15
陽光がカーテンにさえぎられた薄暗い室内で、一人の女性は苦々しいしい表情と、憎しみがこもった視線を壁にかかるものへと向けていた。
それは、一度みただけでは『なんだ、紐がかけてあるぞ?』と思ってしまうであろうほどの服だった。公序良俗というものに真っ向から対立せんとしているようにしかみえない。
その上女性の姿はポニーテールにした茶髪が特徴的で、目はぱっちりと大きく利発そうで、鼻筋は通り、胸は豊満で、国中を探してもお目にかかれないほどのものを持っていた。
つまりはー―醜女というやつである。
「なんっでわたしが……こんなことしなきゃなんないのよぉ……」
嘆きにも似た言葉が、空しく部屋に響いた。目じりにはうっすらと涙がたまっている。
彼女の名前はロッカ。ロクシュリア・バニングスという。父は辺境伯で代々従者をやっている、いたって普通の女の子だ。顔や体は――などとは言わないでいただきたい。
ロッカは冒険者を経て探偵という職業へとつき王都に住居を持ち、辺境伯との繋がりから得た情報網を利用しながら日々を暮らしている。
男は近づかないし、顔は化け物レベルという足かせはあるが、紹介という形ではいってくる依頼を淡々とこなし信頼性をあげれば多くは無いが定期的かつ安定な収入を得ることができた。
化粧や肌の手入れなどすることもないしする必要も無い、ただ欲というものをださずにいれば、どうせ将来は独り身だろうし一人分ぐらいの老後の貯蓄を得ることはできる。
順風満帆――男がいればなどとは思わない。お、思わない……。
将来は安定した。
かと思えば、瞬く間に崩壊した。
その日、ロッカは暇だった。すでに大口の依頼をこなした後なので疲労感が全身に満ちていたために、それでよかったのだが。
最近流行りのお茶を淹れて飲んでいた。最初飲んだときに舌をやけどしてしまったが、なかなかにおいしくて心地よかった。
のほほんと目を細めて、天窓から見える青い空を、椅子に座りながら眺めていると、遠くから足音が聞こえた。
タンタンと規則的な音で、こちらへと近づいてきている。
依頼だろうか? ロッカはティーカップを静かにソーサーへと戻した。いつものように顔がよくわからない髪型と、体のラインがでない服装であることを確認して、現れる人物を待つ。
ノック音。どうぞと返せばすぐに開いた。
「久しぶりだな。ロッカ」
「キサラ?」
キサルピナ・ロンバルディア。両親の仕事場であるロンバルディア辺境伯の長女。
ロッカにとっては幼馴染だ。そして、彼女が気後れせず付き合える友人である。つまりはアレだ。
そして――
「騎士になったっていったけど、探偵になにか用なの? それとも友人として?」
美醜が人生を左右するこの国にとって、その風習をへし折り騎士という華々しい職業になった誇るべき友達でもある。
ロッカは問いかけると、キサラは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。それだけでわかった。
「そう、仕事の依頼ね」
「……久しぶりの再開に些か無粋ではあるのだが」
「気にしないわよ。むしろ頼ってくれてうれしいわよ? 昔は助けられてばかりだったし、壷を壊したときも貴女が頭を下げてくれた」
「ふふ、そんなこともあったな」
「まぁ、次回に楽しみはとっておいて、こっちへ座って」
そういって依頼内容を聞くためのソファと机の置いてあるスペースを指差した。素直に彼女は向かうのを見送り、ポットのお茶をティーカップへと注ぎ、すばやくキサラの元へと向かった。
「それで、なんの依頼よ?」
キサラの前にお茶を置いて、ソファへと腰を落ち着けると近くに放置されている紙束から一枚を取り出し、メモ用紙とする。
おっと言うべきことがある。
「ちなみに事務所の紙束には魔法がかかっていて、依頼が終了のサインがあれば消失し、複製はできない。書いた後にキサラとわたしの名前をかけば第三者にはフィルターがかけられるようになっているから漏れることもない。室内は防音になっていて、音は漏れない。遠見の魔法はある程度は防げる。防げないほどの魔法を行使する個人、もしくは団体であったら言うように」
