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ジル

9/12 三話の最後のシーンを最初に移動

11/4 微修正しました!

「きみきみ、大丈夫?」

「――?」

 僕へかけられる声に、ゆっくりと覚醒する。


 僕の顔を覗き込む女性が居た。


 絹の糸のように白く輝く長い髪で人の血液を固めて結晶化したように瞳は赤く、反対に肌は血が本当に通っているのかと思ってしまうほど青白い。

 しかし、といって病的というわけでもなく、そして朗らかそうなその笑顔は人懐っこそうな雰囲気をたたえている。

 ただ、それにもかかわらず全身を黒いロングコートで包んでいるでいるため、圧迫感がすさまじい。まるで僕の前に死神が舞い降りたようだった。


「残念、君は死んでしまいました」


 ――死神だった。

 じゃなくて、じゃあなんでそっちの言葉を僕は認識してるんですか!?

「え? んー、ヒミツ」

 ――なんで?

「女性にはヒミツがいっぱいあるモノなんですよー」

 はぁ――?

「それにしても、モノの見事に死んじゃってますねー。現代の日本で、心臓を銃で撃ち抜かれて死ぬなんて、滅多に体験できることじゃないよ?」

 え――それはどういう……?

「どういうも何も、そのままの意味だよ? 君は、銃で胸を打ち抜かれて、しかも運悪く心臓にヒットして、命を落としちゃったわけなのだよ、うん」

 そのヒトはなぜか満足げな様子でそう語る。なぜ楽しそうなのかわからないが――彼女の言う通り、本当に死んでしまったのかと思えるほど体が重い。動かない。

 僕は、本当に死んでしまったのだろうか。

「だから、さっきからそう言ってるじゃん。まあ、実感わかないのも無理はないかもしれないけどね~」

 ――と言うことは、僕の目の前にいるこのヒトが死神で、本当に間違って無いのかもしれない。黒いし。

「失礼な! 私はそんな不吉な何かなんかじゃないですって! ――まあ、それはおいといて」

 ――なんですか?

「ねぇ君、何か思い残すことはない?」

 ――何を突然?

「だって、いきなり胸をズドンッ! だよ? 急死しちゃったんだから、そう思うことの一つや二つあるでしょ?」

 思い残す、こと――?


 そんなモノ、ありまくるに決まってる。


 いつの間にかこの場には瑠璃ちゃんが居ない。どこへ行ったのかはわからないが、少なくとも直前までは《私刑断罪者》や《ジャック・オー・ランタン》に狙われていた。つまり、それは彼女が危険にさらされているということだった。

 僕はどうなってもいい。だが、瑠璃ちゃんだけは、何としてでも生きて幸せになってほしい。

 それは彼女が不幸な過去を背負っているからだとか、現在進行形でかわいそうだからとか、そんな同情なんかじゃない。

 僕が、瑠璃ちゃんを好きだから。彼女を愛しているから、その幸せを望んでいる。


「んふふ、恋してるねー、少年」


 なんですか、何か悪いですか?

「ううん、むしろすごくいいことだと思うよ。いいなぁ、私もそんな恋してみたいなァ」

 ――結局あなたは何が言いたいんですか?


「あなたに朗報です。ここに替えの心臓があります」


 そう言って、女性は懐から赤い塊を取り出した。

 それは心臓だった。彼女の掌の上に乗る握りこぶし大の肉の塊は、外に晒されてなお、力強く脈打っている。

「じつはこれ、所要で取り出さざるを得なかった心臓なんだけどね? 捨てるに捨てることもできなくてさ。何かに役立てられないかなと思ってたんだよねー」

 それを――どうするんですか?

「ん? 勿論、穴の空いて使い物にならなくなった君の心臓と取り換えるんだよ?」

 そう言って、彼女は僕の胸にそれを近づけた。

 え、取り換えるって――というか、僕の話を……。

「まーまー、お姉さんにまかしんしゃい。君の思い残したこと、かなえてあげられそうだからさ」

 そう言うと女性は、僕の胸へとそれを埋めていく。徐々に徐々に、彼女の手は心臓と共に僕の中へと入っていった。まるですり抜けるかのように、大した抵抗もなくゆっくりと。僕も、入り込んでる感覚は全くない。

「ええと? ここがこうなって、こうで――」

 まるで機械いじりのような言葉を口にしながら、僕の体の中で女性は何事かをする。もぞりもぞりと動かしているその様子が、何も感じないはずなのに、妙にくすぐったい。

「よし、これで、こうして――できたっ!」

 満面の笑みを浮かべ、その女性は僕の胸から手を引き抜いた。


 その手には、一つの赤黒い塊が乗っている。


「これは君の使い物にならなくなった心臓。代わりの心臓を埋めたから、こっちは取り除いておきましたー」

 は、はぁ――。

「間もなく君は、息を吹き返すでしょう。でも、その前にいくつかの注意事項を説明しておきまーす」

 注意事項――?

「まず一つ。その心臓を埋めた際、基本的に君のモノとして機能するようにしておきました。つまり、移植手術後の患者さんみたいに――えっと、なんて言ったかな? アレルギー反応みたいなヤツは起こりませーん。よって、薬を飲む必要はないですよー。代わりに、帳尻合わせの関係で、心臓以外の場所がいくら怪我しても死ななくなったから、もし死にたくなったときは注意!」

 そこは普通、死んじゃだめだって言うべきじゃないんだろうか?

「いやまあ、結局そこは本人の意思しだいだし? お姉さん、そこまで強制するつもりはないから!

 そして二つ目! その心臓は、元の持ち主とリンクしてまーす。よって、旧持ち主さんが死んじゃった場合、あなたも死んじゃうから注意してね! ついでに言っておくと、あなたがその心臓潰して死んじゃった場合、逆に元の持ち主さんも死んじゃうから、ぜひともご注意を」

 ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? 元の持ち主って――心臓無くなったら、普通死んじゃうんじゃ……。

「だからぁ、所要で取り出す必要があったんだって。別の心臓入れないと、そのヒトの場合他の部分が機能しなくなるんだから」

 は、はぁ――。

「んじゃ、とりあえず説明おしまいっ! 何かご質問は?」

 ――あなたは一体、何者なんですか?

「何者? うーんと、そうねー? とりあえず、《人助けが好きなヒト》とでも思っといてよ」

 なんですか、それ。

「だって、こういう時って、名前明かさずに去った方がかっこいいと思うのよ。というわけでじゃあね! 君から抜き取った元の心臓は、私には使えなさそうだし、このタッパーに入れてここにおいていくよ」

 え――い、いや、ちょっと……っ!?


「それじゃあ、おやすみ。安心して、すぐに目を覚ますよ」


 僕の視界が暗転し始める。意識を暗く暗く、奈落の底へと落ちていくように――。


         ♦   ♦   ♦   ♦


 僕は目を覚ました。


 背中に感じるのは冷たい感触。見える景色はコンクリートの天井。空気の流れを感じるが、それは屋外であるためだろう。横を見ると、いくつものコンクリートの柱が立ち並び、さらに向こうには明かりを放つ建物や星々が見えるため、夜であるようだ。

 状況がまるでつかめない。こんな場所は知らない。

僕は周囲をよりしっかりと確認しようと思った。体をゆっくりと起こす――


 コツン


 僕の体の上から何か落ちた。僕は反射的にそれを目で追う。


 心臓の入った大きめのタッパーだった。


「うわっ!?」

 流石に驚いた。割と写真は趣味の関係上見慣れているが、実物をこの目に映すとさすがに驚愕せざるを得ない。

「これって、もしかして――」

 僕の心臓?

 それを見て、先ほど見ていた夢を思い出す。《人助けが好きなヒト》が現れたという、意味の分からない夢を。

 あの人は確か、「この心臓とあなたの使い物にならなくなった心臓を入れ替える」と言っていた。そして、それを置いて行くとも。僕は恐る恐る、そこに血の溜まったタッパーを開けて中身を見る。


 一つ、大きな穴が開いている。


「え、えっと――」

 ええと。

「ま、まさか、ね?」

 まさかそんなことが実際にあり得まいと、僕は自分の胸を両手でペタペタと触ってみる。

 ――なんか湿ってる。

「これ、僕の血――?」

 目で確認するとそこは真っ赤に染まっていた。火事で燃えてしまい、衣服を買いなおしたはいいがパジャマを忘れていて、結局普段着のまま眠っていた僕だが、その服がモノの見事に台無しである。

 ――だが、触っても怪我をしている様子はない。確かに服に穴が開いているのに、その下の皮膚には一切の傷がなかった。

 意識を失う直前、僕は胸に衝撃を受けて倒れたはずだ。もしそれが、あの夢に出てきた《人助けが好きなヒト》の言う通り、銃で撃たれたものなら――。

 いやいや、ちょっと待って。なんであの夢の内容が実際にあった事前提で考えてるのさ? ――だが、なんにせよ僕に何かが起こったのはまず間違いないに違いない。ああ、だんだん混乱してきたぞ……。だいたい、なぜタッパーなんだ。他に入れるモノは無かったのか。


