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アンティーク・ドールの手

11/4 微修正しました!

「そう言うワケなんだけど――いい、かな……?」

 住む場所を失った僕は、仕方なく、ホントーに仕方なく、顔がにやけるのを何とか防ぎながら、しばらくの間泊めてもらうよう頼みに行った。


 他ならぬ、瑠璃ちゃんの家に。


「えっと、それは――ちょっと……」

 だが、瑠璃ちゃんは困ったと言った反応をする。それは当然、いきなり訪ねてきてこんなことを言われれば困惑するに決まっている。なに、これも想定内だ。


 ちなみに、彼女の今日の服装は黒いゴシックロリータのドレスだった。彼女の服はそのほとんどが《親切なヒト》からの貰い物らしいのだが、なんだか僕にとっても《親切なヒト》になってくれている気がする。ものすごく瑠璃ちゃんに似合っている。


「で、でも、恋人同士なら、同棲することもおかしくは、ない、よね――?」

「どっ……!?」

 瑠璃ちゃんは途端に耳まで赤くなった。

「そ、そそそ、そもそも、ボク達はまだそんな関係じゃ――っ!? ボクは、まずはお友達からって……」

「それなら――その、と、友達を助けると思って……」

「うぅ――」

 これでも、気恥ずかしさを極限まで押さえて彼女にお願いしに来ている。はやく、はやく決めてっ! こっちも正直死んでもおかしくないくらい心臓がバクバク言ってるから!


「わ、わか、った。わかった、わかったよ、うん――」


「え――?」

「い、いいよって言ってるの――っ! わかったなら早く入って……!」

 瑠璃ちゃんはこれ以上ない程に顔を赤くしながら、普段に比べて割増大きく叫んでそう言った。やばい、萌え裂かれそう。


「大志君が、こんなにぐいぐい来る人なんて思わなかった――。人は見かけによらないって、本当だね……」

「は、ははは――」

「――実は、女の人の扱いになれていたり、ナンパマンだったりする?」

「絶対に違うから!? なんだよナンパマンって!?」

「ふーん――」

 訝しげな様子で僕を見る瑠璃ちゃんに、僕は誤解だと言いたくなった。――言わないのは、多分言うと余計誤解されそうな気がしたからだ。なんだか瑠璃ちゃん、よく思い違いするんだもん……。


 瑠璃ちゃんの後について、僕は家の中に入る。いざ今日からしばらくここに住むのかと思ったら、以前の騒動やさっき立ち寄った時とは、全く違うように見えるから不思議だ。

 入るとそこは、いつも通り玄関と兼用の部屋。今日立ち寄ったときと同じく柘榴は椅子に座らせられているし、依然寝かせたソファも変わらず、戸棚とタンス、せいぜいテレビくらいしかない様は相変わらず殺風景だ。取り立てて変わったことと言えば、その柘榴が今日は和服を着ていることくらいか。

 何より、ここには瑠璃ちゃんの甘い匂いが充満している。彼女の体から出るほのかな香りが、僕の心に興奮めいた何かを――。


 あれ、僕割ととんでもないことを思いついちゃったんじゃあるまいか。


 いや、思いついた当初は、瑠璃ちゃんとより長くいるためにはいい思い付きだと思ったが、いざ実際来てみると、何がとは言わないが、マズイ。

 しかも、一緒に住むということは――それはもう、彼女の生活に侵入することになる。つまり、普段の瑠璃ちゃんの――まあ、何と言いますか、うん、はい。

 要するに、危うく手を出してしまいかねない精神になるということなのだ。こうしてこれからのことを考えてこの部屋の匂いを嗅いでいると、なんだか麻薬を吸っている高揚感に襲われるような気にもなってくる。麻薬なんてやったことないから、想像でしかないんだけども、きっとそう外れたことではないに違いない。

 そして、当然僕には女の子を押し倒すような度胸はこれっぽっちもない。あったら今頃、ここへきて緊張などしない。

 要するに、僕はこれから悶々とした気持ちとそれを押さえる気持ち、それからそこに情けなさをぶつけると言う、三つ巴の戦いを一人でしなくてはならない。こんなこと、計算に入れてなかった。


「あ、えっと、そうだ大志君――」


「はぇっ!? な、なんですかいっ!?」

 思わず変な声が出てしまった。驚いたのか、瑠璃ちゃんは飛び上がる。

「ど、どうしてそんな素っ頓狂な声をあげるの!?」

「そっちもそんなにびっくりしなくてもいいじゃないか!」

「はっ!? まさか女の子が驚く様を見て楽しむと言う奇特な趣味が!?」

「どうしてそうなるんだよぉ!?」

 何と言うか、改めて考えると失敗だったかも。ちょっと性急すぎたかな――女の子とのお付き合いなんて、今までしたことないからわからないよ。


「――で、いったいどうしたの?」

「うん。今晩の夕食、何がいいかなって思って――」

「え、瑠璃ちゃんって料理できるの?」

「し、失礼な――っ! これでも、一年の間は一人で頑張ってきたんだよ!? ちょっとしたお料理くらいはできるよ!」

 何と僥倖。前途多難な雰囲気が立ち込めていた矢先、これはラッキーだ。まさか、瑠璃ちゃんの手料理が頂けるとは!

「…………」

「――どうしたの?」

「――やっぱ大志君には作ってあげない」

「なんで!?」

「図々しくて失礼なヒトには何も食べさせてあげない」

「そ、そんなぁ!」

 でも、確かにいきなり上がり込んできてタダ飯喰らおうと言うのは、確かに図々しい。彼女が機嫌を損ねてそっぽ向いてしまうのも、なんとなくわかる気がする。


「よし、分かった。僕が作ろう」

「え――?」

「確かに、ここでお世話になるんだから、僕にできることならなんだってやらなくちゃ」

 これだけで埋め合わせになるなんて思うつもりもないが、瑠璃ちゃんにいいところを見せるチャンスだ。

「いや、でも――」

「遠慮しないでよ。僕なんて、むしろ料理とか掃除とか洗濯くらいしかできないんだから」

「そうじゃなくて」

「何?」

「大志君、料理なんてできたの――? インスタントラーメンは料理って呼ばないよ?」

「分かってますよ失礼な!?」


         ♦   ♦   ♦   ♦


「わ、思ったよりも包丁さばきが上手――」

「ふふん、僕だって、伊達にアパートで独り暮らししてたわけじゃないよ」

「まあ、ボク程じゃないけど――」

「――どうやって鍛えられたのかは聞かないでおくよ」

 結局、僕らはお互いの腕の見せあいみたいな感じで一緒に料理することになった。僕と同様、瑠璃ちゃんも結構負けず嫌いなのかもしれない。

 ちなみに、今夜の献立は鰤の切り身のステーキにお味噌汁、野菜サラダと言ったいたってシンプルなモノに決まった。僕は今魚を焼く前に油と共に引いておくにんにくをきざんで、瑠璃ちゃんは味噌を解かしている。


