11
リーシャに設定を詰め込みすぎた。
――どうしてこうなったのやら。ヒトシは目の前の光景をみて、ただ茫然としていた。
まるで漫画に出てくる騎士のような美形の男性が、動物の毛皮を纏い、蛮族のような恰好をしている。彼の後ろには仲間たちが列をなしており、馬や馬車に乗り込みながらこちらへと接近してきていた。半分は剣を振り回し、もう半分は弓を引き、ヒトシたちへと照準を合わせていた。
「こここ、ここそんなにやばかったっけ!?」
ダンの焦燥感漂わせる言葉。馬の嘶き。先ほどよりも急いている蹄が土を蹴る音。車輪はもう限界ではないか、と不安になるほどに騒がしい。
それらすべてが仁志へと届き、思考を焦らせ、鼓動を速めるには十分な情報だった。混乱し、自分の頭が役立たずと判断できると、ダンへと懇願するように訊いた。
「どうすればいいんでしょうかぁ!?」
「冒険者に任せて物陰に隠れてろ!チックショウ、そう簡単には益はえられねぇってか!」
俺の馬車捌きではなしてやらぁ!とダンは言った。――どこかこの状況を楽しんでいるような声色だ。
ヒトシはとにかく言われた通りに物陰に隠れた。リーシャを引き込んで、自分の奥へと詰める様に置いた。
「お、お兄ちゃん、私は大丈夫、お兄ちゃんを奥に――」
リーシャが言葉を続かせる前に、仁志が断ち切った。
「リーシャは小さな女の子だ」
仁志の有無言わせない口調に、リーシャは黙った。仁志は、少女が若干嬉しそうにはにかむ様子を見て、心が温かくなるのを感じた。
仁志は別の荷物の物陰へと隠れているアイリスへと視線を向けた。彼女は目が合うと、ぎこちないが笑みを浮かべた。どうやら大丈夫と言いたいらしい。
――女性が、こんなにがんばっているというのに。仁志は今の自分を恥じた。
平和な人生を送ってきたから、なんて理由にもならない。男なのだ、がんばらなければ――。と、考えた瞬間、馬車の後方で巻き起こった爆発音に、はじかれるように首を回し、顔を向けた。
「――なんていってくれるだろうか」
「楽しみだね」
冒険者の二人は荷馬車の後部へと立っていた。状況に動じないどころか、頼もしい笑みを浮かべていた。
メルラドは自分の上半身ほどもある、太陽に白く照らされ、刀身から白い稲妻を発生させる剣の切っ先を、男たちへと向けた。ファイサは指揮者のように腕を振るい、周囲に人の頭ほどもある火球を、周囲に展開し、操作していた。
「チィッ、ブスが魔法なんざ使いやがって!」
「腐敗臭がするんだよ!」
男たちは罵詈雑言を放った。言葉の矢は、彼女たちを傷つけんと飛んでいった。
昨日までなら少しではあろうが、動じることはあっただろうが、現在の彼女には一矢たりとも突き刺さることはなかった。
「「――アハッ」」
それどころか、小さく笑い声をあげた。視界に男たちを納めながら、彼女たちは男たちを見ていない、どこか遠くを見ていた。
「な、なんだァ……?」
状況下での笑いに異様さを感じ、男たちは目の前の二人を恐れた。それを理解したのか、乗られている馬たちは、足を遅くしていく、荷馬車から馬たちが引き離されていった。男たちはそれに気づき、弓をもつものは、弓に矢を番いて、二人へと照準を合わせた。弓使いの視線の先にいる二人は、そんなもの関係ないとばかりに、頬を染めている。
「なんて、なんて言ってくれるだろう、なんて心配してくれるだろう、なんて優しい声をかけてくれるだろう――」
「楽しみ、楽しみ、楽しみだよ、ヒトシさん――」
未来への期待が悦楽を呼ぶ。その悦びは、彼女たちにいつも以上の力を起こさせた。
矢が放たれた。メルラドは刀身から放たれるものが稲妻から炎に変えると、横に一閃した。巨大な暴力のような炎は一瞬のうちに、飛矢をのみこんだ。
ファイサは腕を盾に振ると、火球は放たれた。地面へと着弾し、馬は驚き前足で飛び上がった。男たちの一部が地面へと落下し、遠くに消えていった。
「ボ、ボスゥ、こんなこと聞いてないですよ!」
男たちの節々から悲鳴のような非難が湧きだし、すべてが金髪の男――ラングリッドへと向けられた。
「うるせぇ、ガーネットを好きにできるんだぞ!」
「――え、あのウェイトレスのガーネットちゃんをですか!?」
男どもはリーダーであるラングリッドへと、羨望と期待のまじる視線を向けた。
