第150話 百億の言葉よりも一滴の涙と女の意地
勝手口に転移させられた徒人が謁見の間に着いた時には玉座の前に立つトワとノートゥングを構える終が対峙していた。終が何かを投げると同時に謁見の間を覆うように赤色の繭を連想させる結界が発動する。
「この結界は決闘用だ。これで誰もこの結界の中に誰も入ってこれないし時空転移しても入ってなど来れない。とは言え、1人迷い込んだか。それでも可能性は揺るがないが……最後に話すといい。そのくらいの時間はあってもいいだろう」
終が徒人の方を向く。その足元には血痕が落ちている。時間稼ぎには見えるが徒人は終から目を離さずに大回りしてトワの元に辿り着く。だが彼女からの言葉はない。ただ正面を見据えて上着の胸の内ポケットがある辺りを握りしめているだけだった。
最悪なのは徒人自身がそれに対して感情が湧き上がってこない事だ。それどころか殺意が湧いてくるのが恐ろしい。アルビノ女のスキルか。
「引いてもらえないのか?」
徒人は意識を逸らす為に終の方に向き直る。左手で魔力を左足に注ぎ込んでいたが止めて顔を上げた。
「お互いに背負ってるものがあるから引けないのは分かってるだろう。小生たちは戦うしかないんだ。これはね、小生たち人間を選ぶか魔王トワを選ぶかの話なんだ。徒人、黄道十二宮の勇者につくんだ。この星が地球のだった頃の人間である徒人が小生たち側につくのは正しい事だ」
だが言葉とは裏腹に終は無感情だった。自分で言っていて納得していないように聞こえる。そしてその視線は徒人ではなくその後のトワにあった。
徒人はそれにつられてトワの方を見た。
泣いていた。声も上げずに。ただただ耐えるように。
泣いているのに嗚咽を堪えて必死に声を出すまいとしているのはトワの女としての、魔族としての、魔王としての意地だと徒人にも分かった。声を掛けたいのに恐らく魚座のスキルの影響が邪魔をして行動を起こせない。それどころか魔剣を引き抜いてトワを斬ろうとさえ思ってしまう。
右が勝手に魔剣を抜こうとして柄を握ろうとする。徒人は必死に抵抗した。鞘から魔剣を抜き放てばトワを殺してしまうだろう。それだけは絶対に出来ない。右手を引き抜いてでもそれを阻止したいが徒人には素手で自分の利き手を斬り落とす術など知らない。
でもこれでトワに応えられなければ何の為にこの場に辿りついたのか。トワ以外にも後詰として自宅に残って牡羊座と水瓶座を迎え撃ったアニエスに祝詞に和樹に十塚の4人。愛刀を砕かれ、右腕を斬り落とされても抵抗していた彼方。
彼らに応えないで何を成すと言うのか。
殺せ。殺せ。と女の声が頭の中に聞こえてくる。
これが魚座の勇者の声で魚座の勇者の能力か。随分セコい勇者だ。本当に偽善者と言う奴は頭にくる。
ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。ウザい。
膨れ上がるトワへの殺意を魚座の勇者への怒りに、力に変えていく。
心の中にあると思われる魚座の勇者の起点がある筈だ。そこに向けて力を込める。
「頭の中に入ってくるな! クソビノ! 黙ってろ!」
徒人が叫んだ瞬間、額が裂けた。それと同時に裂けた部分から血が吹き出す。痛みと出血のせいで絨毯に膝を着く。だが上手くいった。心臓に指輪を埋め込まれた事も無駄ではなかったようだ。
それを見てトワが涙も拭わずに駆け寄ってくる。今まで抑えられていた感情が間欠泉の如く吹き上がってきた。でも何と言っていいのか分からない。
「た、徒人」
「ごめん。何とか追っ払ったから」
徒人は痛みに耐えながら笑ってみせた。
「謝らなきゃならないのはわたしの方。ずっと分かってたのに言えなかった」
トワが袖で徒人の顔を拭く。高そうな服なのに惜しげもなく血を拭う。抱擁を交わしたいところだがそうはいかない。徒人の視線の先に居る女、剣峰終にぶっ刺されて死んだのでは話にならない。
「それはあいつを倒してから。それと化粧落ちてるからブサイクなってる」
その一言にトワが怒ったのか徒人は頬をつねられた。サキュバスを倒して以来ずっと霧が掛かっていた心の中を台風が全てを吹き飛ばすかのようにそれをかき消してくれた。とても救われたような気分だった。
