異世界におけるとある成金貴族の一生
勢いで書いた、一日クオリティ。
※その後、ちょこちょこ細かいところだけ修正。
気付けば異世界、だなんて、現実にありうるとは思わなかった。
おんぎゃーと生まれ、哀しい赤子時代を唯々諾々と受け入れ、なんとか成長して生きてきた私。貴族社会の一員として、幸いにして貧乏じゃなかったために教師をつけてもらうことができた。
のは良かったのだが、前世の記憶があるがためか、歴史の学びに関しては散々であった。
なぜならば、前世の歴史、と、今世の歴史、の羅列が、私の頭の中でこんがらがってしまうのだ。二つの糸が、絡まってしまうのに似ている。すなわち、混乱するのである。我が国の中興の祖フリードリヒ八世が八代将軍徳川吉宗にすり替わっていたりするのだ、おつむのほうはお察しである。国家成り立ちにまつわる座学は苦痛で苦痛で、仕方なかった。
となれば、体を動かす武芸に視点が移るわけだが、これまた、どうにもいけない。体が平均より小さいのだ。
何をしても、おいしくいかぬ。
解せぬ、と思わずこぼしてしまうのも、頷けるだろう。
「魔法、はございませんか、先生」
「そんな奇天烈なもの、ないですねぇ」
そして、魔法も無かった。
まったくもって、楽しみの無い異世界である。
教師の無慈悲な発言に、齢5歳の希望を打ち砕かれるとは。
……せめて、私がこの世界に、前世の記憶を持って生まれた理由だけでも、知りたかった。
頭は悪いが、なけなしの努力はできた私。
この世界には、大学はなかったが、研究施設はあった。
国立研究所、なるものが王城の一角にある。狙うことにした。入所試験があるという。ならば、入らねばなるまい。いくら金持ちの貴族とはいえ、未婚の女性はあまり良い顔はされない。ならば、研究者としての一生も夢じゃない。私の前世を研究しつくしてしまうのだ。だというのに、私の母は、私を早々に旦那持ちにしたいらしく、淑女らしからぬ振る舞いに良い顔をしなかった。
「可愛いわが子の幸せを願わぬ母がおりますか」
そのことである。
社交界にちまちまと出ては、私のお相手とやらを見繕う気満々の母に、私は鬱々とした気持ちを抱える。でも、仕方のないことだとは、思った。なぜならば、この貴族社会における、ごく普通の常識といったものに値するからだ、こういった母の行動は。金があるぶん、タチが悪い。良縁が望めるうえ、どこぞの良い血筋を、一人娘にあてがえるだろうと考えているようなのだ……企んでいる、ともいえるが。 まぁ、顔が平凡だしな。切ない話だが、私の頭は努力で補い、数理などの勉学を頑張ってはいるものの、地顔だけは、生まれながらにどうにもならない。ましてや、前世、に執着している私だ、この世界の化粧品とやらにもあまり興味を持っていないというありさま。呆れつつも母性愛に溢れる母は、貞節な淑女とはどういったものか、を、不機嫌にも眉間に皺を生み出し、コンコンと説教をしてくる。結果、逃げ足だけは、前世よりも早くはなった。美顔クリームもどきが宙にばらまかれる。母の贈り物はいつも、淑女に不可欠な流行りものばかりだった。
貴族学校、というものがある。世の貴族子息たちは学校へ強制的に通い、すくすくと平均的な教育を施し、平均的な思想を植え付けるという国家事業のひとつだ。道徳として王族を敬え、といかにもな話が教科書にこれでもかと書かれている。ちなみに、貴族学校の季節ごとに行われる定期試験にも毎度そのことは記載済みであり、年齢と前世年齢を合わせて還暦を越えはじめた私には簡単すぎる心理クイズでもあった。もう少し余裕があれば、余白に悪戯書きもしたかったところなれども、もし、曲がり間違ってこんな簡易テストで入学以来続いてきた高得点を維持できなかったら、