「お、俺たちも少しぐらいは利はあるんですよねぇ!」
「あぁ、あるって言ってたぞ!」
男たちは色めきたった。欲望が男たちを駆り立て、涎を垂らしながら目の前の馬車をロックオンした。
――そして一瞬のうちに欲望が灰となった。
「あ、死んだ」
子供に殺されている蟻をみているかのように、男たちの一人が言った。
メルラドとファイサは、男たちへとゴミにたかる蠅を見るような視線を向けていた。メルラドは、先ほどよりも巨大な雷を、剣に纏っている。ファイサは馬車ほどの大きさの火球を四つ、周囲に展開させていた。
「あ、あの、もう……もう追いかけ」
ないので許してください――と、最後まで言うことは叶わなかった。言う前にメルラドの剣は、ファイサの腕は彼らへと向けられた。白銀の光が走り、火柱が立った。
荷馬車の後方で耳が痛むほどの轟音が鳴り響いた。
荷馬車の馬が怯え、逃げようと左右に分かれたが、ダンは手綱を上手く操作して、馬たちを落ちつけた。
メルラドは既に遠くになった土煙の柱から、誰も現れないことを見て、安堵した。彼女はファイサへと視線を向けて、言った。
「終わったな」
「うん」
二人は背後を振り向いて、歩き出そうとする。が、そう簡単には終わりは迎えられないらしい。遠くから、土を蹴る音と車輪の音が響いた。音がこちらへと接近していることに気付いたとき、二人は振り向いて、臨戦態勢を取った。
煙を抜けて、二匹の馬に引かれた馬車が現れた。なかなかの駿馬のようで、ぐんぐんと近付いてきた。一台のみで、御者は女一人だった。
「……昨日の女か?」
「そうだね……?」
剣も魔法も使えるようには見えない。少なくとも、荷馬車を止める戦力には見えない。
「男たちは役立たずねぇ」
ガーネットは唾を吐き捨てると、こちらへと近付いた。
ぶつかりそうになるほどに近付くと、様子を見るために顔を出した仁志の姿を見つけた。
彼女は身を乗り出して、仁志へと投げキッスを喰らわせる。それを見た仁志は真っ青になって物陰に隠れてしまった。
「んもぅ、は・ず・か・し・が・り・や・さん」
突き出た腹を強調するように、前に突き出しながら、くねくねと体をくねらせた。
が、でてこない。ガーネットは眉を潜めた。彼女の不愉快を追い打ちするかのように、メルラドは得意げな笑みを浮かべた。
「無駄でしょうから、これ以上はやめたほうがいいですよ? 私も貴方を攻撃対象としてみますので」
悦に入った声が、ガーネットの精神を逆なでする。顔がだんだんと紅潮し、彼女は鬼の形相で睨みつけた。
「ば――化け物が、化け物がァッ!」
髪を振り乱してガーネットは叫んだ。どろりとした憎しみが、ぐつぐつと煮えたぎっていた。己が美女であることの愉悦。ブサイクに対する蔑視。男たちの必死の煽てる言葉。
己を形作るものを、破壊され、ガーネットは我を忘れていた。
次々と口汚い言葉が湧いていく、そんなガーネットをメルラドとファイサはどこか哀れなものをみる視線をぶつけた。実際、今の彼女は哀れだった。
「お、おいガーネット!」
ガーネットの後方にて、ラングリッドと共に男たちが現れた。どうやらガーネットが向かったことに気づいて、急いで馬に乗り、追ってきたらしい。
それをみて、ガーネットはニヤリとあくどい笑みを浮かべた。
「あんたたち、私の体、一晩欲しくない?」
男たちはほぼ同時に唾を飲んだ。それを見て、ガーネットは続ける。
「――こいつらを殺せば、あげるわよ」
男たちの脳内に、どんな金銀財宝よりも美しく、艶めかしく響き渡った。
男たちは武器を取った。欲望に突き動かされていた。
メルラドとファイサは、その光景を見て、一瞬にして相手を殺す覚悟を決める。
――が、それは無駄だった。片方ではない、両方とも無駄だった。
「――私は」
リーシャの声が響き渡った。絞り出すような声は震えていて、苦しみに喘ぐようだった。
馬の蹄や、車輪の音を貫いて、この場に居る全員の耳に入り、視線は荷馬車の上に立つリーシャに集まった。ヒトシが這い出ようとするリーシャを押しとどめようとしていた。
しかし、年上の力でさえも押しのけるほどの力を持って、リーシャはヒトシを引きずりながら現れた。
「私は、私は、私は私は私は私は」
