第118話 引き返すと言う選択肢
あれから2週間。トワからの連絡は一切ない。自分から顔も出す訳にはいかないので徒人はあれから黒鷺城には一度も行ってない。時間を掛ければ掛けるほど辛くなっていくのは分かっているのに顔を出す気になれなかった。
自室で畳の上に仰向けになって天井をボーっと眺めながら徒人はため息を吐く。
ノックして入りますよとひと声掛けてアニエスが入ってきた。爆発で負った傷は癒えたらしく動くのには支障がないらしい。当人曰く肝臓にダメージが残っていて酒はまだフィロメナに止められて居て面白くないらしい。
「浮かないお顔ですね」
和樹に習った成果なのかアニエスの正座も様になってきていた。
「サキュバスの件はお前が言った事だろう」
思わず、怒りが口に出てしまい、慌てて徒人は謝罪の言葉を言って訂正する。
「そうですね。そのお怒りは最もです。ただ考えなおす良い機会でもあります」
アニエスは少し笑ってから無表情になってその言葉を告げる。
「なんだよそれ」
徒人は上半身を起こしてあぐらをかく。アニエスが真剣な話をするつもりなのが分かったからだ。
「ご主人様は今なら引き返せると言う事です。そもそもあのお方の頼みをこれ以上聞く必要がないという事も1つの選択肢です。貴方は人間なのですから勇者を殺す理由がありません。今までは同情してしまった蟹座の勇者である神前早希の敵討ちと仲間への危険分子である色街楓の抹殺と襲ってきた岳屋弥勒を返り討ちにしただけで帝國にはばれてませんよ。それに勇者を抱えている組織とは対立してるだけでまだ決定的な対決には至っていない。まだ交渉の余地があるかもしれません」
アニエスの現状説明は正しい。確かに徒人は彼らと交渉できる余地はある。
「裏切った所でバッサリとか言うオチじゃないだろうな?」
徒人はからかう。だがアニエスの本心を確かめておく必要はある。
「主替えに賛同した時点で自分も同罪ですよ。まだバレてませんけどね」
「勇者の組織ね。岳屋弥勒みたいなカスしか居ないのならお断りだけどな。仮に誰にも従わないとしてどこ行けって言うんだ? 帝國は稀人を駒みたいに思ってるし、少なくともこの大陸に居場所なんぞないぞ。それこそ元の時代に帰れる方法でも見つけて帰った方がマシだ。タイムスリップなんて出来るかどうか知らないけどな」
徒人は今考えられる事実だけを挙げてため息を吐く。元の時代に戻る方法など手がかりすら掴めそうにない。時空魔道士であるガイストに聞いてみるのが早いのだろうが……今の状況で徒人に話してくれるとは思えない。
となれば勇者たちに聞いてみるのが一番かもしれない。しかし、岳屋弥勒のような連中と話が通じるのだろうか。勇者でもないのに彼らと交渉できる材料がない。それに勇者なんて物に選ばれたいとは思わないが。
それに最大の問題は勇者たちが本当にタイムスリップに関して知っているとは限らないし、帰還を餌に嘘を言ってこちらを利用してくる可能性は高い。
「選択肢があると言っただけですよ。ご主人様、自分自身を追い詰めないで下さい。それにあの方も混乱してるだけですから……許せとは言いませんけどね。冷静に対処してあげて下さい。ご主人様の方が大人なんですから」
アニエスが考え込んでいる徒人の肩を掴んで揺さぶる。徒人は顔を上げてアニエスを見た。どこか人間らしくないが美人な方ではある。元の世界に、現代に帰っても徒人にはこんな美人と話す機会はないだろう。
「前に一度言ったけど仮に俺が逃げると言い出したらお前は着いてくるか?」
「嫌です。冗談じゃありません。ご主人様は自分の好みじゃないんで。ほら無人島に2人で流れ着いたらとかありますよね。それでも嫌ですから」
アニエスが上辺だけの笑顔で否定する。ガチで選択外らしい。
「本当に身も蓋もないな」
分かっていた事だが改めて突きつけられるとキツい事実。
「そんな寝言よりもトワ様との中を修復して下さい。その方がご主人様たちの知りたい事も簡単に分かるでしょうし」
アニエスが至極当然の選択肢を突きつけた。選択肢を提示はするが彼女にとって選んで欲しい選択はトワと和解する事なのだろう。なんだかんだ言って忠臣ではあるのか。
「そう言えば、アニエスはこの世界が地球だと知ってたのか?」
「地球。前に会った稀人の方がそういう風にこの世界の事を称していたのは知っています。魔族にとっては元々人間が跳梁跋扈していた世界らしいと言うのは有名な絵本に書かれている物語ですから」
「……跳梁跋扈。妖怪扱いなのか」
徒人は絶句する。扱い酷いのとトワがどうして自分に対して好意的だったのかが分からない。
「妖怪? 化け物の事ですか? 人間の言葉に訳するとそうですね。ただ、トワ様のご主人様に対する感情は100%好意で間違いないと思ってます。それに自分は人間の事は嫌いではないですから。あと他の魔王軍はどうか知りませんが人間と魔族のハーフである自分を幹部にしてる時点で人間への偏見は薄いかと」
相変わらず、人の心を読んでいるかのような発言をされてしまった。
「アニエスはなんで俺が考えてる事が読めるんだ?」
「ご主人様は普段は表情変えませんけど肝心な時にほんのちょっとだけ眉毛が動いたり、瞳孔が収縮してるから注意深く見ていたら分かり易いですよ」
アニエスはなんだそんな事かと言わんがばかりに答えた。まるでカレーの作り方の説明を適当に聞いてるみたいな気になる。そんなに分かり易いのかと思わなくもない。
「そんなに簡単にバレるものなのか?」
「自分は潜入任務に従事してますからね。それと生まれ育った環境がそういう微細な変化を読み取れないと生きてこれなかったので。だからご主人様が特別見破りやすい訳ではないですよ」
徒人はその意見を聞きながら微妙な気分にさせられる。潜入のプロからすればバレてる可能性があるのは否めないのだと。
でどうしますか。とアニエスが徒人を見ている。
「結局、1つ1つ確かめるのが一番でまずは魔骨宮殿へ行くしかないのか。行きたくないな。あの気持ち悪い所」
徒人はうなだれながらため息を吐く。楽できないのは仕方ないがあそこは生理的に受け付けない。特に生きてる存在を寄せ付けない。寄せ付けても壁から天井、床に至るまで隙あらば食べようとしているようにしか見えない。
「同感ですね。魔骨宮殿は北の魔王の性格の悪さを存分に堪能できます。気が重いですけど行くしかないですね」
アニエスが肩を落とした。彼女も本気で嫌らしい。百戦錬磨のハーフ魔族が嫌がる時点でかなり嫌な予感しかしないんだが──