「そうだ、瑠璃ちゃん!?」


 ぼーっとしている場合じゃない。そもそも、その撃たれたか何かされる前は、彼女と共に《私刑断罪者》と言う名のテロリストから逃げていたはずだ。僕がなぜ元の倒れた場所とは違う場所に寝転んでいるのかは分からないが、今も瑠璃ちゃんは追われている可能性がある。

 はやく、何とかしてあげないと。


「あれ、大志君?」


 そこへ、今の状況には全くそぐわない快活な声が耳に入ってきた。

「紫澄姫――?」

「そうそう、あなたの友達、紫澄姫だよ。――って、うわ、なんでそんなに真っ赤なの?」

「えっと、その――いろいろあって……」

 うん、まあ、いろいろあった。瑠璃ちゃんの家で寝ていたら《私刑断罪者》の対象になったり、かと思えば突然意識を失ったり。碌なモノじゃない。

「――それよりもここはどこ? そもそも、紫澄姫はなんでここに?」

「ここ? ここは例の建設中のビルだよ」

「ああ、あそこ――」

 学校に通う際、いつもその前を通り過ぎていたのを覚えている。確か完成は半年後が予定されているが、今はコンクリートの床と鉄骨で大半ができている。

「でも、なんで僕らはここに――」

「え? とりあえず私は、大志君がここに運ばれるのが見えたから追いかけたんだよ?」

「運ばれたって、誰に?」

「女の子――多分、アレが例の《和製ジャック・ザ・リッパー》だよね。その子に」

 なるほど、考えてみれば瑠璃ちゃんが僕をあそこに放り出しておくわけがない。襲われていることも考えれば、ひとまず人目につかないところに僕を置くのも当然だと――、

 ちょっと待て。

「ねぇ紫澄姫」

「何? 大志君」


「なんで君が瑠璃ちゃんの事を――《和製ジャック・ザ・リッパー》の正体を知ってるの?」


 知っているわけない。だって、その正体を知っているのは僕だけのはずだから。誰にも話していないし、瑠璃ちゃんだってそうそう尻尾をつかませるとは思えない。

「決まってるじゃない。大志君の後をつけてたからだよ」

「――なんの為に?」

「勿論、殺すため――うえっ」

 紫澄姫の口から信じがたい言葉が飛び出す。直後、彼女はえずいたかと思うと、その口からさらに信じがたい物体がぬるりと落ちた。


 彼女はその赤黒くて滑ったボールのような物体を片手で受ける。


「えいっ」

 紫澄姫はそれを僕めがけて投げつけた。僕は嫌な予感がして、反射的に横へ飛んだ。


 赤黒いボールが後ろの柱に当たった途端爆発を起こした。


「――っ!?」

「避けちゃ駄目だよ大志君」

 油に火をつけてまき散らしたかのように、飛散した炎が周囲に乱れ飛ぶ。それらは躱してもなお僕に降りかかり、僕は急いで服の上で燃え始めたその炎を叩いて消し去った。これは、この光景は――、

「紫澄姫、どういう事――?」

 僕は床にぶつけた鼻の痛みを無視し、彼女に問いかける。

「ん? どういうことって?」


「なんで君が――――――――連続放火の犯人、《私刑断罪者》なんだよ……?」


 爆発。そこから飛び散る炎。僕はそれによく見覚えがある。覚えがあるも何も、意識を失う直前に直接見たばかりだ。

 爆発としては、目の前のこれはかなり特殊な種類だ。噴火した火山のように色濃く撒かれる炎は、今もなおコンクリートの上で燃えている。

 問い詰められると、何でもないような顔をして紫澄姫は口を開いた。


「そりゃ、私が火をつけてるから放火犯に決まってるよ」


 紫澄姫はまたもや嘔吐する声をあげて、口から爆弾を吐き出した。

 信じられない。正義感の強い彼女が、まさかこんなことをしているなんて。いや、それよりもなんで口から爆弾が出てくるんだ!?

「今度はじっとしててよ。バレーボールの関係上はじくのは得意だけど、投げるのはそんなに得意じゃないんだから」

「ま、ままま、待ってよ!? ちょっと待って、タンマッ!」

「――何? 男の子はもっとはっきりしてないと」

「それは偏見じゃないかな!? じゃなくて――なんで僕を殺すの!? 君が瑠璃ちゃんを殺すのを、僕が邪魔しようとするから!? そりゃするけどさ、いつもの君とはずいぶん違うじゃないか!」

「え? 大志君、何か勘違いしてない?」

「――へ?」


「私は最初から、大志君を殺すためにこんなことしてるんだよ?」


「え――?」

 正義感の強い紫澄姫にとって、《和製ジャック・ザ・リッパー》の存在は「悪」であろう。たとえどんな理由があっても、彼女なら一人が生き残るためにほかの人間を殺そうとするなんてこと、こんな手段を取るかどうかは別としても間違いなく反対するはずだ。

 だが、その矛先が僕に向いているなんて考えもしなかった。僕は紫澄姫に、何か怨まれるようなことをしただろうか?

「そもそも、私が《私刑断罪者》だってわかってるんなら、大志君の住んでいるアパートの部屋に火をつけたのも私だって、多分わかってるはずだよね?」

「そう言えば――で、でも、なんで? 僕何か紫澄姫にした? なんで僕が殺されなくちゃならないの?」

 すると、紫澄姫はため息をついた。出来の悪い生徒に辟易するような様子だ。


「あなたは、精神構造が邪悪です。書置きにもそんなことを書いたと思うんだけど?」


「は――? どういう事……?」

 意味が分からない。精神構造ってなんだ。

「遅刻とか無断欠席のことを言ってるの? そんなことで、僕は悪いヒトって決められちゃうの?」

「違うよ。――まあ、最終的には繋がってるかもしれないけど、それは直接関係ない」

「じゃあなんだっていうんだよ――? 僕が殺されなきゃいけない程悪いことを、何か企んでるって言うの?」

「君って、結構悪趣味だよね」

 紫澄姫はあっけらかんと、そう言ってみせた。

「なんで君が僕の趣味を――というか、それと何の関係が……?」

 大体、紫澄姫には言ったことは一度もなかったはずだ。にもかかわらず、なぜそれを彼女が知っている?

「毎度毎度見られないようにしてたみたいだけど、あれだけデカデカとポスター張ってたら、ちらりと見ただけでばれちゃうよ。

 一応、一度中に侵入させてもらったけど、酷いモノだよね。ああいうのが趣味の人って、きっと心の中でもああいう事したいとか考えてたりするんでしょ?」

「そんな――それこそ偏見だよ! ただの趣味だし、誰にも理解されそうにないなってことは分かってた! 実行したいなんて、これっぽっちも思ってないよ!? 信じてよ、僕ら友達だろ!?」

 紫澄姫のモノの見方は偏っている。今までそんなこと感じたことはないし、むしろ僕は理解ある優しい人間だと思っていた。

「うん、大志君は友達。君が本心でそう言ってるって、私は信じてるよ」

「なら――っ」

「でも、内面に閉じ込められた衝動が、実は気が付かないうちに欲しているのかもしれない。実際に、君が今はそう思っていなくても、いずれそんなことに手を染めてしまうかもしれない。そうやって罪を犯して魂が汚れてしまう前に助けてあげるのが友達ってもんでしょ」

 紫澄姫はその手で野菜ではなく爆弾を弄びながら、真剣な眼でこちらを見てそう言った。いったい何が彼女をそんな風に――。

「私がこれまで火をつけてきたのはね、そう言った心の悪いヒト達なの。きっと彼らも、ああなる前は君みたいに、まさか自分があんなふうになるなんて思ってなかったんじゃないかな。だけど、実際は悪事に手を染めてる。私の言ってるようになっちゃったんだよ。

だから。こうやって爆破して逃げ道を壊して、広がる炎で焼いて邪悪な思想や心を浄化してあげるんだ。これこそが、心の奥底に非足悪を燃やし消し去るのが私の使命なんだよ。だから――死んでっ」

「だからもなにもないだろっ!?」

 僕の足元に投げつけられた爆弾を、走って躱す。そうしながら、僕は違う柱の陰に隠れた。

「もー、逃げないでよー。君は今の話を聞いても、自分が黒く染まりかけてるって気が付かないの? 大志君はそんなに頭の悪いヒトじゃなかったと思うんだけど? 君が本当に今も正しい心を持っているって言うのなら、素直に殺されるべきだと思うんだけど――なっ」

 僕が身を隠していた柱が弾け飛び、僕は奥に吹き飛ばされた。コンクリートの柱であっても、せいぜい爆風の直撃を防ぐくらいにしか効果はないみたい。

 だが、止まったらやられる。彼女からなるべく距離をとるべく、僕は走り出した。


「――紫澄姫こそ何やってるんだよ?」

「ん――?」

「君こそ、誰の許しがあって私刑なんてしてるんだ? 紫澄姫はこんなことしなくたって生きていけるんだろ?」

「うん、勿論。だけど、誰かがやらなくちゃならないんだ。それが、《神》様が私に与えてくれた使命だからね。――うえっ

ねえ、知ってる大志君? 人間は自分達の衝動を「悪」と定めて決まりを作ってきたけど、本当の悪いヒト達はそんなこと関係なく、時にはむしろその決まりすら利用して決まりに反することをしでかしてるんだよ」

