第1話 初めて優しくしてくれた人は魔王様でした
黒髪で中肉中背の少年の視界がホワイトアウトしたかと思えば今まで居た現在風の中世の城の一室と思われる石で作られた部屋の中に居た。
目の前には美しい肢体を持ち、妖艶な若い女が立っている。胸をはだけたような衣服でストリッパーのようにも見える。人間とは違って奇妙な点が一つ。背中から悪魔のような羽が生えてる事だ。
「えーとお姉さんはどちらさまですか? 俺は普通に道を歩いてたんですが……」
問い質してみるが若い女は妖艶な笑みを浮かべているだけで反応しない。獲物を狙う肉食獣のようにゆっくりとこちらに近付いてくる。年の頃の少年がうら若き全裸に近い衣服の女性に望む事など一つしかない。
「君にお願いしたい事があるの? 聞いてもらえる」
その一言に少年はドアの位置を確かめる。己の後ろにあった。だが思春期相応のそれを払い除ける事が出来なかった。
「俺で良ければ……喜んで」
はにかみながら少年は女の言葉を最後まで聞かないで了承してしまう。
「そう。じゃあ聞いてくれる?」
妖艶なサキュバスは少年の首の後ろに両手を回して左耳に息を吹きかけるように呟く。その左手は首から自分の腰へ回っていくのを少年は気付かない。
「何を……でしょうか?」
「……私に、……刺されてくれる?」
その言葉を聞いて少年は反射的にサキュバスから離れようとしたがその時には既に手遅れで彼の右腹に銀の刃が突き刺さっていた。臓器で言うなら肝臓の辺り。彼はあらん限りの力でサキュバスを突き飛ばす。だが部屋の出入り口とは正反対の方向へと倒れ込み石畳の床を這いずって彼女から距離を取る。
「な、なんで」
少年は肢体に力を込めて逃げようとするがまな板の上の魚のように緩慢な動きしかできない。そんな状態から右腹部から血が吹き出し石畳を染めていく。よく見ればここは牢獄の用に見える。そんな人間をいやサキュバスを閉じ込める為にあった事に少年は気がついた。
「だって……女は普段刺される物じゃない? だから刺す側になってみたかったのよ」
サキュバスは血に濡れた銀のナイフを手にあっけらかんと言い放った。
少年には正気の沙汰とは思えない。薄れゆく意識の中で彼は後ろの光に気がついた。窓だ。自分が逃げ出すにはこれしかチャンスはない。逃げるにはここが高所だろうが飛び降りるしかない。
少年は最後の力を振り絞って立ち上がって光の中へと飛び込んだ。身体が反転する。重力と言う魔の手に引き寄せられて空の中にいや地面へと落ちていった。
どうしてこうなったのかと少年は考えた。ここは地球ではないのは何となく分かっている。そして中世風で城のような造りであるこの場所で装飾は華美なのだが何故か人間が住むような建物には見えない。
その時に怪しさを感じて逃げ出すべきだったと後悔する。
下心を優先した為に起こった危機。用心が足りなかったと。
「まさかこんな最後を遂げるなんて……」
落下しながら少年は己の愚かさを悔いる。そして少年は地面に叩きつけられた。
「キャアアァァァァッァァァッァァ!」
もうろうとする意識の中で絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。
反射的に少年が視線を向けると籠の中にポテトチップスのような物を入れており、それを頬張っている女性の姿だった。彼女はスノーホワイトで腰まで届く髪に瞳は鴇色で雪のような白い肌、そして耳は尖っている。その身には刺繍入りの黒い祭服らしき整った身なりをしていた。勿論、人間ではない。漫画やアニメや映画に出てくるエルフとも違う。
しかし少年が17年間生きてきて見たことのないくらいの絶世の美女だった。彼にとっては先程のサキュバスよりも美しいと思った。ただ、ちょっとトウが立ってる感じだったが。
普段なら下半身に血が集まる筈だがそれが無いことに彼は違和感を覚える。物凄く好みなのに。
「どうしましょう。どうしましょう。とんだ大失態だわ」