「大丈夫だ。それ以上の魔法で守られているし、つけられていないからここがバレることはない」
「……わかったわ。それで依頼内容は」
「一人の少女を見つけることと周囲をみはること、名前は――おそらくリーシャ」
「おそらく?」
「リーシャで見つからなくて、それ以外の名前であっても批判はしない」
「……わかったわよ。それで報酬は?」
「金貨五百枚」
次の瞬間、ロッカが思い切り噴出した。
むせながら茶が垂れる口元を拭いつつ、目を丸くしてキサラを見た。
「な、なななな、なぁ!?」
「金貨五百枚。騎士は華やかだがわたしには使う機会がないのでな。ここまで貯まった」
「ちょ、ちょいまち、五人家族が一年で五枚で足りるのよ。学校言って不自由なく暮らせるのよ」
「何の問題は無い、それを出せるだけの人物だ」
「ヤバいの?」
ロッカは地雷臭を感じつつも訊いた。
「なに、問題は無いさ」
「本当に?」
「調べることは、問題、ない」
「そ、そう」
「前金金貨五十枚を置いていく」
「……え、えぇ」
若干キサラは信用できないが、ロッカは依頼されればちゃんとやる。金貨をばらまき情報網を強化した。
コネをコネで強化させ続ければ、その成果は大きく現れた。数日でリーシャという少女が確認された。不安なためにキサラ周辺もかぎまわっておくことも忘れず馬に飛び乗り走った。
発見は宿場。リーシャという少女と、ヒトシというガチイケメン。リーシャという少女は彼の腕に抱きついている。
アイリスという少女、冒険者二人組みにも嫌そうに接する様子は無い。そんな神業を軽々と操り、醜女に大いなる施しをくれてやる男。神が降臨なされたとロッカは思った。
さらには妖艶な美女を拒絶し、醜女を護るなんてこともやった、思わず鼻血出るのもいとわず親指を物欲しそうな顔をしてしゃぶった。
次の日、彼らは出発した。
追いかけると、妙な騒ぎが起こった。山賊風な男どもが今まさに襲われようとしていた。
このときロッカの灰色の脳細胞が(都合のいい)未来を作り出した!
『うおおお!』
ロッカは男たちをなぎ倒し、荷馬車からヒトシを救う。彼の瞳にロッカは勇ましき乙女として映った。
そして安全地帯で降ろし、風のように去ろうとする、そんなロッカにヒトシは声をかけるのだ。
『あ、あのお名前は……』
『名乗るほどのものではないですよ』
去り行くロッカ、思わず両手を頬に当てて顔が熱くなっているのを感じるヒトシ。
『素敵な人だ……』
そして一年後、再び出会い、二人の距離は少しずつ近づき、最後には――
「カーッ!カーッ!いいね!いいね!うへへへぇぐふふふふふぐっげほっげほっげーほっ!」
ぜぇぜぇと息を整えて、馬の手綱を握る手が力をこめる。
わたし――幸せになります。頭のお花畑を満開にさせたロッカは緩む口元も気にせずに馬に加速を促した。
次の瞬間、白雷が落下し男は蹴散らされる。
あ、はい。ロッカがいえるのはこれのみ。呆然と荷馬車を護る冒険者二人を見つめた。おのれ、なぜそこにわたしがいない。
恨みがましく卑しくも納得のいかない表情をしているが、再びの騒動が後方から向かってきた。自分の横を通り抜ける。昨日のあの女だ。瞬く間に男たちに活力を取り戻させた。
「キタァ……キタキタキタァァァ!わたしの時代だァァァ!」
と、思ったら白い光に吹き飛ばされた。ロッカは気絶し、気づいたら夕焼け小焼けな世界に一人街道から離れた木に引っかかっていた。
どうしてこんなことに――という思いが涙となって零れ落ち、拭いながらも地面へと降りた。
何だったのかしらあの光。主を失い途方にくれた様子の馬を見つけ、飛び乗り王都へと向かった。
家へと到着すると、甘いお菓子と高めのお茶を用意したキサラが待っていた。
お茶を啜りながら今まであったことを報告。
「リーシャは大丈夫なのだろうか……」
「うーん、大丈夫……」
しかし、彼は何者だろうか。ヒトシ――この国どころか周辺国家でもない名前をしていた。そして醜女に優しい天使。
「まさか――そうだ、そうに違いないわ……!」