「《神》様――? うっ!」

 紫澄姫はまた爆弾を投げつけてくる。しかし、少し距離が遠いためか今のところ直撃はしていない。投擲が苦手だと言ったのは案外本当かもしれない。運動が得意な彼女の、意外な面をこんなところで知ってしまった。

「結局、その決まりを操ってるのはその決まりを作ったえらいヒト達。一見してその決まりには人間が人間である以上善として守らねばならないことが記されてるように見えるけど、それはやっぱり、『この決まりがあるから私たちはしていませんよー』って盾にしか過ぎないんだよ。

 私は昔から、そんなのはおかしいって思ってたよ。でも、自分にそれを何とかできる力はない。そんなある時、《神》様が現れてこの力を授けてこういったんだ『あなたが正義と思うことをしなさい』って」

「でも僕は君の言うような人間じゃないよ!? そんな、法律を盾にして悪いことしようなんて、考えたこともないよ?」

「だって、そんなのただの一例だし、みんながみんな同じことしてるわけじゃないし。結局のところ、悪いことをしているヒトは止めなくちゃならない。将来友達がそうなる可能性があるって言うなら、事前に食い止めてあげなくちゃ」

「そんな身勝手な!」

「うん、そうだよね。でも、私はそれを《神》様に許されてるから――おえっ」

 紫澄姫は流石に当たらないと思ったのか、その足で走り始めた。運動部の彼女と、インドア派の僕とでは、走る速度がまるで違う。

 それに、走り続けて僕の方が早くも疲れてきた。元々、運動が得意なほうでは決してないんだ。

 ごめん、《人助けが好きなヒト》――あなたが何を期待してたのかわからないけど、折角助けてもらったのに早くも死にそう。


 ヒュン――


「うひゃっ!?」

「――っ、……?」

 紫澄姫の悲鳴に、僕は何事かと後ろを振り返る。


 紫澄姫に向かって鉈を振る、白いパジャマで黒髪の女の子が、そこにはいた。


「瑠璃ちゃん!?」

 僕が呼び掛けると、彼女は得体のしれないモノを見る目でこちらを見返した。

「この――っ、……!?」

 鉈をギリギリのところで回避したらしい紫澄姫が悪態をつくが、瑠璃ちゃんは無視してこちらへ向かって飛び込むように跳躍する。と、その直後地を蹴った地点がけたたましい銃の連射音と共に粉塵をあげた。

 瑠璃ちゃんはそれを振り返ることなく、僕の方へ向かってくる。

「瑠璃ちゃ――ごふぅっ!?」

 彼女に体当たりされたまま、僕は別の柱の陰へと移動する。その最中、一瞬だが、かぼちゃ頭をした人物がコンクリートの床に降り立ったのが見えた。


「大志君――本当に大志君……っ!?」


 柱の陰に隠れ、瑠璃ちゃんは鉈を放り捨て僕の顔を両手で挟み込んでくる。怪我をしているのか、べたりと僕の頬に彼女の血が付く。彼女の潤んだ瞳は、信じたいけど信じがたい光景を見ているという、懐疑的なモノだった。

「そ、そうだよ、そんなに焦って一体――」

「あなたさっきまで死んでたんだよ!?」

 瑠璃ちゃんが涙声になりながら叫んだ。そして、僕の体を強く抱きしめてくる。柱に押し付けるようにして、全体重を僕の胸に預けてきた。


 そっか、本当に死んでたんだ。


 僕はここで、ようやくはっきりと理解した。近くに居たはずの瑠璃ちゃんがそう言うんだから、間違いはないだろう。

 でもまさか、実際に死んでいたとは。だとしたら、あの《人助けが好きなヒト》は本当に何者――いや、よそう。こうして生きて瑠璃ちゃんの隣にいられるのだから、今はそれでいい。

 今はそれよりも――

「大志君、君は危ないから、ボクが引き付けている間に何とか逃げて」

「――いや、それは出来ない」

「でも、あなたはボクみたいに素早く動いたりは出来ないし、何より狙われてない」

「残念ながら、狙われちゃってるみたいなんだよなぁ――《私刑断罪者》の紫澄姫に」


「あんたも《和製ジャック・ザ・リッパー》も死ねっ!」

「…………」


 柱の向こうから紫澄姫の罵声と、恐らく彼女のモノであろう爆発音。それから馬鹿にやかましい発砲音が大合唱している。うわぁ、顔を出したくないなぁ。

「――でも、放火犯が大志君のお友達だったなんて」

「今しがた知って僕も驚いたよ。しかも、《ジャック・オー・ランタン》も生きてて二重にびっくり」

「なんにせよ、あのヒトは元お友達に格下げだね」

 瑠璃ちゃんは柱の陰から向こうを確認しながらそう言った。――本当に、友達ってなんだったんだろうね。

「――《私刑断罪者》に狙われてるって言うのなら、ボクが何とか隙を作るから、その間に大志君は……」

「いや、足手まといになるかもしれないけど、僕も手助けするよ」

「な、何言ってるの!? 今度こそ死んじゃうかもしれないんだよ!? またあんなこと、もうボクは――」

「大丈夫だよ瑠璃ちゃん」

 僕は彼女の生身の手を取った。瑠璃ちゃんはびくりと震えて僕を見る。

「君のために、僕は死なない。他の誰でもない、君と一緒にいるために、もう命を落としたりはしないよ」

 僕は深々と切った――見た感じからして、素手で刃物を握ったとしか思えない瑠璃ちゃんの手に、自分の服を裂いて包帯として巻いて上げた。きれいな手なんだから、もう少し気を使ってほしい。

「…………」

 瑠璃ちゃんの顔は既に涙でぬれていた。――意外とこういう表情もいいかもしれないと思いもしたが、かと言って彼女を悲しませると言うのもあまりよくはない。腹をくくらなきゃ。


 直後、柱がすさまじい破裂音を鳴らし始めた。


「な、なになに!?」

「《ジャック・オー・ランタン》の持ってる銃だよ。なんだか滅茶苦茶広範囲の弾丸が広範囲に飛んでくるの。威力もやたらすごい」

「どれどれ?」

「大志君!?」

 僕は柱の陰からひょいと覗いた。


《ジャック・オー・ランタン》と目があった。


「わひぃっ!?」

 僕が急いで顔をひっこめると、再び柱を削る音が背中を叩く。危うく顔に穴が増えるところだった。

「ちょっと、何やってるの!?」

「少しでも瑠璃ちゃんの役に立ちたいからね」

「だからって、なんて無謀な――」

 もう恐怖で体が動かないなんてこと、なりたくない。僕は自分を犠牲にしてでも瑠璃ちゃんを助けると、そう誓った。今のは自分の心を確かめるその一歩でもある。

 ――足はがくがくだけど。

「それよりも、《ジャック・オー・ランタン》の持ってる銃が何か分かったよ」

「――っ!」

「AA‐12――フルオートのショットガンだね……毎分350発の連射力と、それをカバーするドラムマガジンが存在する頭のおかしい散弾銃だよ。威力過多かつ構造が複雑で壊れやすいから、使われることはほぼないみたいだけど」

「大志君、大志君――」

「何?」

「君、なんでそんなに詳しいの?」

「え? ――えっと、まあ、趣味だよ、趣味。うん」

 まあ、嘘は言って無い。アレを器物に対して撃っている動画を見たり、アレで人や動物がミンチになる画像やイラストを探したりしたことはあったが。

 ともかく、アレは知る人ぞ知る、ピーキーすぎて使えない烙印を押されたショットガンだ。その分まともに動いている間は危険なんていうレベルの話ではない。

「あれの銃口がこちらに向いている間は、身動き取れないね――」

「一応、三竦みってところかな? 今ので――えっと、《私刑断罪者》が死んでなければだけど」

「気を使わなくても大丈夫だよ瑠璃ちゃん。全く、ここはどこの紛争地帯なんだよ――」

 顔を出せば撃たれる。だけど出さねば迫られて死ぬ。これはひどい。だけど、三竦みだからチャンスはあるはずだ。


 柱の向こうから爆発音が響く。それに対応するかのように射撃音が鳴った。


「よし――何とか僕が隙を作るから、瑠璃ちゃんはその間に何とかして!」

「え、待って、大志君!?」

 僕は柱の影から飛び出して、《ジャック・オー・ランタン》から程近い柱へと移った。即座に向こうは振り向いて撃とうとしてきたが、その時は既に身を隠している。

 僕は柱の陰に隠れながら瑠璃ちゃんに今は出てはいけないと言う合図を出す。彼女は不安そうにこちらを見つめてくるが、今更僕は引くつもりはない。


爆音が止み、一変して周囲は静寂に包まれる。そんな中、《ジャック・オー・ランタン》のモノと思しき足跡がこの場所に響いた。足音は――瑠璃ちゃんの方へ向かっているのか。