「我が娘は勉強だけは一人前」
という、母の自慢をつぶしてしまうだろう。
社交クラブという名のマダムクラブでは、我が子自慢が当たり前のように口上にのぼる。もし、私の点数が下がってしまったら、お家騒動につながるからだ。良質な高得点の婿獲得という意味で。普段から淑女貴族淑女と煩い母だが、私の美点がそれしかないのだから、そればかりが自慢の種になる。まったくもって、母にとっては矛盾した袋小路でもあるが、私の値札がそれのみなのだからしょうがない。刺繍も、ダンスも、からっきしの娘。相当の我慢強さと辛抱強さでもって、母は日々、貴族の母としての仕事をしているようだ。まぁ、ダービー的馬のような模様をにわかに感じるが、これがこの世界における貴族文化なのだからと諦めている。誰か、素晴らしい王妃様か、王様が、貴族たちにも平等という知識を授けて欲しい。そして、少女の私を婚活市場という市場から救い出してほしい。ついでに、妙齢の男は皆、良いところへ行って、私という存在を無視していただきたい。
が、残念ながら、そんな期待は、私の無駄にお洒落に気にしなかったという失点にもめげず、母の願い通りのものがやってきたようだ。
つまりは、私にも婚約者、なるものができた、というわけである。
すでに決定事項であった。私の意志なんぞ、欠片もない。この異世界における両親もそうだったものだから、悪気もなにもない。政略結婚であった。貴族はそういったものが普通であり、家と家との結婚だった。私もまた、そうなるというわけだ。素晴らしい王家は頭上に存在するものの、この時代においては、大した福音を我が家に、主に私に授けてはくださらなかったようだ。
「はじめまして。婚約者殿」
お相手は、知らない人だった。
未だ貴族学校にいるというのに、母はどこからともなく、連れてきた。どことなく、顔の輪郭がぼやっと見えるが、髪がそう、透けて見えるほどに、薄い銀髪だから、だった。妙齢の若い男性であることはわかる。
「お噂は、かねがね。次男である自分には、光栄なお話です」
見上げると、ずいぶんと高い身長だ。目の色も薄いようだし、全体的に儚い人がやってきてしまった。
個人的な印象としては、のっぽで物静かな、影の薄い人が婚約者になったようだ、と感じた。それでいて、がり勉と遠巻きにされる私を見ても、敵意の波動らしき視線を感じないし、悪い人ではなさそうである。
「それで、自分は婿として、貴女の家に入ることで契約は交わされました。
……実家に援助が入るということでよろしいですね」
「ええ。引きこもりの娘にはもったいない方ね。披露宴が待ち遠しいわ」
すでに結婚式で身に着けるドレスを吟味しているらしい母にも驚きだが、その契約という恐ろしい人身売買の話に驚嘆した。慌てて、婿となってしまった彼と、母に詰め寄る。
「別に、普通のことですよ、婚約者殿」
「もう、後戻りはできませんよ。高い金を出したんですからね」
どっちもきょとん、とした表情でいる。愕然とした。
ただ、
「……婚約者殿は、見た目と違い、情熱的ですね」
儚い婚約を交わした彼からは、眇められた目を向けられ、なんとも気味の悪い思いをした。いわゆる持参金、の逆バージョンなのだろうと考え改めることにしておいたが……、なんだかやるせない。
……確かに、この儚いのっぽは、ただの婚約者ではなかった。彼の実家は貧しいが、それなりの血筋の人で、私の家よりかはそこそこの名家。古くからあるお家で、王家とも血縁関係が遠巻きながらにあるという……どこからその情報を仕入れてきたと胡散臭さ爆発した私に囁いた母曰く、
「隠れ優良物件」
とのことだ。
なんとも釈然としない。