「それじゃあ、今から魚を焼いてくよ。アルミホイルはどこ?」

「それなら、そこのテーブルに置いてある――」

「ええっと――あったあった」

 僕はアルミホイルを手元にもってきてから、温めたフライパンに油を引き、先ほどきざんだにんにくを炒める。

 ある程度にんにくを炒め終わってから、下ごしらえした鰤の切り身二人分をその上に引いていく。置かれた瞬間、じゅぅっという魚の焼けるいい音が鳴り始めた。

 そして次に、フライパンの上にアルミホイルを引く。こうすることで熱を籠らせて、中まで火を通すのだ。僕も、蓋つきのフライパンを持ってなかったから、こういうやり方にはなれている。

「こっちは終わったから、後は魚の出来上がりを待つだけ――」

「じゃあ、瑠璃ちゃんはサラダをお願い」

「わかった。ボクが美味しく野菜を解体する――」

 それにしても、こうやって肩を並べて料理してると新婚さんみたいだなぁ。なんだか、今がこれまでの人生で一番幸せだよ。――瑠璃ちゃんの言葉は妙に物騒だけど。

 瑠璃ちゃんがきゅうりを切っている間に、僕は焼きすぎないように注意する。味噌汁の具材である大根を切っていた時も思ったが、本当に彼女の包丁さばきはすごい。あっという間に野菜が形になっていく。


 そうして魚が焼き上がり、サラダも完成する。もう僕がといだ米は炊き上がっていることだし、味噌汁も既に作り終わっている。

 ――なんか、ちょっと足りないかも。

「そうだ瑠璃ちゃん、冷蔵庫にトマトあったよね? あれ切ってもいい?」

「いいよ。ボクが切ろうか――?」

「大丈夫。トマトくらい、僕でもすぐに切り終えられるから」

 僕は冷蔵庫からトマトを取り出して、食べやすいように八等分にカットしていく。赤色が加わると、色合い的にもちょうどよくなるだろう。

「そう言えば大志君」

「何?」


「お風呂はどっちから入る――?」


「おふっ!? ――痛っ!?」

「っ、大丈夫!?」

 瑠璃ちゃんはそこまで考えが及んでいなかったようだが、僕はその言葉を聞いた瞬間、一糸まとわぬ瑠璃ちゃんの裸体を、一瞬――ほんの一瞬思い浮かべてしまった。

 しかもその衝撃で、刃を落とす位置を間違えて結構深く指を切ってしまった。何やってるんだよ僕は。いろいろな意味で。

「かして。――あむっ」

「え――」

 すると、僕の切った指を即座に瑠璃ちゃんが咥える。――頭が真っ白になった。

「な、なにを――?」

「――? はひっへ、ひょうひょふはへほ」

 きっとその口は、「消毒」と言う言葉を紡いでいることだろう。そんなことわかっている。僕が今問題にしているのは、


 今切った指先に感じている暖かな温度と、優しく締め付ける触り心地のいい唇と、軽く当たる硬い歯と、ちょっぴりざらりとした舌の感触と、そして唾液の湿り気、


 である。

「――っっ!!」

 指先に集中した触覚が、頭の中が沸騰するような高揚感と気恥ずかしさ、そしてほんのちょっぴりの罪悪感へと変換される。それら全てが混ざり合わさり、僕はとんでもない興奮を体感した。


 ちゅぱっ


「とりあえず応急処置。ちゃんと消毒液で消毒して、絆創膏を――どうしたの大志君。顔赤いよ……?」

「え、や、や、やはははは、あー、うん」

 訝しげに首をかしげる瑠璃ちゃん。そ、そうだ、おおお、お礼言わなきゃ。

「瑠璃ちゃん」

「――?」


「ごちそうさまでした」


「!?!?!?!?」


         ♦   ♦   ♦   ♦


「「ごちそうさまでした」」

 僕らは台所のテーブルで二人同時に食事後の挨拶を口にする。簡素な食事ではあったが、好きな人と一緒に食べる食事とは、これほどにまで心満たされるものだったとは。

 ――ただ、恋人同士がするような、「はい、あーん」は出来なかった。流石にそれはまだ非常に難易度が高い。

「それじゃあ、ボクお風呂沸かしてくる」

「え? ああ、お風呂ね。お願いするよ」

 僕が指先を切る原因となり、かつ短い時間ではあったが至福の時を作ってくれた魔性の言葉、「お風呂」。流石の僕も、二度目はそれほど動揺しない。

「…………」

 が――、

「ど、どうしたの瑠璃ちゃん?」

 見ると、瑠璃ちゃんが奇妙なモノを見る目でこちらを見返してきていた。

「――いま、なんとなくだけど、大志君がなんで突然おかしくなったのかわかった気がした。ボクの『お風呂』って言葉に反応してる気がする――」

「ぎくっ」

「…………」

「は、ははは、は、は――」

 ああ、どんどん瑠璃ちゃんのこちらを見る目が懐疑的に――。

「そんな変態なお客さんには絶対一番風呂なんてあげない――」

「は、はぁ――」

 ああ、あの目は道で潰れている蛙を見る目だ。


 って、あれ?


「いい? お風呂が沸いたらボクが一番に入るから。覗いたりなんてしたら――流石に容赦しないよ? 切り取っちゃうよ? いろいろと」

 そう言い残し、瑠璃ちゃんはさっさと浴室に向かって行ってしまった。

 今の言葉、彼女はいやらしいことを考えてしまった僕に対する仕打ちのつもりで言ったようだが――、


 どう考えても、むしろそれはごほう――ごほっ、ごほっ!


 まて落ち着け僕。地下鉄をどう地下に入れるのか考えて落ち着くんだ。

 そもそも思い出せ、僕はここにしばらく居候することになって、そう思ってこの部屋の匂いを嗅いだだけで脳の回路が焼き切れるかと思ったんだ。


 このままでは、脳みそがとろけて死んでしまう恐れすらありうる!