相手が速度の速い遠距離攻撃を持っているということは、紫澄姫も安易には動けないに違いない。ここは、僕がうまく引き付けて瑠璃ちゃんにチャンスを与えなくては。

さっき見た時のジャックの位置だと――、


 カツン―― カツン―― カツン―― カツン―― カツン――


 よし、今だ。


「やい、かぼちゃお化け! こっちを見――ろ……?」

《ジャック・オー・ランタン》がこっちを振り向いた。


 なぜかその片手には六本の銃身を持つ銃が握られていた。


 僕のにわか知識が確かなら、M134と呼ばれるミニガンではないか。いわゆる電動式ガトリング砲で、毎分2000~4000発弾丸をぶっぱなす。生身の人間が喰らえば痛みを感じる前に死ぬということで、付いたあだ名が「無痛ガン」。有名どころでは、某シュワちゃん扮するロボットが威嚇射撃でぶっぱなした。

 これを思い出すのに、0.2秒。こちらを向いた瞬間、早速銃身が回転を始める。死を予感するのに0.1秒。

 ちょっと、これは想定外。一体どこに隠してたんだろ――。


《ジャック・オー・ランタン》の体ががくりと揺れた。


 相手の背中から、血しぶきが飛び、ミニガンは回転を止めた。その背後では、瑠璃ちゃんが刀を振り抜いていた。

「ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィッッ!」

《ジャック・オー・ランタン》が金切り声をあげて振り向き、もう一方の手のショットガンを向けようとする。しかし、懐に入り込まれた状態では長銃は役に立たない。

 助かったと、僕は安堵する。

 瑠璃ちゃんは何度も刀を振り、《ジャック・オー・ランタン》のマントを血で染めていく。そこへ――


 遠くの柱の影から身を乗り出した紫澄姫が、二人めがけて爆弾を投げようとしていた。


「紫澄姫ッッ!」

「――っ!?」

 僕は足元に落ちていたコンクリート片を紫澄姫めがけて思いっきり投げた。

 紫澄姫は片腕で顔を覆う。しかし、見くびってもらっては困る。


 僕がそんな遠投できるワケないじゃないか!


「瑠璃ちゃん!」

「――ッ!」

 僕が合図すると、彼女は刀の背でかぼちゃ頭を殴り飛ばした。衝撃で《ジャック・オー・ランタン》は浮き上がり、後ろに転倒する。

 僕と瑠璃ちゃんはそれぞれ急いで柱の陰に隠れる。直後、ジャックが手に持つ銃を乱射し始めた。

 怒り狂ってでもいるのか、出鱈目に周囲に弾丸がばらまかれる。一応隠れて伏せているためあたりはしないが――、


「このっ――滅茶苦茶に撃つんじゃないわよッ!」


 怒鳴り声と、続いて発生する爆発音。《ジャック・オー・ランタン》が瑠璃ちゃんの方へ吹き飛ばされるのが見えた。

 それとは違う場所で、金属が音をたてたのが耳に入る。おそらく瑠璃ちゃんが紫澄姫に向かって刃を振りに行っているのだろう。


「しっかし、大志君の恋人さんが《和製ジャック・ザ・リッパー》だったなんてね! 凶悪犯の存在を黙ってるなんて、やっぱり大志君ってもう終わってるじゃん」

「あなたに大志君やボクの何が分かるの? バラバラにするよ?」


 紫澄姫の爆弾も、至近距離で戦うのには向かない武器だ。接近戦に持ち込めば、きっと瑠璃ちゃんに分があるだろう。

 いったん向こうは任せておくとして、今僕にできるのはジャックの様子の監視だ。

 マントはぐっしょりと血にまみれ、爆発のせいかところどころ焼け焦げている。普通の人間なら生きているはずのない重傷を負っているはずだが、あんなに重い銃器を片手で軽々扱っているのだ。とりあえず、非現実的だがまともな人間ではないと思っておく。


 ミニガンを持っていた手が、それから手を放して懐を探りはじめた。


「――っ!」

 仰向けに倒れたままの《ジャック・オー・ランタン》は、フルオートショットガンの弾倉を取り出して付け替えはじめる。あれだけ乱射したのだ、弾切れを起こしていてもおかしくはないだろう。


 ジャックが体を起こし始めた。


「瑠璃ちゃんっ!」

「――っ!」「――っ!?」

 僕が瑠璃ちゃんに合図を送ると、紫澄姫に刃を振るっていた彼女はさっさと柱に隠れる。その辺に落ちていたらしき鉄パイプをその手に持った紫澄姫も、被弾を恐れたのか同じように別の場所に隠れた。

 両者が距離をとった間を、ジャックから放たれた一発の弾丸が通り抜けていく。


 遠くにきつく放物線を描いて飛んだ弾は、床に着弾するなり小さな爆発を起こした。


「――っ!? 瑠璃ちゃん、爆発物だよ気をつけて!」

 ジャックは瑠璃ちゃんの隠れた柱に、ショットガンから連続的に放たれるグレネード弾を撃ち込んでいた。

 あのフルオートのショットガンには、専用に開発された12ゲージの世界最小のグレネード弾があることを忘れていた。ミニガンといい、ほとんど壁が意味をなさない。


《ジャック・オー・ランタン》が別の方向を振り向いてミニガンを打ち込んだ。


 すると、空中で爆発が起こる。その先を見ると、紫澄姫が立っていた。彼女が爆弾を投げたのだ。

「あんた一人で軍隊やってないでよ! 《和製ジャック・ザ・リッパー》よりあんたがいろんな意味で危ないわ!」

 直後、ジャックの足元で爆発が起こる。どうやら二段構えで爆弾による攻撃を行っていたらしい。

《ジャック・オー・ランタン》は吹き飛ばされるが、一回転した後ふらつきながらも床に着地した。

「――っ!」

 柱の陰から瑠璃ちゃんが飛び出してジャックへと体当たりしに行く。その先は――建設中のビルの端だ。そこに壁はない。

「二人まとめて――っ!」

「――っ、させないよ紫澄姫!」

 僕は全速力で紫澄姫に向かって行く。彼女は思いのほか近くに居た。

「――っ、大志君から先? ならさっさと消し飛んじゃってよ!」

 僕はその発言にちくりと心を痛めながら、爆弾が投げつけられる寸前に前方の床に飛び込む。避けられるわけが無いんだから、最初から相手の予想していないところへ行くしかない。

 これにより、紫澄姫の投げた爆弾は僕の頭上をかすめ、僕は僕で床に鼻を盛大に打ち付ける。

 ぼきっという音がしたが、多分気のせいではないに違いない。


 僕は急いで起き上がって紫澄姫にタックルする。が、彼女は体当たりを、いともあっさりいなし、運動神経マイナスの僕は投げられてしまう。

 その最中、空中で瑠璃ちゃんの方へと目をやる。


 彼女は見事ビルの上から《ジャック・オー・ランタン》を突き落していた。


「げふっ」

 床に叩きつけられ、僕は肺の中の空気をすべて吐き出した。

「これでお別れだね、大志君」

 紫澄姫は後ろに跳んで、仰向けに倒れている僕へと爆弾を投げつけた。僕は今度こそ死の予感を――って、何度感じてるんだろう。


 ヒュン――


 突然爆弾が何かに当たって横に飛んでいった。

「えっ――あぐっ!?」

 遠くの床で爆発が起こる。そして、僕の眼は紫澄姫の手に包丁が深々と突き刺さっているのを確認する。

「大志君、無事!? ――っ!?」

「や、やあ瑠璃ちゃん――そっちはどう?」

「流石のあいつも、あの高さじゃ死んだんじゃ――じゃなくて、」

 僕は鼻からだらだらと血を流しながら、笑顔で応じる。流血的な意味で真っ赤な僕に対し、瑠璃ちゃんは真っ青な顔をしていた。

「大志君、鼻血出しすぎだよ――」

「なんだかアレ以降、癖になってる気がするんだよね」

「そのうちそのでっぱりが無くなって平べったくなるんじゃないかな?」

「名前を言ってはいけないあのヒト卿みたいな鼻にはなりたくないや――」

 僕は瑠璃ちゃんに助け起こされながら、苦笑いをする。瑠璃ちゃんも同じ表情で返してくれるが、注意は常に紫澄姫の隠れている柱に向いている。


「なんでよ――」


 隠れている紫澄姫が、苛立った様子で声を発した。

「なんであんたらそんなに息ぴったりなの? そんなに長い間、二人は付き合いがあったの? 同じようなことを考えている奴らは、考えてることも同じだったりするの?」

 彼女にして見れば、瑠璃ちゃんはともかく僕はもっと簡単に殺せるつもりでいたのだろう。実際、《和製ジャック・ザ・リッパー》が来るまではそうだった。

 だが、瑠璃ちゃんが現れた途端、妨害にあったり、まともな戦力が無いはずの僕が向ってくるなどして想定が裏切られ、思うように動けなくなった。彼女にしても紫澄姫なら遠距離から爆弾を投げ続ければ優位に事が運べるはずである。重火器を操る《ジャック・オー・ランタン》でさえも、一度は手玉に取ったのだ。