目と鼻の先に自分の好きな人が居る。それだけで心が晴れやかな気分にしてもらえると言うのは──
だが折角いい気分なのに喚き散らすアルビノの声が先程から聞こえてくる。
『双葉の顔が! 血が出てちょー痛い! マジ痛い! これ、傷痕が残るじゃん。クソ! 計算違いじゃん。マジありえねぇ。自力で双葉のスキルを破るなんて。そいつを殺せ! オバサン!』
終から聞こえてくる声は電話やトランシーバーのように機械を通した女の声だった。スキルを破られた事でダメージを負っているのか苦痛に悶えながら叫んでいる。対照的に終は何も喋ろうとせず、回復しようとしていた手が止まっている。徒人とトワを見つめたまま。その雰囲気はどこか安堵しているように見えた。まるで味方の策が失敗して喜んでいるようにも思える。
終の本意ではなかったように思えた。
「下らん策で人の心を弄ぶからこうなる。魚座の勇者惑海双葉よ。痛いのならば包帯でも巻いておけ」
終が発した言葉は仲間に対する冷徹で無慈悲。遠慮も容赦もない言葉で真っ二つにする。
『あ、あんた、人の本名バラすな。こいつらにはバレてないのに失態だぞ。この責任どう取るんだよ。双葉の苗字がバレちまったじゃないか』
自分の事を自分の名前で言っておいて身も蓋もないと思うが惑海双葉と呼ばれたアルビノの少女は通信機の向こう側で怒り狂っている。その様子を終は笑っていると言うかざまあみろと言いたげな雰囲気を出している。
「引っ込んでろ!」
『はぁ!?』
「引っ込んでろ! 最低のクソ馬鹿が。貴様の策と言うから聞くだけ聞いてやったがもう付き合えない。ここからは小生の流儀でやらせてもらう」
終は言うだけ言って通信機の電源を切ったのか、惑海の声は聞こえなくなった。
「深遠なる闇の下僕たるトワ・ノールオセアンが命じる。傷付き倒れたこの者に安息たる闇の祝福を! 《ヒール!》」
トワはそのやり取りを聞きながら小声で回復魔法を唱えた。徒人の額の傷があっという間に塞がり、痛みすらも消え失せる。本当はトワを見つめて居たいがそうもいかない。トワを視線が合う。彼女も徒人の意図を汲み取ったようだ。ワームポットから白い錫杖を取り出す。
徒人は立ち上がって魔剣を抜く。
「あんたはどうしたいんだ? 剣峰終。それとも死神勇者と呼んだ方がいいのか」
「出来れば君を殺したくはなかったんだがな。どうやら交渉は完全に決裂したとしか言い様がないな」
やれやれと言わんがばかりに終がため息を吐く。兜の目の部分から覗く瞳は諦めの色で染め上がっていた。
「言いたい放題言ってくれる」
徒人の隣に錫杖を構えてトワが並ぶ。
「そりゃそうだよ。小生の方が有利だからね。小生の能力は知ってるだろう? 何故、小生が死神勇者と呼ばれているか」
「相性とか勝てるか勝てないかなんて関係ない!」
走り出そうとする徒人をトワが止める。
「確か、傷の治りを妨げ、殺した相手の生命を奪い尽くす能力を持つ勇者で文字通りの死神。だから付いたあだ名が死神勇者。ガネーシャ型の獣魔族にして西の魔王であるマクシムス・スローンに深手を与えて今も癒えない傷を負わせた当代最強の勇者。2人で戦うにはかなり難度の高い相手です」
トワが額に汗が滲む。
「徒人。最後の交渉だ。嫁を引き渡してくれないか。貴方たちどちらかの命で事は済むんだ」
終がノートゥングを床に突き刺して右手を差し出して最後通告を告げる。
「ふざけんな。生きる時も死ぬ時も一緒だ! トワを差し出すくらいなら死んだ方がマシだ!」
怒りを抑えきれずに飛び出そうとする徒人の肩をトワが掴んだ。
「戦うのも死ぬのも2人で、です。わたしたち個々では勝てないかもしれませんが2人なら勝機はあります」
徒人の怒りを冷ますようトワが宥める。
「当然、そうするよね。魚座の勇者が、惑海双葉が要らない事をしなければ徒人と交渉できたと思うんだけどな。……じゃあ、始めようか。勇者の力を見せてやる。その目に! その脳に! その魂に焼き付けてあの世に行くがいい!」
終は床に突き刺していたノートゥングを引き抜き、闘気を解放する。それと同時に黒い重圧が徒人たちを襲う。




