第128話 前皇帝の妹の提案
翌朝、北の魔王ヴァルトラウトの人形の件で宮殿の方へ赴き、事情を話すのと引き換えに人形の情報を得た筈だったのだが──
「何も分からないじゃ話にならないじゃない」
祝詞が思わず叫んでしまった。報告を聞いてからずっと部屋をウロウロして苛立っている。
ここが豪勢な待合室だったのが幸いと言えるだろう。
「アストルが引き続き調査するつもりなんだろうけど何も分からない以外に判明するか?」
ソファーに座ってリンゴを丸かじりしている和樹が半ば諦めたような態度を示す。
「北の魔王の技術で作られた人形なら別に理不尽な展開ではないね。むしろ、簡単に分かるような技術で作ってへんやろうし」
全身鎧が重いの為かソファーに座ろうとしない終が宥めるように言う。
「なら別の線から手がかりを追うか」
ソファーに座っている徒人がそう提案した。勿論、死神と呼ばれる者がウェスタの巫女神殿から奪った資料を調べるしかない。召喚システムの理屈が判れば元の時代に帰る事が出来るかもしれないのだから。
「資料か。どこをどうやって探す? 十字架教の時は街中に居なかったけど黄道十二宮の勇者はどうなの?」
彼方はソファーに全身の体重を預けて緊張とは無縁の状況だった。そしてその視線は壁に持たれて立っている十塚の方を見る。
「小生に分かるのは黄道十二宮の勇者は稀人、もしくはその家族だけの集まりである事。かなり帝國の内部に入り込んでいると言う事くらいかな。当たり障りのない情報しか知らない」
当てにしていたのか、十塚の返答に彼方はため息を吐く。
「アニエスは? なんか情報ないの?」
彼方はドア横に立っていたアニエスに問う。
「残念ながら。情報を持っていたのならお教え致します」
アニエスが頭を振る。
祝詞が口を開こうとした瞬間、ドアがノックされて短く借り揃えられた黒髪に浅黒い肌の男が入ってきた。服は平民とは違い、どこか品を感じさせるが服が人物に似合っていない。この男が似合う姿と言ったら鎧姿だろう。
「失礼致します。我が名はアダルベルト。貴方たちは白咲祝詞様御一行で間違いありませんか?」
アダルベルトと名乗った男は深々と一礼して精悍な顔を上げる。
「そうだけど命を頂戴するとか言う話?」
祝詞がからかい半分、残りの半分は本気で聞いた。徒人を含めた全員が戦闘態勢に移る。
「違います。誤解を与えたのならば心より謝罪致します。私はノクス様の意向を受けてここにやって来ました。私の主の招きに応じては頂けないでしょうか」
「いかなる用で?」
祝詞は前皇帝の妹ノクスの意向を秤にかけるように問う。
「死神と死神勇者に関して貴方たちに依頼したい事があります」
「ここでは駄目なのでしょうか?」
勿論、祝詞はここで話をする気はないだろうが重要度を確かめる為に聞いているように見える。
「内々に話したいとの事なのです」
アダルベルトは小声で囁くように返す。
「分かりました。出向きましょう」
祝詞はわざと勿体つけるように間を置いてから答えた。
アダルベルトの案内によって連れてこられたのはノクスの屋敷ではなく郊外にあった寂れた洋風の屋敷だった。広いとは言えず、庭の手入れも充分ではなく植物は荒れ、屋敷は手入れが行き届いていないのかボロボロだった。
屋敷内部もあまり整然としているようには見えないし、掃除も行き届いていないように思えた。
「随分と野性味溢れる屋敷と内装だな」
徒人は思わず声に出していた。隣に座っていた祝詞に小突かれてしまう。
「別に構いません。ここは兄様が使っていた屋敷で今はこういう時でもなければ使いませんから。ここにいると落ち着くのです。ここは帝國の現状をよく表している。現実を見ようとしない者やそれに抗えない連中を示しているかのようで……もっともここに居て哀愁を感じてしまうこのノクスも大差ないのですが」
金髪碧眼で緑色のドレスを着た少女が窓の外を見ながら懐かしむように呟く。