その《ジャック・オー・ランタン》が居たことも大きいだろうが、思う通りに行かなくて、流石に我慢できなくなったに違いない。


 今、僕と瑠璃ちゃんのコンビは、紫澄姫を逆に追い詰めていた。


「紫澄姫――君は何から何まで勘違いしてるよ」

「――何がよ?」

「僕は確かに悪趣味だし、瑠璃ちゃんは連続殺人鬼。どちらも、他のヒトにとっては眉を顰めざるを得ない事ばかりかもしれないけど、僕は所詮自分の中で解決してるし、瑠璃ちゃんに至っては生きるため。全肯定は出来ないかもしれないけど、それは君が言う邪心の塊からは程遠いよ。

 さらに言うなら、僕も瑠璃ちゃんも、違う人間である以上考えは違う。僕らがこうやって息ぴったりに見えるのは、互いの事を信頼してるから」

「――嘘、だね。心のきれいなヒトなら、その言葉を信用できるけど、心が醜悪なヒトだから信じられない。よくない思惑でつながってるんでしょ?

 別に人間だから魔が刺すってことはあるし、何も私はそれで浄化作業なんてするつもりはない。だけど、黒く染まりすぎたらそれはもう、何をやっても遅いんだよ」

「紫澄姫――」

 このまま議論を続けていても平行線をたどるばかりだろう。彼女が諦めるなら、僕もこれ以上こんなことをつづけるつもりはないが、何より紫澄姫自身がそれを許さない。

 心をいい加減に決めないとね。


「――大志君の元お友達さん。別にボクは、誰かに許されようなんて思って無い。懺悔するつもりなんて、最初っからないよ。そして、それは大志君も同じだと思う。ボクは彼の趣味に関してはよく知らないけど、誰にも話さないってことは、きっと同意を求めようなんて思って無いって事」

「――何が言いたいの? 《和製ジャック・ザ・リッパー》ちゃん?」

「あなたの思っているモノだけが世界だなんて思わないで。それを押し付けないで。何も知らない癖に、考えなしでモノを言わないでほしい」

「ハッ、殺さなきゃ生きられない体だとでも言うつもり? 仮にそうだったとしても、それで人を殺していい理由には――ならないよ」


 紫澄姫が柱の影から後ろ手に爆弾を投げてきた。


「――っ!」

 瑠璃ちゃんは人形の腕に持っていた刀を捨て、僕を抱えて横に飛んだ。右手はごく普通の女の子の腕だ。そちらは非力であるため、使える場面は限られている。

 瑠璃ちゃんが移動したことで、柱の陰に隠れていた紫澄姫の全身が露わになる。しかし、向こうにして見れば僕らの方が身をさらしたことになる。

「ごめん大志君ッ!」

「へ――? うわぁっ!?」

 瑠璃ちゃんは僕を柱に向かって放り投げ、懐から折り畳み式のナイフを取り出した。

 紫澄姫はまたもや口から爆弾を出し、瑠璃ちゃんの方へと構える。

 勝負の決着は近い。瑠璃ちゃんが先に刃を当てるか、その前に紫澄姫が爆弾を命中させるかだ。


 ゾ  ク  ッ


「「「――――ッッッ!?!?」」」

 その瞬間、僕は何か恐ろしい気配を感じた。

 全身の毛が逆立ち、毛穴がきゅっと閉まる。恐怖で身がすくんで動けなくなる。

 瑠璃ちゃんや紫澄姫も同じものを感じたのか、二人も動きを止めた。なんだろう、この本能から揺さぶりをかけてくるような恐怖感は――?


 僕らは、一斉に黒い息遣いの聞こえてくる方向へと目をやる。その場所は、《ジャック・オー・ランタン》が転落したビルの端だ。


 その端から、かぼちゃ頭が顔を出すのが見えた。


「嘘――なんなのアレ……?」


 かぼちゃ頭の固い外皮を突き破って、そこから蜘蛛のような長い折れ脚が一本、二本、三本、四本――一つずつ確実に床の上に這い上がってくる。

 胴体はかぼちゃ頭にぶら下がったまま、両手にはフルオートショットガンとガトリング砲と言う重装備をし、人間の足はもはや必要ないとでも言うように、ぼろ布のように垂れ下がっている。

 ただ、そんな奇々怪々な姿をしていながらも、かぼちゃ頭はその悪夢のような笑みを張り付けたままだ。なんだ、この得体のしれない生き物は!?


《ジャック・オー・ランタン》が両手の銃を構えた。


「――っ!? 瑠璃ちゃん逃げてッ!」

 ジャックの銃が火を噴いた。

 僕らは急いで手近な柱に身を隠す。直後すさまじい爆音とともに銃弾と榴弾による破壊が始まった。

 7.62×51mm弾は後ろに隠れているいない柱問わず容易く柱を削り落とし、グレネード弾は粉砕する。いくら隠れられる場所があっても、これじゃあすぐに限界が来る。


 しばらくして銃撃が止む。止んだかと思うと、今度は甲高い足音を立ててこちらに近づいてきた。

 あんな化け物、今度こちらに来られたら一巻の終わりだ。何か対抗する手段は――、


「このっ――化け物めっ!」


 二連続く紫澄姫の爆弾の爆発音。それを追いかけるような銃声。なんとかハチの巣にされずに済んだが、半ば諦めのような舌打ち。

 ――そうだね、そっちも満身創痍だよね。あんなのを相手にしつつ、僕らと戦うなんて無茶もいいところだ。よし。


「紫澄姫っ! 聞こえる!?」


「――っ、聞こえてるよ大志君。何? あきらめて浄化される気になった?」

「はは、まさか。僕も瑠璃ちゃんも、そんな気は微塵もないよ。そんなことより提案。今の状況で僕らが戦ったとして、その上の一陣営が勝って、その後に《ジャック・オー・ランタン》と勝てる自信、ある?」

「大志君、まさか――」

 瑠璃ちゃんの制止の意が含まれたその言葉。言いたいことはよくわかる。でも、この場を切り抜けるために、少しでも確立を上げたい。アレを見ていると、不死身のような《ジャック・オー・ランタン》より、まだ見た目まともな人間な《私刑断罪者》を相手したほうがマシに思える。

「正直あんなの二人で勝てる気がしないよ。でも、そこに爆弾製造機の紫澄姫が加わったら、多少見込みは出てくるとは思わない?」

「それは――」

 きっと彼女も同じことを考えているだろう。紫澄姫も、一人ではあのわけのわからない生命力の生き物に敵いそうにないことは感づいているはずだ。

 だが――、

「わ、私は何があっても、悪い人間と手を組むつもりはないよ!」

 あー、もー、頭硬いんだからぁ!

「紫澄姫、君は邪悪なモノを浄化するとか言っていたけど、そもそもここで死んだら、その使命とやらは永遠に達成できないんだよ!? 君はそんな状況に置かれてもなお、意地を張るつもり!?」

「く、ぐ――」

 足音はだんだんとこちらに近づいてくる。早く決めてくれ! 信用してくれなくてもいいから、僕たちに利用されてくれ!

「ああ、もうっ! わかったわよ大志君! その清々しいくらいの利用してやるっていう態度に乗っかってあげるよ! 言っていることはまるっと全て正論なんだもん!」

「紫澄姫――」

「――だけどどうするつもり? 《和製ジャック・ザ・リッパー》ちゃんは接近しないと決定打は与えられない、私はある程度ちゃんと狙いをつけないと爆弾は当てられないし、君は君でほぼ戦力外。おまけにあっちは10階の高さから落ちても死なないゴキブリ生命力だよ?」