 だから、落ち着かないとやばい。座禅を組むお坊さんのごとき無の境地に至らないと、ひっぱたかれる程度では済まないレベルのダメージを被る恐れがある。

 それは下手をすると、瑠璃ちゃんの全力罰など話にならないレベルの傷害だろう。他の誰であろう、僕自身の精神攻撃で。


「大志君」


「わひゃいっ!?」

「――? お風呂、空いたよ?」

 僕が煩悩の危険について考えていた間に、瑠璃ちゃんは上がっていたらしい。時間が経つのは早い――


 あ。あかんわこれ。


 普段着とは対照的な白色のパジャマ。レースが所々にあしらわれたそれに、今瑠璃ちゃんは身を包んでいる。

 彼女はその長い髪の拭き洩らした水分をバスタオルで吸い取っている途中だった。しかし、それでも完全に乾ききる事の無い黒髪は若干のてかりを残しながら思い思いに纏まり、一部はその頬や首に線の細いラインを強調するように貼りついている。

 そして、極めつけはほのかに香るシャンプーやボディソープの香り。普段の瑠璃ちゃんからふわりと溢れ出る微細な匂いのベースはこれだったのかと理解するのに僅か0.3秒。

 部屋中でそれを理解するたびに自分の精神がより一層危ういんじゃないかと気が付くのにそこからさらに0.5秒。

 体の温度が上がるのについでの0.2秒。


「え、ちょ、ちょっと大志君――っ!? わ、鼻血!?」


 合計1秒の間にパーンした僕のお脳。女の子と言う存在に不慣れな僕が、お宅訪問は失敗だったんじゃないのかと自覚する二度目の瞬間だった。


         ♦   ♦   ♦   ♦


 優しくて甘い香りを運ぶ風が僕の頬を撫でてくる。ああ、なんだかとっても心地いいや。

 それだけでなく、同じ香りに包み込まれるこの感触。ずっとこのまま眠っていたいと思えるような、そんな感覚。


 ――もしかして、ここは天国?


 とすれば、僕は死んでしまったのだろうか? だとすれば、きっとよからない妄想で脳みそが蕩けきってしまったからに違いない。

 ――瑠璃ちゃんに迷惑かけたよね、きっと。

 僕はもう少し考えて行動すべきだったと後悔する。せめてもう少し彼女との付き合いになれてから押し掛けるべきだった。

 ごめん、瑠璃ちゃん。そして、さよなら。

 ああ――、


 最後に瑠璃ちゃんの笑顔が見たかったなぁ――。


「――大志君、大丈夫?」

「え――?」

 僕は首をゆっくりと回し、僕は一番聞きたかった女の子の声がした方を見る。

「瑠璃、ちゃん――」

「びっくりした。お風呂に入る前にのぼせるヒトなんて初めて見た。――そもそもボクはあなたくらいしか大した知り合いはいないけど」

 そこには、心配そうに見つめてくる瑠璃ちゃんが居た。彼女は椅子に座り、僕をパタパタとうちわであおいでいる。

「えっと、どれくらい気を失ってたの?」

「そんなに長くない。十分くらい」

「そっか――」

「本当にびっくりした。だって、いきなり椅子から転げ落ちるんだから。頭打ってこぶとかできてたりしない?」

「うん、多分それは大丈夫、だと思う」

 と、当たり障りのない会話をしながら、そこで僕ははたと気が付く。


 ここ、どこだろう?


 天井の色合いからしてまず瑠璃ちゃんの家であることにはまず間違いないが、天井の面積の少なさが、この部屋の小ささを物語っていた。

 僕の知る限り、こんな部屋はなかったはず――いや、一つあるとすれば、今まで一度も入った事の無い扉、二つのうち一つだ。

 うち一つは、浴室に入る扉だ。しかし、ここが風呂場でないことはまず確定的だ。

 そしてもう一つ。玄関兼用の、この家に入ってすぐの部屋。一方は台所に通じる扉で、浴室に通じる扉もそこへと通じている。

「ねぇ、瑠璃ちゃん。ここは?」


「――? そりゃもちろん、ボクの寝室だけど」


「――っ!?」

 それを聞いた時の衝撃たるや、気絶から復帰した僕の意識にどれほどの会心の一撃が炸裂したか。

「つ、つまり、今僕が眠っているこれは――」

「ボクのベッドだけど」

「――――っっっ」

 僕は思わず何も言えなくなる。起きたてで意識が少し朦朧としているためか、それほど顔がかっと熱くなることはなかったが。

 というか、変なところで勘違いしたり、時々勘が鋭かったりするにもかかわらず、何故妙なところで疎いんでしょうか!? それとも、僕が意識しすぎなだけなの!?

「とりあえず、調子悪いなら今日はお風呂はやめておいたほうがいいと思うんだけど、どうする?」

「う、うん――今日はやめておくよ」

 正直入れないことに大きく落胆はしたが、今はまだ命が惜しい。こんな体たらくで瑠璃ちゃんの入ったあとのお湯に浸かったら、今度こそ死んでしまうかもしれない。

「それじゃあ、今日はもうおやすみしたほうがいいかな。おやすみ、大志君」

 そう言って瑠璃ちゃんは部屋を出て行こうとする。しかし、ちょっと待ってほしい。

「ね、ねえ、瑠璃ちゃんはどこで寝るの?」

 僕がここで寝ているということは、瑠璃ちゃんが寝るベッドが無いはずである。彼女は元々一人暮らし。他に寝床などあるはずがない。

「ボクはソファで寝るつもりだけど」

「そ、そんなわけにはいかないよ。突然押しかけてきたのは僕だし、僕がソファで寝るよ」

「で、でも大志君はお客さんなんだし、それに調子が悪いなら、ちゃんとベッドで寝てた方が――」

「いやいや、瑠璃ちゃんが」

「いやいや、大志君が」

 どこのダチョウ倶楽部だ。しかし、三人目がいないため一向に終わらない。


 それからしばらく、あーだこーだとベッドを譲り合う。僕としては、本当に突然押しかけたんだし、迷惑かけてるんだからその上ベッドまで占領するわけにはいかないし。しかも、倒れた理由がそこはかとなく情けないモノだし。

 そうやってお互い遠慮しあっていると、瑠璃ちゃんがとんでもないことを言い始めた。


「そ、それじゃあ――一緒、に……」


「――――」

 な、なんですってーっ!? と、僕は心の中で叫び、口をあんぐりとあけた。いやいや、確かにこうやってお互い譲り合ってたらいつまでも終わらないのは確かだけども! 顔をまっかっかにしてまで言わなくても!

