第112話 決行
2日後の昼になる少し前。徒人はアニエスと共に黒鷺城の離れに転移してきた。離れだけあって装飾も少なく飾り気もない。そして人気も。城が絶えず誰かが廊下を往来しているのに比べたらここは静かと言うよりは寂しげだった。
あの一件、徒人に手を出した件からサキュバスはここに居るらしい。
アニエスはいつものメイド服で徒人は姿が見えなくなるマントを被らされている。この時間はサキュバスが睡眠中でトワは昼食の為に食堂にいて鉢合わせする可能性が少ない。それが五星角の3人がこの時間を選んだ理由だと徒人は聞かされた。
緊張を誤魔化す為なのか、徒人はペンダントを触る。
同時に[気配察知]と[罠感知]のスキルを発動させた。しくじりは許されない。
「離れなんかあるんだな。と言うか、普段はこっちに飛ばないよな」
徒人は辺りに人が居ない事を確認して小声で呟く。普段、離れには誰も居ないらしいが万が一と言う事がある。慎重に事を進めなければならない。
「カイロスが意図的に中庭の転移陣に飛ぶようにしていますから」
アニエスの言葉に徒人は複雑な気持ちになる。南の魔王軍全体から信用されてないのは仕方がないがトワにもそういう扱いなのだろうと余計な事を考えてしまう。
「鏡は持っているんだよな?」
徒人は気を紛らせる為に確認しておく。
「ご主人様、これは渡しておきます」
アニエスが振り向いてどこからともなく真実の鏡を取り出す。徒人が真実の泉でトワと共同制作したあの鏡だった。
「俺が持つのか」
「自分で持った方がご主人様の気が晴れるでしょう。どういう状況になっても自分の手で決着を着けたい筈では?」
徒人は見えなくなる効果が消えないようにマントの隙間から鏡をアニエスから受け取る。
アニエスは離れを上に上る階段へと向かって移動し始めた。徒人もそれに続く。3階の一番大きな部屋にサキュバスが寝食を行っていると言う話だがそれもどこまで信じられるのか。もっとも夜な夜な出かけて生気を吸い取ってるから大丈夫と言う可能性もあるが──
「聞いていい事か分からないが──」
「別に聞いて構いませんよ。貴方は自分の主なのですから……でも身体的な話は答えませんよ」
聞くかとでも言ってやろうかと思ったが止めておいた。アニエスの手が微かに震えているように見えたからだ。武者震いかもしれないが今回の計画にプレッシャーを感じているのかもしれない。
「アニエスがトワを嫌う理由は何なんだ?」
徒人は直球を投げた。こういうのは下手に遠慮するよりはストレートに聞いた方がいいと思ったからだ。
「別につまらない話です。先代の南の魔王は自分の親代わりだったからですよ。あの人が死んだのはあの人自身の愚かさが招いた自業自得の結果ですけどね。トワ様は双子座の勇者の罠に掛かったあの人を見捨てる判断をしました。ただ、それは南の魔王軍には必要な事で間違って居ませんでした。助けに行ったら南の魔王軍は壊滅し、ラティウム帝國はこの大陸の南側を抑えていたでしょう。だから正しい決断ではありました」
アニエスは変わらぬ速度で歩き続け、前を向いたまま、顔を見せなかった。その背中は後悔や苦悶などそれらの感情が混じっているように見える。
「父親代わりだったのか」
「彼女は女だから違いますよ。西の大陸で自分を拾ってくれたのが母親ならあの人は父親と言う感じにも当てはまらなくもないですが」
弥勒の妹に心臓を移植できるサイズなら女性に決まってるかと思い直す。その点から考えると現代の医療技術を持った者とそれを可能にする施設があったのかもしれないと想い馳せるが今はそれどころではない。サキュバスと対峙してトラウマを清算しなければ。
「そっか。言いたくない事を聞いて済まない」
徒人はそれだけ言って黙るつもりだった。
「ご主人様、殺る気で掛からないと死にますよ」
2階への階段へと辿り着き、徒人とアニエスは階段を登っていく。
無茶言うなよ。とだけ言った。
「自分がトワ様の決断を不愉快に感じているようにもし何かが起きてトワ様が今回の件を不快に感じても結果的には正しい方向に進む筈です」
アニエスの声は前を向いている者の言葉だった。
「……信念と言うよりは信仰みたいだな。俺には真似できない」
徒人とアニエスは踊り場を抜けて2階への階段を登っていく。
「かもしれませんね。でも自分が前向きになったのはご主人様たちのお陰です。貴方たちが頑張ってるからこっちも踏ん張らなきゃと思っただけですよ」
「上からだな」
アニエスにだけ聞こえる声だが別の誰かに聞こえていたら笑えない。そして2階に着いた。そのまま3階への階段を登る。
「だからご主人様が最悪の事態に陥ってあの方を倒しても正しいんですよ。全体にとっては」
徒人はその言葉には答えなかった。アニエス自身の願望であるかもしれないし、シルヴェルストとの会話では否定していたが自分を利用した復讐ではないとは言い切れない。それにもうすぐ3階だ。
アニエスは徒人の気配が分かるのかそのまま黙って歩く。3階へと足を踏み入れた。徒人も続いて3階に足を踏み入れる。足に電流が流れた。寒気とは違う。どこか違うおぞましさと寒気を感じた。魔骨宮殿で感じたような空気。だが引き返す訳にはいかない。徒人は両手で真実の鏡の縁を握り締める。
黒鷺城の廊下にもかかわらずここには人の存在を是認するような雰囲気はない。むしろ他者を拒絶し、食い殺そうとすらしている。
アニエスは誘導するように前を歩き廊下を少し行った所の質素な木製のドア前で立ち止まった。冷気を感じさせる空気はここから流れている。
これに比べたら和樹が使ったヘル・ブリザードの黒い雪ですら暖かみを感じさせた。
何を考えているのか、アニエスは目の前のドアをノックする。徒人はビックリして声を上げそうになるがここまできたらアニエスを信じ成り行きを黙って見守る。
「お食事をお持ちしました」