刹那、青白い光が周囲を覆った。それが魔力の奔流であることを理解したのは、メルラドやファイサ、ラングリッドくらいなもので、他は訳も分からずに目の前の光景を眺めていた。
冒険者の二人は、即座にリーシャの横をすり抜けて、ヒトシとアイリスをかばった。
ラングリッドは仲間たちに全力で退避命令を叫び、ガーネットの乗る馬車の手綱を操作して、道の外へと向かわせた。
その瞬間
「化け物じゃ――ないッ!」
――世界が、無色の力に崩壊した。
何があったんだ――? 仁志は轟音と光により、ぐらぐらとした頭を押さえながら立ち上がった。何かが体に巻きついているのか、少し重い。
晴れてきた視界で見ると、ファイサであることがわかった。赤い顔をして、涎を垂らすほどに嬉しそうな顔をしながら、体を擦りつける様に動かしている。仁志はその光景に動物のマーキング行為を思い出した。
「た、助けてくれてありがとうございます」
仁志は礼を言った。その言葉にファイサはハッとして見上げた。仁志とファイサの視線がぶつかった。彼女は次の瞬間に、ゆでダコのように真っ赤になると、仁志から吹き飛ぶように離れた。彼女は、流れる様に床に額を擦り合わせ、土下座した。
「ごめんなさい! 発酵食品が触れてごめんなさい!」
二度目となる『発酵食品』というフレーズにどうしたらよいのかわからなくて、手を振って、別に良いと伝えた。
とにかく、リーシャはどうしたのだろう。仁志は心配になって周囲を見まわした。
彼女の姿はすぐ近くにあった。座り込み、空を見上げている。
「リーシャ」
声をかけると、リーシャはビクリと肩を揺らし、怯えた表情で仁志へと視線を向けた。
「ごめんな、ごめんなさい、怯えないで、化け物って、言わないで」
リーシャは自分をかばうように腕を振り回した。仁志はそんなリーシャへと怯えることなく近付いた。どうしても、言わなければならないことがある。
仁志は肩をガッと掴んだ。
「ごめんなさ――」
「あの魔法、ゲームみたいだ!」
「――え?」
リーシャはポカンと口を開いて、仁志を見た。仁志は目を輝かせている。
入院生活中に渡されてきた多くのゲームを思い出した。たくさんのゲームだ。外に出られなかったときは、いくらでも時間があった。ゲームの中では大魔法とか、世界が滅びる魔法とか、色々なものがあった。すげぇ恰好よかった!
興奮した面持ちで称賛する仁志を、リーシャは呆然と見ていた。リーシャがハッとしたとき、目から涙がこぼれおちた。
「あ、あのヒトシさん」
「え、なに?」
アイリスを助け起こしたメルラドが、驚愕の表情で仁志を見た。仁志は首をかしげた。
「い、いえ、なんでもない、です」
挙動不審のメルラドは声を小さくして、何も言わずに黙った。
ふと、何も語らないアイリスが気になって、仁志は彼女を見ると、目を瞑ってぐったりとしている姿が見えた。
「あの、二人とも大丈夫ですか?」
「え、えぇ、大丈夫です。アイリスさんも大丈夫なようです」
メルラドの返答に、ほっと胸をなでおろした。
「リーシャ、後で魔法教えてくれ!」
「え、あ……う――うん!」
リーシャは戸惑いながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
――よかった。仁志はそんなリーシャの頭を撫でながら、後方へと視線を向けた。
隕石が落ちたような、巨大なクレーターがそこにあった。
とたん、仁志は額にじんわりとした汗をかいた。目の前の現実が、先ほどの興奮を一気に恐怖へと変えたのを感じた。歯を食いしばり、顔に出さないように努めた。
リーシャが泣いてしまうかもしれない。その考えが、仁志の恐怖を押しとどめていた。なるべく平静を装って、訊いた。
「大丈夫ですかね、あの人たち」
その言葉に、ファイサは少し考える様子を見せると、頷いた。
「み……密度ある威力ではないですし、恐らくは吹き飛ばされた程度だと思います。――純粋な魔力の攻撃ですから。だから、被害は見た目よりもずっと少ないでしょう」
些か震え声で彼女は断言した。仁志はその言葉に、よかった、と小さな声で言うと、視線を荷馬車前方へと向けた。
「ダンさん!」
返答は返ってこなかった。不安が過ぎった。仁志は荷馬車から降りて、前方へと走った。