「そ、それじゃあ――失礼しまーす……」

 顔が赤いまま、瑠璃ちゃんは僕の隣に遠慮がちに入ってくる。待って! ちょっと待って!?

「ぼ、僕が倒れてから十分程度ってことは、まだそんなに遅い時間じゃないんじゃないの!? まだ寝る時間には早いんじゃ――っ!?」

「そうだけど――どうせ一緒のベッドで寝るのなら、早く慣れたい。どうせ全然寝付ける気がしないし。ほ、ほら、もうちょっと向こうに寄って――」

 もはや、こうなってしまっては仕方ないと思う。

 彼女が覚悟を決めたんだ。ここで僕がうだうだ言い続けるのは、流石に情けなさすぎる。ここは腹をくくって――。


 ぴとっ


 彼女の背中と髪の毛が、僕の腕に張り付いた。

 ――僕も後ろ向こう。

「…………」

「…………」

 しばらくの間、僕らの間では無言が続く。しかし、少なくとも僕は眠ったワケではない。と言うか、寝れるわけが無い。こうやって背中合わせでも、体温をすごく近くに感じるため、相手の顔が見えていなくともものすごく緊張する。

 ――でも、そんな心臓の動きがすごく活発しているこの状況でも、何故だかどこかにこの暖かさに安らぎを感じる。

 なんだろう、この気持ち。本当に、全然緊張が解ける気はしないのに、すごく安心する。

 これが、誰かを好きになるってことなのかな? だとすれば、僕は瑠璃ちゃんを好きになれて本当によかったと思う。

 なぜかって?

 そりゃあ、彼女は自分が生きるために人を殺すような恐ろしいヒトだけど。


 こうやっていられるその間だけは、きっと優しい女の子だから。


         ♦   ♦   ♦   ♦


「それじゃあ、行ってくるよ」

「大丈夫――? やっぱり、大事を取って休んだほうが……」

「いや、もうすっかり元気だよ。それに、家が燃えちゃったから心配してるヒトもいるだろうし、顔を見せないと。――せいぜい他に一人くらいだけだけど」

「――大志君、ボク以外に友達居たの?」

「ひ、一人いれば十分だよ! たくさんいればいいってものでもないし! だ、だいたい、瑠璃ちゃんだって、友達は僕だけじゃないか!」

「ほ、ほっといて! それ以上言うと口を縫いとめるよ!? もう、さっさと行って!」

 僕は瑠璃ちゃんに締め出される。案外気にしてたのかもしれない。後で謝ろう、うん。


 そうして僕は学校へと向かう。思いのほか瑠璃ちゃん宅から学校の位置は近く、登校する分にはとても楽だ。

 まあ、だからと言って毎日学校に通うかと問われれば、それはまた別なわけだが。


 その他大勢の人が歩く中学校にたどり着き、まず僕は職員室に向かう。昨日の放火騒ぎ、それに関しての話をするように、僕のケータイにメールが入ってきていたのだ。

 ――しかし、関しての話と言われても、何を言えばいいのだろうか。一応警察の事情聴取は今日受けることになっているが、帰ってきてから家が燃えていたとしか答えざるを得ない。

 ――まあ、その時考えればいいか。今考えても仕方ないし。


「大志君!?」


 昇降口に向かって歩いていると、僕を呼ぶ声がしたので振り返る。

「あ、紫澄姫。おはよう」

「おはよう、じゃないよ! 聞いたよ、住んでたアパートが燃えちゃったんだって!?」

「――まあ、燃えたのは僕の部屋だけだけどね」

 思い出すと、今でも悲しくなってくる。ヒトには理解してもらえない趣味でも、僕にとっては大切なコレクションだったのだ。

「でも、よく無事だったよね?」

「うん、ちょうど僕はその頃外出してたからさ。まあ、不幸中の不幸だったよ、うん」

「――どゆこと?」

「僕の集めていたモノが全部逝っちゃったんだよォ!」

「あー、例のえっちっちーな?」

「違います! そう言う趣味じゃないから!」

 まだいうのかこの人は! いや、人にはあんまり言えないような趣味だから、詳細の説明はしないけどさ!

「あははー、まあでも、本当に災難だったよね。まさか君が《私刑断罪者》に狙われるなんて」

「一応、推定だとは思うけどね。一応、爆発からの火災って言う法則からは外れてないけど」

 だからと言って、何だって僕の部屋が狙われなくちゃならないんだと言う気持ちは変わらない。

 ――まあ、代償としてコレクションを失った代わりに、瑠璃ちゃんに近づける口実ができたわけだが。結果は失敗とも成功ともつかない、様々な意味で大変なモノだったけど。

「そう言えば、昨日はどこで寝たの?」

「えっと――知り合いの家に泊めてもらったよ」

「――まさか、大志君に私以外の泊めてもらえるような間柄の知り合いがいたとは」

「何気にひどくない!? いや、そう思われてもおかしくないかもしれないけどさ!?」

 話しながら歩いていると、僕らはいつの間にか昇降口につく。

「それじゃあ紫澄姫、また後で」

「え、どこ行くの?」

「職員室だよ。昨日の火事の件でさ」

「なるほど。それじゃ、これを渡しておくよ」

「え――?」

 紫澄姫はそう言って、スクールバッグから赤色の根菜を取り出した。

「はい、人参」

「なんでだよ!?」

「おいしいよ? あ、もしかして嫌いだった? でも大丈夫、この人参は嫌いなヒトでもおいしく食べられるフルーティな人参だから」

「そう言うことじゃないって! と言うか、また泥まみれのまま入ってたの!?」

 今度の今度こそ、スクールバッグの中は泥だらけのはずだ。なぜ袋に入れない。

「そう、おかげで教科書が――」

「無理しなくてもいいよ!? 袋に入れないよ!?」

「――なるほど、その手があったか」

「最初に思いつこうよ!?」

 アホなやり取りをした後、僕と紫澄姫はそれぞれ反対の方向へと歩き進んでいく。紫澄姫以外に、この学校で深く僕に話を聞いてくるヒトは誰も居ない。瑠璃ちゃんのところでお世話になっている僕としては、むしろそれがありがたかった。


