第125話 唐突なる別れ
「剣峰さん、やるな」
まだ酔いが冷め切ってない彼方が千鳥足で終に駆け寄ろうとして十塚に止められる。
「別に大した事じゃないよ。多分そっちの方が強かった。同時に動かすのにムラがあったから助かっただけ。それよりその服と人形を調べたらなんか分かるかもな」
終は人差し指で両手に槍を持っていたヴァルトラウトを指す。だがその表情は深刻だった。
詳しい人間に聞けばヴァルトラウトが潜んでいる場所くらいは分かるかもしれない。今、本体が弱っているのであれば倒せる可能性はある。
「どうしたんですか?」
終は腕や足に傷を負っているようだがそれが原因だとは思えない。祝詞が回復の為に駆け寄ってくる。そこで徒人も自身が傷を負っている事に気が付いた。痛みは興奮のせいで麻痺しているがこういうのは呪いのせいで感じない可能性を危惧する。
「ご主人様、大丈夫ですよ。あの人形自体に誰かを呪う能力はないと思われます」
また顔に出ていたのかアニエスに指摘されてしまう。
ありがとう。と一言だけ礼を言っておいた。
「あの錫杖が徒人ちゃんの嫁さんが持ってたような感じの錫杖やったから壊したら怒られるかなとか思ったり。でも姿見えへんな。勘違いやったんかな」
祝詞の治療を受けつつ、終はそんな指摘を行う。
ヴァルトラウトを串刺しにしていた錫杖はぐしゃぐしゃに潰れて跡形が残って居なかった。ただ徒人の記憶が正しければトワの錫杖とは微妙に違っていた。もっとも投げて突き刺す事を前提に投擲されたのなら別の錫杖を使った可能性はあるが──
「清浄なる光の下僕たる神蛇徒人が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
徒人は自分で自分の傷を治した。腕の痛みが引いていき、失われた肉と血が戻っていくのを感じる。
「下手ね。ちゃんと治すから待ってて。清浄なる光の下僕たる白咲祝詞が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
祝詞が終に回復魔法を掛けてその傷をそもそもなかったかのように綺麗に傷を治す。
「酷い言い方だな。……終さん、あの錫杖は多分違うよ。トワはここには居ないよ」
前半は祝詞に、後半は終に向けて言った。徒人は後半に自分の声が微かに震えている事に気が付く。
「まだ嫁さんと喧嘩してるのか。さっさと仲直りしたら? 徒人ちゃんも知ってるやろう。死んでもうて言えなかった言葉ほど虚しい物はないんやから。特にここはそういう世界なんやからな。いつ誰が死んでもおかしくないんやから」
終は説得するように諭す。それは実体験での経験があるように受け取れる。
頭では分かっているが徒人は行動に移せそうにない。グリーンドラゴンの時に見せたトワの力を見て彼女は死なないと思っているのだろうか。だが徒人自身は北の魔王と戦う身になってしまった以上、いつまでも無事とは限らない。死と再生の転輪があっても対策されない訳ではないのだから。
「清浄なる光の下僕たる白咲祝詞が命じる。傷付き倒れたこの者に安寧たる光の祝福を! 《ヒール!》」
祝詞が回復魔法を唱える。徒人の腕の傷が光って淡い光に覆われた。傷口が塞がったのは勿論の事。傷口があった事実も痛みも幻のように消え去っている。
「伊達に修行してないから。ユニークスキルと常なる清浄の効果でそこら辺の回復系には負けない」
そう言って祝詞は回復魔法の技量を誇る。確かに丁寧さと単体回復力ではトワをも上回るかもしれない。
「……聞いてる? 徒人ちゃん?」
終に聞き直されてしまった。
「聞こえてるよ」
余裕がなかったのでぶっきらぼうに答えてしまった。
「なら何も言わんわ。後悔だけはしないようにね」
終の瞳はこの場ではなく虚空を見ていた。何かを思い返すように。
「それよりあの自称ヴァルトラウト人形を誰に見せたら良いんだ?」
「当方のコミデで撮ればいいよ。それを誰か分かる人に見せたらOK」
十塚に肩を借りて支えられている彼方がコミデを取り出してヴァルトラウト人形を撮影し始めた。
「あとは衛兵たちを呼んでおきますか」
アニエスが犬笛みたいな笛を懐から取り出し吹いた。勿論、人に聞こえる音は出ない。
「我が弟子よ。それは犬笛だよな? それで衛兵が来るのか?」
和樹の反応は明らかに疑っていた。
「はい。犬笛ですよ。犬を連れて巡回してる人たちが犬の反応を知って来てくれる筈です。使ったのは初めてなのでよく知りませんが」
それを気にした様子もなくアニエスは答える。
「そう言えば、剣峰さん。襲撃される事は予想していたのですか?」
アニエスはストレートに指摘する。酔い醒ましの薬も終に用意してくれと頼まれてたのか。
「棺の間から気配を感じ取ってな。隙を見せたら出て来るかなとか思うたんや。ほら、味方を騙すにはまず敵からと言うやんか。さすがに北の魔王の人形が出て来るとは思わなかったけどな」
「それ逆です」
十塚が呆れた表情でツッコミを入れる。終は間違えた事をスルーしていた。誰も死ななかったから良かったような物を無茶をする。
暫しの沈黙の後、犬の吐息と多数の足音が聞こえてきた。
「あらま、早いな。お陰で家に帰れそうやけどな」
終の言葉が言い終わるか言い終わらないかの間に犬を連れた衛兵たちが現れる。何故か彼らは当惑したような様子を浮かべていた。
「お呼びになったのは貴女ですか? アニエスさん」
「はい。別用の途中でしたか。この人形型の魔物の回収をお願いしたいのですが」
衛兵たちがそれぞれの顔を見合わせる。まだ聞いていないのかと言っているように見えた。
今度は別の角からアスタルテと彼女に付き従う衛兵たちが現れる。
「今度は何事だ? 貴公らは……白咲祝詞一行か。ここで会うとはこれも因果か」
アスタルテは石畳を濡らす緑色の液体を見て何かを感じ取ったようだ。
「こんばんは。この遺体の、人形の残骸の回収をお願いしたいのですが」
アニエスが再度説明を繰り返す。
「それは分かった。すまないが貴公らにここを任せて構わないか? これはウェスタの巫女神殿の件に匹敵するだけの事案だ。くれぐれもこれの引き渡しを厳重に頼む。帝國の大事に繋がる事だ」
最初の一言以外は先にやってきていた衛兵たちに告げる。アスタルテの厳命に驚いて衛兵たちは背筋を伸ばし、返事と敬礼を返す。
「……ボロボロで疲れているようだが小官と共にウェスタの巫女神殿へ来てくれ」
「一体、なんの件でしょうか? 話が見えないんですが」
妙に硬い表情のアスタルテに祝詞が怪訝な表情で問う。
暫くの間を置いてアスタルテが話し始めた。
「貴方たちは特に面識があったらしいが……カルナの死亡が確認された。犯人は通称死神と呼ばれる人物だ。バルカ様を殺した奴で他にも何件か暗殺事件を起こしていたが今までは伏せていたのだ」




