荷台の上
特に重要でない物語です。
そして、ひと段落したので更新再開します。
キャラ……大丈夫かなぁ……性格設定はあるけど……
リーシャは、ただ馬車の隅に揺れていた。
顔は青ざめ、瞳は生気を宿してはいなかった。
それは、先ほどまでは警戒心を見せていたメルラドとファイサにさえ、心配という気持ちを抱かせてしまうほどに、弱弱しく映った。
冷たい雨にぬれた子犬、とでもいえばいいのだろうか。
(お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん)
リーシャの思考をすべて覆いつくしてしまうのは、ヒトシの記憶。
優しい思い出。彼の笑顔。ただ唯一の、安らぎの時間を与えてくれた男性。
だが、今まさにそれが崩壊しかけていた。
先ほどのヒトシの表情。最初は受け入れてくれたと思った。
しかし、少し考えれば不安は積りゆく。
――心の中ではどう思っているのだろうか。あの笑顔は、あの言葉は、嘘ではないだろうか。
不安の灯は、リーシャの思い出したくない記憶を薪として、大火へと変わって行った。
「リーシャ」
声が思考の泥沼から引き揚げた。思わず顔を上げると、そこにいたのは、横になったアイリスで、彼女は体をこちらにむけて、薄眼をあけてリーシャを見ていた。
「あ、アイ……リスさん……」
怯えを含ませる。彼女もまた、少しではあるが、リーシャの心へと入りこんできた一人だった。
――気色悪い。死んでしまえばいいのに。なんで産まれてきたの。あんたなんて産まなければよかった。化け物。化け物だ。化け物が来たぞ。
化け物、化け物、化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物化け物――。
思い出したくない声が、頭の中で反響する。
顔を覆って、泣き出してしまいたくなった。
「化け物」
アイリスの無慈悲な言葉の刃が向けられる。
「――なんて、言われると思ってるんじゃないでしょうね。言わないわよ」
――が、それは刺さることはなかった。聞こえた言葉が理解できなくてリーシャは目を瞬かせた。
してやったり、といったアイリスの表情。かと思えば、すぐに表情は一変する。
「その……あ、ありがとう」
アイリスは頬を赤らめて、恥ずかしそうにしながら起きあがる。
羞恥心を振り払うかのように、コホンと、ひときわ大きく咳をしたかと思うと、リーシャへと視線を合わせた。
「ねぇリーシャ。後でなにかおいしいものも奢るわ。えっと、冒険者さんにも」
声をかけられた二人は、同時に頷いた。
「――はい、それではお言葉に甘えて」
「うん、楽しみにしますね!」
メルラドとファイサはそう言い終えてから、静かにリーシャへを見た。
穏やかな声、些か硬さが残るが、それでも警戒心があまり感じられない声色で、言った。
「申し訳なかった。助けられたというのに、警戒心を持ってしまった」
「ごめんなさい。それと……ありがとう。アイリスさんと重ねて、なにか奢るね」
二人の言葉。優しい言葉。
リーシャはじんわりと心の中で、温かいなにかが広がっていくのを感じた。
視界がぼやける。頬に冷たい何かがつたい、手のひらにぽちゃんと落ちた。
「なん、で」
「過去は聞かないわ。リーシャのことも聞かないわ。たぶん、すごく嫌な記憶ばっかりなんでしょうし。……リーシャが気に病むことじゃない。だってそれ、貴方が悪いんじゃないでしょう?」
「私は、化け物で」
「化け物なんていう名前の友達はいない。私の友達はリーシャっていう娘だけなの。私は見てきたの、ヒトシさんの隣にいる、リーシャっていう普通の女の子。やっぱり顔はアレだけど、笑顔はとっても明るくて、温かい、そんな普通の女の子じゃない」
「――そもそも、リーシャさん。メルラドも私も、一般人から見れば化け物ですよ。そう考えると、私も化け物ってなっちゃうじゃないですか。それは全力でお断りです」
「そうなると、リーシャを化け物なんて呼べば、自分のことも化け物ですといっているようなものだ。――私は、嫌だ。偏見を持たずに接してくれる人がいたというのに、笑顔を向けてくれる男性がいたというのに……」
口ぐちと言い始める。後半は私ごとだらけではあるが、共通して言えるのは、リーシャを化け物と呼ばないと言うことだけだ。
ヒトシがいれば、リーシャの悪夢はなりをひそめていた。
しかし、ひとたびいなくなってしまえば、リーシャは不安定になる。
――でも、気がつけばリーシャはものすごく安定している自分に気付いた。
「ヒトシさんは、拒絶しなかったでしょう?」
アイリスの言葉に、リーシャはどうしてわかったのだろうと思いつつ、頷いた。
「え――う、うん」
「ヒトシさんはリーシャをとっても大事に思っている。すごく伝わってくるわ。それに、どこか芯が強い人よ。弱弱しいけど、決して折れない人」
「う、ん。でも……怖がられていないか、心配なの」
「馬車から降りたら抱きついてみればいいじゃない」
まるで些細な提案のようにアイリスは言う。確信は光として、瞳に力強く灯っていた。
「で、も」
まぁ、そうでしょうね。とアイリスは僅かに眼を細めた。
そして、腰に両手をあてて言った。
「……まぁがんばってみなさい。後押しはいくらでもするわ」
「う、うん――」
再び沈黙が訪れた。車輪が大地を走り、時おり石を蹴りあげる音だけが響き渡った。
アイリスは思い出す。記憶にある母の姿を。
街一番の醜女と笑われる姿を。しかし、彼女の周りには、とてもすばらしい人々がいた。
母が死んだあとも、困ることはなかった。
父も、ダンも――母を捨てたとはいえ、元の立場を、夢を捨ててまで私を育てようと考え、実行しているのだから、悪いやつとはいえない。
母はいつもいっていた。
信じられると思ったら信じ抜きなさい。
と。
ふと、リーシャをみた。なにやらもじもじとしていて、迷いを生じさせていることがよくわかった。
(……いいなぁ)
と、アイリスは思った。
アイリスはヒトシを信じていた。
ヒトシはリーシャを決して拒絶したりはしないだろう、と。
だからこそ、羨ましかった。
(私にも――)
――いや。
(……ヒトシさん、リーシャをよろしくお願いします)