         ♦   ♦   ♦   ♦


「瑠璃ちゃん、ただいま」

「遅かった。どうしたの?」

「いや、昨日の火事のことで先生や警察の人と話しててさ」

「警察――」

 その名が上がった瞬間、瑠璃ちゃんの眼が険しくなる。

「大丈夫だよ。瑠璃ちゃんのことに関しては一言も話してないからさ」

「分かってる。ボクは大志君の友達だから、信じてる――」

 すぐに瑠璃ちゃんの眼差しが優しいモノに変わった。彼女の素性的には、警察とかそういうモノに関しての話をなるべく出さないほうが、余計なストレスを与えなくて済むかもしれない。

 なお、僕の部屋に火をつけたのは十中八九《私刑断罪者》らしい。現場に、「精神異端者ノ断罪完了」と書かれた書置きが置かれていたのだと言う。失礼な。

「それよりも瑠璃ちゃん、ちょっと提案があるんだ」

「どうしたの突然? ――あ、えっちな事はダメだよ……?」

「どうしてそっちの方向へ!? 折角こうやって仲良くなったんだからと思って考えたことだよ!」

 瑠璃ちゃんの眼に僕と言う人物はどのように映っているのだろうか。変な誤解されてるなら早めに解きたいが、そうだったらそうで、悲しくなりそうなためいまいち突っ込めない。

 ともかくそれは後回しでいい。言おう! この可愛い僕の友達に! もっと仲良くなるために、短い事情聴取や帰ってくる間に考えていたことを!


「明日、遊びに行かない?」


「遊び、に――?」

 というわけで、僕は瑠璃ちゃんに早速提案した。

「そう! 明日土曜日だし、より仲良くなるために!」

「悪いけど、無理――」

「――っ!?!?」

 まさかの即答。僕はメドゥーサに睨まれたかのごとく固まった。

「そ、そんなにショックを受けなくても。そりゃあボクだって、大志君と遊びに行けたら、いいなって、思うけど――」

「思うけど?」

「ボクがこの借り物の手足を使えば使うだけ、人を殺さなきゃならないから――」

 僕は一瞬わからなかったが、すぐに彼女が何を言いたいか理解した。

「以前燃料として心臓が必要って言ったけど、アレはそのままの意味。動けば動くだけ摂取した分が消耗されるから、ボクは普段の生活で必要な動きしかしないようにしてる」

 遊びに行くことになれば、それだけ動くことになる。確かに、普段の生活などよりもずっと多くの燃料を消費しそうである。

 僕としても、なるべく瑠璃ちゃんに人を殺させたくはないため、納得せざるを得なかった。

それに、殺せば殺すだけ、瑠璃ちゃんが現場で他のヒトと居合わせる可能性が上がる。ついこの間の僕のように。今度遭遇する人は、僕のように変な趣味を持った人とも限らない。


「本当にごめんね? ボクがこんな体なばっかりに」

「いいよ、そんな謝らなくても。僕だって君の体のことは承知してるからさ。でも、まさか使えば使うだけよくないって――あれ、ちょっと待って」

「――? どうしたの?」

「逆を言えば、使わなければ遊びに行ってもいいってことだよね?」

「論理としては間違ってないけど――まさか、ボクを一日中背負うとか言うつもり?」

「そ、それはそれで魅力的だけど、それはいろんな意味辛そうだから。それよりも、いい方法がある」

「どういう事?」

「ちょっと待っててね。えーと――」

 僕はスマートフォンを取り出し、早速目的のモノを調べる。――うん、大丈夫。


「それじゃあ瑠璃ちゃん、ちょっと行ってくる! 楽しみに待ってて!」

「え、ちょ、ちょっと、どこへ――っ!?」

「夕食までには帰ってくるよ! 悪いけど、夕飯の準備はお願い!」

 そうして、僕は瑠璃ちゃん宅を飛び出す。ぽかーんとした顔で見送ってくる彼女に、明るい笑顔で手を振りながら。


         ♦   ♦   ♦   ♦


「こ、これって――」

「ふふーん」

 僕は折り畳み式の新品のそれを、瑠璃ちゃんに見せてあげるために狭い家の中で広げて見せる。


「車いすって――大志君、ば、馬鹿じゃないの!? 遊びに行くためだけにそんなのっ!?」


 馬鹿とは言いつつも、なんだか少し喜んだ顔もしている瑠璃ちゃん。うん、予想通りの反応が得られて満足っ!

「瑠璃ちゃんがこれに乗って、僕が後ろから押せば、少なくともその燃料が必要な足を動かさなくても済むでしょ?」

「そ、その通りだけど――車いすなんて、高かったよね?」

「うーん、思ったほどはそうでもなかったかな。予想より安くて驚いたよ。二万円あれば、自走式でなければ買えちゃうんだ。アパートの僕の部屋も燃えちゃったから、家賃予定だったお金まわせたし」

 きっと犯人は全く意識していなかっただろうが、彼のおかげでなぜかいろいろ助かっちゃっていた。《私刑断罪者》様様――とまでは言わないが、コレクションの代償としては、破格のおつりが来ている。

「ボ、ボクもある程度お金をだす――」

「いいのいいの! 僕が遊びに行きたいって我儘言ってるだけなんだから、これくらい、ね?」

「――ありがと」

 瑠璃ちゃんはちょっぴり頬を赤らめながら、微笑んでくれた。その笑顔だけで充分すぎる程だ。

「それじゃあ、夕食食べたら明日の準備しよう!」

「うんっ!」


         ♦   ♦   ♦   ♦


「よし、着いた」

 そして土曜日。僕は瑠璃ちゃんの乗った車いすを運転手さんに手伝ってもらいながらバスを降りた。

「ボク、水族館初めて」

「へぇ、ホントに?」


 今回遊びに――いや、デート場所に選んだのは水族館だ。

 同じ県にあるものの、いくつかバスを乗り継がねばならないのだが、そこが今回の予定に適した場所だったため、ここに決定した。最初からいきなり遠いのもなんだしね。


「うん。誰にも、遊びに連れて来てもらったこと、なかったから」

「そうなんだ――じゃあ、今日が瑠璃ちゃんの水族館記念日になるんだ?」

「なんだか、その調子だと事あるごとに記念日作られちゃいそう」

「――作る? 初対面記念日とか、一緒に料理記念日とか」

「そこまで来ると恥ずかしい」

 折角遊びに来たわけなので、極力暗い話題にはならないよう、話を明るい話題へと持って行く。そのかいあってか、瑠璃ちゃんの顔には明るい笑顔が浮かんでいる。


 ちなみに、今日の瑠璃ちゃんの服装は黒色のワンピースにチェック柄のロングスカートだった。人形の手足が露出して目立つのが嫌とのことなので、肘ほどまで長さのある布手袋と、二―ソックスを着用している。

