17
妖精族のソルリアは彼との恋をこう断言する。
『一言惚れ』だった、と。
かつて勇者と呼ばれることとなる、彼との出会いはほんの偶然だった。何時もの通り、森へと薬草をつみにいっていた、医者である母の手伝いをするためだ。
鼻歌を奏でながら薬草を摘んでいると、近くの茂みががさりと揺れて、そこから一人の男性が現れたのである。
人と出会うことは、禁忌と呼ばれるほどではないが、良くないこととして扱われる。顔から血の気が引いたが、すぐに血の気を取り戻す、それも過剰なほどに。彼の顔がとてつもなく美しかったからだ。見惚れていると、彼は驚いた顔をした後、楽しそうに言った。
「とても綺麗な羽ですね」
と。心臓が跳ね上がり、きゅぅと締め付けられた。顔が火照り、全身にぎゅっと力が篭った。歓喜のまどろみの中私は理解した。
あぁ私は恋に落ちたのだ、と。
リーシャと仁志の距離が近づいた出来事から時間がたち、夕御飯の時間となる。本日は全員集まってのもので、ふとドラマのお金持ちを連想させるような長方形の白いテーブルクロスのかけられた机を囲んで座っていた。仁志が上をみれば、目がくらむほどに輝くシャンデリアが周囲を明るく染め上げていた。
ここにくるまでは、そこまで格式高い食事ではなかったのだが、きてからは二三段飛ばして高くなってしまった。
元よりそんな食事をしたことのない上に、この世界の食卓事情に無知な仁志にとって、格式高い食事というのは目の前にするだけで相応しくないことを感じ、居づらさを感じていた。
ナイフ・フォークの類はあるし、テレビによるマナー知識もある、――それが絶対に通用するわけもなく、些細な差異に内心びくびくとするばかりだ。
そんな彼の正面に座るリリィは優しい笑みを浮かべて言った。
「アラトロスとここでの食事方法は違いますか?」
「え、えぇ申し訳ないんですけど、よくわからなくて」
仁志は頬を紅潮させ、苦笑いを浮かべた。その言葉に驚くのはアイリスだった。
「え……そうなんですか?ナイフとかフォークとかは使えるじゃないですか」
「いや、同じようなものはあったんだよ。でも……」
「マナーというものがわからない、ですか?」
ズバリと当てるリリィ。気恥ずかしさも大きくなり、顔は熱を上げていく、おそらく今の俺の顔は真っ赤だろうと仁志は思った。
リリィは目を細めて、微笑ましそうだ。
「別に、マナーなんて気にしないでいいんですよ。好きに食べたほうがおいしいですから。食べ物もおいしく食べてもらいたいと願っていると思います」
「そうですよ、堅苦しくやるよりもそっちのほうが何倍もいいと思います」
二人のフォローに重ねるようにして、メルラドとファイサが声を上げた。
「私たちもなるべく不愉快にさせないようにぐらいしか考えてないですから」
「あはは……冒険者に完璧なマナーというのが無理ですよ……」
仁志は四人の言葉を受けて、幾分か心が軽くなるのを感じた。小さく頷く。
「自分のペースでいけばいいですね」
「あぁ、でもアラトロス式にも興味がありますわ。よかったら食器類をお教えいただければ作らせますけど……」
「いえ、そんな」と恐縮すれば、リリィは首を振った。
「"興味"がありますので、使い方を教えていただければ"嬉しい"です」
言葉の節々を強調して言い放ってから、首をかしげるリリィ、仁志の要求ではなく、私の要求のついでに当然のことをするのだと暗に言っていた。
仁志は驚き、リリィに対しての尊敬の念が深まるのを感じた。清楚で、柔らかな性格で、気遣いも絶やさず、慈愛というものに溢れている――。
先日の逃げるように去っていったときの愛らしさといい、この少女はとても美しい。
美醜逆転などという世界でなければ、彼女は聖女のように扱われていたのではないか、と仁志は思った。
(ああああああああ、ヒトシさんが恥ずかしそうに食事をする風景をみながら御飯を食べるのは格別だけど、フォローして嬉しそうな仁志さんをオカズにして食べるのはさいっこうの美味!
「アラトロス式のもちかたはこれだよリリィ」
「あっ……手が……」
「嫌かいリリィ?」
「そんな……でもこんな私と触れ合うなんて――」
その瞬間目の前にヒトシさんの顔が、触れ合うくちびる!頭が真っ白になる私!離れ行くくちびるに名残惜しそうな表情をすると、ヒトシさんは私のくちびるに人差し指を置いて言うの!
