいか引き抜けない。
「クソぉ! こんな事してる場合じゃないんだよ」
苛ついて何かに当たろうとした瞬間、徒人は絨毯の上にノートゥングが落ちているのに気が付いた。