ちなみに、どちらも黒色。すごくよく似合ってる。


「あ、結構券売所並んでる」

「券売所?」

「あそこで入場券を一度買ってから、入り口の係員さんに見せるんだよ」

「見せると――ワープしちゃったり?」

「どうしてそんな発想に――」

 どうやら、瑠璃ちゃんは本当にこういう場所に来たことが無いらしい。だったら、折角の初水族館。楽しんでもらわないとね。


 土曜日のために込み合っているため、十分ほど並んでから券を購入する。――一応「高校生」二人と言ったが、実際のところ瑠璃ちゃんって何年生まれなんだろう? 場合によっては中学生でもありうる年齢だが、何分、彼女は学校に通っていないからわからない。

 僕は瑠璃ちゃんの車いすを押しながら、入口へと向かう。

「この券を係員さんに差し出すんだ」

「こ、こう――?」

 瑠璃ちゃんの出した券を、係員さんが挟み込む式のスタンプで押す。

「お、おおおおっ!」

「お、大げさだよ瑠璃ちゃん――」

 ここではないものの、水族館には何度も行ったことのある僕としては、そんな感動は忘れてしまったから新鮮だなァ。僕も、最初に来たときはこんなんだったんだろうか?

「大志君っ! 次、次行こう!」

「はいはい」

 興奮する瑠璃ちゃんを見てると、僕としてもうれしくなってくる。僕は車いすを押して、その先へと向かった。


「お、おおおおおっ! ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」


 目の前を巨大な水槽が覆っている。その中にはマグロやイワシをはじめとした、定番の魚たちが自由に泳ぎ回っており、何とも雄大で美しい光景が広がっていた。

「大志君! あれあれ、あれは何!?」

「あれは――マグロだね」

「あれがマグロの本来の姿――っ! あっちのは!?」

「イカだね」

「あっちは!?」

「カツオ――かな?」

「さばいてもいい!?」

「いやいやいや、さばいちゃ駄目だよ!」

「むぅ――でも、こんなにすごいよ、すごいっ!」

 初めての水族館で大はしゃぎする瑠璃ちゃん。その姿は見た目の年齢よりも更に幼い子供のように見える。

「これくらいでは終わらないよ。ある程度見終わったら次に行こう」

「え、まだこれ以外にもあるの!?」

「そりゃ水族『館』だからね。いろいろな水生生物がここでは見られるよ」

「ホントにっ!?」

 目をキラキラさせながら、今にも車いすから立ち上がりそうな瑠璃ちゃんの姿を見て僕もうれしくなる。ここまで喜んでくれるとは思わなかった。ああ、できることなら人目もはばからずに愛でたい!


 およそ三十分ほど巨大水槽に張り付いたあと、僕らは次のエリアへと移動する。

「魚のアーチになってる――っ!」

 その際通り道となっていたのが、彼女の言う通り魚のアーチだ。トンネル型に作られた水槽の中を、ものすごい数の小魚たちが泳いでいる。


 次のエリアは、通常の、特に動きの少ない海の水生生物のエリアだった。向こうの方には、砂地に擬態したカレイやヒラメの観察コーナーがあり、個別の水槽には、ウニやら貝が居る。

「なんだか、さっきからおいしそうなのばっかりいる気がする」

「それだけ、僕らはいろんな種類の魚とかを食べてるんだね」

 と言っても、ウニなんて久しく食べてないのだが。懐かしいなァ。

「ボクもヒラメやカレイを見てみたいけど――」

「それじゃあ、僕が支えてる風の演出をしよっか?」

「風って言うのが、何とも――」

 そう言う瑠璃ちゃんを、僕はその場所まで運ぶ。

「ほら、瑠璃ちゃん」

 僕が瑠璃ちゃんに体を差し出すと、彼女は首に手をまわし全身を預けてくる。存外、演技がうまいね瑠璃ちゃん――。

 以前ベッドで背中合わせで寝たおかげか、今の状況はその時ほど緊張しなかった。その分、僕の心を満たすのは瑠璃ちゃんを支えられていると言う満足感と幸福感である。

 僕と瑠璃ちゃんは、二人で一つの水上メガネを操作してカレイやヒラメを見た。いつもならそう感動する魚を見ているわけではないが、今日ばかりは、それらがいつもより輝いて見えた。

 つまり、何が言いたいのかと言うと――、


 水族館をデート場所に選んでよかった!


         ♦   ♦   ♦   ♦


「楽しかった」

 帰りのバスの中で、瑠璃ちゃんはおみやげのウミガメのぬいぐるみをその手に抱きながら、満足そうな顔でそう言った。

「ご満悦のようで何よりだよ」

 瑠璃ちゃんはアレからもずっと興奮しっぱなしだった。他には陸地にもあがるカメなどの生物エリアや、深海の生き物エリアなど、普段はせいぜいテレビでしか見られないような水生生物が満載なのだ。直接見たことのない彼女がここまで喜ぶのも当然だろう。

 僕も、喜んでくれた瑠璃ちゃんを見るのがとても楽しかった。

「大志君。ボク、ちょっと眠くなっちゃった」

「着くまで時間があるから、寝てていいよ。僕が起こしてあげるからさ」

「ありがと――」

 そう言って、瑠璃ちゃんは僕の肩に頭を預けてくる。心地のいい重みと、心安らぐ香りが、僕の感覚を落ち着かせる。

 ――なんだか、僕も寝ちゃいそうだよこれ。

「大志君」

「――なに?」

「ボク、大志君にあえてよかった。今日まで、生きてきてよかった」

 こちらを見る瑠璃ちゃんは、柔らかく微笑んでくる。

「ボク、こうなる前は要らない子として扱われてたの」

「――それはまたどうして?」

「ボクが、卑しい女の腹から産まれたから」

 そう言う瑠璃ちゃんの顔は、しかし安心しきった安らかな顔だった。

「ボクの父親は、元はかなり有力な貴族の家柄の生まれで、現代となった今でも、かなり大きな力を持ったヒトだったんだ。だけど、そんな彼はある時、一人の娼婦との間に子供を作っちゃったんだ」