「続きは……夜ね?」
ぐふふふhふぉふぉふぉふぉふぉふぉふふhぢうえひうへいへwぬほほほほほほほほ)
知らないほうがいいこともある――。
「これでも私、知識欲は高いほうでして、どんな形状の食器を?」
「えっと、箸といいまして、先端が丸みを帯びた棒状のものを二本用意してくれれば1セットとして使えます」
「ふむ、ルナリア。用意してくれるかしら?」
「了解です。どれくらいで用意をすればよろしいでしょうか」
「ヒトシさんにはできるだけはやくでいいわ」
「了解です。では五分お待ちください」
すごくはや――五分!? と仁志が驚き視線を向ける前に、煙のようにルナリアの姿は消えていた。
冒険者の二名はひどく驚いた表情をしているが、アイリスとリリィは当然のことだといわんばかりに平然としていた。
「有言実行。五分後に完成します」
「あ、あの」
「あら、メルラドさんどうかしましたか?」
「あのメイドさんは何者ですか?」
「ルナリアは幼いころから私に仕えるメイドですわ」
「メルラドさん、ファイサさん、そういうものです」
最後のアイリスの言葉に、納得がいかなそうではあるが「はい」と頷き引き下がるメルラド。ファイサはその様子をみて、疑問を飲み込んだ。
話し続けてきて、ふとアイリスは疑問に思った。これまでリーシャの声を聞いていない。ヒトシの隣にいる彼女へと視線を向けてみると、もじもじとした様子でこちらとメルラド、ファイサを見ていることに気づいた。
「どうしたの?」
問えば、ハッとなって口の開閉を繰り返した。なにか言いにくいことでもあるのかしら? とアイリスは次の言葉を待った。
「えっと、ね。アイリス、メルラドさんファイサさん」
「えぇ」
「はい」
「どうかしたの?」
「後で、話があるの」
リーシャは言い終えて、心臓に手を置いてふぅと安堵のため息をついた。
三人が三人、疑問の表情を見せるが、最終的には了承を得た。仁志は少しばかり不安を覚えながらも、ほほえましくその姿を見つめていた。
さて、食事を再開しようかと思ったその時、
「完成しました」
「うおお!?」
はじかれたように振り向けば白い布を広げて手に持つルナリアが背後に立っていた。
「おや、申し訳ありません。驚かせてしまったようですね。驚きといえば買い物にいけば驚かれるようなので、少々驚かせるということに――」
「ルナリア、ありがとう」
口火をきり、開放された言葉のダムの扉を強制的に閉めるリリィ、手馴れたものでパァンッと手を打ち、音は鋭く周囲に響き声を掻き消した。
「複数候補を作成済み、魔法によりコーティング済みです」
そういって布に載せられた箸を差し出してくる。仁志が見れば、形状は複数あり、その中にここに来る前に使っていた箸に近いものを発見した。
「すごいですね。ありがとうございます。これ前に使っていたものとすごく近いです」
持つところは四角く、先端は丸く、料理を取るところは滑り止めであろう丸い切れ込みが入っていた。まさしく箸だった。
他を見ると、多数のものがあるが、どれも箸ではないと断言できるようなものは無い。あのような短い言葉でこれほどまで再現するものかと驚いた。
「ありがたき幸せ。さ、お食事をお楽しみください」
「はい、後で何かお礼を」
「ご好意を断ることは恐縮ではありますが、いえ今ある生というものが神の祝福とすれば、このような顔の時点で恩知らずもいいところなので――」
――ばぁん!