こんな金ずくの結婚なんてと、当事者である私がそう思うのだから、彼もと思ってしまいがちだが、この世界の貴族らしく彼もまた、別段そう考えてもいないのだから、肩を竦めるしかない。私の常識を当てはめるわけにはいかない、と痛感した現実だった。儚い彼は、そののっぽの体を折り曲げて、恭しく私の手を引っ張り上げてくれる。
そうして、私とお庭を歩こうと誘ってくれた。なんとも断りの言葉も何もない私は、素直についていく。まさか、異世界で結婚とか……未だ、私の頭は悪かった。
学生の身分で、と思わんでもなかったが、普通のことなのだ、と。
親が決めた、家同士の結婚。周囲も、その婚約ラッシュで当たり前だった。私だけが、異物だった。
別に、当たり前のこと。認めるべき事柄なのだ。
……そう思うと、やっぱり私って漫画世代の人間なのだなと、苦笑してしまう。
「どうしましたか?」
婿殿が、私に疑問を呈す。
私は、ふるふると頭を横に振り、なんでもないと告げる。
彼は、立派な人だった。
前世の常識を覆しただけじゃなく、賢く、自分を弁え、家族のために我慢をし、その時代を懸命に生きているのだから。実家のために、自分を売った。
平成の時代の、自由恋愛を推奨する漫画の中を泳ぐような、そんな生き方ではない生き方を、彼は私の人生において、伴侶として示した。その積み重ねは、私を感嘆とさせた。私の実家に馴染もうと、常に笑顔で超絶アウェーに臆することなくズカズカと踏み入ってくる。すごいど根性の塊だった。私だったら、見知らぬ家に終始愛想笑いをしていられない。ましてや、凡人の、たかだか勉学ができる程度の女。明らかに金目当てな婚約にも関わらず、彼は、初対面相手の名前と顔をたちどころに覚えきるし、優雅な振る舞いをしてみせる、いかにも優秀な貴族らしく堂々としたものだった。私の今後の人生においても、彼にかなわないことを確信する。
貴族学校を卒業する前に、と挑んだ王立研究所への入所試験は、無駄に終わった。
あがいたが、私の若い人生は終了の鐘を鳴らした。
「やっぱり、私は……、頭が悪かったなあ」
ため息をつく。
晴れ渡った空に映える鐘の音色が、教会からあたりに木霊し、響いていく。眼前には、私たちの門出を祝福しようと集まった人々であふれかえっている。……我が家の親戚って、こんなにもたくさんいたんだなあ、と覚える事柄が増えて眩暈がしそうだ。
「どうしましたか」
「いえ……、」
隣を見上げると、のっぽで儚い婿殿が、私の顔を覗き込んでいた。
「なんでもありません……、ただ、」
これからは、この世界の貴族の一員として、生活をしていかねばならないと思うと、ひどく憂鬱だった。良き夫君なのは、婚約期間中にいくらでも顔を突き合わせてきたから、別段もう、結婚とかに希望とかそういったものはなく、ただ穏やかに生きるのだろうと内心は納得ずくで呑み込んだが、務めとしての社交界への出演や、訳の分からない貴族文化、マダムへの接待など、前世と切り離して学ばねばならない、石の上にも三年を費やさねばならないと思うと、こみ上げてくる苦みがあった。
……それに、跡取り問題がある。子孫を残さねばならない。早くも周囲からのプレッシャーが半端ない。これこれ、かくかく。すでに希望人数まで期待されてるとか……中世っぽい古い世界でも、跡取りは大事な事柄だった。私は一人っ子だったから、もし何かあったときのためにと、複数は欲しいらしい。家的に。母からは、そのこともコンコンと説明される。初夜とか……どんな苦行だよ……好きでもない穏やかな相手だが、やはり怖い。恐ろしい。こんな思いを、異世界にきてまでしなきゃならない、だなんて。
故郷の記憶を胸に、故郷に焦がれる。
それでいて、この夫に尽くさねばならぬ……。
「いいんですよ、無理をしなくても」
「え?」
