第140話 悪夢の再来 前編
「今だ! 結界発動!」
祝詞があらん限りの声で叫んだ。光が旧コロッセオ全体をを包む。
同時にファウストが祝詞に向かって弾丸の如く速さで襲い掛かる。その音の奔流を食い止めたのは近くに居てファウストが現れた瞬間、ノートゥングを取り出していた終だった。
ファウストが繰り出していた首を刈るような右のハイキックをノートゥングの腹で受け止めている。
「ふむ。つまらぬ任務を引き受けてここに来るまではガッカリしていたのだが訂正しよう。面白い匂いで心が踊ると思えば……神蛇徒人と懐かしい顔も居るとはまさに行幸と言うべきか!」
だが蹴りを受け止められた状態から気合で終を吹き飛ばす。
その攻防の隙をぬって徒人は魔剣を抜き、無言でファウストに背後から斬り掛かる。
「我との再会がそんなに待ち遠しかったのか? それはそれで愉しいがこの一撃は頂けないな」
徒人の横薙ぎの斬撃をファウストは右肘と右膝で魔剣の刃を押さえ込むようにして受け止めていた。引き抜こうにもびくともしない。
「不躾な一撃で悪かったな。育ちが悪いんで」
せめて精一杯の不遜で応じてやる。
「いや気にするな。我も差した変わらん。戦いの発する血と肉に魅せられし者。人の事は言えんよ」
言うや否やファウストの頭突きを食らい、徒人は魔剣を握りしめたまま、観客席の上層へと飛ばされる。席に幾度かぶち当たってそれらを壊しながら勢いが減じた所で体勢を立て直して着地した。
飛ばされる瞬間に魔剣を振り抜いた。魔剣の切っ先にはファウストの血らしき赤い液体が付着しているが血液の量から傷は浅い。徒人の方は額部分の骨にヒビが入っているのか、血が流れ出して視界を赤色が塞いでいく。
脳が出てないのが幸いだった。
「やるじゃないか。なかなか愉しいぞ。神蛇徒人。結界による弱体化も悪くはないな。こうも愉しませてもらえるのならば」
ファウストは愉しくて愉しくて仕方ないと言った感じで笑う。
「だったら手伝ってやる」
彼方と吹き飛ばされて戻ってきた終が二人同時に左右から斬り掛かっている。だがファウストは銀と黒の光の軌道を避け、それすらも多少のかすり傷をもらいながらも凌いでいた。
「動かないで今治す」
「もしかしてこれも読んでたのかよ」
駆け寄ってきた祝詞に問い質す。イライラしてるせいか血の出血が酷い。
「勿論。神霊の祭礼で西の魔王軍が引いたと言うか撤退したのが怪しくてね。もしやと思って張ってたのよ。清浄なる光の下僕たる白咲祝詞が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
徒人の視界から赤色ベールが取り払われていく。近くにいるのはファウストと斬り合ってる彼方と終だけで和樹と十塚の姿がない。コロッセオ内部では各所で戦闘が始まっている。蜘蛛人間の姿はないが死神と思しき人影が多数。恐らくその大半は水瓶座の式神による偽物だろう。
「和樹と十塚は?」
「現れた死神の対処と護衛の援護で手が回らない」
徒人は立ち上がって彼方と終に加勢しようとする。
「三人も要る?」
祝詞が引き止めた。死神を優先したいのだろう。だがシルヴェストルの助言を信じるなら2人で手が足りない。
「要る。奴に仕事をさせたら全滅してしまう。奴に完全な状態で攻撃させる暇を与えてはいけない。飽和攻撃で奴をここで叩く」
「分かった。出来るだけ近くにいて回復する」
一瞬、祝詞の表情が強張った。それほどなの。と言いたげだった。
徒人は闘技場へと降りていくファウストとそれを追いかける2人を追う。その後ろを祝詞が着いてくる。
「悪夢の体現者ファウスト!」
終はノートゥングを自分の手足の延長線上のように振り回しながらファウストに斬り掛かる。だが観客席よりもほんの少しだけその太刀筋が鈍い。砦を模した壁のせいで大剣であるノートゥングを振り回しにくいのだろう。