「む、ロッカ? どうかしたのか?」
「大丈夫よキサラ」
自信満々な表情のロッカに、意味不明さに首を傾げるキサラ。
「神がついてるわ!」
「お、おう」
キサラの顔に『反応に困ってます』と書かれていた。
そう彼は神だったのだ。満開から枯れぬどころかドクダミ規模で広がる花々を頭に秘め、ロッカは確信した。大間違いであった。
「とりあえず話を聞く限りオークション会場にくると思うのよ。そこに張り込んでいれば――」
ロッカは一枚の紙を取り出し、差し出した。
「ここに書いてある通りの容姿をした人がくると思うわ。ダン、アイリス、ヒトシ様」
「……様? いや、まぁいい……受け取ろう。確実、なんだろうか?」
「たぶんよ、た、ぶ、ん。こっちでも探すから、コネでも何でも使って警備にでも入りなさい」
「わ、わかった」
やはり不安感は拭えない様子だが、なんとかキサラはうなずき、実際に行って貰えた。
予想は正解したらしく、ヒトシらしき人物と出会ったようだ。
そのときのことを訊けばキサラは紅潮した顔の右頬を押さえながら、ほうとため息をついて言った。
「神がいた」
やはり神であったか――。二人そろって頭の中が満開である。
ロッカはキサラの言葉にうんうんと満足げに頷いた後に、キサラへと切り出した。
「それで、どうするの?」
「ロッカには世間を騒がして欲しい」
「世間を? 主に料理の材料となりやすい肉または野菜のひとつを大量購入して希少価値をあげて高騰させて、料理店に大打撃でも起こせば良いの?」
「い、いや、直接的なものだ」
「直接的?」
「お前には怪盗となって会場を混沌の渦に変えてもらう」
「……は?」
キサラはいそいそと図面と紐、さらに透明な鍵を取り出した。
「これは会場の図面。そして鍵は敷地内にはいることができる」
「色々といいたいことはあるけど……これ、なに?」
指したのは紐である。びろーんと持ち上げてみれば、どこか下着にも見えるような――
「怪盗の衣装」
「は、はぁ!?」
「怪盗ティレニアの衣装」
「まちなさい、これわたしがきて出て行けば吐瀉物の海に変わるわよ」
「では、きめ台詞はそんな感じでいこう」
「どんなきめ台詞よ!?」
「『通る道全て吐瀉物よ!』」
「意味不明すぎるわよ!?――ったくやるわけないじゃない!金貨五十枚は今までの料金としてもらうけど、他はいらない。だからやらないわ」
「うむ、ではリーシャのことが外部に漏れてしまったことをお伝えせねばな」
何気ないように放ったキサラの言葉が、ロッカの頭に引っかかった。
「……ん?どういうこと?」
「うむ、国で機密情報としている情報がリーシャ様でな」
「……し、調べるのは」
「調べるのは安全だ。調べた後は危険というわけだが」
「お、おお……!?」
ハメられた。と停止した頭の中で漠然と理解した。
「神とリーシャ様の両方ゲットしてもいいのだが」
「……」
――魚とりの罠にはまったような逃げられない状態に、おいしいおいしい餌を入れられたような気分だった
後にロッカはそう語った。
仁志はリリィの屋敷の庭で、花壇を見ながら座っていた。どことなく心ここにあらずといった感じだ。
頭の中で『美醜逆転世界』という言葉が反響していた。本来なら喜ぶべきことなのだが――仁志にとっては些か複雑な心境であった。
頬を触れれば膨れ上がった顔が感じられる、仁志は陰口を叩かれる顔をもつことは悲しみもあるが憎しみはなかった。それはこの顔が両親が共に戦ってくれた証のようなものであり、言い換えれば愛のようなものなのだからだ。彼女たちはそれに嫌な顔をしなかった――彼の心の中でリーシャが、一緒にいてくれる人々が大きいのはそういった理由があるわけだ。
それを、美醜逆転してたからですと言われるとなるとどう反応していいのかわからなくなる。どことなく知りたくなかったという気持ちがあった。
「お兄ちゃん」
仁志はハッとした。振り向けば心配そうなリーシャの顔があった。
「リーシャ?」
「大丈夫? 帰ってきてから上の空だよ?」
「基本的に大丈夫かなぁ……」
「基本的に?」
リーシャは首を傾げた。