「――それが瑠璃、ちゃん?」

 彼女は静かにうなずいた。

「名前をこうやって付けられて引き取られはしたけど、冷たかったよ。皆、皆。父親でさえも。だって、男に体を売るような女の子供だもん。

 蔑んだ目で見られ、家の奥の奥で半ば幽閉されたような状態で、時には暴力まで振るわれたボクは、何度も死のうって考えた。そうすれば苦しいことから解放されるから。――だけど、そうしなかったのは、母親が憎かったから。顔も写真でしか知らないけど、ボクがこんな目に合ってるのは、あいつの子だから。そう考えたら許せなくて、いつかボクが受けた仕打ちの仕返しを、絶対にしてやるんだって」

「――今までの人みたいに?」

 きっと、瑠璃ちゃんが娼婦を「殺してもいい人間」と言ったのはそこに起因するに違いない。僕にはそこまで想像はつかないが、きっと、代理を立てて殺したくなる程には、ひどい扱いを受けてきたのだろう。

 すると、今度は首を横に振った。

「分からない。だけど、あんな程度じゃ少なくとも物足りない。ボクが今まで向けられたゴミを見るような目で見ながら、地面に這いつくばらせて――」

「――でも、僕としてはその人に感謝、かな」

「――え?」

「ありきたりな言葉だけど、その人が産んでくれたから、瑠璃ちゃんと僕は会えたんだもん。こうやって肩を寄せ合って、言葉を交わして。その人が居なきゃ、瑠璃ちゃんの暖かみを、僕は感じることができなかったから」

「…………」

「――瑠璃ちゃん?」

「そんな風に言わないでよ――ボクがそれを実感しちゃったら、これまで通りに生きられないよ……」

「ごめん。――でも、どうしても言いたくなって、さ」

 僕は僕にもたれかかってくる彼女の頭に、自分の頬を寄せる。

「大志君――ひどいよ」

「うん、本当にごめん」

 僕は瑠璃ちゃんの肩に手をまわす。すると彼女は、より体全体をこちらへと寄せてきた。


 なんだか、瑠璃ちゃんの体が妙に熱く感じる。だけど、決していやな熱じゃない。


 そして次に、彼女の香りが僕の鼻腔をくすぐってくる。甘く心地いい香り。改めて、僕はこの匂いが好きだなと実感する。


 いつの間にか、僕と瑠璃ちゃんの顔は近かった。それにはおそらく彼女も気が付いているだろう。だけど、僕らは照れたりして離れることはなかった。


 むしろ、どちらからと言わず、互いに顔を寄せ始める。瑠璃ちゃんの潤んだ瞳が、上気した顔が、だんだんと接近してくる。

 そして、僕らの唇はゆっくりと重な――


 突然、バスがガクンと揺れた。


「「――っ!?」」

 揺れたバスは前方左下部で派手な金属音をたて、大きく傾き始める。

 一度バランスを崩し始めた乗り物が、元の体勢に戻れる可能性は低い。僕は反射的に瑠璃ちゃんを抱きしめて、彼女の身を守ろうと試みる。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッッ!!


 …………。


 ……………………。


「う――」

 混ざり合った悲鳴やアスファルトに激突する音の後、気が付いた時には既にバスが横倒しになっていた。

 一体、何が起こったのだろうか? 頭を打ち付けたためか、どうにもくらくらする。なんだって、いきなりこんな――。


 真上から見下ろしてくるかぼちゃ頭と目があった。


 ギザギザとした口と、内側にそれぞれ傾いた半円の形をした漆黒のくぼみ。人工的に作り出されたデフォルメされた表情は、本来なら親しみ溢れるデザインだが、この場にいるのは明らかに不自然である。


 そのかぼちゃ頭をした人物が、こちらを覗き込みながら僕らの方へと手を伸ばした。


 かぼちゃ頭は笑顔のまま僕たちを見ている。その手には何かが握られており、それは陽の光を反射して黒く輝いて――


 次の瞬間、火薬の破裂音と共に僕の視界が大きくぶれた。


 そこで僕ははっとなる。先ほどのバスの横転などなかったかのようなさざ波の静かな音。目の前に広がるのは海沿いの崖の上、その道路上から見える景色。いつの間にか、バスの外に出ていたのだ。

 それを見て、意外と狭い道をバスは走ってたんだと、どうでもいいことを思う。

「大志君、大丈夫――?」

 その声に意識をはっきりさせられ顔をあげると、すぐそこには瑠璃ちゃんの顔があった。彼女は僕の方を見ずに、正面をじっと見つめていた。

 その視線の先は、かぼちゃ頭の人物へと向かっている。

「る、瑠璃ちゃんこそ――」

「ボクは大丈夫。大志君が守ってくれたおかげで、どこもぶつけてない。でも今は、それよりも――」

 かぼちゃ頭がこちらを向いた。その手には、黒光りする拳銃が握られていた。


 その銃口が火を噴いた。


 再び僕の視界が大きく揺られる。再び気が付くと、僕は道路の上に立っていた。


 いや、瑠璃ちゃんにお姫様抱っこされていた。


「る、瑠璃ちゃんって、すごく力持ちだね――」

「主に柘榴の手足のおかげ――じゃなくて、そんなこと今はどうでもいい」

 確かに、どうでもいい。

 僕はバスの上に立っているかぼちゃ頭を見る。あれは――最近騒がれている連続殺人鬼、《ジャック・オー・ランタン》ではないだろうか? 黒いマントに身を包んだ、かぼちゃ頭の人物――ニュースで言われていた目撃情報と合致する。