「――ここ10階だったんだ、初めて知った」

 まあ、突き落しても死なないとわかった以上、本当にどうでもいい情報だが。

「――ボクに考えがあるよ、大志君、元お友達」

 足音が近くなってきている中、瑠璃ちゃんが意見を述べ始める。

「元お友達は四つか五つか、適当にあいつめがけて爆弾をばらまいて」

「ちょ――多いんですけど!?」

「――もしかして、難しい?」

「そりゃできなくもないけど――あー、はいはい。お任せくださいよっと。あむっ」

「――何食べてるの?」

「私は、はぐっ、口の中にいれたモノを爆弾にできるの。おえっ、あぐっ、今はコンクリート片を変換してるだけ。うえっ」

「うわぁ――」

 それは――《ジャック・オー・ランタン》に負けず劣らず気持ち悪くない? でも確かに、食べては吐き、食べては吐きを五回はつらいかもしれない。

 腹のどこにあれだけの爆弾を隠し持ってるんだと思っていたが、まさかそんなからくりだとは。こんな状況に触れる前なら、たまげて引っくり返る自信があるよ。


「いくよッ! 後は任せた!」


 その合図から数瞬、すさまじい爆裂音があたりに響く。紫澄姫が爆弾を投げたのだ。

「――っ」

 こちらとは違う方向へと銃撃する音が聞こえたため、そのチャンスを見て僕は柱の影から顔を出し、ジャックを確認する。


 灰色の靄に覆われ、何も見えなかった。


 やった、成功だ。僕は心の中で拳を握りしめた。

 元々このビルは建設中だということなのか、かなり埃っぽい。それは紫澄姫が爆弾を使うたびに少量舞い上がっていたため、理解していた。

 しかし、このビルは今やジャックの銃撃や紫澄姫の爆弾でいくつもの柱が削り取られ、当初とは比べ物にならないほど細かい破片が周囲に積もっていた。

 それらを再び、紫澄姫の爆弾で巻き上げる。粉塵の量は十分で、目くらましには十分な量だ。瑠璃ちゃんも、これを狙っていたに違いない。

 軽快な足音が僕の近くを通り過ぎる。瑠璃ちゃんは目くらましの周囲を走り、ジャックの後ろに回った。

 ――しばらくして、コンクリート片の霧が晴れる。


「――っっ!」

「ギャギィッ!?」


 刹那、飛び込んだ瑠璃ちゃんは《ジャック・オー・ランタン》のがら空きの背中を長剣で切りつけた。

 死なないまで効いているのか、ジャックは血しぶきをあげながら叫ぶ。


 しかし、それだけだった。


《ジャック・オー・ランタン》は首は前を見据えたまま、体だけ後ろに向いて瑠璃ちゃんに銃を向けた。


「相手はその子だけじゃないよ!」


 接近していた紫澄姫が、かぼちゃ頭めがけて爆弾を投げつけた。瑠璃ちゃんはそれにあわせて後ろに跳ぶ。


 ――《ジャック・オー・ランタン》は頭の位置を下げて爆弾を容易く回避した。


「あ、ずるい!」

 しかし、意味がなかったわけではない。天井に着弾したため、その一部がジャックと瑠璃ちゃんを分断するかのように落ちてくる。


 胴体が紫澄姫の方を向いた。


「うっわ――」

 紫澄姫が絶望的な顔をする。下手をすれば消し飛ばされかねない程の重火器だから、当然と言えば当然だろう。


 がくんっ


「ゴ――ッ!?」

 瑠璃ちゃんが折れ脚の一本を中ほどで叩き斬った。それにより《ジャック・オー・ランタン》はバランスを崩し、あらぬ方向に銃を乱射する。

「今度こそ――っ!」

 紫澄姫は位置の下がった体に当たるよう、真下の床めがけていくつか投げた。着弾した矢先から次々と爆発し、ジャックは炎にのまれていった。

「これで――、っ!?」


《ジャック・オー・ランタン》は宙に浮いていた。


 かぼちゃ頭から生える二対の蝙蝠のような翼が羽ばたき、ジャックは紫澄姫を見下ろす。

「なにこれ、滅茶苦茶じゃん――」

 紫澄姫はその場にへたりこんだ。

 爆炎はジャックの人間の両足を膝ほどまで消し飛ばすのには成功した。しかし、今その部分は一切使用されていない。

「――っ! あぐっ……!?」

 瑠璃ちゃんが跳躍し、ジャックに斬りかかる。だが、折れ脚の一本に殴られ吹き飛ばされる。


《ジャック・オー・ランタン》が、紫澄姫に攻撃するではなく頭と体を瑠璃ちゃんの方へと向けた。


 ――っ!? マズイ、このままだと瑠璃ちゃんが――っ!

 僕は飛び出して《ジャック・オー・ランタン》の妨害をしようと走り寄った。

「ぐほっ!?」

 しかし折れ脚に僕も殴られ、瑠璃ちゃんの隣に吹き飛ばされる。僕ではどうにもならない。

 紫澄姫は――

「…………」

 僕は紫澄姫の方を見るが、彼女はにやりと嗤った。

 紫澄姫は、《ジャック・オー・ランタン》へと爆弾を構えたまま、それを投げずにいる。ジャックに僕らを始末させた後、そのままジャックを討つつもりだ。

「瑠璃、ちゃん――っ!」

 気を失ってでもいるのか、動かない瑠璃ちゃんを僕は庇うようにして抱きしめる。あんな銃に狙われたら肉壁など何の意味も持たないだろうが、それでも無意識的に、僕はそのように体が動いた。


《ジャック・オー・ランタン》の銃口が火を噴いた。


         ♦   ♦   ♦   ♦


自分の娘に会いたくはないか?

 そう問われた時、私はそれに対し即座に頷いたのを覚えている。


 私が自分の子と居られた時間は、私のお腹に居る間と産んだほんの直後程度だった。産んですぐあの子は私から文字通り取り上げられ、すぐに私の手の届かない位置へと持って行かれてしまった。

 理由は告げられていない。しかし、想像はつく。自分のような卑しい人間との関係を断ち切るためだ。

 あの子が居なければ、私はあいつとは何の関係もなくなる。それを出しに金をせびられるのを防ぐ目的もあったと思うが――やはりそもそもの目的は、関係をなくすということに集約されていただろう。


 まあ、私も最初はどうでもよかった。確かに金づるにしようかと頭によぎったこともあった。しかし、それよりも上回った気持ちは「面倒くさい」だった。

 そもそもそれをするには子供を維持しておかなければならないし、何より私に子育てなど無理だ。むしろ、とっととどこかへ行ってくれてせいせいしたと思っているくらいだ。


 ならばなぜ堕ろさなかったのかと問われると、私もあのころは若かったと答えるしかない。今であれば躊躇しないが、あんなことが初めてだったあの頃の私は、堕胎させることに妙な嫌悪感を覚えたのだ。


 ――だけど、

 だけど今更になってあの子のことが気になってきた。

 私にあの子をどうこうすることは出来ない。あの子にかかわる権利すら全くない。

 しかし、一度産んだ母としての情だろうか? あの子が今どうしているのか、本当に今更気になってきてしまったのだ。


 一度私は、たとえ一目でも見られないかと思ってあの子が住んでいるであろう家に訪ねに行ったことがあった。

 勿論、通されるとは思っていない。遠目から確認できれば、それでいいなとくらいの気持ちでその場に行った。

 だが、私が行った時、あの家は既に廃墟になっていた。以前私が一度見た時はかなり立派な屋敷だったはずだが、この時は既に残骸だらけの原っぱと化していたのだ。


 もしかしたら、あの子は死んでしまったのかもしれない。その一方でもしかしたら生き延びているのかもとも、ほのかな期待を私はよせていた。

 どちらにしろ、安否を知るまで私はあきらめきれなかった。せめてあの子がどうなったのか、この目でしっかりと確かめたい。


 だが、手掛かりは完全になかった。できる限りのあらゆる手を尽くしては見たが、全て無意味に終わってしまった。名前すら知らないのだ、ある意味当然とも言えよう。


 そこに、あのヒトが現れた。そして私に向けてはなった言葉が、前述の言葉である。


 自らを《手を差し伸べる者》と名乗ったあのヒトは、頷いた私にこう言う。「あなたの子供ということは、すなわち離れていてもつながっているということ。だから、無意識的にその子の元へと行けるように頭をいじる」、と。

 ワケが分からないが、あの子を見つけるためだと、それを受け入れた。すると《手を差し伸べる者》は私の頭へと手を突っ込んだ。まるですり抜けるかのように、抵抗なくすんなりと入れて、何らかの作業を行った。


 だが、それにはとんでもない副作用が伴ってしまった。

 まず、私があの子を探している理由が分からなくなってしまったのだ。安否を確かめるのはいい。だが、その後どうしたいのか、まるで全然思い出せないのだ。

 母と名乗り出る資格がないのは分かっている、だが、それでも何かしてあげたいことがあったはずなのだ。


 そして、狂い始めたのは記憶だけではなかった。私の顔半分が、大きく変わり始めてしまったのだ。記憶のノイズも、顔の変化も、頭をいじられたからだろうか?

 このままでは良くないと、私は顔を隠す。顔を隠してあの子を探す。


 ――私は本当に、あの子を探して何がしたかったのか。何のためにあの子をこれほどにまで求めるのだろうか? 自慢だった顔まで潰して、どうしてこれほどあの子を探したいのだろうか?