「それでお話とはなんでしょうか?」
祝詞が探りだすように話し始めた。
「そうだな。このノクスも皆様方も暇ではありません。では単刀直入に申しましょう。皆様方が真実の泉でグリーンドラゴンの討伐に成功した事。素行がよろしくない元老院の人間を使って魔骨宮殿で任務を果たした事を聞き及んでます。このノクスはそれを他人に口外する気はありません。その代わり、このノクスの依頼で成して欲しい事が……勿論は充分に褒美を与えましょう。前皇帝の妹の名に賭けて」
ノクスはいつもと違って宣言するように言った。
「お受けするかは内容によります」
祝詞は無表情で切り返す。向こうは幼いと言えど政治家なのだからはいそうですかと引き受けられないのは当たり前の事だ。こっちもこっちで必死なのだから。
「さすがに一言二言では引き受けてはくれませんか。依頼の内容はこのサラキアで重要人物を殺害している死神を倒す事。出来れば生かして捕らえて頂けるとありがたいのですがその人物が死神である事を証明できるのであれば殺してしまっても構いませぬ。だから生かして捕らえた場合に限り追加の褒美を与えましょう」
ノクスは現実的な判断を優先していた。相手を殺す事は出来ても殺人犯を確保する技術を持った人間など稀人には居ないだろう。
「それだけなら衛兵たち治安部隊や司法機関の人間が捜索しているところでしょう。敢えて私たちに頼むのは政治的背景があると見てよろしいのですね」
祝詞がノクスの事情に切り込んだ。
「さすがに女傑と謳われるだけの人物ですね。このノクスが依頼するのに相応しい。このノクスが成果をあげられたのならば執政官ユリウスの支配体制を揺るがす事も可能です。勿論、その為には元老院を出し抜く事も必要ですが」
「ノクス様、貴女がトップに立っても私たちにメリットがあるとも思えませんが」
祝詞の言葉には容赦がない。だが誰もそれをつまらない感情で非難する者は居なかった。北の魔王にラティウム帝國までを同時に敵には回せない。何より自分たちの命が掛かっているのだから。
「少なくとも稀人を魔王軍との戦いで消耗させ、権力闘争の材料に使っている元老院や己の野心を果たす為にこき使っている執政官殿よりは余程マシだと考えていますが。このノクスなら貴方たち稀人の境遇を改善するとお約束しましょう」
「私がその口約束を信じると思う根拠は?」
それでも祝詞は引き下がらない。それに対してノクスは不敵に笑った。
「稀人の上級魔術師や魔剣士など範囲攻撃持ちを敵に回せばこのサラキアの街や我が軍隊もただでは済まないでしょう。勿論、全力を持ってすれば倒す事は可能。ですがそれに掛かる犠牲を鑑みれば貴方たちに稀人と敵対するのは愚かな行動です。もっとも敵対しない為に貴方たち稀人の要求を全て飲む訳にはいきませんが。つまり、このノクスは誰よりも貴方たちを買っていると同時に恐れています。これでは不満ですか? あともう1つ。貴方たちと敵対するとお金が掛かります」
ノクスは歳相応の笑みで笑う。さすがに美貌を誇るだけあってその笑みは強力な武器だ。徒人はロリコンじゃなくて良かったと思う。
「お金ね。極めて嫌なくらい現実的な判断ね。依頼は受けましょう。その代わりにもっと情報を提供してもらえますか? 例えば稀人召喚システムに関する資料とかを」
「分かりました。このノクスの名においてその辺りの資料をお渡ししましょう。これは引き受けてくれた餞別代わりですが稀人で召喚されてこちらで10年以上生きていた者は滅多に居ないそうです。これは当然ですが間違いのないように言っておくと争いで死ななかった者の中で10年以上生き残った者が皆無と言う情報です」
ノクスが出し惜しみせずに情報を出してきた。
「なるほど。心に止めて置きます。それより1つだけお聞きします。どうせ、この館に入った時点で誰かがノクス様と会った情報を流す予定だったのでしょう?」
祝詞の問いに前皇帝の妹は静かな笑みを浮かべていた。