間近で見上げる夫君の、縁取られた睫が、瞬いている。
刹那、薄い色素が、鮮やかに私の視界いっぱいに広がった。
……口づけされた、と気づいたのは、彼が離れたときだった。
「……貴女が、自分に……、
俺に、言ってくれた言葉です。
家同士、決めたこと。
それなのに、家のために結婚とか、契約とか、すごく否定して……、
傷ついた顔をしていましたね」
「そりゃあ……不本意だろうと、思ったから……」
「……それでいて、愛人を作ってもいいとか言って、笑ってる。
よくわからない人だ」
「まぁ……堂々と言うことじゃないよね……」
苦笑いをすると、彼もまた、笑い返してきた。
お熱いことで、という揶揄が聞こえたあたりで、私たちはずいぶんと仲の良い演出をしてしまったことを把握する。教会の前で接吻とか……なんてベタなことを。今更ながら、恥ずかしさがこみ上げてきた。
その場にいたたまれなくて、くすくすと笑いだす彼の二の腕を掴み取り、
「い、行きましょう」
促すと、
「ええ。行きましょう」
彼もまた、鷹揚に応えたものだ。
が、婚約者殿の足は動かない。まるで彫像のように、じっとしていた。
私は、どうしたものかと、仰ぎ見る。
すると、なんだか物珍しい表情をしていた。
いつもの笑みではなく、真顔なのだった。
儚い外見が、圧倒的優位を持って二の腕を掴み返し、私を圧迫してきた。
「……これから、山あり谷ありの、色んなことがやってくるだろう。
そんな人生でも、二人なら。俺は、貴女と一緒なら、
やっていけると確信したんだ。
幸せにする。
だから、君も、俺のこと、幸せにしてくれ。
俺のこと、幸せにしてほしい。
俺も、貴女の苦しみを、一緒に分かち合いたいし、
楽しみも、喜びも、共にしたいから。
だから……」
前世が、揺らいだ。
両目がたちまちに熱くなり、唇を噛み締める。
彼は、この魂の記憶を嗅ぎつけていた。
ある日、彼は私に何かを伝えようとして、その口をつぐんだことがある。
頭を横に振り、何か諦めたかのように、なんでもない、と。
おそらくだが、私の言動をつぶさに観察し、なんらかの事情があると考慮したのだろう。あれは、そう、気温がそこそこ涼しげな、小春日和であったのを思い出し、ついに。
はっと悟らされてしまった。
この、異世界の景色。異世界の父。
親戚……建物、歴史。文化……。
匂い、風。緑。土。太陽。声。音。そう、
私の眼が、この異世界の人たちも、
母も、婚約者相手でさえも、
まったくもって、その存在、彼らの意思を、
何も映していなかったことに。
結婚式に奏でる楽器の重層な音色が、やけに鮮明に聞こえてきた。
色彩も、はっきりとした色合いで世界に在った。
かちり、と。
まるで、歯車が噛みあったがごとく、すべてが明瞭に見える。
驚いて瞬く。
モノクロではない、青天の、空。
晴れやかな天井知らずの場には、彼の身に纏う煌びやかな婚礼の礼装は、いっそ見事なものだった。純白に近い、銀色の束ねた髪の毛先が、サラサラと風に揺れる。夫君の、呼気が感じられる薄い唇は血色良く、今までみたこともない綺麗な双眸の蒼に、自然と私の眼が吸い付いていく。
それでいて、強い意志の感じられる彼の眼差しは、恐ろしいほどに私を捉え続けたままでいる。私は、知らなかった。
「……愛が欲しい……」
こんなにも、世界が美しいだなんて。
涙で滲むこの人の笑みが、誰よりも優しげで、安堵した。
ということで、成金貴族令嬢の前世記憶ありの普通の人が、どういった生き方をするか、を書いてみました。前世に強いこだわりがあるため、周囲の人々をまるで生きている人形のように感じられていたのかもしれません。自分も含めて。
※あと少し、後半駆け足過ぎてこんがらがっちゃうかも。すみません。