13
――プロットが自爆した。
「寝れない」
仁志は自分の部屋の天井を眺めながら、ポツリと漏らす。
横を向けば、別々に部屋を貰ったと言うのにリーシャが寝息を立てている。
何度か眠る彼女をみたことはあるが、仁志は彼女の寝顔は苦しそうにしているか、安らかにしているかの二択であることに気づいていた。
なにをみているのやら……と、何度か聞くべきかと考えたが、過去を詮索するのも悪いと思い、今日まで問われることはなかった。
起きあがる、眠気と言うものが一切感じられず、リーシャのしがみつく腕をするりと抜いて、窓へと近付いた。
満月――とは、いかないようだ。
少し欠けた月が大地を照らす。
さて、どうしたものか、と考えつつも、答えは決まっていた。
少し歩いて、水でも飲んで、ベッドへと戻ろう。
眠れないときは、眠れない。それは答えのない謎を解こうとするようなもので、一度離れて落ち着いてみれば、なんだ解けないじゃないかと理解できる。
「さて、と」
リーシャを起こすまいと、静かにドアを開閉して、部屋の外へと出た。
外は闇に包まれていた。
西洋風の屋敷、それも豪邸は、妙におどろおどろしかった。
真夜中の学校のように、恐怖を煽るなにかがある。
ギシギシと軋む廊下を歩くと、ふと直前の扉の隙間から橙の光が漏れていることに気付いた。
誰だろうか、屋敷の人だろうか、と未だルナリアしか出会ったことのない館の従業員の二人目であろうことを予測する。若干そうあればいいな、と思っていた。
広すぎてキッチンの方向がよくわからないのだ。
迂闊だった、と無計画な思考をいまさら呪う。
雪の日に買い物にいかなければいけない状況になったことといい、もう少し計画的になったほうがいいだろうか?
コンコンと、二度ノックする。集中していれば気がつかない、寝ていれば起こさない程度の音だ。
さて、誰だろうか、と仁志は考える。できれば顔をみて、びっくりされなければ嬉しい。
「――ルナリア?」
清楚、その二文字を感じさせる静かな声。秋の夕暮れのような、涼やかな声。
扉は開けずに、仁志は言葉を交わす。
「すいません、えっとここに客で着た仁志です」
「あぁ――、アイリスがいっていましたわ。どうぞ、お入りになってください」
促された仁志は、キッチンへはどういけば?という問いをのみこんで、「では」という掛け声の下、室内へと入った。
部屋へと入ると、本の群れ――恐らくは書斎なのだろか、その部屋の中央に丸い机と、その前に車いすの少女が座っていた。
深窓の令嬢。仁志は思わず、この屋敷へとたどり着いたときに思い浮かべた単語を思い出す。それは、最初に見かけた少女が彼女だということを仁志が本能的に感じ取っていたということだ。
「こんにちは、アイリスのお友達の、リリィです」
微笑みは、春風のようだった。温かく、柔らかい雰囲気が部屋を包み込んでいるようだった。
「えっと、仁志です」
若干ドモりかけながら、仁志は一礼と共に自己紹介を返した。
リリィは近くの椅子を引き寄せて、どうぞを促した。
「どうぞ、こちらにお座りになってください」
「いえ、その――」
「ダメ、でしょうか。話し相手になってほしいのですが……」
少し残念そうに言われると、お人よしな性格の仁志は、すぱんっと今までの思考を切り捨て、頭を左右に振った。
「いや、眠れなかったので……お、わ私も、話し相手になってほしいです」
「まぁ、それはうれしいですわ、それじゃあ一つお話になってくださいますか?」
「はい? えぇ、話せることなら」
返答にニコリと笑みを浮かべて、リリィは真っすぐと仁志を見つめる。
仁志にとってはドギマギするしかない。混乱する頭を収めることに必死になりながら、言葉を待つ。
「アラトロスについて、教えてくれますか?」
優雅な少女の時は遡る。
リリィはアイリスとともに話し合っていた。アイリスはリリィにとって、腹を割って話せる、片手で数えきれる程度の人数のうちの一人だ。
部屋を訪れたアイリスに対して、リリィはもろ手をあげた。
「やった、成長による美人化は見られないわね!」
最悪な歓迎だった。
「――この館の住人は変なところで失礼よね」
アイリスは呆れたようにそう言うと、突然リリィはぐいと前のめりになってきた。
「アイリス」
「な、なによ」
「私、あんなイケメンな男の人をつれていたから、貴方がもしかしたら美女になってしまったのではないかと、いまのいままで動悸が不安定になるほどに不安で不安で」
(こいつ殴りたい)
と、アイリスは素で思ったが、気易い仲なので抑えつつ、彼女は曖昧な笑みを返した。
「あー、うん、ヒトシさん、か」
「ヒトシさん、ねぇ。権力に敗北するかしら?」
「なにを考えてるのよ!?」
「ぐげげげ、気が付いたら借金生活っていう物語からはじまる恥辱に濡れたるぱぁっ!?」