再びリリィの手拍子が場の空気を切り裂く。ルナリアがすっ、と口を閉ざしたのを見て、仁志は即座に切り込んだ。
「いえ、ですが――これほどまでよくしていただいて、何も返さないというのは」
「奉仕こそメイドの本懐というものです。お嬢様より給金をいただいているならば、それに全力で答えるべきというのが信念。可能ならば全力でやる。不可能ならば可能になる方法を考える。それがメイドというものでございます」
「すごいですね……」
「ではお楽しみください」
「はい」と答えてから箸を取り、出された料理へと手をつけようとすると、視界上にリリィとアイリスの顔が見えた。どこか呆れていた。
一瞬疑問に思ったが、まぁいいか、とすぐに思考を切り替えて、仁志は料理へと手を出していく、背後でルナリアが顔を盛大に綻ばせて、リリィが見たことのないような満面のだらしない笑みを見せているが、彼は気づかない。
メルラドとファイサは部屋の外で去っていったルナリアの足音がスキップのように軽快であったことに、思わず噴出しかけてしまった。
箸をうまく使って料理を食べていくと、隣のリーシャがこちらを見ていることに気づいた。
「リーシャ、どうしたんだ?」
「これ」
そういってリーシャは割り箸を取り出した。たしかラーメンをつくったときに使ったものだ。
「おぉ、数日前なのに久しぶりだな。割り箸だ」
「えっと、……こうやって」
リーシャはちゃんとした持ち方をして、食べ物をとる部分をパクパクと開閉させた。
「おぉ、うまい」
「えへへ、アイリスとがんばったの」
「じゃあアイリスちゃんも?」
「私はまだまだです。リーシャはすごい速度でばんばん習得していってます」
「それでも嬉しいなぁ。ハッキリとはいえないけど、すごくうれしい」
仁志がこみ上げてくる喜びを顔いっぱいに表現すると、リリィはすばらしい思い付きをしたといわんばかりに言い放った。
「では、リーシャちゃんとアイリスといっしょに教えてくれませんか?」
――将を射んと欲すればなんとやら。リリィは黒い思考が頭の中を滑るように回転する。
リーシャちゃんとヒトシさんは大変仲がよろしい、今の会話から如実に現れているといっても良かった。
リーシャちゃんと仲が良くなる=ヒトイさんが私に対しての感情がプラス方面に傾く。
顔には出さずに、リリィは続けて言った。
「リーシャちゃんもアイリスも、ヒトシさんにもう一回教えて欲しいでしょうから……大丈夫ですかね?」
「俺はかまわないけど……」
「あ、うん!ありがとうお姉ちゃん! あ、でもメルラドさんとファイサさんも一緒にしても良い?」
「あ、わ……私たち、ですか?」
ファイサは驚き、思わず口に出した。リーシャが頷くと、メルラドとファイサはちらりと仁志をみた。
仁志は頷きを返した。
「で、ではよろしくお願いできるでしょうか」
「お、お願いします……」
おずおずとした二人を見ながら、リリィはどうしたものかと思いつつも、すぐに思考を切り替えた。
(これは僥倖だわ。 リーシャやアイリスだけじゃなく、周囲と仲が良くなればぐっと距離は縮まる)
リリィはテーブル下で小さくガッツポーズを取った。
「それではいつごろがいいのでしょうか」
「あぁそれは――」
仁志が考えると同時に、今までニヤニヤと眺めていたダンが口を開いた。
「仁志、明日はオークションだ。たぶん疲労が溜まるだろうから明後日からだ、明後日」
「あ、はい。じゃあ明後日で」
このまま円滑に事は進み、明後日の午前に箸の使い方を教えるという約束をした。
食後、仁志は一人で部屋へと戻り、そわそわとベッドの上でゆれていると、ドアはノックされた。
扉を開けた仁志を迎えるのは、飛び掛るリーシャ。抱き寄せて、背後にいる三人を快く迎えた。
少しばかり疲れを見せる三人は一様に笑顔を見せた――。
その日の夜、ヒトシが寝息を立てる横で、リーシャは目を覚ました。前回とは逆で、するりとヒトシからはなれると、窓に近づき外を眺めた。
満点の夜空。それはリーシャの未来を祝福しているようで、思わず顔を綻ばせた。目がらんらんと輝いている。
「お兄ちゃん」
返事は返ってこない。寝息だけが返ってくる。
それだけでもよかった。
寝息だけで、愛しさに心満たされた。だからこそ胸が締め付けられるように苦しくなった。
わたしは、お兄ちゃんの枷になっている――。わたしにあるのは莫大な魔力だけで、魔法も途中で逃げるようにやめてしまったので中途半端だ。
なにができるであろう――なにもできないのは嫌だ。でも、できるものが思いつかない。堂々巡りの思考がリーシャの心に暗い影をおとしはじめた。
……のど、かわいた。リーシャは静かに部屋から外に出た。道のりは覚えている。
歩いていると、ふと前の扉から橙色の光が漏れているのが見えた。中から声が聞こえる。リリィお姉ちゃんの声だ。誰かと話している……?