刀の間合いでファウストの拳と蹴りが届く僅かに外から彼方が牽制し、初速が遅い終の懐に入らせないように押さえ込んでいる。
「やはり貴様か! 久しいな! 女! 名は確か剣峰終だったか!」
ファウストは終と因縁があるのか、嬉しそうにしている。徒人にはまるで再会を待ち侘びた宿敵に出会ったかのような印象を受けた。
徒人も闘技場へと飛び降りて頭上からファウストに斬り掛かる。
「分かり易すぎるが援護だな。その手は食わん」
ファウストはバク転して徒人のブーツの土踏まず部分を蹴っての斬撃を回避する。徒人が飛ばされている間に自身の左から来て斬り掛かる彼方に対してわざと左腕を斬らせ、それを、長船兼光を己の筋肉で抑え込む。
一瞬、彼方が動きが止まった隙にその脇へと左の蹴りを加える。壁に叩きつけられた彼方に長船兼光を引き抜いて投げ返そうとしたする前に終が斬り掛かった。
ファウストは長船兼光を投げ捨てて右手でノートゥングの腹を殴る事で斬撃を防ごうとするが力比べになり、ファウストの動きが止まる。
「我と力でやり合うか」
徒人はその一言を聞きながら壁の上に着地した。すぐに反転してファウストと終が力比べをしている間に後ろへと回り込む。だが先程食らった蹴りのせいで足にダメージがある。
「清浄なる光の下僕たる神蛇徒人が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
即座に治して徒人はファウストに背後から斬り掛かる。
「舐めるなぁぁぁ!」
気合の一閃と共に右腕の筋肉が膨れ上がり、終を吹き飛ばす。そして徒人の斬撃を右手で受け止める。
「見違えるように強くなったがまだまだだな。神蛇徒人!」
「ブラッド・クレセント!」
ゼロ距離からと言うか、ファウストに魔剣を握らせたまま方向性だけ定めてブラッド・クレセントを放つ。勿論、徒人も至近距離でブラッド・クレセントが引き起こした爆発に巻き込まれた。
ファウストは爆発の勢いで砦を模していた壁を全て突き破り、闘技場の壁面に叩きつけられた。
「ちょっ、な、何やってるの!」
後ろから祝詞の非難に似た言葉が聞こえてくる。
「神蛇さんカッコいい」
長船兼光を右手に回収した彼方は壁に上り、ファウストが叩きつけられた壁面を砂煙ごしにジッと見つめている。
こういう時はやったかは禁句だよな。徒人は爆発で負った火傷のヒリヒリするような感覚を感じながら壁の上に駆け上がってファウストが作りだした穴を見た。砂煙で遮られてよく見えない。
「まだ生きてる。気を抜かないで」
吹き飛ばされた終が目から血を流し、左足を引きずりながらこっちへと戻ってくる。さすがに禁句のやったか。とは言わない。
「清浄なる光の下僕たる剣峰終が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
終は自分で自分を治しているがやはり祝詞の回復力と比べた場合、当然劣っていた。
「ダブル・クレセント!」
徒人は魔剣を肩に担ぐ。そして右、左と魔剣を振るい、三日月型の光刃を2つ生み出す。2つの三日月型の光刃は砂煙を吹き飛ばし、ファウストがぶつかった穴へと迫る。
「ハァッ!」
ダブル・クレセントによって生み出された2つの三日月型の光刃は一瞬で吹き飛んだ。勿論吹き飛ばしたのは1人しか居ない。
「なかなか強かになったな。良い手ではあるぞ。特に強者相手に勝ちを確信するなどとあってはいけないのだ」
砂煙が追い払われた壁面から這い出してきたファウストが笑う。右の手のひらが砕け、指は全てあらぬ方向に曲がり使い物にならない。そしてその顔は半分が赤い血で覆われて右目は閉じられていた。
その口元には笑みが浮かび、一片足りとも闘志は衰えていなかった。
「ゼロ距離からの直撃を耐えるなんて……なんて化物なの。人間だったら確実に死んでるのに」
死神の式神を薙刀で牽制しながらこっちへ闘技場へ降りてきた祝詞が唖然としている。