 ジャックは拳銃を構えていた方とは反対側の腕をこちらに向けてくる。

「――ッ!」

 瑠璃ちゃんは僕を抱えて走り出した。直後、後ろからマシンピストルの連射音が響き渡る。

「――っ、……!」

 瑠璃ちゃんに連れられたまま、僕は茂みに飛び込んだ。二人で一緒に這いつくばって身を隠す。

「なんだって、連続殺人鬼がこんなところに――」

 ジャックはまっすぐこちらへと歩いてくる。このままでは見つかって、撃ち殺されてしまうのも時間の問題だ。

「瑠璃ちゃん――」

「――何?」

「あれだけ動けるなら、僕を抱えていたりしなければもっと身軽に動けるよね?」

「――大志君をこのまま置いてったりはしないよ」

「でもこのままじゃ――」

「――っ、今っ!」


 瑠璃ちゃんが唐突に立ち上がって何かを投げつけた。


 投げられたそれ――鋭いガラス片はかぼちゃの頭に深々と突き刺さり、ジャックはぶつかった勢いで大きくのけぞった。

 瑠璃ちゃんは茂みを飛び出すと、人形の腕で相手を強く押す。人間の力よりずっと強いそれにより、ジャックは突き飛ばされて転倒した。


 ジャックが、出来の悪いアクション映画のように、素早く身をひねりながら起きた。


「なんだか知らないけど、大志君をよくも危険にさらしてくれたね」

 瑠璃ちゃんは特殊な手足の力か、獣のような俊敏さで飛び掛かり、手に持ったガラス片の切っ先を突き出した。

 鋭い先端は、いともあっさりジャックの体に突き刺さる。


 瑠璃ちゃん、そんなことしたら相手が死んじゃう――


 しかし、《和製ジャック・ザ・リッパー》は手を休めない。頭に突き刺さっていた方のガラス片を引き抜き、ぽっかりと空いた目にめがけてもう一度突き刺した。

「ギ――っ!?」

 かぼちゃ頭を通り抜け、恐らく深々と突き刺さったであろうそれ。ジャックは血を吹きだしつつ仰向けに傾いだ。


「ボクの家族を傷つけようとするヤツは――――――――――――――――殺すッッ!」


 瑠璃ちゃんはいつもの「女の子」とも、最初に出会った《和製ジャック・ザ・リッパー》とも違う表情でジャックを睨み付ける。――彼女のあんなに切羽詰まった表情、初めて見た。

 何だろう、すごく切羽詰まっているかのような――。


 ジャックが、倒れながら銃を構えた。


「――っ!?」

 すぐさまジャックは拳銃で瑠璃ちゃんを撃ってくる。三発放たれたうちの一発が、瑠璃ちゃんの右肩に命中した。

「瑠璃ちゃんっ!?」

 撃たれた生身の箇所から血が噴き出る。衝撃で、体の小さい瑠璃ちゃんは軽く吹き飛ばされる。

「あ、ぐ――ぅ……」

 倒れて動けない瑠璃ちゃんに銃を突きつけながら、起き上がったジャックは近寄っていく。そして彼女の目の前で足を止めた。


 このままじゃ瑠璃ちゃんが――


 僕はそう思い、茂みから飛び出して瑠璃ちゃんを守るために動こうとした。しかし、恐怖によるもののためか、体が動かない。

 瑠璃ちゃんだけならば、きっと逃げることができる。そう思い、僕はさっきの時に茂みの中で彼女に提案した。

 早々にさえぎられてしまったが、あの時考え付いたのは、僕が囮になれば、この子だけは確実にこの場から退避することができるということだ。

 ――しかし、いざ自分の身が危険にさらされに行くとなると、途端に身がすくんで動けない。何をやってるんだ僕は。

 ――そんな僕に引き換え、なんで瑠璃ちゃんはあんな状況で飛び出していくことができたんだろう。

 彼女も何人もの人を殺している殺人鬼だが、狙っているのはほぼ無防備な女性ばかりで、あのようないかにも凶暴そうな何かではない。恐ろしいヒトではあるが、それ以外の面を除けば割と普通の女の子なのである。

 そんな瑠璃ちゃんが、他ならぬ僕のために出て行き、戦っている。本当は恐ろしいだろうに、銃を持っている相手に正面切って。


 ――ふと一瞬、横目でこちらを見た瑠璃ちゃんと目があった。


 その一瞬だけ、彼女はこちらに笑いかけてきた。何もできずにいる僕を見ても、怒ることなく、怨むでもなく、優しげに微笑んできたのだ。

 そして――


「ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィッッ!!」


 突然、《ジャック・オー・ランタン》がかぼちゃ頭を押さえて苦しみだした。今更刺さったガラスが効いているのか――?

 瑠璃ちゃんはぽかんとした顔でそちらを見つめている。そして僕は――


 本当に僕は何をやっているんだ――っ! 何が彼女に一目ぼれしただ! 惚れた女の子一人助けること出来なくて、僕に価値はあるのか!?

 さっきの、僕が引き付けようと思って出た言葉はただの虚言か!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっっ!!」

 これをチャンスと、茂みから飛び出して《ジャック・オー・ランタン》へと特攻した。


「大志君っ!?」


 驚愕とも叫びともつかない瑠璃ちゃんの言葉が、僕の耳に入ってくる。それをBGMにしつつ、僕はかぼちゃ頭の向こうに海を見ながら相手にぶつかった。


 僕と《ジャック・オー・ランタン》は、崖下の海へと転落し始めた。


 ガードレールを支点に、傾ぐジャックの体。一緒に落ちる僕の体。

 下に見えるのは断崖絶壁と、飛沫を立てる波。


 ――これ、もしかしたら死んじゃうかも。


「大志君ッッ!」


 悲鳴にも似た声で、瑠璃ちゃんが僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

直後、僕の体はガクンと落下をやめる。


 一方、《ジャック・オー・ランタン》は真っ逆さまに海へと落下していき、波にのまれて見えなくなった。


 がつんっ


「ほご――っ!?」

 僕は顔面を崖に強く打ち付けた。

「大志君ッ! 大志君大丈夫ッ!?」

「だ、大丈夫じゃないかも――」

 首を引いて足元を見ると、瑠璃ちゃんが僕の両足首を必死な顔をして掴んでいた。確かに死にはしなかったが、鼻から嫌な音が鳴った気がする。


 僕は再び海を見る。今日の海は、なかなか荒れているようだった。

 ここから落ちて助かる人間はいないだろう。荒れた海は泳げても泳げなくても溺れると言うし、あんなに大きな被り物をしていては、身動きなんて取れない。それに、上がってくる姿も見ていない。

 ――死体が無くて実感が沸かないが、僕が《ジャック・オー・ランタン》を殺したことになるのだろう。彼は、僕の体当たりで転落していったのだから。


「大志君、今引き上げるから――っ!」


 でも、たとえ人を殺してしまったとしても、それで瑠璃ちゃんが守れたのなら安いモノ。彼女の命は、僕にとって何物にも代えがたいモノなのだ。


「よかった――本当に……」


 引き上げた僕の胸に飛び込んでくる瑠璃ちゃん。彼女は泣いていた。顔の押し付けられた服が、暖かく湿る。

 僕は、瑠璃ちゃんを宥めるために頭をなでる。本当に、彼女には心配をかけた。


 愛しいこの子は、奇跡的に僕の腕の中にいる。もしあいつの動きが止まらなかったらとぞっとする。あんなふうに怯んで動けなくなるのは、もうこりごりだ。


 僕が守れるときは、僕が守らなきゃ。


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