第3話
僕は走るのが苦手だ。
突然何を言い出すんだと言われそうだが、まあ、聞いてほしい。
学校には体育祭と言うものがある。
僕の高校も例外ではない。
体育祭の種目決めで僕は何故か800メートルリレーのアンカーになってしまった。
理由は単純にみんながやりたがらなかったからであり、同じくリレーに出る友達に強制的に名前を書かされたからでもある。
でも別に体育祭なんて適当にやっておけばいいかと思っていた。
あの時までは。
彼女のバイト先のコンビニ。
新商品の「あの頃コロッケ」について店長から熱く語られている時。
店長が商品のPRを超えて自分の幼い頃の恋物語(肉屋のさっちゃんへのささやかな恋)を語り始めた時、彼女がさらりとこう言った。
「そう言えば、巽君、明日、体育祭があるんだよね。私も行っていい?」
「……ん?」
5秒くらい思考停止して小首を傾げる僕。
「あ、その表情、うちの実家で飼ってる柴犬のマメに似てる! もう一回やって!」
「いやいやいやいや、喜んでいいか傷ついていいかわからないリクエストやめて! って言うか何で知ってるの!?」
「へ? お店に来た巽君の高校の子が言ってたよ? 明日の体育祭、だるいなあって。ねえ、店長」
「うん、秋じゃなくて春にやるんだねって話してたんだよね」
「体育祭って懐かしい響きだなあ。ねえ、巽君は何の種目に出るの?」
「…………」
キラキラとした期待に満ちた彼女の笑顔とは反対に僕は絶望的な気持ちになる。
これは大変なことになった。
体育祭当日。
「今日だけ足が速くなるおまじないないだろうか……」
「お前はどこの乙女だ」
横で友達につっこまれながらブルーシートの上でしょんぼり体育座りをする僕。
雨乞いをしたり、てるてるぼうずをさかさにつるしたり、その様子を姉に見られて気持ち悪がられたり。
そんな努力も空しく、今日は雲一つない青空になってしまった。
観覧席を見れば笑顔で手を振る彼女がいる。
あ、だめだ、今日も可愛い。
友達がなぐさめるように僕の背中をたたく。
「別にいいじゃんか、ビリッケツでも。そう言うダメなところも含めて彼女はお前のこと好きだと思うぜ」
なるほど、中々良いことを言う。
ただ、
「本音は?」
「あんなに可愛い彼女作りやがって、リア充が爆発しろ」
「よし、歯くしばれ」
「きゃっ、巽君、こわ~い」
アホな友達は放っておいて確かに彼女は僕がビリッケツになったところでがっかりするような人ではないだろう。
むしろ「頑張ったね」となぐさめてくれるに違いない。
でも。
「僕は「頑張ったね」じゃなくて「カッコ良かった」って言ってもらいたいんだよ。彼女は僕の好きな人なんだから」
「…………」
ああ、だめだ。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
友達を見ると、あれ、何だこの表情。
呆れ、怒り、いや、え、何この表情。
今まで生きてきて見たことがない顔を友達はしていた。
未知との遭遇に戸惑っていると800メートルリレーの招集がかかる。
友達は僕の背中をばんっと全力で叩いて立ち上がる。
「いった……!」
「お前、今度、パン販で焼きそばパンおごれよ」
謎の言葉を残して集合場所に向かっていく友達。
「?」
僕は疑問でいっぱいになりながらしぶしぶ立ち上がる。
チラリと彼女を見る。
真剣な顔で小さくガッツポーズをされる。
ああ、ごめんなさい……。
僕は先に心の中で謝っておく。
スタートのピストルが鳴る。
コースはグラウンド一周。
第一走者が走る。
第二走者が走る。
僕のクラスは最後から二番目だ。
あ、転んだ。
もうだめだ。
頭を抱えていると第三走者の友達が立ち上がった。
最下位でバトンは渡された。
走り始める友達。
順位は最下位のまま……あれ、待てよ。
歓声が上がる。
ぐんぐんと他のクラスが抜かれていく。
4位、3位、2位、そして……。
僕はスタートラインに並ぶ。
後ろに伸ばす手が震える。
友達の姿がせまってくる。
「巽!」
バトンが渡される。
必死の形相。必死の声。
僕は走り始める。
目の前には誰もいない。
1位。
今、僕は1位で走っている。
必死で足を動かす。
もっと速く。
もっともっともっと。
グラウンド一周。
何でこんなに長いんだ。
音が聞こえる。
爆発しそうな心臓の音。
音が聞こえる。
僕を追い抜かそうとする音。
音が聞こえる。
「巽君!」
彼女が僕を呼んでいる声。
一華。
誰よりも好きな人。
頑張らなきゃ。
後ろの音はどんどん近くなってくる。
くっそ、何でこんなに遅いんだ……!
ゴールテープが見えてくる。
あと少し。
あと少し。
走れ!!!
テープが舞う。
僕は――
旗が渡される。
1位。
僕、1位だ。
力が抜けて地面にへなへなと座り込む。
彼女は――
ああ、びっくりした顔してる。
大きな目をより大きく開いて、口に手をあてて。
そうして、ぴょんぴょんと手を叩いて飛びはねる。
喜んでくれた。
嬉しい。
嬉しい。
喜びに浸っていると後ろからずっしりと重さを感じた。
「あーあ、明日、絶対筋肉痛だわー。全力で走りすぎたー」
文句を言いながら全体重をかけてくる友達。
僕は受け入れながら言う。
「今度、焼きそばパンどころか数量限定カツサンドおごるよ」
「まじで! じゃあ、数量限定コーヒー牛乳もつけて!」
「調子にのんな、ばーか」
僕は笑う。
友達も笑う。
僕も絶対明日、筋肉痛だと思った。
その夜、彼女からメールが届いた。
『今日の巽君、すっごくカッコ良かったよ! 来年の体育祭も楽しみにしてるね!』
そのメールを保存した後、僕は慌てて友達に電話をかけた。
「来年も僕の前を走ってくれない? 全力で! 僕が1位になれるくらい!」
友達は言った。
「爆発しろ」と。