絶世の美女は少年を見て涙目で軽い混乱を起こしている。無理もない。自分の住処の中庭に血まみれの少年が落下してきたらこうなる。
あ、人生終わった。ならせめて彼女の胸の中で死にたい。少年の最後の願いだった。
女性も落ち着いて何を成すべきか判断したのか少年に近付いてくる。
少年は女性に抱きついて、彼女は支えきれないで地面に押し倒される形になった。そしてそのまま女性の胸に鼻面を押しこむように擦りつける。特有のいい匂いが嗅覚を刺激する。
小さすぎず大きすぎないその胸は最後を迎えるには相応しい場所だと少年は思った。
女性は少女のように顔全体を真っ赤にしている。
「Hなのは構いませんが物事には順序という物があってですね。瀕死で抱きつかれても困ります。もう一度言いますよ。Hなのは構いませんが物事には順序という物があってですねって人の話を聞いて下さい」
少年の意識が遠のこうとした瞬間、左脇腹に強烈な掌底が叩きこまれた。そして彼の身体はゴムボールのように庭の壁に叩きつけられて地面に落ちる。
「あっ! またやってしまった! 急いで治さないと! 異世界の人間さん、死んでないよね? えーと持ち物から杖を取り出して」
女性はどこからともなく杖を取り出しながら少年に駆け寄る。
「深遠なる闇の下僕たるトワ・ノールオセアンが命じる。傷付き倒れたこの者に安息たる闇の祝福を! 《ヒール!》」
彼女は、トワと言う名の女性は少年の前に跪いて呪文を唱え始めた。辺りを闇が包み、少年の身体を覆い、見る見るうちに出血が止まり、傷を癒やす。
全身の痛みは引いた。
「お名前は言えますか? ここがどこだか分かりますか?」
トワは少年の首に手を回し上半身を抱き起こしながら問いただす。
「神蛇徒人。ここはどこだか分からない」
「ここはゾディアック大陸の黒鷺城中庭です。お前たち、負傷者です。急いで中庭に来なさい」
説明しながらどこからかベルを取り出したトワが誰かに向かって命令する。
すぐにどこからともなく執事とメイドたちが現れた。彼らは皆人間とは違い、耳が尖って尻尾が生えてる者も居た。そう魔族である。その彼らは人間である徒人を慎重に担架に移して丁寧に運んでいく。
珍妙な光景に徒人は黙ってされるがままにしたつもりだがその口からは「チートが!」「チートが!」などと呻いていた。
「精神的に混乱してるので一旦眠らせて下さい。あとは体を洗ってその服を着せてあげて下さい」
先程までの慌てっぷりとは打って変わって威厳に満ちたトワは冷淡に告げる。
『御意。我らが魔王トワ様』
彼らは一礼して徒人を運んでいく。
トワの後ろには鎧を纏い、蒼い鱗を持つ巨躯の竜人が姿を表していた。人間など比べ物にならないほど背が高く人目で別格と分かる強者のオーラを纏っている。その鍛え上げられた身体つきから相当腕の立つ武人であろう。
「シルヴェストルですか」
「はい。閣下。領地の定時報告に参りました」
偉丈夫の竜人は主の言葉に短く返事をして一礼する。見た目とは反してイケメンボイスである。
「5階から落下した上にわたしが殴ったら普通の人間は死にますよね? これが 彼が言っていたチートとかいうの何でしょうか?」
トワは中庭の入り口においてある巨大な砂時計を見た。砂は3分の1ほど下へ落ちていた。
「普通は死にますね。……あの神蛇徒人と言う少年、案外当たりかもしれません。閣下の慧眼に間違いはなかったと言うことですな」
徒人はその言葉を背にして謁見の間から連れだされた。
【神蛇徒人は[殴属性耐性1]を習得しました。同時に[殴属性耐性1]は2にレベルアップしました。神蛇徒人は[対魔族耐性1]を習得しました。[転移者]の称号を獲得。[転移者]の称号の効果で[異世界言語3]を習得しました】
そして変な声を聞いた。
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1話から3話まで一部修正しました