「おや、どうかしましたか?」
「ひゃ!」
その瞬間、目の前にルナリアが現れた。リーシャは小さく悲鳴を上げた。
視界端で、ドアが開けられ橙色の光を漏らしているのが見えた。
「おや申し訳ない。驚かせてしまわれたようで。突然目の前に現れるというのは些か礼儀にかけておりました。重ねて謝罪を申し上げさせていただきます。礼儀といいますと――」
「ちょ、ちょちょ、えっと中に誰かいるのかな!?」
「リリィ様が。すでにやることは終えられていますが、何か御用ですか?」
「う、ううん。水が欲しかったから……」
「わかりました。少々お待ちください。できればお嬢様の話し相手になっていただけると嬉しいです」
「え」
反応しきる前に、ルナリアの姿は周囲から消えていた。何度目かではある慣れず驚きだ。すぐに我に返り、おずおずと光の漏れる室内を覗き込んだ。
優しい微笑みを浮かべるとリリィが、リーシャを見つめていた。
「こんばんわ」
「こ、こんばんわ」
挨拶を交わし、リーシャはなにをやっているのだろうと相手を見回すと、持っている本が見えた。
表紙が皮の高そうな書物。近づくと、文字が見え、それが魔法書であることが理解できた。
「魔法?」
「ええ、こういった書物を読むのが趣味なんです」
「上手なの?」
「いえ、知識収集というものを好むだけで、能力があるというわけではありません。リーシャちゃんは魔法は使えますか?」
「少しだけ……魔力が大きかったからうまく扱えなくて」
リーシャの言葉を聴いて、リリィは考える素振りをみせると、車椅子を動かし本棚へと近づいた。ふっと指を動かすと、青白い光が上段にある本を動かし、静かに落下していく、それをキャッチしてリリィはリーシャへと近づいた。
差し出す。
「貴方にとってそれは大きな悩みなのでしょう。ならばこれをどうぞ」
見れば、『魔法基礎理論及び基礎を伸ばす魔力操作』と書かれていた。
リリィのズバリと的中させる物言いに思わず瞳を重ねると、見透かすような瞳を向けられていた。瞬時にニコリと目が細く変わる。
「これでも人を見る目があるのですよ」
「……」
「あ、よかったらこれも」
そういって車椅子の下にある荷物置き場のような部分から、一冊の本を取り出した
「あ、これお兄ちゃんが……」
「ヒトシさんには先日渡しました。読んでましたか?」
思い出すと、描かれたヒトシは本を開閉するだけで読んではいなかったはずだ。
「ううん、読もうとしていたけど……」
否定だけではヒトシに対する印象が悪くなるかもしれないと思い、リーシャは言葉を付け足した。
再びリリィは考えると、ぴしりと人差し指を立てて言い放った。
「ずばり、この国の言葉がわからないのでしょうね」
「えっ?」
「普通に話しているので気にはしてませんでしたが、ヒトシさんはすごくお人好しな性格です。渡されれば律儀に読むでしょう。ほんの少しではありますが、それぐらいはわかります」
「あ……」
リーシャは少し考えれば思い当たることが多いことに気づいた。食事をすれば一瞬困ったような表情になっていたはずだ。
リリィは差し出した物語の書籍を引っ込めて、荷物置き場へと戻した。
「では、ヒトシさんに読み聞かせてあげるといいと思います」
「読み聞かせ……」
「今まで言ってこなかったということは、若干羞恥心があるということです。このままでは後々不便ですし、リーシャちゃんに指摘されたほうがいいと思います」
「――うん!」
リリィの言葉に、リーシャは嬉しそうに頷いた。しばらく立てば、ルナリアが水を一杯持ってきた。お礼を言いながら受け取り、ぐいと一気に飲み干すと、軽い足取りで部屋へと戻る。
そうだ、今できないなら未来にできればいいんだ。ぎゅっと本を持つ手に力がかかる。明日から特訓だ。
がんばるぞ!
ヒトシの眠る布団へともぐりこむと、本と一緒にヒトシの腕を抱きしめて眠りについた。
――ねぇキサラ。
わたし、今とっても幸せなんだ。
「ちなみに、一番エロいヒロインが私に似ているんですって」
リーシャの去っていった後、静かにリリィは言った。
「アイーシャはすごかったですから。ですがお待ちください、煽情的であるといえども現実はひどいものです。まさしく肥溜めの如し、それが肌をさらすとします、肥溜めを掬いあげてぶつける所業ではないでしょうか、ゴブリンですら裸足で逃げ出す所業ではありませんか」
「お口チャック」
ルナリアは人差し指を立てて、口の端から端まで動かした。
「そう、物語を読んだ後、私を見るたびに脳裏に描いた煽情的な光景を思い出すの!」
ルナリアは氷のような視線をリリィに向けている。
「情欲が湧き出すヒトシさん。それを罪悪感に変わり、様子が変なヒトシさん。私はそれに気がつき、手をとって聞いてしまうのです。そのときの私は薄着ですごくエロティック!」
ルナリアは氷のような視線をリリィに向けている。
「理性が切れて飛び掛るヒトシさん! 「あぁっダメですわ、こんな私なんか、貴方といっしょになる権利はありません!」「権利なんて、世間なんて関係ない!俺は――お前が、好きだ!」そしてハッピーエンドへ――ぐへへへへぇ!」
ルナリアは氷のような視線をリリィに向けている。
いい加減ネタだからと適当に考えた題名を変えるべきではなかろうかと思っている次第でございます。
しかし、あとがきを書くとものすごくネタバレしたくなりますよね。
この後の顛末とか書きかけましたよ。たぶん斜め上すぎる動きをはじめると思います。
とにかく美醜逆転世界を生かすために必死ですからね、いまなんてぜんぜん生かされてませんし。
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