 今となっては分からない。ただ私は、本能に組み込まれたかのように、あの子の気配を追いかけ続ける。出会った相手が違う人間だったならば、苛立ちを覚えながらも。どうするかは、会った後に考えればいいのだ。


         ♦   ♦   ♦   ♦


「ギィあアアあアアあアアアあアあアアアあアアあァァァぁァァぁァァぁァぁぁッッ!!」


《ジャック・オー・ランタン》が、いつかのように金切り声をあげ始めた。

 手に持っていた銃を滅茶苦茶に乱射しながら、ふらふらと宙を飛び回り、柱に激突したり、天井に激突したりして無茶苦茶な動きをし始める。

 その衝撃からか、受けていた体の傷から赤い血がまき散らされ、マントの中に隠し持っていた拳銃やマシンガンを落としていく。

「何――いったい何なの……っ!?」

「――っ! 瑠璃ちゃん!」

 狂った機械のように動き回り、いつしかそれは両手に持っていた銃までも手放す。そしてその手で自らの頭を押さえながら、尚もおぞましい叫び声をあげる。

 その場にいる誰もが、その光景を見守っていた。いや、見守らざるを得なかった。のたうつミミズから引くような面持ちで固まってしまう。そして――、


 動きがぴたりと止まった。


 かぼちゃ頭を突き破って、新しい折れ脚が一対、針金のように細い腕が一対生えてきた。

「ひ――っ!?」

《ジャック・オー・ランタン》は紫澄姫に向かって行く。そして多脚で寄ったかと思えば、新たに生えた腕で彼女を跳ね飛ばした。


「体が、く、ぅ――っ!」

「どうしたの!?」


「手足が――柘榴からもらった手足が、動か……うぐっ」


 生身の右腕で瑠璃ちゃんは胸を押さえている。目もあまりよく見えていないみたいだし、もしや――

 僕は片腕で何とか瑠璃ちゃんを上向かせる。息も絶え絶えで、元々真っ白な彼女の顔は更に青白くなっている。全身に玉の汗を浮かせている様子はあの時と――、


 初めて会った時と同じ、燃料切れの発作のようだった。


 でも、どうして? 《和製ジャック・ザ・リッパー》が心臓を狩るのは月に一度。この間すりつぶした心臓を飲んでから、一週間経つか経たないかの時間しかたっていないのに――。

「――っ、……っ、――っ」

 ――っ、今はそんなことはどうでもいい。早く何とかしないと、瑠璃ちゃんが死んでしまう。腕や目がほとんど機能していないということは、同じく元は柘榴のモノである心臓も止まりかけているということだ。


 ――一応、手立てがないわけではない。


 あのタッパーに入った僕の心臓を瑠璃ちゃんに食べさせればいい。彼女が今まで狩ってきたのは娼婦の心臓だが、それを執拗に狙い続けてきたのは個人的な感情によるものが大きかった。実際は、心臓ならなんだってよいのだ。


 ――だが、今それは手元になかった。戦闘の最中、激しい動きで落としてしまっていたらしい。

 しかし、この周囲に落ちているのは間違いないだろう。そう思い、戦いで壊れてしまっていないことを祈りながらあたりを見回す。


 あった――《ジャック・オー・ランタン》の足元だ!


 細かいコンクリート片で汚れてはいるが、アレは紛れもなく心臓の入ったタッパーだ。振り回されたのか、中は真っ赤に染まっている。

「――っ、……っ!」

 僕は一切の躊躇なくそれに向かって走った。ジャックは紫澄姫と交戦中。隙をつけば、あの入れ物くらいは取れるかもしれない。


「くあっ――消えろ、化け物ォ!」


 紫澄姫の投げた爆弾が、ジャックの足に命中する。

「くっ――」

 だが、僕はそれにもひるまず炎の中に飛び込む。激痛同様、あんなものにひるんで足を止めるわけにはいかない。

「な、大志君!?」

 驚愕した紫澄姫の声が聞こえる。それと同時に僕がタッパーをかっさらうのは同時だった。

何かが僕の後頭部をかすめる。しかし脇目も振らず走り続けたためか、それにあたることはなかった。おおかた《ジャック・オー・ランタン》が腕でも伸ばしてきたのだろうが、捕まるわけにはいかない。

「何をする気かわからないけど、逃がさないよ大志君――って、邪魔ッ! 狙うんならあっち狙ってよ!」

 紫澄姫の苛立ち交じりの声を後ろで聞き流しながら、僕は瑠璃ちゃんの元へと戻る。うん、まだ生きてる。

「お待たせ瑠璃ちゃん、心臓――あ、あれ……?」


 タッパーの底に、あの肉の塊の姿はなかった。


 そんな――確かにこの中に入ってたのに、いったいどこへ……?

 僕は半ば放心状態になりながら、周囲を見回した。

 ――瑠璃ちゃんの倒れているすぐ近くにそれはあった。


 煤扱けた、小さな赤黒い塊が。


「う、そ――」

 僕の心臓は、既に一度爆風に巻き込まれていた。落ちているそれは、もはや原形をとどめていない。

 いや、まだ手が無いわけじゃない。紫澄姫や《ジャック・オー・ランタン》、もしくは僕の今の心臓を、何とか――、

 いや、どれも無理だ。僕が心臓をささげるのはいい。しかし、瑠璃ちゃんにそれを口にさせる手段が思いつかない。心臓を取り出したその時僕は死んでいるだろうし、瑠璃ちゃんはほとんど動けない。僕の力であれらを倒して開くのもまた、短時間では無理がありすぎる。


 ――だったら、


「一縷の望みにかけるしか、ない――っ!」

 僕は瑠璃ちゃんの口を開かせ、その欠片を押し込んだ。

「ん、んん――っ!?」

 瑠璃ちゃんは顔をしかめ、辛そうな声をあげる。今にも吐き出してしまいそうな様子に、僕は口を押さえて呑み込ませさせる。

 ただの心臓の一かけらでどれほど手足や心臓が復活するかはわからない。もしかしたら、完全なそれをまるまる一つ補給しなければいけないのかもしれない。

 最初の時とは全く違う状況。今僕にできるのは、もはや祈る事。ただそれだけだ。


「くあ――っ!」


「――っ!?」

 紫澄姫が僕らの目の前まで飛ばされてくる。彼女は血反吐を吐きながら立ち上がろうとするが、思うように力が入らないようだった。


異形と化した《ジャック・オー・ランタン》が歩き迫ってくる。

 いつからか、かぼちゃ頭を突き破る触手は数えきれないほどとなっており、それら全てをジャックはうねらせている。

 真っ黒な触手たちが目の前を覆う様は、さながら闇の訪れを見ているようで、これから、暗黒に押しつぶされていくようにさえ思えた。


 ――闇に一筋の光が刺した。


「ギィ――ギュオ……ッ」

「――っ!?」

 無数の触手、その一部が根元でバッサリと斬られていた。

「ボクの家族に――大志君に手出しをしたら許さないって、ボクは言ったよね?」


 左手に握られている剣が折れ脚を一度に何本も切り落とす。


 右足に挟まれた刀がもう一方の触手群を切り落とす。


 左足に挟まれた斧が残る折れ脚を切り落とす。


「ギル――ッ、ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 甲高い叫び声を《ジャック・オー・ランタン》があげる。しかし、瑠璃ちゃんの猛攻は止むことはない。

 右足が左羽を、左足が右羽を全て切り落とした。


「これで――終わり……ッ!」

 瑠璃ちゃんは左手の剣に右手を添え、横なぎに振るった。


 かぼちゃ頭と胴体が切り離された。


「ギィ、ギャゥ、ギュア――ッ」

 自らを支える術を全て無くした《ジャック・オー・ランタン》は、そのかぼちゃ頭を地面に落とし、ごろごろと転がっていった。

「瑠璃ちゃん――っ!」

 今の動作を跳躍した滞空時間で全て行った瑠璃ちゃんは、バランスを失い床の上に転落した。僕は急いで彼女の元へと駆け寄る。

「あ、ははは、ふふっ――大志君、怪我は……っ!?」

「君こそ、大丈夫なの!?」


「大志君の腕が、ちぎれかけてる――」


「え? ああ――これはちょっと、ね」

《ジャック・オー・ランタン》が狂って銃を乱射したとき、その一発が僕の肩に命中してしまったのだ。――だが、こんな痛み、瑠璃ちゃんの安否の大事さに比べればどうってことない。既に感覚が無くなってきちゃってはいるけど。

「ちょ、ちょっとじゃないよ!? な、なんだって、そんな――」

「それよりも、《ジャック・オー・ランタン》だよ。立てる?」

「う、うん――」

 どうやら、僕の心臓は効果があったらしい。幾分しっかりした足取りで、瑠璃ちゃんは立ち上がる。

「――とと、……瑠璃ちゃん?」

 腕がおかしなことになってバランスを崩した僕を、瑠璃ちゃんが支えてくれる。

「――本当は、大志君がこんな風にならないために戦ったのに。ごめんなさい」

「いいんだよ、僕の事は」

 二人で落ちたかぼちゃ頭のところへとたどり着く。

 下部からは切断されたためか血が溢れ、自ら内側からあらゆるものを突き破らせたためか、被っているかぼちゃもボロボロだ。

 そのかぼちゃが、割れた。


 中から、顔の片側が異様に膨れた女性の頭が現れた。


「女の人――? いや、この顔どこかで……」

 まさか、《ジャック・オー・ランタン》の正体が女性だとは思わなかった。しかし、まともな形を残している半分はかなりの美人なのに、なぜもう片方がここまで膨れ上がって――?