ふと仁志の頭に欲が沸いた。訊いてみたいという思いが大きくなっていく。
訊くべきではないのかもしれないとも思うが、欲に突き動かされた。理性が働き、遠まわしに、何が聞きたいのか悟られないように――。
「俺はリーシャが好きなんだけど、リーシャはなんで俺に懐いてくれてるの?」
ダメだこりゃ。仁志は言った後になって後悔した。慌てて後付する。
「そのアレだ、まだ数日だけどリーシャはすごく懐いてくれてうれしいというかなんていうか、まぁものすごくうれしいし俺もリーシャのこと懐いているというか大切だしなんていうか」
パニックな仁志に対し、リーシャは一瞬ポカンと口を半開きにした後、頬を赤らめ、うれしそうに笑顔を浮かべた。もじもじと体の前で両手を握りあい、若干潤んだ瞳で仁志をまっすぐとみる。
「あ、ありがとう、お兄ちゃん。リーシャも、その、お兄ちゃん好きだよ?」
(……ダメだ。危険な扉を開けてしまう)
仁志は己の常識がハンマーで殴られた衝撃を受けた。
「そ、それはよかった。うれしいよ」
「うん、大好き」
「う、うん」
苦笑いを浮かべる仁志。
どこか嬉しそうなリーシャ。やっといえたという達成感が彼女を突き動かしていた。
「だーい好きっ!」
無邪気な笑み。やはり照れもあるようで、さらに顔を赤くさせていた。
仁志は静かに、常識がたこ殴りにされて崩壊寸前であることを理解した。
あぁ、なんていうか、今回はこれ以上問わないで置こう。訊いて笑顔に陰りがあったとすれば仁志は盛大に後悔することになるだろう。
陰りがなく、仁志がなぜ好きか、どこが好きかを述べられれば陥落することとなる。
が――彼女は困った笑顔で止まらず語った。
「わたしが、なんでお兄ちゃんが好きかっていうと、助けられたってこともあるけど。お兄ちゃんと一緒に寝るとすごく落ち着いて、嫌な夢みなくて」
急速に彼女の声が変わった。明るさは消えて、途切れ途切れになっていく。
「ごめん、言いにくいなら――」
「ううん、お兄ちゃんには知って欲しい。アイリスには、みんなには後で言うけど、お兄ちゃんにははじめに知っていて欲しい」
「……わかった」
仁志はすぐに覚悟を決めた。最初は小さな不安からの行動だったのに話が少しずつ大きなものに変貌して言っている恐怖はあったが、語らずうなずいた。
「お兄ちゃんと会う前は、一人以外みんな敵だった。みんなわたしを嗤っていた。みんな敵だった。みんなみんな……みんな」
ポタリと涙が落ちる。
「望まれない子供だった。化け物って呼ばれた。毎日お母さんはヒステリックに殴ってくるばかりだった。キサラがくるまで、すごく辛かった」
リーシャは何度も何度も深呼吸をして告げた。
「わたしは――わたしの本当の名前はリュティシア・アンテヴォルテ・アラネット」
「……アラネット?」
「この国の王族、だよ」
沈黙が走った。
仁志の頭が混沌としてきた。なんとかまとめあげて、大きく息を吐いてから仁志は続けた。
「深くは訊かない」
「うん、ありがとう。でも、ひとつ言わなきゃならないの」
「うん」
「なんでわたしが、あそこにいたのか」
人にはそれぞれ思い出したくない過去があると思う。
仁志にとっては入院中であり、その後のことは今でも悪夢にうなされる。
病に侵された仁志は、テレビで流れる嬉しそうに遊ぶ子供というものが大嫌いであった。憎しみに近かったと思う。
毎日両親にやつあたりをした。でも両親は怒らずに悲しそうにしていた。
入院費だけでも負担であっただろう、ただでさえ治るかもわからないのだから、ゴールの見えないものにお金をかけるというのはどれだけのものだったであろうか、今冷静になった仁志は考える。
治ったとき、顔はひどいものであったが、両親は嬉しそうに涙を流してくれた。
そのとき、やっと両親への感謝が大きくなり、絶対に彼らへと親孝行しようと決心したものだ。
決心、したんだ。
秋の空は高く、視界の向こうに天へと昇る灰色の柱が見えた。煙だった。
爆発音と熱気が周囲にばら撒かれ、仁志は力の入らない体で必死になって手を伸ばした。涙がこぼれ、冷たい地面に落ちた。