第2話
付き合い始めて僕は彼女の呼び方に迷っていた。
白樺さんはよそよそしすぎる。
かずちゃんはなれなれしすぎる。
一華は心臓が爆発する。
自分の部屋でベッドの上に寝転がって身悶えていた。
今までこの問題から逃げてきたけどもうそんなわけにもいかない。
だって、明日はデートだから……!
「おい、弟よ」
後ろから声がして振り返る。
そこには扉の前で仁王立ちする姉がいた。
「ベッドの上で気持ち悪い動きしてないで風呂入ったら? 少しはまともになるかもよ?」
真ん中にどんと「跪け」と書いたTシャツ(パジャマ)を着てそう言う姉。
これで僕より3つ上、彼女より年下だというのだから驚きだ。
本当に同じ人間だろうか。
げしっ!
なんてことを考えていたら思いっきり背中を蹴られた。
「いたっ! 何すんだよ、姉ちゃん!」
「あんた、今、失礼なこと考えたでしょ」
「……何でわかんの」
「姉なめんなよ。表情見ただけで分かるわ」
「そんなすごいお姉様にきいていいですか?」
「何?」
「もし、姉ちゃんに年下の彼氏がいたとしたら、何て呼ばれたら嬉しいですか?」
「…………」
姉は少し考えると僕の背中から足をどけ言った。
「女王様」
バタン。
扉がしめられる。
僕は思った。
もう二度ときくものかと。
次の日、僕は精一杯のカッコいい格好をして待ち合わせ場所に向かった。
父のワックスで鏡の前で一時間悩んできめた髪型。
カッコいいショップの店員さんが勧めてくれた何かカッコいい服、靴、アクセサリー。
完璧だと思った。
でも。
駅の改札前で彼女を見た時、そんな自信は吹っ飛んだ。
「あ、巽君」
僕の姿を見つけて彼女が笑顔で振り返る。
揺れるゆるくパーマがかかった胸下まである髪。
ふわりとふくらむ淡いピンクのワンピース。
「おはよう」
駆け寄ってくると良いにおいがして。
「楽しみで早く来すぎちゃった」
照れたように髪をさわると白いうなじが見えて、丸いシルバーのピアスがキラリとひかる。
僕より身長が高い彼女。
僕、160センチ。
彼女、165センチ。
今日はヒールのある靴を履いているから余計に僕が低く見える。
「……巽君、どうして涙目なの?」
僕を見下ろしながら彼女は不思議そうにそう言った。
僕は全てが負けていると思い、姉のパジャマのように跪きたくなった。
デートの場所は遊園地だった。
新しいアトラクションが出来たばかりのそこは人がたくさんいて、1時間以上の待ち時間は当たり前だった。
「どこから行こうか」
園内マップを広げながら悩む彼女。
本来なら僕も同じように悩むべきだろう。
でも、今日の僕は違った。
なぜなら、事前にインターネットで調べまくったから。
どこにどんなアトラクションがあってどんなふうにまわれば効率よくまわれるか。
頭の中に今日の予定はすべて入っている。
僕は自信満々に提案しようとした。
「まずは……!」
「あ、巽君、お化け屋敷は?」
「え?」
彼女はアトラクション紹介を僕の前に広げる。
「ほら、ここ。この恐怖にあなたは耐えられるかだって。面白そうじゃない?」
キラキラとした笑顔とは反対に彼女の指先には恐怖にひきつる女性を青白い顔の女性が襲っている写真がある。
なるほど、そう来たか。
「ここから近いし、待ち時間も他のアトラクションより少なそうだよ?」
「……うん、そうだね」
「じゃあ、行こうか」
お化け屋敷へ向かう彼女。
僕はひきつりそうになる顔を必死でおさえようとする。
言えない。
彼女には絶対に言えない。
でも、心の中で告白しよう。
僕はお化けが怖い。
それからの出来事を簡単に説明しよう。
あるお金持ちのお屋敷。
扉を開けると次々に襲ってくる元住人(金持ち家族)。
お母さん、お父さん、娘。
みんなが青白い顔をして襲ってくる。
叫ぶ僕。
なぐさめる彼女。
震える僕。
なぐさめる彼女。
涙目になる僕。
なぐさめる彼女。
ざっとこんな感じだ。
「申し訳ない……」
そして、今、僕は地面に埋まりたい気持ちでいっぱいだ。
誰かこの夢の国に深い穴を掘ってくれないか。
ベンチに座ってうなだれる僕に彼女は苦笑する。
「私こそごめんね。苦手だって知らなかったから」
「いや、あの金持ち家族、卑怯だよ。お父さん、「わしの金がわしの金が!」って言いながら襲ってくるものだから、財布投げつけちゃったし……」
「ちゃんと返してくれてよかったね。「あの、これ」って。私、素になった幽霊初めて見たよ」
あの時のお父さんの同情に満ちた表情を僕は一生忘れない。
「本当なら僕がお化けから守ってあげなきゃいけないのに……。僕、彼氏失格だよね……」
自分の情けなさに本当にがっかりする。
「ふふふ」
笑う声がして顔をあげる。
くしゃくしゃと頭をなでられる。
「え?」
驚く僕に彼女はふわりと温かく微笑む。
「いや、巽君は可愛いなあと思って。私、知ってるよ。お化け屋敷で叫びながらも震えながらも涙目になりながらも最初にお屋敷の扉を開けようとしてくれてたこと。一番怖い場所にいてくれてたこと」
「……そんなの当たり前だよ、僕は男なんだから」
「それで十分だよ。巽君は立派な私の彼氏さんです」
「…………」
だめだ、たえろ、僕。
嬉しいけど。
嬉しくて嬉しくて嬉しすぎるけど、ここで泣いたら情けなさすぎる。
涙を一生懸命たえる僕に彼女はにっこり笑うとぽんぽんと僕の頭を優しくたたいて立ち上がる。
「次は巽君の行きたいところに行こう? どこがいいかな?」
園内マップが開かれる。
僕の計画ではあの絶叫マシーンだ。
でも。
「観覧車にしよう」
僕は言う。
効率の良さや待ち時間の短さより今は彼女とゆっくり話をしたい。
そう思ったから。
彼女は嬉しそうに頷いた。
手をつなぐ。
柔らかくて温かい。
握り返して彼女は言う。
「じゃあ、そこで巽君が私をどう呼ぶか決めようか」
「え?」
「名前を呼ばれないのはさびしいからなあ。私、待ってるんだよ、巽君」
「ごめんなさい……」
ゆっくりとゆっくりと回る大きな観覧車の中で僕は真っ赤になりながら彼女の呼び方を決めた。
一華。
心臓が爆発しそうになりながら僕は何度も何度も彼女の名前を呼んだ。