アイリスのチョップの一撃が、リリィのこめかみに突き刺さった。
衝撃で涙目になってこめかみを押さえるリリィ。
「じょ、冗談よ。岩を砕くような一撃を喰らわせなくてもいいじゃない」
「それほど威力はないわよ。ヒトシさんはこんな私にも普通に――というか、不快そうにしない男性なのよ。そんな人を不幸に落とすなんて、リリィでも許さないわよ?」
「かわいそうに、夢をみているのだなぁ」
「今度は本気で行こうかしら」
「はいすいませーん」
通常とは、かなり砕けた口調でアイリスは会話する。彼女の口調は相手を不快にしないように、いつもは敬語だ。壁を作り、近くに居ないことを示す――すでに、慣れてしまったが、仮面は外れるものだ。
リーシャのときも、思わず外れてしまっていた。
「というか、なんで普通に、で訂正したの?」
リリィの何気ない問い。その意味がわからなくて、アイリスは首をかしげる。
「え?」
「ほら、さっき普通って言おうとして不快そうにって変えたじゃない」
「あ、あぁ、そういえばそうね。うぅん……」
少し考える。普通ではないと言おうとして、なぜ違和感を感じたのか、と。
ヒトシの過去を思い出していき、答えはすぐに出た。
「ヒトシさんって、どこかよそよそしいのよ。いや、こちらを嫌悪してるような雰囲気ではないのだけど、なんていうかなぁ、かっこいい人に接する私みたいな感じ? どう接すればいいのか、どう接すれば嫌われないのか、とか考えているように見える……って感じ」
「ふむむ、ということは、アイリスに嫌われたくないって思っているということになるね、うん、現実に妄想を持ってきたらいけないねぇ」
「同じところにデコピン二百発ぐらいでいいかしら」
「地味に痛い!」
といったところで、二人は視線を交えて、一呼吸置いた後に噴き出した。
あはは、と女子二人の明るい笑い声が部屋に包まれる。
ひとしきり笑った後に、涙をためるリリィは、ふと一冊の本を思い出した。
「勇者みたいね」
と、リリィは独り言のようにポツリと漏らした。
「勇者――あぁ、リリィがいつも手元に持ってる本?」
「うん」
リリィは車いすを押して、部屋の机に置かれた、一冊の本を手に取った。
そこにはこう書かれていた。
『アラトロスの勇者』と。
「著者不明の一冊よね。神話のようなもの」
「うん、ブサイクに優しい勇者の物語。醜女を愛する勇者の物語」
「エグゼレスの箱庭へと続く扉が現れた時、たくさんの種族をたばねた勇者が現れる。化け物の一族、エルフも、妖精族も、みんな彼と共に歩んだ――って」
アイリスは昔読んだ内容が、よみがえっていくのを感じた。
「まぁ私たちみたいな女性が書いたんでしょうね――……ね」
アイリスは笑い話として笑ってしまおうとした時、脳裏によぎったのは、ヒトシがアラトロス出身であろうということであった。
思わず口を閉じて口に手を当てて考え込む。
そんなアイリスを、リリィは不思議そうに見つめた。
「ヒト、シさんは」
「どうしたの?」
「ブサイクな女性に優しいの。肩パッドを入れても、そのままがいいっていってくれた」
「最高のお世辞ね」
――アイリスにはリリィが『殴ってほしい』といっているように聞こえ始めている。
怒りにこめかみがピクピクと動き出した。
それを理解したのか、リリィはおどけたように、手のひらを左右に振りながら言った。
「まぁ、でもね、私はそのままのアイリスを好いてくれる人が一番だと思うわ。作ったものを好いてくれるっていうのは、作ったものに対する愛なんだから。できるなら、そのままを愛してほしいわ」
「うん……まぁ、うん、リリィ。ヒトシさんね、アラトロス出身らしいのよ」
「え?」
「出会いは、山が連なる山脈地帯なの、山から降りてきて、変なものに乗っていて、ジテンシャっていってた。他にも知らないものがたくさんあって」
「ちょ、ちょっとまって」
放し続けるアイリスを、リリィは手のひらで押すように言葉を止めた。
「勇者様なの?」
「いや、それはよくわからない。けど、その本が真実で、ヒトシさんの態度も考えると、もしかしたら、ヒトシさんは醜女が好きなのかもしれないって」
「突然現れて、醜女が好きで、その――エルフとかも、好きだと思うのかしら」
「それは、わからない、あったことないだろうし」
エルフは森の民と呼ばれ、奥地に生息する。人のような肉体を持つが、彼らの特徴としては、ほぼ確実に醜女と言う悲しい現実だ。
白い肌。絹のような髪。長い手足。大きな瞳。特徴を告げるだけで、エルフの住む場所に近づこうと言う気はなくなる。
「でも、好きだと思うのなら、勇者様よね」