「おかあ、さん……!?」

「――っ!」

 そうか、どこかで見たことがあると思ったら、あの瑠璃ちゃんの家で見た写真だ。映っている時とは違い化粧はしておらず、汚れていて変わり果てていたが、少しだけ瑠璃ちゃんに似たその容貌は間違いない。


「――アナ、た、ハ……?」


《ジャック・オー・ランタン》は瑠璃ちゃんに視線を送り問いかける。

 首一つだけとなっても、今だ彼女は死んではいなかった。いや、死んではいないモノの、もはや満身創痍の様子は、長くはないことを思わせる。

「…………」

 瑠璃ちゃんは応えない。自らの身の上の原因と、半ば逆恨み気味であった相手で、いつか見つけて許しを請わせたいと言っていた彼女は、何も応えない。

「――そう、あナたが、私ノ娘なンダ」

「……!」

 瑠璃ちゃんのお母さんは、まるで何かを感じ取るかのようにそう言った。――瑠璃ちゃんは、それに対しびくりと肩を震わせた。

「さっきカラ、なんとなク、そう感ジテイタ――タダ、その後ドウシタいのか、全然わからナくて……」

《ジャック・オー・ランタン》は、丁度瑠璃ちゃんと同じくらいの年ごろの女の子を執拗に狙っていた。もしかしたら、この異様に膨れた何かのせいで――?

「会いたカッた、あエて、よかッタ――」


「――会えたから、なんだって言うの……」


 瑠璃ちゃんの声が震えている。表情をこわばらせ、まっすぐにお母さんを見つめたまま。

「ボクは、いつかあなたに謝らせようと、殺してやろうと想い続けてきた。こうやって顔を合わせても、心にあるのは怒りだけ。あなたに対する親愛の情なんて一欠片だってありはしない。ボクは、今もこの場で――」


「あア、思い出シた――」


 彼女は聞こえているのかいないのか、そう言った。うわ言のように言葉を発し続けるその姿は、これまでの《ジャック・オー・ランタン》の狂ったような動きにも合致する。

「あなタに会ったラ、名前ダけでモ聞いておきたカった。あなタ、名前ハなんていウの?」

 半分残った顔は、笑顔で瑠璃ちゃんに問いかける。かぼちゃ頭に刻まれた凶悪な笑みではなく、慈愛あふれる優しい顔だ。

「――るり」

「え――?」

「瑠璃だよ。ラピスラズリの和名と同じ字を書くの」

 母親に自分の名前を教える瑠璃ちゃんの顔は、依然としてこわばらせたままだ。親愛の情はないと言ったのに、なんだかその表情は、泣く寸前のように見える。

名前を教えられた瑠璃ちゃんのお母さんは、「そう――」と一言つぶやく。そして、満足そうな顔を浮かべた。


「『瑠璃』――キれイな名前。私、ラピスラズリが宝石ノ中で一番好キ」


 瑠璃ちゃんの眼尻から、涙が一筋こぼれた。

「深イ海を思ワセる、神秘的ナ青。アなたにピッタリナとても美シい名前」

「…………」

「きっト、あナたは私みタイになるコとハナイはず。私、安心、シタ」

 瑠璃ちゃんの眼からどんどん涙があふれてくる。

 本当は、瑠璃ちゃんはお母さんを心の中から怨んではなかったのかもしれない。彼女にとって、生きていると思える人間は彼女しかいなかった。境遇を直接作った父親も、他の関係者もおそらく既にいない。だから、自分の身の上を怨むにあたり、どこかで生きているかもしれない娼婦の母親を対象にせざるを得なかったのかも。

 真実は瑠璃ちゃんの心の中。ただ一つわかるのは、変わり果ててしまってまでこの女性は、自分の娘である瑠璃ちゃんを強く想っていたということだ。


「瑠璃――」

「――なに? おかあ、さん……」


「――幸せニ、なってね、瑠璃」


「――っ!? お母さん!?」

 瑠璃ちゃんのお母さんは微笑みながら告げると、白い煙を上げ始めた。

 不気味に膨らんだ顔の半分、ボロボロではあってもまだ無事と言えた部分がどちらとも問わずに溶け出し始める。


 その場に残されたのは、赤茶色に変色した頭蓋骨と、割れたかぼちゃだけだった。


「う、ううっ、う――」

「瑠璃ちゃん――」

 瑠璃ちゃんはその場に泣き崩れる。僕は彼女の小さな肩を、まだ動く片方の腕で抱いて上げた。

 すると、彼女は僕の胸に顔をこすりつけてくる。僕は震える彼女を、そのまま抱きかかえつづけた。


 ――先ほどまで紫澄姫のいた場所を横目で見ながら。


         ♦   ♦   ♦   ♦


「ねぇ、どこ行くの?」

「――っ!?」

「おっと、動いちゃ駄目だよ。頭に押し付けているから、僕の手にあるものわかるよね?」

「――大志君にそこまでの度胸があるのかな?」

「瑠璃ちゃんのためなら、僕はどんなこともできる自信があるよ」

「…………」

 傷ついた体をかばうようにしながらビルから逃げようとする紫澄姫。僕は彼女がどこかへ行ってしまうために、一度話をしたかった。

 僕が今手に持っているのは、《ジャック・オー・ランタン》が周囲にばらまいた拳銃の一つだった。初めてこの手に持ってみたが、改めて、かなりごつごつしているんだなと思う。まあ、通称デザート・イーグルって言う大口径の銃だしね。


「君にとって僕が、君の言うその他大勢の浄化する存在に過ぎないことと同じで、僕にとっての君は、瑠璃ちゃんに危険をもたらすヒトの一人にすぎないよ」

「――私そんな事言ったっけ?」

「『大志君から先? ならさっさと吹き飛んじゃってよ!』って。要するに、ただの殺す対象の一人でしかない事だよね」

「あー、確かに言ったかも? なに、そんなに気にしてた?」

「瑠璃ちゃん以外に親しいの、紫澄姫しかいなかったからね」

「あはは、それは悪かったね。だけど、確かに君の言う通り、私にとって大志君はただの浄化する対象でしかないかな」

「そう――」

 それを聞いて、僕の心が痛むのは変わらない。いじめられている僕を助け、その後も良き友人であってくれた紫澄姫。僕のとって数少ない友人だったのに、そんな目で見られるのはやはり傷つく。


「私から、一つ聞いていいかな」

「――何?」

「なんで君はそんな風になっちゃったの?」

「そんな風って?」

「よからぬ趣味に走って、かと思えば連続殺人鬼なんかと仲良くしてたり。一応これでも、それとなく修正しようとはしてたんだけど」

「――そんなことあったっけ?」

「少なくとも、君の前では優しい優等生だったと思うけど? まあ、言うほど演技というわけでもなかったけど。手助けしてあげたいと思っていたことは本当だから」

「…………」

「――それで、どうして? 瑠璃ちゃん、だっけ。よく彼女のためにそこまでできるよね? そのちぎれかけた腕、ほとんど動かないんでしょ? どこぞの軍人さんくらいだよ、平然としてられるの」

「瑠璃ちゃんのためなら――僕の大好きなあの子のためなら、僕は何だってできるよ」

「うっわ、のろけ話?」

「そ、のろけ話。好きで好きでたまらないんだよ僕は。瑠璃ちゃんの事」

 最初は一目ぼれだった。

 それが、話している間に心安らぐような気分になって。

 かと思えば、一緒に住むようになってドキドキしっぱなしで。

 でも、それがこれっぽっちも嫌じゃなくて。むしろ心地よくて。

「僕、もう瑠璃ちゃん無しじゃいられない。あの子さえいれば、他にはもう何もいらないくらい、むしろあの子のためにだけ存在していると言ってもいいくらい、あの子が好きなんだ」

「――連続殺人鬼、《和製ジャック・ザ・リッパー》だよ? 前途多難だよ? 手伝ったりしたら君も殺人鬼の仲間入りだよ? 黒く赤く汚れちゃうよ? それでもいいの?」

「うん。もう決めたからね」

「――はぁ……」

 紫澄姫はため息をついた。心底呆れたと言うような、もうどうしようもないと言った、諦めも含まれているように思える。

「一見純粋な恋愛のように見えて、やってることは犯罪の片棒を担いでるだけだし、見逃すつもりはないんだけどね。どうやっても、私を説得することなんてできないよ? 私はこれからも、あの子と、そして君を浄化することをあきらめるつもりはない」

「――? 何か勘違いしてない?」

「え――?」

「僕は君を殺すために追いかけたんだ。殺しちゃう前に話をしてみたかったから、今言葉を交わしているだけだよ?」

「は、ちょ――まっ!?」


 僕の目の前で、紫澄姫の頭がスイカのように弾け飛んだ。


 最期に意外そうな声をあげたのが、僕には意外だった。ちゃんと、瑠璃ちゃんのためならなんだってする覚悟ができてるって言ったのにね。


 ――やっぱり、マグナム銃なんて素人が使うもんじゃないよ。おかげで、無事だった片方の肩が外れちゃった。


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