馬が二頭倒れていた。死んでいるのかもしれない。仁志は不安になったが、それはすぐに解消されることとなる。二頭の馬の腹は、膨らんだりへこんだりと、生きていることを示していた。ほっと安堵して、ダンの姿を探した。
彼の姿はすぐに見つかった。草地に横たわっている、駆け足で近付くと、彼の体を見た。擦り傷が多く、素人目で骨折は見当たらない。だが、ダンは苦しそうにうめいていた。
どうしよう。仁志が焦り始めた時だ。
「私が、助ける」
リーシャの声に、驚き振り向くと、ついてきたのだろう、近くに立っていた。リーシャは手をかざすと、青白い光が一瞬のうちにダンと馬を包み込んだ、擦り傷は一瞬のうちに消え去っていくのが見えた。
魔法ってすごい。仁志は素直に感動した。傷がなくなると、ほどなくしてダンと共に馬も目を開けた。
「な、何があったんだ……?」
「ダンさん、大丈夫ですか?」
仁志はダンの言葉をさえぎる形で声をかけた。
「お、おう、俺は大丈夫だが、どこも痛くない、意識もはっきりしてる」
「とりあえず魔物とか来るかもしれないので、馬車を安全な場所へ動かさないと」
「あ、あぁ、そうだな」
「俺、横にいるんで、手伝えることがあれば、言ってください。馬車どころか、乗馬経験がないので、御者はできないですけど……」
「いや、十分だ。……アイリスは無事か?」
「気絶はしてますけど、メルラドさんが護りました」
そうか、とダンは心底ほっとしたようにいった。
「とりあえず医者にでも見せたほうがいいかなと思いまして、アイリスちゃんとダンさんも。……できることなら御者ができればいいんですけど……」
「いや、いい、ありがとうな」
ダンはそう言うと、馬を起き上がらせた後、荷馬車の前部へと乗り込んだ。
仁志は横に居るリーシャを見た。
「リーシャ、アイリスちゃんを見てくれるか?」
願い出ると、リーシャの表情に、さっと暗い影が落とされた。
「……お兄ちゃんと一緒にいたい」
「リーシャ、信頼してるんだ。お願いだ。後で何でもするよ」
「……わかった」
リーシャは何度か名残惜しそうに振り向きながら、背後から荷馬車へと乗り込んだ。
それを見届け、仁志は前部へと乗り込んだ。
「じゃあ、いくぞ!」
ダンは大きな声を響かせて、手綱をパチンと鳴らした。馬たちは若干ふらついているが動きだし、走り出した。馬と車輪の喧しい音が、周囲に満たされていく。
ダンは、何かを思いついたように、軽い笑顔で隣に居る仁志へと視線を向けた。
「さっきはものすげぇ饒舌だったじゃないか。慣れて――お前、大丈夫か?」
仁志はダンの心配するような視線に気づき、疲労混じりの笑みを浮かべた。
頭が痛い、ぐらぐらする。顔からすべての血がなくなってしまったのではないかと思わんばかりにまともに考えられない。事実、仁志の顔は真っ青になっていた。
カタカタと体が揺れる、頭が恐怖に支配されている。カチカチと上下の歯がぶつかり合ってうるさい。背中は冷や汗で濡れていて、不快だった。
「お前、どっか――」
続けて言い放ったダンの言葉を、手のひらを押すように向けることで留めた。
仁志は静かに言った。
「大丈夫ですよ……」
精一杯の強がり、誰であろうと一目瞭然だった。ダンは目を細めてそれを見やると、すっと閉じた。
そして、視線を前に向けると仁志へと言った。
「リーシャちゃんだろう?」
「え?」
「声が聞こえた。それで、どうしたい?俺は何も言わない、決めるのはお前だ」
「……リーシャには、幸せになってほしいです」
仁志の心からの、嘘いつわりのない言葉だった。
そうか、とダンは頷いた。
「じゃあ、まずは金だな。お金じゃ買えない云々と世間は言うが、お金があればたくさんの幸せを持つことができる」
それと、とダンは繋ぐ。
「お前がいることだ、お前がいれば、あの子は笑顔になれるだろうよ。ただそれだけでいいんだ。金はオークションで得られるからな。あとはそれだけだ」
ダンはパチンと手綱を鳴らした。
沈黙が続くと、ダンは苦痛を耐えているような表情を浮かべる。
「――俺みたいになるな」
仁志はダンの過去を知らない。しかし、その言葉に重いものを感じて、仁志は静かに頷いた。
これを11話と出さずにほかの話を考えていました。
だって……だって……これをだした後の続きを考えると、児童ポルノとかで警察に連れて行かれそうな話になるんだもの……
ロリコンじゃないのに。