「……いや、よくわからないけど。メルラドとか、ファイサとかも――その、ブサイクだけど、近くに居られて、少し驚いてたりもしてたけど、嫌がってはいなかった――そう、そうね、少なくとも、ヒトシさんは醜女はどうとも思わない。エルフも嫌だとは思わないんじゃないの」
「えへへ、勇者様かぁ」
アイリスの冷静な予測は、リリィの耳を通り抜ける、夢うつつのように、勇者様という言葉を繰り返す。
「食事時でもあって確かめて見ればいいんじゃないかしら」
と、なにげなしに放ったアイリスの言葉は、リリィをカチンと停止させた。
「む、無理」
「は?」
「……ここまで期待しておいて、そうじゃなかったら死ぬわ! 目の前で首かっ斬って死ぬ! せめてイケメンの心に刻みつけて死ぬわ!」
「それ、ヒトシさんが聞いたら美醜の件無しでも近づこうとは思わないわよ」
呆れた口調と表情で、アイリスは正論を放った。
直撃したリリィはのけ反りを見せると、静かに起き上がった。
すると、ゆっくりと車いすのタイヤ部分へと手をかけた。
「……?」
アイリスはそれを見送る。
音もなく部屋の外へと続く唯一の扉の前へと動かすと、高らかに宣言した。
「――ならば、アイリスを外に出さないまでよ!」
「なんで!?」
という、残念な女子たちの会話の後、リリィは食事の時間、ヒトシと出会うことから逃走した。そのことが後悔に後悔を呼び、もんもんとした眠れぬ夜を過ごすこととなる。
そして――図書室で気分転換をしているときに、ヒトシと出会ったわけだが。
(やったる!やってやるぞぉぉぉ!!)
という少女の開き直りにも似た決意叫びに、心の声を聞くと言う術を持たないヒトシは聞けるわけもなく。
彼女の第一印象は、とてもきれいで優雅な少女となったのであった。
アラトロスといっても、日本についてしか教えられることはない。
そのために、仁志はとりあえず日本の覚えている限りのことすべてを話しつくした。
仁志の一つ一つの言葉に、驚いたり、楽しそうだったりする少女は、とても聞き上手で、楽しい時間だ。
仁志は、いい娘だなぁと思い、リリィの溢れ狂うドーパミンなぞ知る由もない。
「あ、あの、一つ聞きたいんですが、よろしいでしょうか?」
――斬りこむなら、今だ。とリリィの瞳がキラリと光る。
「はい、なんですか?」
「ヒトシさんってブサイクが好きなのでしょうか?」
「……」
仁志は思わず沈黙した。
(んん~?)
突然の言葉の意味が理解できなかった。
(今までの会話の流れのどこに、そんな要素があったんだ……?)
思い返す。
見つからない。
それでも探す。
無い。
「――えっと、よくわからないんですが……」
「あ、あ、あ、えっと、その、すいません、そのあれです。私って綺麗ですか?」
「え、えぇすごく綺麗ですし、将来美人になりそうですよね」
と、言ったところで仁志は驚いた。
目の前の少女、リリィがゆでダコすら越える勢いで真っ赤になっていたからだ。
血管が切れて死ぬのではないか、と心配してしまうほどに。
「あああ、ああああの、あの!」
「ほぉ!? あ、はい」
突然のドモりだらけの声に、驚きながらも仁志は返した。
「勇者様って読んでもいいですか!?」
「……」
突然の言葉に、二度目となる
(ん……んん~?)
理解不能。
仁志の困惑顔で気付いたのだろう、リリィははっとすると、パタパタと両手をせわしなくなく動かすと、懐から一冊の本を取り出した。
「よ、よかったら読んでください!」
といって、彼女は車いすを動かすと、部屋の外へと向かった。
「お、おやすみなさい!」
激流のようだった。扉が完全に閉まるのを、半開きの口と共に見届けて、仁志は少し経った後に我を取り戻した。
本を見る。
「そういえば、この世界の本ってどんなものかな?」
気になって開いてみる。
「……文字、読めなかった」
パタンと閉める。小脇に抱えて、外にでようとすると、ふと眠気を感じた。
これなら眠れるだろう。仁志はここまで来るまでの道のりを歩き、部屋へと戻った。
ベッドには、リーシャが些か苦しそうに顔をゆがめている。
悪いことをしたのかもしれない、と仁志は静かに後悔しながらベッドへと入ると、彼女はきゅっと腕を抱きしめた。
すると、どうだろうか、リーシャは安らいだ表情を見せた。
そんな表情を見て、頭を軽くなでた後、仁志は目を瞑る。
もうこの世界にきて何日めだろうか。
帰る方法はあるのだろうか。
ふと、頭によぎる不安。それを振り払おうと、無心を貫こうとした時だった。
彼の頭に一つの疑問がよぎった。
(そういえば――)
うとうととし始める。思考が定まらなくなって、眠りの予兆が始まった。
(なんで――ブサイクが好きなんて言ったんだろう――)
疑問は眠気の海に溶けていく、あるのは湧きだすもののみだ。
(なんで――その後に、自分が美人か、なん……て……)
プロットが餃子した。